京都土の塾 ―2001/10/28発足―
〈食べることは生きること〉 2019年度の日本の食料自給率(カロリーベース)は、38パーセントです。 食料安保上からは、食料自給率の向上が叫ばれていますが、それだけ他国に頼っていることが現実です。 また、私達は当たり前のように思っていますが、毎日三度の食事が摂れる恵まれた生活を送っています。 その毎日三度の食事のため、多くの動植物の生命を犠牲にしています。 …大漁だ、浜は祭りのようだけど、海の中では何万のいわしの弔いするだろう。(金子みすゞ「大漁」) 京都土の塾 塾長八田逸三(はちだ・いつぞう)氏の『コッコちゃんの物語』も、人が生きるために他の動植物を 食していることを思い知らされます。 〈荒廃田人力開墾プロジェクト 宣 言〉 20年ぶり、大原野の荒廃田が目をさます 鹿さん、狐さん、猪さん、ごめんなさい! 荒廃田人力開墾プロジェクト 宣 言
我々は、今、京都大原野の荒廃田に斧をいれ、力を合わせ、素手で この荒れ地を、再び美しい農地にしようと決意した。 飽食の時代、野菜や果物は、一年中出回って季節感を失い、 旬という言葉は虚ろに響く。 大量生産一大量消費一大量廃棄される食物は 今や食物としての尊厳を失っている。 “食"は、必死に戦って獲得するものだ。 人工の力によって安易に得てきた“食"の在り方が、 今、我々の生き方や環境を、大きく歪めている。 土に触れ、土の力を知り、その土で作物を作り、その作物を味わうことこそ、 まさに人間が、自然界の生き物として、真に生きることだ。 獣たちよ! 我々は今まで勝手なことをしてきた。だが、我々は目覚めた。 これから、お前たちと共生する暮らしに戻ることを許しておくれ。 仲間たちよ! 大地に根づこう! 自然界の生き物として、生かされて生きる喜びを味わおう! ここに宣言する。 今、『京都土の塾』の旗の下に集う我々は、 先人たちが拓いた荒廃田を蘇らせるため、 今日これから開墾を開始する。 2001年10月28日 京都土の塾 荒廃田人力開墾プロジェクト 〈生命の食〉〈土と光の讃歌−耕す汗こそ美しい−〉 2021年5月1日NPO法人「京都土の塾」の20年の記録が京都通信社より発行されました。 マムシに咬まれたとき、どうするか。(6ページ)、「かぐや姫」(141ページ)をご存知ですか。
『生命の食』
食べると言うことは本来、壮絶な命のやり取り。
活かされ、糧となり、生命の歴史を綴っていく。
それが自然の掟。
無駄な殺生などない真摯な闘い、
命をかけた支え合い。
それが自然の愛。…だから食べ物は有り難い。
今ある命は私だけのものではない。
必至に生きた貴い命の集積。
農とは命の糧を得るための活動、ひとの知恵。
五感を百パーセント働かせて、
食べるために、鍬―本で自ら土を耕し、
額に汗して害虫や雑草、日照りや寒波と闘いながら、
そして、同時に多くの生命に助けられながら、
作物を守り、やっと実りを迎え、
貴く有り難い命の糧をいただく。それが農
自力・素手で得られる収穫には余剰はない。
この一連の作業と時を経て、
始めて本来の食が実感出来る。
農は生命のドラマ、主きる証し。
農を通じて、この地球の中で
「生かされて生きる」ということの
意味やすばらしさを体の芯が実感する。
現代の日本人が殆ど知らない、いや知ろうとしない、
他の命たちのことを身近なものとして感じ、
「共生」を知る。