2002年4月29日の四国新聞『少数違見』より
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バーボンかワインか
〜壊して生かす作詞の妙

   板倉宏臣

 遠き日のにがい思い出が流れ残っている。
 「北へ」という歌がある。昭和五十二(1977)年石坂まさをさんの詩になる。小林旭さんが歌った。恋と訣別した心ならずもの失意を抱いて男がひとり、名も知れぬ町へ流れてくる北帰行の哀調だ。歌い出しに『名もない港に桃の花は咲けど』の詩がある。僕の友人が「なぜ桃なのかよ。桜でもいいじゃないか。梅や木蓮でもいい」と言うのだ。ここは桃でないと駄目だ、と僕は主張した。桃の花は、梅と桜の耽美なスターにはさまれていつも人の心をひくのに一歩出遅れてしまう。艶なる梅や桜ほどに人の心を乱さない月映えのような少女の風情だ。そのなことを言ったと思う。が、思いは届かなかった。で、愚かにも友人と僕は殴りあいになった。
 (私事を語ってすみません。歌謡曲の詞藻について書きたくてふれたのです)
 「桃の花」に決めるまでに石坂さんは、煙草を三本吸われたと思う。コーヒーを二杯のまれた、と僕は思っている。

 三人の作詞家とお話をする機会があった。
 阿久悠さんの詩の脊梁をなしてきたのは、徹底した痩せ我慢の美学だ。「北の宿から」(昭和50年)の詩は、着てはもらえないとわかっているセーターを編む未練の行為を『女ごころの未練でしょう』と詠む。『未練でしょうか』と語りかけないのである。問いかけてしまうと「答えを期待してしまう女になってしまう」という。『か』をつけるかつけないか、たった一字の措辞だが、ここだけは考えぬいた。タイトルも「北の宿」にしてほしいと言われたそうだ。「『北の宿』では一つ所に落ちついてしまう。旅路の途中の歌なのです。ここで死んでもいいし、生きていたら朝またいずこかへ出ていく」女性像なのだ。『から』に死の影さえ漂う。
 五木ひろし、木の実ナナさんのデュエット「居酒屋」(昭和57年)も阿久さんの佳吟だ。たまたま隣あわせになった女に「何か一杯」と勧める。『ダブルのバーボンを』と応える。つかのま居あわせたかりそめの縁で終わるにはワインや日本酒やビールではなく、バーボンでなければならない、という。

 新聞記者の水島哲さんが「霧の摩周湖」を書いた昭和四十一年、摩周湖を訪れる人など少なかった。以前に旅した摩周湖の寂寞とした哀愁に『ちぎれた愛の思い出』を映して綴った。布施明さんが所属するプロダクションの人たちがこぞって反対した。
 「誰も知らない摩周湖では売れない。琵琶湖や芦ノ湖や浜名湖じゃないと」と。水島さんは「未知の摩周湖だからいいんだ」と激怒して譲らなかった
 小椋佳さんは「詩を書くことは言葉を壊すこと。壊した上で使うことだ」という。言葉をそのまま使っては詩にならない。壊しっぱなしでは人に通じない。美空ひばりさん「愛燦燦」(昭和61年)は、小椋さんの詩と曲による。「『愛燦燦』などという言葉はありません。かといって『愛がいっぱい』では詩でありません。愛と燦燦の意味がそれぞれ想像の範囲内にあるから、『愛燦燦』の言葉が持つイメージが何となくわかってくると思うんです」。

 言葉が持っている力の生かし方である。

 (日本ペンクラブ会員・作家)
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