死、遠くとは。
She talks to her.
2000 4/29


誰かが水滴が落ちるのを眺めている。
それを見て何か思うことがあるのだろう。
それともただ眺めているだけだろうか。
私はなんとなくその子を眺めていた。
風が吹いてその子の髪が揺れる。
ぼんやりしていると、それさえも幻想的に見える。
「・・・・行くよ〜。」
その子は誰かに呼ばれて廊下の影に消えていった。
私はその子の立っていた場所に立ってみた。
蛇口から水がぽたっ、ぽたっと滴っている。
何気に手のひらで水滴を受けてみた。
ぽつぽつ落ちる水が手のひらに心地よかった。
なにを考えてたのかな、あの子。
ふと視界の端に何かが映った。
そこに視線をやると、窓ガラス越しにさっきの子が立っていた。
その子は私ににこりと微笑むと何か言った。
身体に寒気が走った。
ぞくっとするような寒気。
言葉は何も聞こえはしなかったのに。


「先輩、こんにちは。」
目の前には見たことのある子が立っていた。
それはあの時、水飲み場に立っていた子だった。
「どうして先輩だって?」
初対面のこの子がどうしてそんなことを知ってるんだろう。
そんな疑問が頭をよぎった。
「聞いたらすぐにわかりましたよ。 先輩、有名だから。」
有名・・・そうなのかな。
人の噂なんて知らない。
どういう風に有名なんだろう。
だけど、本当に気になっていたのは噂なんかじゃなかった。
あの時、この子が窓ガラス越しに言った言葉。
寒気を感じさせるほどの何かだった。
「あの時、なんて言ったの?」
疑問はすぐさま口をついて出ていた。
「み、つ、け、た、って言ったんです。」
少女はくすりと笑った。
どこか怪しい微笑み。
「みつけた?」
三桁・・? みつけた・・ 見つけた・・?
頭の中で言葉の意味がぐるぐる回りだしていた。
「ただ、見つけたって言っただけです。」
見つけた・・・答えはやはりそれ。
「・・・何を?」
思考が止まり、ただそれだけが口から紡ぎだされた。
「私のことをわかってくれそうな人を。」
この子は何かおかしい。
この子は何か変だ。
この子は何か違う。
この子は何か危険な感じがする・・・。


「あなたの何を知れって言うの?」
私は少女に違和感を感じていた。
そう、この子はどこか普通じゃない。
「全てをです。」
そんなことを私に知ってもらってどうするのだろう。
私には彼女が理解できない。
「私が拒否すればどうなるの?」
私はその答えを決めかねていた。
「させません。」
即答。
二の句を告げさせないくらいの。
「わかってもらいます。 意地でも。」
この子の意思は固い。
私が何を言ってもきっと耳を貸さないだろう。
「どうして私に?」
この子から感じられるのは得体の知れない恐怖だった。
「理由なんかありませんよ。」
「強いて言えば、先輩のことが気に入ったからです。」
少女はあどけない笑顔で笑った。
私は脇の下を冷たい汗が伝うのを感じた。


「先輩、一緒に帰りませんか?」
この子は暇があれば私のところにやってくる。
嫌ではなかったけど正直なところうんざりしていた。
「今日は友達と一緒に帰る約束してるの。」
友達を口実に少女と一緒にいるのを避けた。
この子はなぜか人のいる時には来なかったから。
「・・・そうですか。」
「そのお友達さんにどうぞよろしくをお願いします。」
少女の妙な言い回しが少し気になった。
だけど、その考えは切り捨てることにした。
考えてもしょうがないことだったから。
その夜、友達から電話がかってきた。
「駅の階段で誰かに押されてさあ、足を怪我しちゃった。」
その後、たわいのない会話を続けて電話は切れた。
私は受話器をゆっくりと降ろした。
かちゃん、という音が妙にはっきり聞こえた。
どうぞよろしくをお願いします。
あの子の声が脳裏に蘇った。


「先輩、おはようございます。」
家を出るとあの子が玄関で待っていた。
今日ばかりはそれが都合いいのかもしれない。
「昨日、私の友達が駅の階段で押されたって。」
できるだけ平静を装って言ったつもりだった。
だけど、怒りが抑え切れず声に出てしまっていた。
「私じゃありません。」
この子の表情からは何も読み取れない。
そう、笑っていても本当に笑っているかどうかもわからない。
まるで仮面を被っているかのように。
「本当に?」
この子の言うことを素直に信じられなかった。
私はこの子のことをまだよく知らないから。
「私、嘘はつきません。」
「でも遅かれ早かれ、そうなっていたと思いますよ。」
この子何を言ってるんだろう。
頭が痛くなってくる。
「あなたは私に何がしたいの?」
戸惑いがそのまま言葉になった。
「ただ、私をわかってもらいたいだけです。」
「だけど、その邪魔をする人は絶対に許せません。」
ああ、この子は一体なんなんだろう・・・。


「先輩、友達ってそんなに大事ですか?」

「あなたは大事じゃないの?」

「私、友達なんていません。」

「あなたを呼んでた子は友達じゃないの?」

「あの子はそう思ってるかも知れないけど、私はそう思ってません。」
「私、プールの時間に溺れかけたことがあるんです。」
「足が吊って。」
「誰も助けてくれませんでした。」
「溺れてるふりをしてるんだって、言って。」
「私、もうだめなんだなって思いました。」
「どうせ死ぬならできるかぎりのことはしよう。」
「そう思って、自力でプールサイドまで辿り着いたんです。」
「誰も助けてはくれなかったんです。」
「誰も・・・。」
「だから私には友達だと思える人はいません。」
この子は孤独な子なんだ。
そう考えたら少女がすごくかわいそうに思えた。
気づけば私は少女を抱きしめていた。
優しく包み込むように。


「私、死ぬのは怖くありません。」
「それに、生きるのにも疲れました。」
「生きてても楽しくないです。」
「何も・・・。」
この子の口から漏れているのは絶望だろうか。
私はこの子に何をしてあげられるだろう。
「先輩、私が死んだら泣いてくれますか?」
少女は私に微笑んだ。
寂しげな微笑みに見える。
「もちろん、だから死んだらだめよ。」
私は少女の頭をなでていた。
他にすることなんて何も思い浮かばなかった。
「先輩、ありがとうございました。」
「それから、さようなら。」
少女はぺこりとお辞儀をして私と別れた。
それが、彼女と会った最後の時。
私は間もなく学校を卒業した。
それから新聞であの学校で自殺した生徒がでたのを知った。


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