日本人が示す美意識を探っていくと、その時代でいろいろな相貌を見せてくれて、非常に楽しいものがある。そして、それ以上に楽しいのは、美意識が日本人の思想を鍛え上げる瞬間が垣間見られるときである。例えば、茶の道を通して「生き方」を示した千利休などはその良い例であろう。しかし、今回は文芸の領域から越境していった二人、本居宣長と松尾芭蕉をダシにそのことを示してみたい。
本居宣長が中国の思想というものをひどく嫌っていたことは広く知られているところである。彼には中国の思想家は「さかしらをのみ常にいひありく国の人」で、人の情をいつわってまでも大げさで仰々しい概念を作りだし、やたらに「こちたく、むつかしげなる事」をふりまわす人として映っていた。つまり、中国の思想はあまりに概念的、抽象的思惟でありすぎて、事物にじかに触れる、生々しい思想ではないと宣長は判断しているのである。
では、それに対して事物にじかに触れる認識方法を宣長はどう説くか。世に有名な「もののあはれ」がそれである。「もののあはれ」を知るとは、「何事にまれ、感ずべき事にあたりて、感ずべき心をしりて、感ずる」ことをいう。生きた事物を自然で素朴な実存的感動を通じて深く心に感じるのである。そして、「たとえば、うれしかるべき事にあひて、うれしく思ふは、そのうれしかるべき事の心をわきまへしる故にうれしき也。(中略)されば事にふれて、そのうれしくかなしき事の心をわきまへしるを、物のあはれをしるという也」要するに「物の心をしる」のである。しかし、事物に接し、「ああ、はれ」と情(こころ)が感(うご)くことを絶対視したこの認識論は、事物を何の媒介もなく一挙に直接把握する方法を示し得た点では評価できようが、事物それ自体は永遠不変であることが大前提になっているところに疑問が生ずる。あくまで感くのは情であって、事物は事物そのものでしかない。つまり、美とよばれるものは伝統的に決まっており、その形は永遠不変だというのである。
しかし、そんなことがありえるのだろうか。実際、我々の感覚から言えば、美には流行(モード)があり、その時代、その風潮によって大きく左右されているように感じられる。そして、その感覚からくる疑問は拭い難いもののように思われるのである。
夏草や兵どもが夢の跡
こう詠むことができた松尾芭蕉は現前する事物が永遠不変でないことを自覚していた。芭蕉の場合、「をのれが心をせめて、物の実しる事」と一見宣長に似た主張をするのだが、きりかえして次のようにもいう。「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中にいひとむべし」そして「その境に入って、物のさめざるうちに取りて姿を究」めなければならないのである。美はその姿を不変に示し続けるのではなくて、たった一瞬の、ひらめく存在開示なのである。そこでは、いつ美が輝くか、どれが美であるか、微に入り注視する必要があり、その一瞬の輝きを表現する詩的言語の訓練が必要になってくる。そして、芭蕉はその方法論として旅に暮らし続けることを選んだのである。時間をかけ、自ら移動し、スケッチするように言葉を紡いでいくその方法論は、美の多様性に素早く反応することができ、さまざな表現を示すことができる。そのフットワークのよさは注目に値する。
ときに日本的なるものということは、沈潜する思考をイメージされることが多い。禅者がもつイメージが横滑りしているのだろう。しかし、日本の思想的可能性は芭蕉のようなフットワークの軽さを示すこともある。もちろん、役行者や空海といった山岳修験者のフットワークのよさは気づかれているが、彼ら山岳修験者もやっと仏教学や宗教学という狭い枠から抜け出たところで、まだまだこれから新しい研究が待たれるものである。そして、「日本的なるもの」のフットワークのよさが「風狂」という芸術的な姿として芭蕉に現れたことにももっと注目していってもよいのではないだろうか。