はじめに

地域の概況と水車の郷の取組

  神谷は通称「かんだに」と呼ばれています。隣接して下谷(しもたに)地区がありますが、それ
 に対して、上谷(かみたに)と呼ばれていたのが、いつのころから「神の谷」と呼ばれるようにな
 ったそうです。
  神谷口で、標高258m、集落の一番川上で標高300mぐらいあります。積雪は、例年20p〜30
 pぐらいですが、多いときは1mぐらい積もります。地区内を西から東流れる神谷川は、由良川
 水系の支流棚野川のそのまた支流の西川に、枯れることなくずっと昔から流れ込んでいます。
 その川沿いに山と山にはさまれた小さな集落が神谷区です。
  人口は40人、男性20人、女性20人。世帯は15世帯。耕地面積は、約3.3ha、神谷川の水系で
 は2.2ha。もっと前は、3aくらいの小さな棚田がつながっていて、そこには地元の大工さんが作
 った水車が回っていたそうな。昭和58年のほ場整備(土地基盤整備事業)で今の水田ができま
 した。そのとき、神谷集会所も完成しました。
  それまで、区の会議は各戸持ち回りで開催していたのですがこの集会所ができてから、集金
 の形や会議の持ち方、そして地蔵盆の開催などいろいろ変わってきました。
  めまぐるしく変わる、社会の状況や国の農業施策等、そして、少子高齢化はこの地でも変わ
 りません。そんな中で、区民が元気の出る面白いことでけへんかなと寄って(酔って)は、話をし
 ていたところ、「街からはこんな田舎に来たがっとるもんいるで。」「グリーンツーリズムやれへ
 んか。」「泊まるとこあったらええな。」「遠くの親戚が来るようなつきあい。」「週末に農業体験す
 るとか、おばあちゃんの手伝いするとか。」「いっそのこと、水車をシンボルにみんなでやってみ
 よか。」ということで、水車の郷構想が生まれました。
  このことは、この地に生きる(住む・暮らす)ことの意味を実証することではないでしょうか。受
 け継いだ田畑・山林のため、仕方なしにこの地にとどまるという発想ではなく、異なる文化や、
 考え方を受け入れここで生きるという発想こそ大切ではないでしょうか。
  「人に作ってもらっても自慢できひんし、おもろない。」ので水車は、手作りで、街の人にも参
 加してもらって、とにかく始めようということになりました。
  この先のことは、週末区民になってもらうみんなと一緒に考えることにしています。ちょっと前
 に、テレビで「未来日記」という番組がありましたが、まさにこれからは、みんなで未来日記を綴
 っていただくことになります。


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