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														「北桑の森」は、もともと北桑田郡(きたくわだぐん)内の森を案内するところから始まった名前です。
 
 北桑田郡は、平成17年までは、京北町と美山町で構成されていました。
 京北町が京都市右京区(H17/3月)に、美山町が京都府南丹市(H18/1月)に
 合併され、「北桑田郡」と云う
 歴史的な由来を持つ地名が、無くなりました。
 
 そこで歴史的な由来がある、今は無き
 この地名について、お話ししたいと思います。
 
 
 
 話は、七世紀の古墳時代にさかのぼります。
 
 
 古墳時代中期の大和朝廷が成立した後、中国大陸から朝鮮半島経由で
 仏教が伝来し、各地に広まっていきました。
 大陸から多くの人々(我々のご先祖様?)が、山陰地方から
 大和朝廷に入り、南に下ったと云われています。
 
 その途中、今の綾部から亀岡にかけて、濃い霧にみまわれたことから
 この地域で「養蚕」を営むことを朝廷に提案したのだそうです。
 
 その後、この地域に多くの桑畑が存在したことから
 「桑 田」の名前が付いたと、云われています。
 
 大宝元年(701)に大宝律令が制定された時に
 「丹波国桑田郡十二郷」と云う記述が残っており
 すでに「桑田郡」の名前が出ています。
 
 その後、奈良〜平安時代を経て、近年まで「桑田郡」の名前が、ありましたが
 明治11年(1878)郡区町村制により
 南桑田郡(旧/亀岡町、保津村など、1町17村)と
 北桑田郡(旧/京北町、美山町)の
 南北に分割されました。
 
 南桑田郡は、昭和34年(1959)に町村合併のため、消滅。
 北桑田郡も、平成18年に町村合併のため
 消滅してしまいました。
 
 
 このように歴史的に意味のある地名が、全国にはたくさんあったのですが
 それぞれの時代に「いろいろな理由?」から
 由緒ある地名が、消えてしまいました。
 
 残 念 !
 
 
 
 こんなことで、イイのでしょうか??
 ・・・と、ぼやいても仕方ないですね。
 
 「 北 桑 の 森 」は、いつまでも残りますように!
 
 以上、「北 桑 って、何 処?」でした。
 
 
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