日本的なるもの13

 たとえば、ふらりと旅に出たくなるとしよう。忙しく息詰まる毎日に突然そう欲するのだ。
 で、どこか名も知らぬ谷間の町に途中下車する。そして、桃山時代の城跡なんかが残る山頂に登って、こう吟じてみたりする。
 ー旅に病で夢は枯野をかけめぐるー
 「いやはや風流ですな」。そんな声が聞こえてきそうである。
 風流。そう聞くと誰もが旅に病んだ芭蕉のような心持ちになるだろう。芭蕉ほど風流をおのれの生きざまに体現したものはないだろう。まさに風流はそうした芭蕉のような心を意味する。
 けれども、実際に「風流とはなんぞや」と問われれば、どう答えよう。九鬼周造は「風流に関する一考察」で次のように述べている。
 「・・・(前略)風流とは自然美を基調とする耽美的体験を「風」と「流」の社会形態との関連において積極的に生きる人間実存にほかならぬ(後略)」
 堅苦しい言い回しであるが、風流をこれほどすっきりと概念化したものはない。この内容を開いてやると次のようになる。
 風流とは、まず世俗因習、名利からの離脱をしめす。つまり風の流れのごとく何ら束縛がない様をいう。九鬼はそこに日常性の否定を読み取る。
 しかし、風流はそうしたアンチテーゼの側面だけではない。
 日常性の脱したところに美的な充実がある。ヘタな俳句でもひねってみたくなるのもこのせいである。耽美的体験の根本は世俗のしがらみを越えたところに存するのである。
 そこで重要な意味をもってくるのが自然ということである。
 九鬼は風流ということの根本に自然というものが離俗と耽美的体験を総合するように横たわっていることをみてとっている。
 自然の美に触れたときの素直な心の動きなしには風流とはいえない。「風流のまことを鳴くや時鳥」なのだ。俗世をはなれ、自然の美に「ああ、はれ」と心が動くとき、その裏で芸術は胎動している。
 又、「ああ、はれ」と心の動くその様を自覚したとき、風流はすでに人生の美を体験内容として包蔵している。「色ふかき君がこころの花ちりて身にしむ風の流れとぞみし」。自然と人生が織り込まれた短歌は風流を十二分に表現してくれる。
 ところが、ここで問題となるのが、「風」と「流」へと積極的に関わって生きるということの意味である。非常に難しいが、九鬼はこう考えているといえる。
 世俗を離れ、美の充実に精進するのは良いが、ただそれは時間とともに習慣化・形式化していく。たとえば新しい芸能・芸術が次第に談林風、蕉風、千家流などなどと呼ばれていくことが良い例である。九鬼はどんなに高尚で自由な発想でも、時間が経てば形骸化する現実をしっかりと見据えているのである。
 とすれば、そうした習慣化、形式化したものと積極的に関わっていくことは、結局世俗化を意味することと変わらないのではないだろうか。
 「風流とはまず最初に離俗した自在人としての生活態度であって「風の流れ」の高邁不羈を性格としている。ただしその破壊性は内面的破壊性を意味しているのであって、社会的勤労組織との外面的形式断絶を意味するのではない。かえって社会的勤労組織そのものの中に自然的自在人を実践することこそ現代的には真の風流であるといえよう」
 都市生活を全うせよ、自由に生きよ。G・ドウルーズが70年代、都市的ノマドの生き方を提唱するのに先駆けること30年。九鬼ははるかに現代的な提言をしていたのである。
 いや、九鬼よりももっと以前に同じようなことを考えた男がいる。風来山人・平賀源内。あの「えれきてる」の発明者である。芭蕉以後の庶民文化を花開かせた源内には、遊行の伝統は流れこんでいない。だからこう言ってのけてしまう。
 「すみやかに世を逃がるべし。ただ山林に隠るばかりを隠るとはいふべからず。大隠は市中にあり」
 江戸という都市が爛熟を迎えようとしている時代、村共同体とは違う生き方が自分たちには可能であるという強烈な自覚がうかがえる。矛盾ともいえそうな茶目っけは都市生活者の特徴である。
 九鬼もそうした源内の言葉を引いて、身体を吹抜ける風の流れに言及している。
 「上に在つては呼吸、下に在つては屁と名づく、是れ体中気の出るなり」
 人前で屁をひねるもこれまた風流、というお話・・・

もどる