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          大きな横道・近代哲学史

 先生が我国に来られた頃、痛く我国の学風の軽佻浮薄なるを嫌っておられたように思う。
或時私が先生を訪問してアウグスチンの著書の現代語に訳せられたものがないかと尋ねたら、
先生は仏蘭西語に訳せられたのがある、しかしなぜお前は羅甸語を勉強せないかといわれた。
私は日本の学生が希臘や羅甸の語を学ぶことの困難なることを答えたら、古典語を知らずして
西洋哲学を理解しようとする考の軽佻なることを説かれ、お前の同級の某君は希臘語を読むでは
ないか、You must read Latin at least.   といわれた。また或時私が生意気にもヘーゲルの哲学
について反駁がましいことをいったら、Warum? Warum? 〔何故か、何故か〕といって攻めつけられた。
そして屡 non multa sed multum  〔広からねど深く〕といって戒められた。これらの語はいずれも
私のためにいわれたものではあるが、当時の日本の学生一般に対して有っておられた先生の考と思う。
                                      (「ケーベル先生の追懐」西田幾多郎)

 明治・大正期の日本において、西洋文化の輸入に多大な影響を与えた教師をあげるとすれば、
フェノロサとケーベルに尽きます。西洋人の眼で日本の伝統美術を評価し、横山大観、池大雅、
そして岡倉天心を育てたフェノロサ。「哲学をするのはカムチャッカにいても出来る」と日本に
ありながらも実直にヨーロッパからの教師としての姿勢を崩すことなく、波多野精一、和辻哲郎、
九鬼周造を育て上げたケーベル。互いの教育姿勢は正反対のものでしたが、その弟子にあたる人々の
名前をみるだけでも、ふたりが日本近代の文化状況に大きな足跡を残したことは疑いえないことと
いえます。
 さて、そのひとりケーベルですが、先の西田の文章からもうかがうことのできるように、最良の
ヨーロッパを輸入することに極めて厳しい教師であったようです。西田以下多くの学生がケーベルの
超然とヨーロッパを体現する講義に畏れ、魅了されていったといわれています。
 九鬼もそのひとりでした。九鬼が9年間にわたるヨーロッパ遊学を悠々と過ごすことのできた
大きな要因に、ケーベルによる薫陶を考慮することは避けられないことといえます。東京帝国大学の
学舎において、西洋を理解する素地を厳格にかつ徹底的にたたきこまれ、卓越した理解力でそれらを
吸収していった九鬼の中で、日本と西洋がするどくせめぎあうこととなることも、想像に難くありません。

 大学では我々にはケーベル先生の講義は実に楽しいものであった。哲学概論や一般西洋哲学史の
ほかには特殊な講義としては中世哲学、カントの哲学、ヘーゲルの現象学、十九世紀のフランス哲学
などが講ぜられた。・・・・・・・・卒業論文は岩下君はアウグスチヌスの歴史哲学という題で
フランス語で書いた。私は物心相互関係という題を選んだのであったが、ケーベル先生がそれはモダン
だと評して不服を表明していられたと私に告げて、岩下君自身も不満足らしくしていたのを覚えている。
                                           (「岩下壮一君の思出」九鬼周造)

 ケーベルに最も愛された岩下壮一と若き九鬼との友情を綴ったこのエッセイは九鬼の内面を知る上
で非常に大事な資料となりうるのですが、もう一方別の側面においても、九鬼の抱える問題が描かれて
いることも見逃せません。つまり、ケーベルも岩下も不服とした物心相互関係の問題です。九鬼は
学生のころからその問題に眼をつけていたのです。大学でケーベルから哲学を学ぶ中から西洋哲学の
躓きを見て取っていた。現代のようにポストモダンが叫ばれる中では、それほどびっくりするような
テーマではありませんが、大正期の日本において、この問題を真摯に考えようとした者がどれほど
いたでしょうか。西田の『善の研究』などは出ていましたから、テーマとしては扱われていたものの、
九鬼の卓抜した着眼は驚きであるといえるでしょう。
 この物心相互関係の問題、九鬼が眼をつけ、西田がうんうんと考えていたこの問題は極めて
ヨーロッパの問題だったといえます。少なくとも、彼らがヨーロッパからのインパクションにおいて、
日本の知性が呼びかけられた問題だった、日本に哲学を生み出す重要なジャンプボードだったのです。

 「もの」と「こころ」。この構図をめぐって近代の哲学は展開したのは、万巻の哲学書の記す
ところです。デカルト以降、「もの」と「こころ」は峻別して考えられるようになり、デカルト的
二元論と呼ばれ、常に乗り越えるべき問題としてあつかわれてきたのです。そして九鬼や西田の試み
もその文脈を踏まえて考えなければ見えてこないものがあると思われます。焦点をそこにあわせて
近代哲学を辿ってみましょう。

 「我思うゆえに我あり」。あまりにも有名な命題です。ものごとを疑ってうたがってウタガッテ
疑いきったとき、最後に残ったのが疑っている「私」、疑う主体としての「私」を発見した、だから
私がある、と。しかし、これはいったい何を問題にしているのでしょうか。もちろん『方法序説』
にその事情はくわしく語られているわけですが、今後の展開を視野にいれると、時代の要請という面を
考えた方がわかりやすいように思います。

 近世および近代を中世とわける大きな要因がいくつかあるわけですが、極めて重要な要因に自然科学
の発展ということがあります。古代・中世では世界の本質や意味というものは自然(ピュシス)
そのものの力あるいは神が鍵を握っており、そうした絶対の権威に人間は畏れおののいていた。社会
の構造そのものがその権威に基づいて形成されていたのです。しかし、自然科学の発展とともに
それまでの権威が崩れ、世界の中心に自然科学を手にした人間が据えられるようになりました。

 もちろん自然科学の発達する萌芽は中世期すでにイスラム世界で研究が進み、さらに錬金術の伝統に
おいて育まれていました。その後ルネサンス期に自然科学は社会や文化などと結びつきながら
さまざまな影響を与え始め、世界観そのものの変化をだれもが予感し始めた。しかし、すぐに社会変革
は起こらなかったのです。理由として、さまざまな政治的要因が考えられるのですが、極めて重要な
理由としていえるのは、自然科学を人間の業として制御しえるような思想がなかったからなのです。
いわば自然科学の基礎づけがなされない限り、人間が自然科学を支配しない限り、社会構造は変わり
えない。頭をすげ替えただけの話になってしまうわけです。

 また逆に自然科学に携わる者の方も困ったことになったことも考えないといけません。当時、
自然科学の発展に大きく寄与し、支えたのは、厳密なる実験という方法でした。現象を説明するために
時間、環境を限定し、ある仮定を予想したうえで、一定の条件を与え、実験する。そして条件を
変えながら実験を重ね、現象を説明あるいは証明するという方法。物事を徹底的に数量化することを
要求するこの方法は、優れて人間に寄与するものでした。しかし、その実験を最終的に正しいと判断
するのは誰なのでしょう。中世期では神を着飾った教会がその権威でありえましたが、ルネサンス
以降、教会にそれを主張する元気はありません。では誰が?

 そこに登場したのがデカルトだったのです。彼の示した「われ思う」が実験する主体を充分基礎付け
しえたのです。実験し証明し、その正しさを判断するのは、考える私である。人間はここで自然科学を
手中に収めることで、世界に君臨する道を得たのでした。
 ここで急いで注釈すれば、デカルト自身は実験などで捉えられたデータとものそのもの、つまり実体
との一致を保証するのは神であるとしています。教会の神を拒否したデカルトですが、近代的な神の
観念も彼が基礎づけたといえます。

 さて、そうした物事の背景に実体を求めるデカルトの立場では、ニュートン以降の自然科学の流れ、
つまり物事の有機的連関を説明する方法についていけない弱点があります。カントはそこに現れるです。
 詳しいことはすっ飛ばしますが、『純粋理性批判』において示された認識論は認識する主体が見出す
のは物事の背後にある法則性である、ということでした。つまり主観と客観を合法則性によって
結びつけ、その法則性を見出す主体の能力を理性と呼んだのです。ヘーゲルはその理性をうけて、
理性と現実を同等のものとみなし、自己と世界のすべてを飲みこむ絶対主体を描きあげました。
自然科学の発展とともに歩んできた近代哲学はここに極まったのです。

 しかしここですこし振り返ってみたいのです。ヨーロッパの知性が描き出した主体性という名の
人間の姿。自然科学という法則性に対応して築き上げられた過程をみてくると、「私」といいながら
「人間一般」という法則性へと収斂され、自然科学を手中にしながら、その成果である法則性に
絡め取られていったようにみえます。しかし現にいまここに生きている「なま」のわたしとはほど遠い。
「こころ」と「もの」の関係でいえば、「こころ」が「もの」をみつめているうちに、「もの」に
絡め取られ「こころ」とは違うこころとして肥大した「主体」にすり替えられてしまったのです。
 ヘーゲル以後の哲学は、このように肥大した人間像や主体に現実味、つまり生のリアリティを
取り戻す営みだったといえます。そして、日本における哲学の輸入は、そのすべてを考えることと
同義だった。九鬼や西田の営みもこの流れの中で捉えなければ、大事な遺産を取りこぼしてしまう
のではないでしょうか。

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