日本的なるもの3

 「個人あって経験があるのではなく、経験があって個人あるのである。」
 こう言われて困惑を覚えずにいられるだろうか。西田幾多郎の著作を読む者は、この種の困惑を常に経験していかざるをえない。なぜなら、常識と考えられる思考はおろか、日本語の文法が破壊されているからである。経験があって個人があるだって!? 冗談じゃない! 気が狂ってしまいそうだ!
 一般に西田の難解さには定評がある。有名な『善の研究』などはまだましな方である。膨大な量の論文集などは、何頁にも渡って何が書いてあるのか分からないことは屡々であり、時には論文で扱われているはずの主題がまったく出てこないまま、混乱に叩き落とされることもある。いったい何がここまで混乱せしめるのだろう。
 和辻哲郎が語ったように、日本語で哲学することは非常に難しい。これは西洋哲学を専門とする者が遅かれ早かれ実感することである。そこで和辻や九鬼周造などは、己の詩的才能を導入することで、その問題の解決を試みた。つまり、あきらめた、のである。したがって、彼らの著作は読みやすく、一種文学的風雅が漂っている。
 しかし、西田は違った。彼の思い詰める性格も手伝って、何がなんでも日本語で哲学しようとしたのだ。それも、大胆な造語を行なったのである。いや、造語をするのはまだいい。西田の場合、カント哲学を下敷に造語がなされたところに悲劇がある。カントの著作をドイツ語で、いや、翻訳でいい、読まれたことのある方にはお分かりいただけるかと思うが、その専門用語のオンパレードには少々辟易とさせられる。又、カントの書く一文がとにかく長いことも有名である。しかし、カントは思考されたものは一旦整理して書く性格であったので、じっくり読めば分からないものではない。
 明治の終わり頃、新カント派の哲学がアカデミズムを席巻しはじめたことも手伝って、西田もカント哲学の枠組みで思索することになったのだが、彼の場合、その枠組みの乗り越えが主題とされたのである。したがって、その道ゆきは、日本人には少々難解な専門用語の中で、ものの見方の変更を迫っていくこととなる。
 カント哲学では、我々人間の主観がどのように物自体を認識するかが問題となっており、結果、物自体は認識しえず、主観が物自体の諸現象を構成するのみとされる。いわば、人間の認識能力を限定づけると同時に、人間の自我の働きを基礎づけた。しかし、認識能力の限定がなされているものの、その自我の働きが持っている独断性は否定されえない。そして、認識以前の物自体はいったいどうなるのか疑問の残るところである。
 これに対して西田はこう言う。
「既に知識は或る立場からの構成であるとすれば、与えられた或物がなければならぬ。是において物自体とは知識の原因という如きものではなくして、概念的知識以前に与えられた直接経験という如きものとならねばならぬ。」
 この経験を西田は「純粋経験」と呼び、冒頭の言葉につながっていくのである。
 カントの場合、精神(主観)と物体(客観)とは互いに全く違う法則性をもつものとされている(物心二元論)が、西田の場合、主客未分の直接的な経験の立場から、精神と物体は同じもので、その見方によって精神や物体となって立ち現われるとされる。この西田の立場は、論理的にいけば何をいっているかさっぱり分からないが、日本人の普段の生活を考えると、時折感じる何かを言い当てようとしてとしているように観じられないだろうか。例えば、松を見たときの何か、川の流れに眼を奪われたときの何か、鼓の一打を聴いたときの何か。その何かの直観が西田にはあったのではないだろうか。(もちろん、西田自身の参禅も見逃せないだろう。)
 西田はこの直観を文学的表現で言い表わすのでなく、ヨーロッパの思想によって鍛えた日本語の文法をもって表わそうとしたのである。しかし、その試みが西田の文章を難解にしている。
 「物来たって我を照らす。」
 「生きると云うことは、客観的制作にあるのである。我々の生命が身体的と考へられる所以である。」
 「相対が絶対に対するという時、そこには死がなければならない。我々の自己は、ただ、死によってのみ、逆対応的に神に接するのである。」
 こうした文章は、やはり難解と言わざるをえない。
 しかし、読み手が自らの問題を持って読むとき、これら難渋な文章が輝きを持って立ち現われるのである。構造主義のパッションをうけて、今、西田が世界で読まれはじめている。この世界性が「日本的なるもの」の思想的可能性の一表現である。三木清は「西田哲学と根本的に対質するのでなければ将来の日本の新しい哲学は生まれてくることができないように思われます。」と言う。その言葉を励みとしつつ、一方で脅迫感じながら、西田の論文集を眼の前にして、私は腕組みをしたまま動けないである。はたして読み続けるべきか否か・・・・・・・・

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