ある方がお稽古に、真剣を使われるそうです。刀は無銘で「寿命」の極め。綺麗な地金の刀でした。
ところで、目釘を作り直したいとのこと、以前掲示板でも話しましたので、又、というのもくどいようですが、そのときご覧になっていない方もあろうかと思いますので、もう一度書こうと思います。
平安・鎌倉の古い時代の太刀には「笠目貫」というもので柄を刀身に固定しているものがあります。いわばオスメスのあるT字リベットで柄の左右から押し込むものです。
やがて、この笠の部分と足の部分が分離し、目貫と目釘になったと言われています。「目」というと「穴」という意味があり、「貫」は「つらぬく」です。そう思うと柄の中に巻き込まれているだけの金具が「何故、『目貫』なのかなぁ」と思われるかも知れませんが、関西大学の末永博士の説に拠ればそういうことだそうです。
また、南北朝以前は中心の真ん中辺りに目釘穴があったのですが、その不適切なことを知って建武の頃よりハバキ際に寄った。従って二本目釘はいけない。打ち合ったときに中心が柄を破ることがある。そう書き残しているのは幕末の武道錬磨の旗本で清麿の後援者として有名な窪田清音です。
さて、目釘ですが、通常竹を使うことが多いです。変わったところでは能の「大鼓」という楽器の皮を使って作るのもあります。ただ、鉄は打ち合ったときに飛ぶ可能性があるので不可、と言われています。
さて、竹ですが古くは男山八幡の竹が良いとされ、江戸時代には神社の護符が貼られた竹がおみやげとして売られていました。
竹は、藪の南側の外側に生育したものの、外側の面を利用するものを最上とし、地面から五寸くらいの所のものがよい。藪の北側や藪の中を向いている面は柔らかすぎて良くない、と言われています。
ただ、今の時代そんなことを言っていられないので、肉厚の竹ならよしとせずばなりますまい。私は古い竹刀の廃品の竹を使っています。
さて、削り方は円錐台に削ればよいのですが、その時竹の外側の皮を僅かに残すように削ります。それから、円錐台の底辺の方=打ち込む方ですけれど、私の柄を巻いてくれていたおじいちゃんは、ここを水平とせずにヤスリを使って半球形に削ってくれていました。これは柄に打ち込むとき、きちんと打ち込めるための工夫です。打ち込んだとき、柄の平面からこの半球だけが頭を出しているような状態にすれば手にも触りません。底面を柄と平行にした場合、打ち込むときに柄糸を痛めがちなものですが、こうしておけばその心配もありません。
また、打ち込む方向ですが、先程残した竹の外側、つまり、堅い方を「刃方に寄せて打つべし」と窪田は書き残しています。成る程そうすれば打ち合ったときに丈夫です。
また、打ち込む方法ですが、「太刀ははき表から」、「刀は差し裏から」打ちます。
この方向で打っておけば、撃ち合いで万一目釘がゆるんでも、掌で押さえているので、目釘が飛び出すようなことは滅多にありません。
徳川光圀卿教訓
一 劔術は御身の圍に罷成候儀、御心得不被成候て不叶儀、就中居合被成御習御尤之事に候、居合抜之上にては、或は四寸のつまり、屏風水風呂の内にて、四尺の刀を抜などと申事有之候得共、夫者所作上にて、少も御用立不申儀、居合者抜口一種の物にて候、抜口を致吟味候て、抜打の當りつよく候ため、縦へば二打三打にて參候處、抜口能當り強候得ば、一打にて參候物、是許多のuに罷成候、御稽古被成候様にと思召候事、
※ これは第三条目にあたる。 圍は囲の異字体
水戸の黄門様、不届きな破戒僧を成敗した事もあるそうですけれど、居合もされていたんですね。屏風や水風呂の中で四尺の刀を抜くなどと言う居合は所詮所作事である。大事なのは抜き付けの強さだ、というお話です。当たり前かもしれませんが、黄門様がこんな教訓を残しておられると言うのも面白いかな、と思い、載せてみました。