(下記の文は現代俳句協会のホームページに掲載されている結社紹介と同じものです。)

芭蕉作風踏襲
俳文学研究会京都俳句

京都市左京区田中西浦町6−54
TEL・FAX(075)791−9331
http;//web.kyoto-inet.or.jp/people/i-kasumi/index.html

京都俳句のホームページは表紙を“俳句の館”として1997年に開設しています。私、磯野香澄は1980年頃現代俳句誌に「俳壇はテレビ電波を持つべきだ」と言う文章を書いていますが、内容は俳句を取り入れたテレビ番組の中で、間違った事やとんでもない事が放送されている事がよくあり、一般的に言われている場合は影響は無いのですが、メディアが一旦間違った事を言ってしまうと、それが正しいと認識されてしまうので「俳壇は正しい事を世間に知らしめるべきだ」と書いています。
今では私の考えていた事がテレビ電波でなく、コンピュ−ターのネットワークでテレビやラジオと同じような働きをする時代になり、俳壇に期待していた事が形を変えて自分で出来る様になったので、俳句の正しい事を伝えると言うことをベースとして、色々な角度から情報提供しています。京都俳句のホームページは今では巨大になり、カウントも年内には一万に達するかと思っています。上記アドレスか“俳句の館”でアクセスしてみてください。
又現代俳句誌の最終ページに結社紹介の広告欄があり、そこに京都俳句も掲載していますが、その中で主旨として「私性を超える」とうたっています。私、主宰磯野香澄は「俳句は私性を超えた処からが俳句だ」と主張しているもので、私性の内側で書くと言う俳句はまだ日記の域なので、そこを超えてはじめて俳の世界へ入り、読み手の心になってしまう俳句それが俳句です。それらの理論の全てを記した著書に、俳句の底辺から理論的に積み上げて行って芭蕉の到達された有情の世界、そこまでをピラミッドの様にきちっと組立てて書いています。その中間に「私性を超える」と言う域があり、そこから上が京都俳句の主張なのですが一応「私性を超える」を指導目標としています。主宰磯野香澄は去年末から視力がゼロになってしまい、足のケガとかで動けなくなったと言う状況の中で、従来の結社としての活動が低下していますが、其の代わりに私、香澄の理論や作品をノーベル文学賞に取り上げて貰おうと、そちらへ力をそそいでいると言うのが現状です。
上記の「俳壇はテレビ電波を」の考え方の延長として、日本のみならず全世界の俳句愛好者に、俳句の初歩から究極までを正しく伝えたいと言う気持ちから、長年に渡って培い研究した理論なり作品を、ノーベル文学賞授賞によってより広める事が出来たら、愛の心で書く俳句は平和な世界への心につながる事になりますので、やりとげなければと著書六冊を製作しているところです。ノーベル文学賞に直接応募するシステムは無く、審議会に見いだされない限り無理な様でそこまでが大変だと思いますが、私の理論なり作品が審議会の目に止まれば、ノーベル文学賞の対象になると確信してやっています。
これが現在の俳文学研究会京都俳句の活動紹介です。
2004年8月末日

俳文学研究会京都俳句
主宰 磯野香澄


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