下京西部医師会報No269掲載記事より
『ぼくは入れ歯くん』 南歯科医師会 林 甫
下西医師会の先生方、いつも歯のことに関心とご理解を頂き感謝しております。ぼくは入れ歯くんです。今日は総入れ歯について本音を言いたくて出てきました。ぼくは人工臓器と言う大変名誉な名前をもらっていますが、日々の生活はそんなによいものではありません。何のために作ってもらったのか、食事の時には外して食べる人も多いのです。またしゃべりにくい、口の中に入れると気持ち悪い、痛いなどで使ってもらえないこともあります。
初めての入れ歯
歯がなくなって、入れ歯をすることになると、おじいちゃんが食事の後に出して洗っているのを見ていたのが自分の身になってしまったショック、そして前の歯がたくさん抜けて、おばあさん顔になり、夜も寝れずノイローゼ、ご主人や子供にも、あんなグロテスクな入れ歯見せられないなどと悩む人は多いものです。
残りの歯がしっかりしていたり、顎の骨がよいときは、固定式の橋義歯やインプラントもできるけど、それがだめになった時は、最終的に入れ歯になる。歯がなくなった人には、必ず必要なのです。だからじっくりお付き合いをお願いします。
食生活
やはり食事はぼくのご主人の大きな楽しみ、お粥などを噛まないで流し込んでも栄養はとれるけど、食べ物を噛んでつぶすことにより、旨味が出てきます。美味しさは味覚だけでなく噛み応え、舌触り、歯ざわり、温度などで決まるので苦労なく噛めることが大切なのです。
よくできた入れ歯でも、確かに最大の噛む力は普通の歯（６０ｋｇ程度）の1/3（約20ｋｇ）位に落ちます。でも普段リズミカルにカミカミ噛んでいるときの力は約３Ｋｇで入れ歯でも普通に食べることができます。 苦手なのはリンゴの丸かじり、かぶりつくと上下の奥歯が浮き上がります。一口で食べられる様に切ることや、硬い物などは前歯でなく犬歯から奥の方が噛みやすいこともあります。そんな使い方の工夫も必要なのです。
合わない入れ歯
「硬い物でも、ご飯でも食べると歯ぐきに響いてたまらない。歯ぐきが痛くて赤く炎症を起こした。左ばかりで噛むので、顎が痛かったり肩こりや頭痛までしてきた。」「口の中に入れるとフワｱーと浮いてきて、ご飯なんかコロコロして全く食べれない」「歯ぐきと入れ歯の間に食べ物が入ってしまう」こんな悩みも本当に多い。
入れ歯が口の中に収まっているわけは、先ず義歯の置かれる座としての顎提粘膜と義歯の内面がぴったり合っていることが第一条件。そしてその間に唾液があることによって離れにくくなります（接着現象）。唾液が出ず乾燥症の人は義歯がぴったり出来ていても落ちやすくなります。第２には、義歯の全周囲が粘膜で包まれ封鎖されていることにより、傾いたり、引っ張ったときに、周りから空気が入らず中が陰圧になり取れなくなります（吸着現象）。上あごの入れ歯はいくら引っ張っても取れなくなる位よくくっつくこともできますが、下の入れ歯は、面積が小さいため外れて、浮き上がる事が多いけど、ほっぺや唇、舌でうまく押さえて使うことが出来ます。下の入れ歯を押さえたときに“グジュ”と音がすれば吸着ＯＫです。
噛んだときに痛いのはぴったり合ってなく、一部分のみが接触し他は隙間がある場合が考えられます。歯ぐきの変化、入れ歯の磨り減り、また型取りの時に変形などもありぼくの生みの親の歯科の先生も苦労します。
そもそも、歯ぐきは入れ歯を乗せるようには出来てなく、入れ歯くんもすまないすまないと言いながら乗せてもらっています。少しでも無理をするとすぐに、傷になり糜爛や潰瘍が出来てしまいます。
この噛んだ時の痛みは、入れ歯の適合性だけの問題でなく、噛み合わせによっても起こり、上と下の歯同士の一箇所だけの無理な接触があると、噛んだ時カウンターパンチを受けたように入れ歯が動き、擦れて傷になります。
痛い場所を少しずつ削り”あたり”をなくすわけですが、この仕事一回削って0.1ｍｍと大変細かい作業、「新しい入れ歯を作っても自然の歯と同じ働きをするまでは、先生も患者さんにも相当忍耐のいる難しい事」となります。この忍耐のないぼくのご主人は、ドクターショッピング。ビニール袋に合わない入れ歯をいっぱい詰め込んで歩き回ることになってしまいます。ご主人が、どのように不都合なのかを十分に伝え、歯科の先生も技量を発揮してじっくり取り組んでくれるとぼくも幸せです。
最近の柔らかい食事はぼくにとっても楽だけど、やはり「お母さん大好き」（おから煮、蒲焼き、あずきご飯、さんま焼き、だし巻、いもぼう、寿司、きんぴらごぼう）のお袋の味が歯にも体にもよいと言われています。
こんな歯ごたえのある食事、入れ歯にならないためにも大切で、幾つになっても、入れ歯になっても、何でも美味しく食べられるそんな人生最高です。どうもありがとう。