今年に入ってからというもの、仕事や雑事に追い回されていたせいか、このところ「隠居」というものに憧れを抱いている。お昼近くに目を覚まし、日にあたりながら縁側で庭をながめ、たまに庭をいじる。夜は夜で、適当な肴で酒をなめ、三味をチリトテチン。夜の淵に酩酊の末、入滅。この生産性のなさがなんともいえない。
「隠居」といっても、この社会の通念上では、年を喰えば誰でもいやがおうにも隠居とみなされる。隠居=じじ・ばばなのである。しかし、私がここで考えているのは「若隠居」。30にも満たないガキが何をいうか、と思われるだろうが、私自身、今すぐにでも隠居したいのである。隠居に年齢は関係ないのだ。
そこで、若隠居三年目を迎えた杉浦日向子女史が推薦する若隠居のお手本、『花暦八笑人』をひもといてみた。これに出てくる若隠居の名は佐次郎という。彼は名のある大店の長男として生まれたのだが、「生まれついての呑太郎、年中続く夕部け(二日酔いのこと)に、うくる家業もうるさしと、弟右之助に相続させ、おのれは隠居の身となりて、心のままに不忍の、池のほとりに寓居」といったあんばいである。そして、その佐次郎のもとに集まる7人の呑助どもと季節ごとの茶番を繰り広げる。特に、春の花見での茶番は「花見の仇討」という落語としても有名である。
とにかく、彼らは世の益にならない、本当にくだらない茶番に命を賭ける。「花見の仇討」では、花見の場で仇討の茶番を仕掛けるつもりが、勘違いして助太刀をかって出た武士に切り殺されかけたほどである。そこには殺されかけた恐怖よりも無意味な茶番のスラップスティック性が前面に出されている。ここに太平の世、刺激の少なかった江戸の余裕やおおらかさがある。
このおおらかさの象徴のような佐次郎は、いわば江戸という都市に住む有閑人。加えて、作者の滝亭鯉丈も江戸中期の旗本の婿養子、立派な有閑人である。つまり、どうしてもやらねばならぬ公務もなく、その日の暇を物臭に、億劫がってくらしていたのだ。
私は以前より、この物臭、ぐうたらが日本を特徴づけるものの一つに数えられるのではないかと考えていた。もちろん、世界的にみれば、樽の中で気ままに暮らしたディオゲネスや、自らの庭園で仲間と共に静かな悦楽を求めたエピクロスがいる。東洋にも仏教思想や老荘思想のようなある種の「ぐうたら哲学」がある。日本的ぐうたらもこの東洋的ぐうたら思想の影響を多少なりとも受けているだろう。しかし、そうした思想的影響を受け入れる基盤として、日本人の生活環境が考慮されねばなるまい。それは都市の円熟ということと深く関係しているのである。
『八笑人』が書かれた文政年間は、江戸という都市が経済的に整備され、情報の中心として機能し、都市として完成を極めていた。そうした都市では居・食・住が苦もなく身の回りから手に入り、今まで生きるために費やされていた生産の時間が余ってくる。都市で生活している限り、多少ゴロゴロとぐうたらをしていても、まず死ぬことがないのである。だからこそ、佐次郎は思い切った茶番をうてたのだろうし、落語に出てくるような留さん、熊さんなども物臭に暮らせたのだろう。
これは江戸時代に限ったことではない。室町期に「物臭太郎」というお伽草紙があるが、これも室町期に京都という都市が円熟を迎えていたことと深く関係している。谷崎潤一郎が推察するように、当時の零落した公卿が自分のぐうたらな生活を暇つぶしに書いたと考えられる。
今、日本は全国総都市化している。日本という国の隅々までが都市化しようとしているのだ。バブル崩壊後の地方を基盤とした経済活性、マルチメディアの整備による情報流通。江戸だ、京だ、大坂だ、という区別なく、日本人はどこにいても都市生活者である。この日本という都市の円熟がある意味楽しみである。なぜなら、その円熟と共に私も「隠居」したいからだ。しかし、その前に私自身の先立つものが・・・・・・・・