公事に忙殺される毎日、ある日、一日だけぽっかりと何もない日ができた。空は春霞にもやり、ふわふわした陽射しがそこかしこをくすぐる。
春眠暁ヲ覚エズ、とはいうものの、何とはなくもったいないここちもする。朝食もそこそこに家を出た。
鞍馬口通をまっすぐ歩き、加茂川に出る。ベンチに腰掛けて、未だはっきりと目覚めぬ心と身体を覚醒させるのにつとめる。
川の流れはゆるやかで行儀よい。何度となく河川工事を施しているとはいえ、目の前の川はおそらくいにしえより同じように流れているのだろう。見上げると大文字が川を見下ろしている。
ふいに川面を渡る風が意識を刺激し、その瞬間考えがまとまった。よし、宇治川まで出よう。
出町柳で京阪電車に乗り中書島へ。宇治線に乗り換えてすぐ一つ目の観月橋で降りる。目の前に宇治川の河川敷が広がる。
現在、国道24号線を渡す観月橋は上下に分かれる大きな鉄橋である。普段の交通量を考えればその無粋な姿はいたしかたがないのかもしれないが、見るたびにいつも味気なさに心くもる思いがする。
橋の上から川をのぞく。水量が多く、流れも速い。加茂川と違ってかなり行儀が悪い。あちこちで渦を巻き、一本の川の中に幾種類もの流れが無秩序に編みこまれている。それは一定の形をとることなく、荒ぶる川の力がそのまま脈打つよう。
与謝蕪村はその様子を『澱河歌』の中に詠む。
春水梅花ヲ浮カベ
南流シテ菟ハ澱ニ合ス
錦纜君解クコト勿レ
急瀬舟電ノ如シ
春ぬるむ川の水に梅の花を浮かべ、宇治川は南に下りそのまま淀川へと合流していく。そこでは舟のともづなをしっかり結わえておかなくてはならない。
なぜなら舟はいなずまのごとく急流に流されてしまうから。
蕪村は宇治川の荒ぶる流れをいなずまのごとくととらえた。
少なくとも宇治川の流れも江戸中期から現在までそう変わらないのだろう。今見る川の流れに蕪村の視線を遠く想う。
しかし、なぜ舟なのだろう。
菟水澱水ニ合シ
交流一身ノ如シ
舟中願ハクハ寝ヲ同ニシ
長ク浪花ノ人ト為ラン
伏見あたりの妓楼の女が浪花へ帰る男を見送っているのだろうか。宇治川の河川敷に降りて下流の方をながめやると、その情景を想像するのに易い。辺りに切り立つような山谷がなく、長くのびた堤も低くなだらかだ。
昔は今よりももっと見晴らしがきいただろうから、かなり遠くまで舟の行方を追えたのではないか。
いなずまのごとく流れる水流ではあっという間に舟は女のもとから離れていくにちがいない。
しかも遠くにいつまでも舟の姿を見ることができる。自分も同じ舟に乗り、浪花にあなたと一緒にいきたい。その思いはつのる。
河川敷のグランドで草野球をしているのをながめながら、地べたに座りこむ。川を渡る風は少し強いが、よくこなれていてあたたかくやさしい。
君は水上の梅のごとし
花水に浮で去こと急カ也
妾は江頭の柳のごとし
影水に沈で
したがふことあたはず
水上をすべっていく梅花と水面に映る柳。対句には蕪村の諦念にも似た画家としてのまなざしを感じる。そして、どこか慎みさえ覚える。なぜか。
蕪村は『澱河歌』の中で宇治川が淀川へと合流していくさまを二度繰り返して詠む。安東次男氏の指摘によると、そのさまを蕪村はかなりエロティックなさまとしてとらえていたという。
荒ぶる宇治川を男とすると、たおやかに流れる淀川は女である。すると大山崎、橋本あたりが女性の陰部にあたろうか。
若竹や
橋本の遊女ありやなし
とにかく、蕪村は川の流れを男女の情が幾重にも織りなす流れとして見ている。だから下手をすると乱流に飲みこまれ、いなずまのごとく流されてしまう。
情に流されてはいけない。舟のともづなを結わえるように慎みをもたねばならない。蕪村はそういっているのではなかろうか。
『澱河歌』は蕪村六十才を越えてからの作といわれる。老境に立ってなお恋の熱情を慎む歌を詠むとは、蕪村という人はかなりの色好きな爺さんだったといえる。事実、晩年小糸という小妓といい関係にあったとか。蕪村的文人趣味は色も含んでいなければならぬ。
うつらうつらと河川敷で春の陽を浴びながらそんなことを考えていると、ふいに恋をしたくなった。そういえばここ数年情の結ばれることなく過ごしてきた。うん、ここは一つ・・・・