初出      「海鳴り」(編集工房ノア)12号〜14号  99/10~01/5   現在連載中

 夏の詩人  

           伊東静雄の詩の余白に

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 なにか神聖なものに触れるように、謎めいた遺物を見るように私ははじめて伊東静雄の詩に出会った。
 一九七〇年代の半ば頃であったろうか。学生運動の波が去ったあとの大学で、社会思想史のゼミの学生
として、経済学部でありながらも、文学に渇望していた。政治の季節が去り、思想の季節も去り、時は、
漫画や映画や演劇といったいわゆるカウンターカルチャーの隆盛期を迎えていた。
 そこに、ある種の憧れというか、「こういう世界もあるのか」「そういう世界でも生きていけるのだ」
というような奇異の世界の住人として、詩人という存在が私の目前に現れてきた。その当時思潮社の現代
詩文庫は、シリーズとして五十冊ぐらいはでていただろうか。時代の曲がり角などという言い方は、自分
の勝手な思い込みだろうが、その時代の自分の行く末を望みつつ、自らの現時点としての朧気な陣地を探
る意味でも現代詩の世界は、なんらかの救いになっていたし、憧れの地の匂いを発していた。
 まず、自分の世代よりも数十年前の戦後詩人といわれる人々の、詩の世界が徐々に見えてきた。大まか
な詩史的な認識としては、戦後間もない頃に現れた鮎川信夫や田村隆一、吉本隆明らの「荒地」があり、
それは、戦前の近代詩もモダニズム詩の世界も悠然と超え出て、自分たちの世代の思想の季節の余波の内
にあって、力強いメッセージ性を持って訪れてきた。一方で政治の季節の余波は、黒田喜夫らの「列島」
の詩人たちの苦悶の詩行の中にあった。また、自分たちの世代に最も近しい詩の流れとして、六十年安保
の頃にデビューした、長田弘や渡辺武信、天沢退二郎、それから鈴木志郎康、金井美恵子などが、詩を詩
史の流れの内からではなく埒外から、個の内の力として屹立して迫る光を発していた。
 私は、そうした詩の世界への憧れの視線を持ちながらも、なにか満たされない想いを抱えたまま、ゼミ
の卒業論文のテーマとして日本浪漫派を選んだ。そこで触れた詩の世界は、現代詩文庫で読んできた詩の
世界と根底で異質の、ある種深い、輻輳した団塊の謎を私に提示してきた。

 八月の石にすがりて

 さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
 わが運命を知りしのち、
 たれかよくこの烈しき
 夏の陽光のなかに生きむ。

 運命?さなり、

 あゝわれら自ら孤寂なる発光体なり!
 白き外部世界なり。
 見よや、太陽はかしこに
 わづかにおのれがためにこそ
 深く、美しき木陰をつくれ。
 われも亦、 

 雪原に倒れふし、飢えにかげりて

 青みし狼の目を、
 しばし夢みむ。

          「八月の石にすがりて」

 私は、こうした言葉の世界に触れて焦燥感をつのらせた。同時に自分たちが生きている時代の気圏にはな
い、明確に異質な詩の空気を痛感していた。

 学生運動は当時の若者たちを熱狂させ、左翼思想が、あたかもひとつの潮流のように思潮や時代の気分を
包みこんでいた。そんな印象が私には強くある。映画も漫画もテレビ番組ですら、そうした画一化し偏重し
た気分を濃くしていた。同時に、その反作用としての、ファナティックな情念の世界を、まさに事後的な現
象としてにじみ出させていた。
 諦念のあとの残滓といえなくもない、論理を超えた熱狂の世界は、例えば東映の任侠映画や劇画の世界へ
の接近というかたちで表れた。たとえば、そのころに出された、新左翼系の学生たちが編集した著書には、
保田与重郎の句と高倉健の歌の詞が同居して掲載されていたことを思い出す。
 ひとつの信仰の季節が去り、次の名付けようのない混沌の季節が訪れたともいえる。
 自分が親しんで読んでいた思潮社の現代詩文庫のシリーズにはない戦前・戦中の詩人たちの詩に、そうし
た新たな混沌を感じとっていたのかもしれない。それは、新鮮な衝撃であった。そのころの時代の主流であ
った左翼思想ではない、ナショナルなものを主題にした詩や、転向という屈折した感情の襞からしぼりださ
れてくる言葉に、新しい言葉の層と相を見ていたのかもしれない。政治の季節、思想の季節、そしてビュー
ティフルなどという喧伝された軟弱なカウンターカルチャーの季節にはない、もうひとつの闇と謎に光があ
たっていた。あるいは、それらを超越した、もっと大きな国家の詩、時代の詩、パブリックな詩の発露がそ
こにあるように感じられた。
 ナショナルなものを主題にしているといっても、それは、ただ愛国や国粋の思念を前面に出しているとい
うだけでなく、その逆のベクトルで新鮮な衝撃をもたらした詩にもそのとき出会った。

 辛よ さようなら

 金よ さようなら
 君らは雨の降る品川駅から乗車する

 李よ さようなら  

 も一人の李よ さようなら
 君らは君らの父母の国にかえる

 君らの国の河はさむい冬に凍る

 君らの叛逆する心はわかれの一瞬に凍る

 海は夕ぐれのなかに海鳴りの声をたかめる

 鳩は雨にぬれて車庫の屋根からまいおりる

 君らは雨にぬれて君らを逐う日本天皇をおもい出す

 君らは雨にぬれて 髭 眼鏡 猫背の彼をおもい出す

         中野重治「雨の降る品川駅」前半部分

 単純に左右両翼のイデオロギーで区分けすることのできない、もっと渾然とした原基のような詩の激情が、
伊東の詩にも中野の詩にも感受することができた。この渾然としたものは、高見順や保田与重郎の著作にも
同様に感じることができた。
 七十年代のその頃、そうした原基に似たものをロマンティシズムという概念で語っていたように記憶して
いる。浪漫もまた、主義である。そのような論理に私は、なにか救いのような感情を抱いていた。国や家郷
を愛することも、逆にそれらを憎み憂うことも、激情という名において浪漫主義といい得るなんて。 

 それから、もう、二十年以上もの歳月がたった。その間、時代が変転したことは、いうまでもないが、そ
のときに私が触れた伊東静雄の詩の世界にある渾然とした激情という想いは、いまも変わることはない。い
ま読み返してみても、二十数年前と同じ身の律動を確かに感じることができる。
 そして私は、この歳月の間に、伊東の体験と同じであるとはいわないまでも、同じように詩を書き続け、
詩のことについて考え、ある種の感慨も蓄積させてきている。詩集ももう七冊を数えるようになった。
 省みて、冒頭に記したように彼の詩の世界は、神聖であり謎めいた遺物であるのだろうか。
 こうした、茫洋とした距離は、ひょっとしたら超越することができるのかもしれない。同時に、当時私が
呆然ととらえていた、詩における時代性であったり、詩人が内包するイデオロギーなども、純然たる詩の原
基さえ、そこから掴み出すことができれば、それとても超え出ることは可能ではないのだろうかと思えてき
たのである。
 私も、もちろん末席ではあろうが、詩人としての営みを持続してきている。詩人が詩人としての伊東静雄
の、ほんとうの処、夏の光に皎々と確として照らされたるトポスへと入りこんでいきたいと願うようになっ
たのは、つい最近のことである。
 私は、いますでに、伊東が亡くなった歳とちょうど同年の四十七になっている。生涯のうちに、この詩人
について考えて述べていくそうした契機は、もはやそうないであろうということを考えれば、二十数年前に
感じた想いを、いま一度たどりつつ、みずからの身に蓄積する詩の根源のようなものを、このたびの連載で
少しでも遂げていきたいと願っている。
 年譜を見て、あらためて感慨を深くしたのは、伊東が亡くなるほぼ一年前に、私も同じ大阪に生まれてい
ることだ。戦後詩人といわれる、多くの詩人たちの肉声に近い詩の世界にふれようと現代詩文庫を精読して
きた私だが、生身の伊東静雄と、私自身は、ほんの一瞬ではあるが、同じ地に生きていたのだ。
 まったくたわいもない感慨ではあるが、このような実感を前面に出しつつ、ほんとうの詩人との対話を本
誌面で実現させていこうと考えている。

やがて出版しますので、その折りに。

2005年2月現在 5回まで連載しています。編集工房ノアの文芸誌「海鳴り」をご覧ください。