幻想物語
1998 6/10


一人の男が旅をしていた。
ある日、男は獣の子供を守るために、背に深い傷を負った。
男は傷のおかげで動くことかなわず、
しばらく、そこに留まることになった。
子を救った礼からか、獣の親が男の世話をしてくれた。
男は母親を知らずに育った。
母親は男が物心つかぬうちに死んでしまったのだ。
獣は優しかった。
男はそんな獣を、自分の母親のように思っていた。
傷が完全に癒えるまでは男はそこにとどまった。
傷が癒えると、男はまた旅に出た。
ほどなくして男は村を見つける。
村では、村人が獣に襲われて困っているという。
男は村人のためにもその獣を狩ることを申し出た。
そして夜が訪れ、獣が村に攻め入ってきた。
男は雲から漏れる月明かりの中、獣に傷を負わせた。
傷は獣が動けるほどに浅いものではなかった。
そして、月明かりが獣を照らした。
獣は、例の獣の母親だった。
獣の傷は深く、どう見ても助かるようなものではなかった。
男は獣の口元に自分の右腕を差し出した。
右腕を食いちぎられるぐらいでは、
自分のしたことはあがなえるものではないと男は思っていた。
獣の牙が腕に食い込んだ。
男は腕を食いちぎられるのを覚悟した。
しかし、獣はそれをしなかった。
男の腕には何本かの赤い線が残っただけだった。
男の腕を食いちぎることなく獣は果てた。
男は涙した。
どうして、こんなことになってしまったのか。
なぜ、腕を食いちぎってくれなかったのか。
男の叫びが辺り一面に響きわたっていた。


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