原田 博史がお届けする「北白川資料館」です。 どうぞよろしく!

北白川の歴史や各町名の由来 などをこと細かく紹介しています。
最終更新日:2000年6月1日 This page is Japanese only
ありがとうございます 人目の訪問者です!


It'sNew!






北白川地名の語源の資料にもとずく勝手解釈

北白川こども風土記(RealMovieで映画を紹介)

明治から大正期の人口の推移

明治5年の白川村の家なみ

明治の北白川出身大関


 北白川の歴史

北白川には有史前、太古縄文時代より人々が住みついていたといわれ、昭和9年に小倉町

から発掘された縄文式土器によって実証されるに至る。

「白川は京から近江をへて東国に通ずる交通の要路であり、京に都が移された後は東山の

麓、白川の流れに沿った南北両岸の一帯は歌枕も多く、風光明媚で桃源郷として貴神争って

くつろぎの邸を造成した。鴨川の西に広がる平安京即ち「洛陽」に対して東は「洛外」で

ありながら、やがては「京・白川」と対等のさえ慣用するほどの勝地となった」


 白川の里

平安京のあった時代、延暦7年に延暦寺が建設され白川の里も3千坊の内で延暦寺に仕え、

毎日比叡山に登る街道筋でもあった。故に里の何軒かの家の男子は、僧の荷物をもって供

をし、女子は山から、しきびを切り取ってそれを坊の供華として持参して生活をしていた。

今の白川女の始まりである。又大和人以外に出雲住人が移り住んで来て、白川の里は、山城

人、大和人、出雲人によって里が出来上がったのです。


 住民の暮らし

住民は半農半工業。女は花を造り街に売り歩き、男はその殆どが白川石の産地である関係上、

農耕のかたわら石工を業としていた。


 知っていますか?

山中越えの白川渓谷にたくさんの水車があった事を。ひょっとしたら貴方の庭の踏み石が、

その当時の石臼かもしれません。



資料提供:吉村新一郎氏 参考資料:北白川愛郷会 編集:原田博史(ホームページ作成者)

なおご意見があればこのEメールへ:hg88756@mbox.kyoto-inet.or.jp