彦九郎像その後(最近の調査から)

 件の石像、ほんとにみんなが「どげざまえ」と呼んでいるか気になる。最近はことある毎に人に聞いているのだが。その結果、意外とおもしろいことがわかったので、ここでその一部を紹介しておこう。
 調査とはいえ、細かな記録をとっているわけではないので、何ともいえないが、調査をしてる本人は、出来る限り様々な年代の人に尋ねてみているつもりだ。
 聞き方は、「三条京阪の北側におっきな石像があるけど、あそこで待ち合わせをするとするとなんと説明する?」としてみた。

 さて、肝心の結果はというと。
 30歳以下の人は、やはりというかホントに、ほとんどの人が
  「どげざぞうまえ」、「どげざまえ」と答えた。
まれに像主高山彦九郎を知っている人もいたが、彼とて通常は「どげざぞう」と呼んでいるとのこと。

 一方それ以上の年代は、石像が高山彦九郎であることを知っていた。逆に「どげざぞうまえ」、「どげざまえ」と呼ばれていることは知らない場合が多かった。
 こうしてみると、件の「どげざぞう」は、若者を中心にした呼称となっているようだ。
 とはいえ、ぼくが若者と考えるよりさらに若年の世代には、また違った呼称もあるようだ。

 おもしろいものを紹介してみると、
 ある大学院生に先の質問をしたところ、彼はやはり「どげざぞう」と呼んでいたが、彼が言うには、彼の妹たち(高校生)の間では「どげざえもん」と呼ばれているとのこと。
 ここまでくると何のことかさっぱり分からなくなってくる。もし「げ」がなければ全然違う意味になってしまうじゃないか。まあ川の側だしあながち関係ないわけでもないな、などと考えてはみたものの、新たな呼称誕生の事情は分からない。

 この他では、「ごめんまえ」というのも、複数あった。これは石像が土下座をしていると考え、誰かに謝っている=ごめん、となったものだと思う。
 今後も出来る限り色んな人に尋ねて、おもしろい結果が得られたらここで紹介しようと思う。


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