写真に撮られると魂を抜かれると昔の人は、それを忌み嫌ったという。私が最近しばしば思うことは、それとは逆に「写真を撮ると魂を抜かれる」ということだ。
道を歩いていて、美しいスミレが咲いているのを見つけた。ほとんど無自覚にカメラを向ける。少し慎重にフレーミングして、そしてシャッターを押す。そこには、なんの意志も意図もまったくない。写真を撮ることは、意識を介した行為でも表現でもなんでもない。時間を経て、やがてフィルムがそのままプリントされて、その場の光景が記録されていることを、はじめて自覚する。そして私は、いつもそのことを不思議に思う。
機械あるいは、写真というシステムに対して私は、通じていない、つまりは幼稚であるのだろうか。そんなことはない。カメラという機械には、一般の人以上に愛着も執着もあるし、もう何年も写真を撮り、そしてプリントされたものを先の執着の角度とはまた違った感情をもって束ねて集めている。
よく写真表現などというが、これらの行為は表現とも、ましてや芸術などというものとはほど遠い、あるいはまったく対極にある実に不遜で、倒錯した行為であるように思えてしかたがない。なにか、うしろめたく、どちらかといえば、密やかなことであるように感じられる。束ねられたプリントは、死屍累々というか、生命の輝きのない乾いた光景ばかりだ。私は、ひょっとしたら剥製趣味を、写真というシステムで覆い隠しつつ楽しんでいるのだろうか。そんなふうに、卑下することもある。
私が、スミレと出会ったその瞬間の光景は、確かに生命の動いている時間であるだろう。しかし、私とスミレが無意識という、カメラのレンズを媒介にし、対峙しているとき、そこに彼岸と此岸といった、別の時間の確かな齟齬の感覚に根ざした「呆けた関係」が生まれる。これを、「表現」といわず、このごろは「交換」といってカタをつけている。
無意識というが、そこになにもないのだろうか。自分の撮った写真を他人に見せたとき、「独特の感覚ですね。なかなか撮れませんよ」などとほめていただくこともある。また、「よく撮れたね、このへんの光の回り具合とか、背景のボケ味が素晴らしい」などと評価されることもある。本人にとっては、自分がいったいその時、なににとらまえられなにを焦点にシャッターを押したのかもわからないにもかかわらず、そうまでいわれると、やはり感覚は、そこにあったのだろう。しかし、その感覚とても、たとえばそれを「なけなしの金」と考えれば目前の光景と、交換したにすぎないわけで、撮り記録したことは、限りなく偶然に近い。
被写体である、この世界は我以外の物や時が横溢している。その容量たるや、我の量を消滅させるほどに世界に圧倒されている。しかしそこにある時間は、対等の量(ユニット)で計ることが可能である。剥製趣味といった根拠もこんな事実に根ざしているのであろうか。世界がその一瞬、たとえば250分の1秒という時間のなかで、単一化されて、ともに死するわけである。パフォーミング・アートというものは、こうしたものだろうが、写真の場合は、その意味が多層化されている。
たとえば、スミレと違って、偶然ではなく自覚してそこへ、その被写体である光景へと出かけて写真を撮りに行けばどうだろうか。いわゆる定点観測のようなものだが、私は、この5年ほど、とある場所の写真を撮りつづけている。そこは、わが家のある、京都・修学院の離宮の敷地内なのだが、一部農地になっている土地がある。古くからここで暮らしている農民は出入りが許されているが、一般には足を踏み込むことを禁じている。周囲は、宮内庁によって鉄条網がはりめぐらされている。わが家の裏手から、赤山禅院という寺院の参道を少し上り、ちょっと横道をそれたところで、その光景に行き当たる。
通行止めになったそこには、鉄の扉があり、厳重に警戒されている。しかしその向こう側では、農作業をしている人がおり、ただ一軒、粗末なトタン張りの倉庫のような小屋だけがある。鉄扉の左から2つ目、下の段にカメラを構えて撮影する。まったく同じ角度のローアングル、同じフレーミングで、四季を通じて撮っている。雨の時も雪の時も出かけていって撮っている。いつだったか、昨年の秋頃だったと思うが、いつもの場所に洗濯洗剤のカラ箱が落ちているのを発見した。私は、かなり激しくショックをうけ、動揺した。どのような動揺なのか表しようのない無情なものだった。目前の箱は、取り除こうとするが、とれない。中にいる人に叫んで、ゴミを拾ってもらうわけにもいかない。ふだんは、きっと私だけしか来る
者はいないと思っていたが、ゴミがあるということは、誰かの手によって捨てられたのだろう。それからは、いままで、かの地へいくことを、私は軽く拒んでいる。
その場所は、数年を経過しても全く変わらない光景を見せている。それは、樹木の葉群がふくらんだり、草の色が濃淡を見せたり、また、紅葉に染まろうが、積雪のためいちめんが真っ白になろうが、変わることはない。そう、思い込んで被写体と私は、確信に満ちた契約を結んでいるのであるが、たったひとつのゴミという挿入物のために、この幸福な関係が突如として壊れてしまうのである。
ここでは、我以外の世界の容量が、むしろ狭量に凍結される。(と、多分錯覚される)意識的に自覚して被写体を選択しても、写真における、私の事態はなんら変わることがない。ただ、ふたつの時間の齟齬関係をつつみこむ、ある同心円上の単一(ユニット)感覚はどちらにも共通してある。
たとえば、写真史上著名な作品である、アンセル・アダムスの撮ったアメリカの大地、これなどは、見る者にまで魂を抜くような作用をもたらす。また、アッジェのパリならどうだろうか。ここでは、徹底的にパリ(世界)と私(アッジェ)のすれ違いが表れている。まるで、撮影者であるアッジェは、この世に生きていなかったようなのだ。ウィトキンの場合ならそれは、ダイレクトに剥製趣味の露呈というかたちで表れる。
これらの諸作にも共通していることは、写真という無情のシステムを熟知していながらなおも世界とのユニット化を志向していることだ。共謀といおうか、別のいいかたをすれば、永遠に遠い「齟齬」というカラクリを知った上でなおも執拗に、詐欺システムに身を委ねる自業自得の行為のようでもある。あるいは、彼岸と此岸の別の時間を、もうもうと煙を上げて燃え消滅するまでに擦り合わせ無化していこうとする情熱のようでもある。
私は、昨年秋に出した著書に「求愛」という書名を付した。なぜ、この標題が浮かんできたのかは、私自身もその時点では不明であったが、なんだかいまここで、わかったような気がしてきた。その書の表紙写真もまた、先の空白の農地を撮った、いつかの一片である。不可能なユニット化を求めつつ、その齟齬関係の中に高速に身を委ねていく。それは、人生のなにかに、確かに似ている。
私は、交換(表現)の場で、絶えず魂を骨抜きにされていく。それはそれで納得はしているのだが、とても無惨である。
写真について思うことは、詩について思うことと驚くほど類似している。それは、ごく自然なことなのだろうが、そこにあるシステムに違いはないのだろうか。ともあれ、現在、私は、詩を書くことと、写真を撮るという、ふたつの「交換」行為は、同じことだと思っている。むしろ、混同しているといったらいいだろうか。