河原町ってどこ?

 京都は観光都市である。全国から多くの人が京都を訪れる。最近ではお金持ちになったからか、修学旅行で海外へ行く学校もあるようで、必ずしも「修学旅行で京都へ」というのは定番ではなくなってきている。しかし、京都が修学旅行のメッカであることに、変わりはないように思う。

 ただ最近の修学旅行は、中身が大きく変わってきているようだ。私たちの修学旅行が大型バスで市内を観光していたのとは違い、数人のグループでタクシーに分乗。あるいはチェックポイントとなる場所(金閣や銀閣など著名な場所)を決めておき、そこを通過する以外は自分たちで勝手に計画を立てて行動するというものである。
 途中町中を歩いたり、市バスに乗ったりと、それでなくても不案内な土地に来て、知らない交通機関を利用し、行ったこともない所へ行こうとするのだから大変だろう。でも、修学旅行がその名の通り「学を修めんとする」旅行であるなら、旅行中一番の経験にはなるとは思う。

 必然的に彼らは分からないことだらけである。当然のごとく、近くに居合わせた人を頼りに色々質問するのだが。彼らも人間、尋ねるならちゃんと、やさしく教えてくれそうな人を選んで質問しているようである。残念ながら彼らの目には、私はちゃんと教えてくれそうには見えないのか、尋ねると怒鳴られるとでも思うのか、余り尋ねられた経験を持たない。

 が、先日修学旅行生が、僕に道を尋ねてきた。僕がやさしく教えてくれそうに見えたのか、他に聞く人もなく、やむなく僕に質問したのかは分からないが。(付近に人はいなかったので多分後者だとは思うが・・・)
 とにかく彼らのグループの中の一人が「河原町ってどこですか?」と尋ねて来たのである。
 その質問を聞いて僕は「うーん」と考え込み、そして次の瞬間「河原町ってどこの河原町?河原町ならいっぱいあるけど・・・」と逆に質問してしまった。

 そう答えた後で、「しまった!」思ったが、もう時既に遅し。逆に質問をされた学生たちの間には動揺が広がっていた。当たり前である。見知らぬ土地で質問をしたところ、わけの分からない返答が返ってきたのである。彼らの目に僕はどう写っただろう。もしかすると、すごく意地悪な人にみえたかもしれない。

 いまさら何をいっても始まらないし、あの時の学生たちの心に広がった不安感を拭うことはできないだろうが、あの時の僕の発言には確固たる裏付けがある。(ただそれをいきなり言ってしまったことは反省をしているが・・・)

 京都は碁盤の目状の街である。この碁盤の目は平安京の時の街をベースにしつつも、豊臣秀吉によって今の京都の街の基礎が作られた。道路は原則として、南北に通る道と、東西に通る道しかない。だから京都では、最初に交差点を指示し、そこから北へ行くときは「上がる」、南なら「下がる」、東なら「東入る」、西なら「西入る」と言うのである。
だから学生たちの聞いた「河原町」というのは「河原町通り」という南北に走る通りの名称であって、特定の場所を指し示した呼称ではない。察するに彼らの尋ねた「河原町」は、多分「三条河原町」か「四条河原町」だったのだろうけど、それを最初から、僕が察してあげる必要があったのだろうか。

 修学旅行でグループ行動する場合、半年くらい前から、観光する社寺や観光地を、リストアップするそうである。でもそれより前に、そんな場所へ行く方法を京都の街の特徴とか地名とか、そんなことと一緒に勉強するほうが良いように思うのは私だけでしょうか?
 それとも、どこかの出版社が『地球の歩き方』(京都編)でも出さないかな?


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