半歌仙・褄黄の反省、感想の弁    言訳帖

6月11日から、およそ40日間で、半歌仙。まずまずのペースだと思う。ぼくは別にして鬼楽さんも胡朱さんも超多忙のご様子。加えて、連句初心者。まあ、ぼくも初心者みたいなものだけど。よくぞここまで。というのが正直な感想。全体を眺めて、褄黄は低調だ。もっと情景というものに配慮しなければと、大反省。隣人隣席をまったく配慮していない。6/11〜のはじめの3句があまりにひどいので差し替えたい気分だが、まあ、こうした時事の下世話な導入も仕方無しという風情で片づけよう。

多分、こうした歌仙半ばで、自解文や感想を挿むのは邪道ではあろうが、この18の言葉の成果にひとり感激してつづってみる。

連衆のお二方にあやまりたいのは、たとえば「カエデの石鹸」みたいな駄洒落。パティ・スミスの長い腕から、ついついはしゃいで、付け過ぎ。というのは、わがパソコンの背後にあるパティ・スミスのLP「ホーシーズ」からの引用。その写真を撮ったのが、エイズで死んだメイプルソープだったものだからつい。

そのあと、胡朱さんの「生まれ変わりを」という言葉は、うれしい付け句。即座に鬼楽さん、三島由紀夫の「春の雪」がでてきたところが、ぼくにとって最もスリリングだった。そのあとのサルトル的というか、大江的な連想は貧弱。なんとなく、戦後<後>文学全集みたい。

ぼくにとっては、

17 花千丈腐土に危うく起つ日の本
18       
窓の外につづく鳩のベランダ

がいとおしい気配。戦後<後後>の今の日本の動物的な触感や生命意識の喪失状態あるいは「立ちくらみ」のような現代を、ふわふわ言い当てている。よくぞ。でた。

この腐土は、きっと鳩の糞だらけで、さらに熟して豊かになっていくのか。

半歌仙見渡して、クリスタルとか、ガラスのイメージあり。三者のこのウェブ上の関係のたとえかもしれない。それもまた、美しい実相。それと、パティ・スミスという固有名詞が、いい楔となっている。