からお預かりします! その後

 「からお預かりします」のことを、ここに書いて以降、何人かの友人が色々な情報を教えてくれました。
 「○○のAという店でも言ってましたよ」とか、
わざわざよく行く店の店員さんに尋ねてくれたりとか。
 そんな中、友人の一人が、小説家の村上春樹さんがエッセイの中で取り上げてることを教えてくれました。
 早速そのエッセイ『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』を読んでみました。で、自分の考えに少しだけ自信が出てきました。
 で、結論的な解釈ですが、この「からお預かり」の発生原因は、僕の想像では、次のようです。

 1989年(昭和64/平成元)消費税の導入が決まった時、経済界はそれなりに混乱していた。テレビでも、消費税の仕組みや徴収方法の解説を連日放送していたように記憶している。
 僕ら消費者からしてこうだから、大規模なチェーン店などでは徴収方法の徹底など、何らかの業務の見直しが行われただろう。当然マニュアルの見直しも行われたに違いない。
 その時「これまで通り頂戴いたしますじゃ消費税もウチが頂いちゃうみたいで・・・あれはあくまでもお預かりしてるんだから・・・」という意見が出たんじゃないだろうか。
 組織にはそんな細かい事を言う者が一人くらいはいるもんである。<僕みたいに(^_^;>

 その結果それまで「○○円から頂戴します」だったものが、「○○円から代金○○円を頂戴し、消費税○○円をお預かりします」に代えられたのではないだろうか。
 でも所詮マニュアルはマニュアルである。
 一旦作ってしまうと、個々の応対よりもマニュアルの方が優先されるようになる。情況に応じた臨機応変さを失い、マニュアルの記述がその店にとっての応対のバイブルとなってしまう。
 本来煩雑な応対を、ケースに分類することで合理化を目指したのに、逆にそれこそが応対の全てのようになってしまう。
 そう、ファミレスで一品しかオーダーしてないのに、「ご注文をもう一度繰り返します!」みたいな応対が出てくるのがその典型である。そこではマニュアルの中身の正しさを問うよりも、マニュアルをどれだけ忠実に実行できるかが関心事となる。悪く言えばマニュアルが一人歩きを始めちゃうのである。

 でも今我々が耳にするのは「〜からお預かりします」だけである。じゃあなんで省略されてるのか。そして色んな店で使われているのか。次はそれが問題である。
 確かに現在の応対はマニュアル化されている。しかし作られたマニュアルが実際の現場で100パーセント実行されるかというとはなはだ疑問だ。
 店員に問題がある場合もあるし、マニュアルそのものが問題を抱えているかもしれない。
 いくら大切なマニュアルだとはいえ、現場の実状に応じて適宜改変されることはあるだろう。多分各支店の情況を把握してるマネージャーあたりが、彼の権限で、ある程度の融通は利かして、その店の実状にあうようにアレンジして使っていると思う。

 くだんの言い回しも、作られたマニュアルでは「○○円から代金○○円を頂き、消費税○○円はお預かりします」だったかもしれないが、それじゃあまりにも現場にあってない。
  「こんなんじゃレジに長蛇の列ができてしまう!」。代金を頂くのは当たり前だからそこは省略しちゃえ!って事になったのではないだろうか。

 するとどうだろう。いくら支店のマニュアルとはいえ、店のルールとして定着するだろう。またアルバイトの若者も変わっていくだろうから、マニュアルの記述は徐々に広がりを持つことになる。
 全国にチェーン店を持つ大規模なマニュアルがそうであったら・・・その店でアルバイトをした若者を中心に、徐々にではあれ広がっていくことだろう。そうした小さな広がりは、やがて・・・
  「あの店があんな応対をしてるんならウチも・・・」ってなことも招くかもしれない。中には地域にしかない小さなお店でも真似するところが出てくるかもしれない。
 もうこうなると誰もマニュアルに使われている言葉の意味など考えやしない。さっきも書いたが、「〜からお預かり」は非免税業者が使ってこそ意味のある言葉なんだけど、免税業者も使っちゃうかもしれない。
 えっウチは非免税業者じゃないだって?いいんじゃないの、別に・・・
 全国に支店を持ち、信用もある大規模チェーン店のマニュアルに書いてるんだもん!

 どうでしょう?この「〜からお預かり」の謎とその解釈。
是非とも該業界関係者のご意見をお伺いしたいもんです。


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