さぬき生まれの者が京に上ってびっくりした。
日本全国麺どころといわれるところがある。蕎麦は江戸に信濃。山陰あたりも隠された蕎麦どころ。そして、うどんはさぬきに上方。
今回は「うどん」の話である。
しかし、うどんはうどんでも、さぬきと上方、特に京風とではかなり違う。
さて、京に上ってはじめてその京風うどんを食べたとき、私は軽いカルチャーショックを受けた。まず見た目にうどんが細い。だしの色も濃い様子。香りは濃密に自己主張している。
箸ですくう。一回すくうごとに数本そのまま切れてしまう。ちゅるちゅるとすすると口中の感触がかなりやわらかい。すぐに粉々になる。しかし細いわりにしっかりとだしの味がまとわりついている。ためしにだしを一口すすると色同様、甘くて濃い。
京風のうどんはそうたくさん欲しいと思わない。少しでよい。一食うどんですませるといったものではなく、昼下がりあるいは夜更けに小腹のすいたとき、一口の味覚を楽しむ類のものである。
幼少よりさぬきに育った者にとって、そうした感覚のうどんがあることに驚きを覚えた。なんともひかえめな食べ物よ。千年の都市は舌にのる小さな味覚に垢抜けた楽しみを見いだしたのだ。
しかし、私は身体の欲動に直接訴えかけるさぬきうどんの方に多大なるエロスを感じてしまう。
さぬきのかけうどん。麺は太く、だしの色は極薄い。香りもさらりとさわやかである。箸ですくうと、うどんのねじれが重力に反発する。コシの強さがうかがえる。なるべくたくさんのうどんをすくって、一気に口内に。ずごおおおおお。口の中はうどんの弾力でだよんだよんになっている。そのままほとんどかまずに、喉ごしを楽しみながら飲みこむ。食道から胃袋へとうどんの形をあまり損なうことなく落ちていくのがわかる。身体を内側からなでられている感覚。
それは空っぽの胃袋にうどんが落ちていくたびに得られる、うどんと私とのエロティックな合一。うどんが私の中で欲望に火をつける。だからもっとほしい・・・
さぬきではうどんで一食すませてしまおうとするため、うどん玉も二玉、三玉と一度にたくさん食べる。したがってだしは薄味で極力甘みを抑えてある。後味さっぱり。主役はあくまでうどん玉なのだ。
うどん屋に入ってからの身体的所作も京風とさぬきでは大きな差異がある。京風を静とすればさぬきは動。京都でうどん屋に入ると、身体の一連の動きは次のようになろう。
籐か竹で編んだ椅子に座ると、まずお品書きに目を通す。ここでお茶が出てくるまでに注文を決めておく。注文をすませれば後はお茶をすすって新聞かなにかを読む。うどんが出されると、好みに応じて七味か一味を入れて、いただきます。食べ終わると、またお茶をすすって少し時間をつぶす。そして、おもむろに勘定を払って店を出る。
ここまでの所作が非常に静かにおこなわれる。つまり客は席について注文すれば事足りる。静かに少ない所作で濃密な味覚を感じることができるのだ。しかし、それでは普通の飲食店と変わらんじゃないかと思われるかもしれない。そう、京都のうどん屋では、一般の丼物定食屋同様、注文のあとは己の味覚をとぎすましていればよいのである。
それに比べ、さぬきのうどん屋、特に観光用のうどん屋ではなく、生活者用のそれは非常にダイナミズムに溢れている。
店に入るとまず入口横でどんぶりをもらう。うどん玉を欲しい分だけ取ると、金ざるに入れて自分で湯通し。一分強でよい。うどんをどんぶりにあげたら、だしをかける。あとはお好みで油揚げ、てんぷら、山菜、たまごなどなどをのせてねぎをぱらぱら振って、できあがり。それをもって支払を。で、いただきます。
いわばほとんどセルフサービスなのだ。おそらく店の人件費にもかかわるシステムなのだろう。おおよそ一杯二百円で食べられる。
しかし、そうしたシステムがさぬきうどんにまつわる身体的所作をよりダイナミックにする。店に入ってから出てくるまで、さぬきうどんは身体全体で食べるのである。
さて、江戸では蕎麦で一杯やるのが通。陽の傾いた時分になると街の通たちが蕎麦屋にやってきて、蕎麦をたぐりながら徳利を二〜三本開けるのだそうだ。いきだねえ。
うどん屋にそれは似合わない。さぬきのうどん屋にはほとんど酒が置かれていない。杉浦日向子女史のいうところでは、香川県は全国一の下戸県。酒の消費量が極端に少ないそうである。
少し考えればその理由もわからぬでもない。ダイナミックな身体的所作をともなうさぬきうどんは、相当官能的なものだ。うどんを食べるだけで酔うことが可能なのである。その白い快楽装置があれば酒を飲む必然性はない。だからなのだろうか、さぬきのうどん屋は日没頃には閉まってしまう。
宝花千万種にして 弥く池と流と泉を覆ふ
微風、花葉を動かすに 交錯して光乱れ転く
宮殿のもろもろの楼閣は 十万を観るにさわりなく 雑樹には異る光色あり(往生要集)
陽の光に白い酩酊。白昼夢はうどん粉の風の中。我、快楽を求むること尽きなし・・・・・