半歌仙・鬼楽の反省、感想の弁    言訳帖


褄黄さんの句は、ひと癖あって難しいけれど、挑みがいを感じた。
ポツンと間をおいて付けてくる胡朱さんの句には、漠とした空をいつも感じた。遠いもの。

自分が関わってはいるのだが、思いがけない世界を見せてくれる連句は、確かにスリリングだ。
(強引に?)導いてくれた褄黄さんに感謝している。

自分のもので、これならいいかなと思えた流れは、

 うわずった声を思いて潤む水         褄黄

    パティ・スミスの腕の長さよ     鬼楽

声といえば、彼女の顔が浮かぶ。その強いまなざしと、シャツの袖から伸びた

長い腕…。気負わず付けられた。逆に反省しているのは、

    そうと告ぐべし生まれ変わりを   胡朱

 粉雪や清顕を手繰る月修寺        鬼楽

生まれ変わりという言葉に、待ってましたとばかりに三島を付けたのが下品で

あり、それはともかく、型が古臭くて流れが悪くなったようだ。
けれど、そんな句に続いて

    冬菜の嘔吐朱塗りの椀に      褄黄

を得たのは収穫だった。こういうところが連句はおもしろいと思った。

サルトル云々はさておき、外は(多分)雪の白、ゲロなのに(ん?)強烈な色彩の
コントラストがパッと脳裏に広がった。褄黄さんの言葉にはとても刺激される。

胡朱さんの句で一番好きだったのは

 鉛直に消える燕のフォルテッシモ

心の鼓動が聞こえるようだった。感動したので自分は軽く流してしまったが…。

それから、褄黄さんは謙遜されているようだが、私は発句が好きだ。

W杯がいよいよはじまり(結果はいい。みんな期待しすぎ)、夏がやってくる、

私も新しくはじめたい、そんな気持ちにひっかかってくる句だった。

 夏兆すアルゼンチンを敵として

実相の見えない(自分の)敵に向かって、私も一生懸命な夏を迎えたかった。

ここまで、褄黄さんのさりげない導きを意識しながら裏切りながら、よろよろ

しながら付けてきた。振り返ると自分の作は「恥ずかしい」。けれども、

何もなかったところに現れてきた一連の言葉たちは、ちょっといとおしい。