1999 10/18


「サシャ、僕が大きくなったら結婚してくれる?」
子どもの頃の僕が言う。

「坊ちゃんが大人になっても、そう思ってくださるなら。」
サシャがにこりと微笑む。

サシャが笑ってくれるだけで僕は幸せだった。
サシャは僕の屋敷に仕えるお使いの娘だった。
彼女は年が若くできる仕事が少ないのと、
僕と年齢が近いということもあって僕の専属のお使いだった。
だから僕の側にはいつもサシャがいた。

「サシャ、大好きだよ。」





目が覚めるとそこは寝台の上だった。

「おはよう、サシャ。」
僕は寝台の横に立つ人影に声をかけた。

「おはようございます。ご主人様。」
抑揚のない声。
6年前に僕の身代わりになってサシャは死んでしまった。
彼女の体は生き人形として使われている。
生き人形は笑うことはない。
主人の命令に忠実な只の僕。
僕の好きだったサシャはそこにはいない。
それでも僕は話しかけてみる。
僅かな希望をもって。

「ねえ、サシャ。 覚えてる?」
「君が僕の10歳の誕生日の時に死んだこと。」
「僕の身代わりになって死んだこと。」
「たったの10歳だったけど、僕は君のことが好きだったんだよ。」
「16になった今でも、気持ちが少しも変わっていないから。」
「あと少しで僕は君と同じ歳になるんだ。」
「僕は大人になるんだよ、サシャ。」
彼女の時はあのときから止まったままだった。
「ねえ、答えてよ、サシャ。 昔みたいにさ。」

「はい。 ご主人様。」
生き人形となったサシャは機械的にしか答えない。
昔のようには答えてくれない。
悲しみで涙がこぼれた。
つらさで涙がこぼれた。





夢見ているのは昔の思い出。
君と過ごした数々の日々。
10の時に途切れた君との思い出。
残ったものは君でなく、君であったもの。
ここにあるのは器だけ。
そこには、君の心はない。
求めているのは、器ではなく君の心。
君がいなくなるぐらいなら、僕が死んでしまえばよかったのに。
あの時の僕には力がなくて、ただ守ってもらうだけだった。
だから強くなった、君を守れるぐらいに。
でも、君はここにはいない。





「坊ちゃん、10歳のお誕生日おめでとうございます。」
サシャの声が聞こえた。
夢、また夢の中。
幸せだった頃の夢。

「おはよう、サシャ。」
僕は眠い目をこすると寝台からおりた。

「これ、サシャからのお祝いです。」
サシャは桃色の紐でしばられた小さな包みを僕に手渡してくれた。
桃色の紐をほどき包みを開くと、中には一口大のお菓子があった。
僕はぱくっとそのお菓子を口にほうばった。
お菓子はおいしかった。

「これ、サシャが作ったの?」
僕は目を輝かせて尋ねる。
サシャの贈り物がすごくすごく嬉しかった。

「サシャの手作りです。」
サシャがにこっと微笑む。
いつもの優しいサシャの笑顔。

「すごくおいしかった。おいしかったよ。」
サシャに笑ってほしかった。
もっともっと笑ってほしかった。

「ありがとうございます、坊ちゃん。」
サシャがまた僕に微笑んでくれた。
嬉しかった。
サシャの笑顔がすごく嬉しかった。

「僕、サシャが大好きだよ。」
僕はサシャに抱きついていた。

「ふふっ。」
サシャが含み笑いをする。
それだけ、僕の行動がほほえましいものだったのだろう。

「みなさんが、いろいろ誕生日の贈り物を用意してくださってますよ。」
僕の誕生日には親戚や血族の人達がたくさん贈り物をくれた。

「僕、サシャから貰う物が一番嬉しいよ。」
お世辞でなくそうだった。
僕はサシャが大好きだった。





見たくない。これ以上先は見たくない。
いやだ。
見たくないんだ。
夢は僕の意志とは関係なしに進む。
夢は出来事を繰り返す。
だから僕は忘れられない。
サシャとの大事な思い出を。
どんなにつらい思い出すらも。





サシャが贈り物の包みを外す。
蓋を外した箱から覗いたのは弓矢を持った道化師の人形。
かたかたかた。
乾いた音を立てて道化師が僕の方を向く。
きりきり・・・。
道化師の弓が引かれる。
ひゅっ。
風を切るような何かの音。

「坊ちゃん、危ない!」
サシャの体が僕の小さな体を包んだ。
どす。
僕の耳にいやな音が聞こえた。

「サ・・・シャ?」
いかに子どもでも何があったのかは容易に想像がついた。

「坊ちゃん、大丈夫ですか?」
サシャの呼吸は乱れている。
明らかに苦しそうだった。

「僕は大丈夫だよ。 サシャは、サシャは大丈夫なの?」
サシャの背中には矢が刺さっていた。
道化師の人形から放たれた小さな矢。
その矢には毒が塗られていた。

「サシャは大丈夫です。」
サシャはにこっと微笑む。
顔に血の気がない。
それに、こんなに苦しそうなのに大丈夫なわけないじゃないか。
ぽたっ。
僕の服に何かが落ちた。
それは赤い、赤い色。
サシャの口からは血がこぼれていた。

「サシャ、サシャ!」
僕はどうすることもできず、ただサシャに抱きついていた。

「坊ちゃん。」
サシャの口から小さな声。
苦しそうな声だった。

「サシャの事、忘れないでください。」
サシャが僕を力いっぱい抱きしめた。
そしてサシャの手から力がふっと抜けた。

「サシャ?」
返事はなかった。
サシャの瞳は閉じられたまま開かなかった。
微笑みを残したまま。

「サシャ、サシャ、サシャーーーー!」
涙が溢れた。
サシャは僕の身代わりに死んでしまった。
僕は泣いた。
こぼせるだけの涙をこぼした。





「失礼します。」
一人のお使いが僕の部屋に入ってきた。

「サシャは幸せでしたよ。 坊ちゃまの身代わりとなれて。」
そのお使いは言った。
声がサシャによく似ている。

「サシャが死ぬくらいなら僕が死ぬ方がよかった。」
僕はそのお使いに振り返った。
お使いは誰かに似ている気がした。

「私たち、お使いの命より坊ちゃまの命のほうが大事なのです。」
そのお使いはこともなげにそう言った。

「サシャはあなたの娘でしょ? それでも僕のほうが大事なの?」

「それでもです。」
またこともなげにお使いは答えた。

「サシャがかわいそうだよ。 僕は僕なんかよりサシャに生きててほしかった。」
僕は叫んでいた。

「あの子は私の宝物でしたよ。 それでも坊ちゃまのほうが大事なのです。」
お使いの目から涙がこぼれた。
娘を愛さない母親などいないのだ。
僕はその時そう感じた。

「ごめんなさい。」
酷いことを言ったと思った。
傷つけたと思った。

「それでは、失礼します。」
お使いは目元を服の裾で押さえて部屋を出ていった。

「ごめんなさい。」
僕はお使いのでていった扉に向かってもう一度、謝った。
また、涙がこぼれた。
悲しくて、つらくて、寂しくて。

サシャは氷室に入れられた。
死者は氷室に年の数の日数だけ入れられる。
それが決まりだった。
氷室の中では時間が止まっている。
死者の時を止めるために。

「この方を生き人形にされるのですね?」
年老いたくぐつしは言った。
くぐつしは死者を操り人形とする。
だから、くぐつしは人々に嫌われていた。

「もし、あなたにとって大事な方ならばやめたほうがいい。」
「大事な人を生き人形にすればそれは悲しみを生むだけです。」
子どもの僕にはそれがどういうことかわからなかった。

「サシャがいてくれればいい。」
ただそう思っていた。





楽しい夢、悲しい夢。
目が覚めれば、つらい現実。
今日はサシャの誕生日だった。

「サシャ、外に行こう。」
僕はサシャを連れ屋敷の庭に出た。
ずっと歩いたところに花の群生している場所がある。
サシャの好きだった花が咲いている場所。
僕はそこに向かっていた。
白い白い花の園。
ここでサシャに膝枕してもらったことがあった。
サシャの膝は気持ちよくて、太陽の光が暖かくって。
そのとき僕はいつのまにか眠っていた。

「サシャ、膝枕してよ。」
生き人形であるサシャに膝枕してもらう。
青空に白いはなびらが舞っている。
ただ、はなびらが風に舞うのを眺めていた。





「初めまして、坊ちゃん。」
お使いに連れられてきたのは見たことのない子だった。
僕よりいくつか年上の子。
お使いよりずっと年下の子。

「誰?」

「坊ちゃん専属のお使いになる、サシャと申します。」
その子が言った。
慣れない言葉遣い。
なんだか少しおかしかった。

「今日から身近のいろいろなことはサシャに命じてください。」
お使いの言葉に合わせ、サシャがぺこっとお辞儀をする。

「それでは、失礼します。」
お使いは、僕とサシャを置いて廊下をいそいそと歩いていった。

「二人きりになっちゃったね。」
サシャはぽつりと呟いた。

「何しよっか?」
その子は一転して僕に微笑んでいた。

「何もすることなんかないよ。」
サシャのなれなれしさに僕はむすっとしている。
それに僕はお使いが嫌いだった。

「それじゃ、外行こ。」
サシャは僕の手を掴むと走り出していた。
僕はただサシャの突然の行動にあっけにとられていた。





いつのまにかサシャは僕の中にいた。
今までお使いさんを邪魔に思っていたのが嘘のようだった。
サシャは他のお使いさん達とはどこか違う気がした。
僕はサシャと馴染んでいた。
そうあることが当たり前であったかのように。

父も母も僕が物心つく前に死んだ。
父と母が残してくれたもの、莫大な財産に広い屋敷。
そして、いくつかの装飾品。
広い屋敷に一人、それが当たり前だった。
一人で本を読むのが好きだった。
いつのまにか外に出るのが好きになっていた。
誰かと遊ぶのが好きになっていた。





目を開くと、眼前には青空が広がっている。
風が少し冷たくなり始めていた。
そろそろ屋敷に帰ろう。
でも、その前にすることがある。

「お誕生日、おめでとう。」
サシャの頭に花冠を載せる。
子どもの頃、サシャと一緒に作った花の装飾品。
僕が花冠を作る間に、サシャは花の首飾りを作ってしまっていた。
不器用な僕は、やっぱり花冠しか作れなかった。

「これは花の首飾りの代わり。」
僕は僕のかけていた、紅玉の首飾りをサシャにかける。
これは母の形見の品だそうだ。
でも、僕が持ってるよりはサシャにあげたほうがいいと思った。

「坊ちゃん、ありがとうございます。」
そんな、サシャの声が聞こえたような気がした。





サシャが生きていた頃は時間が経つのが早かった。
時間なんてすぐに流れていった。
サシャが死んでから、時間はちっとも進まなくなったように感じる。
それでも、7年経った。
今日は僕の17の誕生日だ。
僕が成人となる日だ。
成人になれば、今まで凍結されていた権利が使えるようになる。
だが、僕には必要のないものだった。
僕が欲しいものはたったひとつだけ。
たったひとつだけだったから。





今年も大量の贈り物が届けられている。
僕はサシャに贈り物を開封するように言った。

サシャの開けた贈り物のひとつ。
それを見た瞬間、僕の動きは止まった。
弓を持った道化師の人形。
それはかたかたと音を立てて動きはじめていた。
サシャを殺した道化師の人形。
僕はその瞬間、サシャと同じように死ぬことを望んでいた。
きりきりきり・・・。
ひゅっ。

「坊ちゃん、危ない!」
誰かが、僕と道化師の人形の間に立ちはだかる。
がっ。
女の子がゆっくりと倒れていく。
僕はその子の体をとっさに支えていた。
その胸には矢が突き刺さっている。

「坊ちゃん、大丈夫ですか?」
聞き覚えのある声だった。

「サシャ?」
生き人形は主の命令なしには動かない。
その生き人形が動いていた。
自分の意志を持って。

「ほんとうにサシャ?」
頭の中がこんがらがっていた。

「ほんとうにサシャです。」
にこっと女の子が微笑んだ。
優しい、懐かしい笑顔。

「どうして、僕のことをかばったりするんだよ。」

「坊ちゃんのことが好きですから。」

「僕は僕なんかよりサシャに生きててほしかった。」

「サシャはサシャより坊ちゃんが大事なんです。」

「また、死んじゃうの?」

「いえ、今度は死にません。」
サシャは微笑むと紅玉の首飾りを胸元から取り出した。
矢は紅玉の首飾りに突き刺さっていた。

「あ・・・。」
目から涙が溢れた。
嬉しくて涙がこぼれた。

「相変わらず泣き虫ですね。 坊ちゃんは。」
サシャの手が僕の頭を撫ぜる。
優しくて暖かい手。

「もう、坊ちゃんじゃないよ。」
「僕はもうサシャと同じ歳なんだよ。」

「それでも坊ちゃんですよ。 サシャにとっては。」


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