With Children,With Christ

子どものための聖書教室



神さまはどこに?

 さて、聖書教室のはじまりだよ。
 ふと書こうと思い立って聖書を広げ、ふと目に入った言葉はイザヤ書から。

イザヤ書58章9〜10
あなたが呼べば主は答え
あなたが叫べば
「わたしはここにいる」と言われる。
軛を負わすこと、指をさすこと
呪いの言葉をはくことをあなたの中から取り去るなら
飢えている人に心を配り
苦しめられている人の願いを満たすなら
あなたの光は、闇の中に輝きいで
あなたを包む闇は、真昼のようになる。

 うーん、これはなかなか「神さまはどこに?」というテーマにぴったりくる言葉だと、びっくりしてしまったけれど、どうだった?聖書の読み方って、難しいといえば難しいのだ。順番に読むのもいいかもしれないと思って、旧約聖書なら創世記、新約聖書ならマタイによる福音書になるけれど、そういうものを最初の1頁から読むのもなかなか大変だね。かといって、パラパラとめくっても、何やらわからない。その日の聖書の箇所として決められた箇所から読んでいくのもいいけれど、やっぱりその日その日の自分の心とか、今、とても興味のあることとか、自分の心の有り様によって、聖書の言葉は随分違って聞こえてしまうことの方が多いから、どんな読み方をするかってことも、とても大事なことだと思うよ。

 さて、聖書講座のはじまり、ふと「神さまはどこに?」というテーマがいいかなと思って、聖書をパラパラとめくったら、先に写したイザヤ書の言葉が突然でっかい字になって?目の中に飛び込んできた。あ、これこれ、これはいいなと思った。聖書を眺めて、そんな日もあるし、いくら頁をめくっても何にも心に残らない日もある。

 聖書というのは、そういう意味では普通の本とはやはり少々違う。なんでだろうね。世界のベストセラーとも言われているけれど、何か理由はあるんだと思う。もちろん機会があれば、学問的というか、歴史とか時代を踏まえて、聖書に書かれたものを勉強してみることもとっても大事なのだ。そういう風に基礎になることを自分の中にいっぱい持っていると、パラパラとめくった時に目に止まる言葉の印象もまた、随分変っていくかもしれないね。けれど、聖書は日々の言葉、つまり「主の祈り」で言うなら「日用のかて」でもあるから、Libing Bibleと言って、自分の心や気持ちととっても関係しているものでもあるんだよ。

 ところで、神さまってどこにいらっしゃるんだろうか?そんな風に考えたことある?「天にまします我らの父よ」こんな風にいつも呼びかけているけれど、はて?神さまは天におられる?「天」とか「神の国」についてもいつかは考えてみね、でも、今日は、もうひとつ次の言葉を読んでみよう。

 マタイによる福音書18章20を見てごらん。「2人3人がわたしの名によって集まっているところには、私もその中にいるのである」。神さまはどこにおられるんだろうかと考えた時、これもひとつの答えだよ。これはイエスさまはみんなの中に共に一緒におられるということだね。でも、ただ人が集まっているところ、それだけの意味じゃないよ。「わたしの名によって」という部分があるでしょう。そこにいる人たちがみんな一つの心になって、神さまに向かおうとする、そんなみんなの中に神さまもイエスさまも一緒にいてくださるという意味なんだ。

 時々、ふと立ち止まって「神さまはどこにいるの?」とふと考えたりすることはとっても大事なことなんだ。むしろ、そういうことを考える自分の中にはやっぱり神さまはいつも一緒にいてくださるんだとそう思うことがとっても大事なことなんだ。




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サンダルはいて、いい日旅立ち・・

さあ、立て。ここからでかけよう。
ヨハネ14章31節

靴とわらじの話から

 家からどこかに出かけるとき、「靴」はくよね。あたり前だよね。はだしのままだって悪くはないけど、普通は靴をはく。もちろん、靴でなくてもいい。

からの手で
はだしのままで
ついていきたいキリストに

もちろんこう思う気持ちは本当に大事だよね。けれど、今日の話は、サンダルだってスリッパだって、下駄だって何だっていい。要するに、出かけるときは「はきもの」はいてという話がしたいんだ。

旅といえばー

 むかし、むかし、そのむかし、それほど昔でもないかな、江戸時代。ほら東海道五十三次を旅した話「東海道中膝栗毛」という、やじさん、きたさんがでてくる話があるけれど、ああいう時代はバスや電車や新幹線なんていうのがなかったから、歩いて旅をした。
 旅といえば、「わらじ」だね。同じような時代に松尾芭蕉という俳人がいて、この人もいろんな所を旅した。旅装を整えることを「わらじをはく」という言い方をしたんだね。だから、旅から家にかえったり、旅館にとまったりすることを、「わらじをぬぐ」という。「わらじ」って知ってるよね。藁であんだはきものだよね。

 「旅をする」という言い方より、今は「旅行をする」という風にいうけど、同じようなことだけど、ちょっと違う感じもするよね。
 昔の旅というのは、どこに行くにも歩いていったわけだから、今と違ってとてもたいへんなことだったし、旅にでたら、もしかしたら、帰ってこれなくなるかもしれない、それほど大変なことだった。だからそんなに簡単にどっかに出かけるというわけにはいかなかった。だけど、今は違うね。海外旅行だって簡単にいける時代だもんね。

どこへいく?
 さて、旅でも旅行でもいいけれど、どこかに出かけるための支度をととのえるということこと、そこんとこを少し考えてみようかなと思うんだ。
 ところで、ミサの一番最後の言葉を憶えているかな。そう「ゆきましょう、主の平和のうちに」だね。どこへ行くんだろう、そんなこと考えたことある?でもこれはとっても大事な言葉なんだよ。簡単な言葉になってるけど、これは「このミサでいただいたお恵みをいっぱい体のなかにもって、さあ、キリストの福音をつたえるためにでかけましょう」そんな意味があるんだよ。

うれしいニュースを伝えよう

 だけど、どこかに出かけるためにはやっぱり準備がいるよね。旅行にいくのに、いろんな必要なものがあるのと同じように、福音を伝えるためにだって、ちゃんと準備しないといけない。福音というのはちょっとわかりにくい言葉だけど、英語でいうとGOOD NEWS、よいお手紙ってこと。うれしいこと、喜びを伝えるってことなんだ。だから福音を伝えるというのは喜びを伝えるということになるね。
 だけど、まず自分がうれしくないと人にはそのうれしさを言うことなんてできないよ。怒った顔して、「うれしい」なんて言えないものね。イエスさまのことを他の人話すとき、まず一番大事なことは自分がうれしいと思うことなんだよ。それが「ゆきましょう」と言われた時の一番大事な準備かもしれないね。

旅だちの準備はー
 エフェソの信徒への手紙のなかにこんな言葉があるんだ。

立って、真理を帯として腰にしめ、
正義を胸あてとして着け、平和の福
音を告げる準備を履き物としなさい。

 ほらこの言葉の中に「はきもの」というのがでてきた。英語の聖書なんかみるとサンダルはいてなんて書いてあるよ。わらじも旅用に紐がついたものがあって、長く歩けるように工夫したんだろうね。ちょっとわかりにくい言い方になってるけど、これは簡単にいうと出かけるための「はきもの」の準備をしなさいってこと。わらじの用意をしなさいってことなんだ。なぜ、こんな言い方をするのかというと、それにはちょっと意味があるんだ。

 「すぎこし」というのをおぼえているかな。「すぎこし」の話はいずれくわしく書くから楽しみに待っていてね。今はちょっとだけ解説しておこう。

 モーセという人を知っているかな。そして、イスラエルの民がエジプトから脱出する最後の夜の食卓のことを憶えているかな。「すぎこしの食事」だね。この祭の食事の3点セットは、小羊の肉とにがなと種なしパンだった。そして、「それを食べるときは、腰帯をしめ、靴をはき、杖を手にし、急いで食べる。これが主のすぎこしである」。つまりその食事をしたあとで、イスラエルの人たちはエジプトから出る旅に出たんだ。  旅に出る前の最後の食事は「靴」をはいて、旅の支度をととのえてしなさいということだったんだね。

 この「主のすぎこし」の食卓というのは、ミサのもとになったものなんだね。最後の晩餐も主のすぎこしの食卓でしょう。
 「さあ、立て。ここからでかけよう」、イエズス・キリストもこんな風に言っている。だから「くつ」をはいてというのは、どっかにでかける用意だから、これは本当はとっても重大なことなんだよ。

いい日、旅だち
 毎週ミサに出て、でりゃあいいってもんじゃない。ミサの終わりは、ゆきましょう、主の平和のうちに、これは終わりじゃなくて、旅だちのはじまりなんだね。あなたの足で歩いて、キリストの言葉を伝えなさいって、そんな大きな仕事をしなさいってことなんだ。
うーん、これはもしかしたら、とってもむつかしいことかもしれないね。はきものをはくっていうことは、あなたの足で歩きなさいってこと。キリストの言葉を身につけて、その喜びをもって、自分の足で歩きなさいってことなんだ。

歩きながら考えて
   さて、ここで素敵な言葉をプレゼントしよう。そして、ちゃんと歩いてみることを考えてみよう。

いかに美しいことか、山々をゆきめぐり、良い知らせを伝えるものの足は。
彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、
救いを告げ、あなたの神は王となられた、
とシオンにむかってよばわる。

 さあ、どんな靴をはきますか?サンダルそれともスニーカー?自分の 足にきちんとあった靴をはこうね。

わたしは平和をあなたがたに
残し、わたしの平和をあなた
がたにあたえる。
     ヨハネ14章31
 


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みんなのために・・

シンボル

 教会のシンボルといったら何だろうか?町を歩いていて、あっ、教会だ!とすぐわかるような印というと、そう、十字架かな。もちろん、十字架が見えない教会もあるけれど、カトリックの教会なら、背の高い塔や屋根、あるいは、壁などにでっかい十字架があるから、遠くからでもあそこに教会があるというのがすぐにわかるよね。

 外からそういう風にして見える十字架には、イエスさまの姿はないけれど、聖堂の祭壇にある十字架は、「ゴルゴダの丘」の十字架、イエスさまがはりつけにされた十字架だよね。初めて見る人はドキッとするかもしれない。だって、よく見ると、手のひらはくぎで打たれているとか、なんだかなまなましいものね。
 その十字架を眺めながら、ある日のミサの時、子どもにインタビューをしてみました。

●なぁ、なんでイエスさまは十字架につけられて死んだんやろ・・
○そりゃ、みんなのためにや。
●みんなって、だれや?
○人のためや。
●そりゃあ、そうやなぁ。そやけど、「あんたのためや・・」
と、こう言うと、
○そんなことボクが知らんとでも思ってるの?
と、申しましたので、
●あんたが1つずつ悪いことするたびに、イエスさまはあんたのために十字架の上で苦しんだはるんや・・わかってるかぁ。
と、言いますと、
○うん、わかってるわい。
と答えました。

罪をおかす

 「罪(つみ)」って何なんだと思う?大人だってそんな問かけに本当はうまくは答られないものなんだよ。わかっているつもりでも、言葉にして誰かにそういうことを説明するというのは、とてもむつかしいことなんだ。だけど、真人くんは、なかなかすごい答をしてくれたよね。

 だけど、もう少しだけ、聞いてよね。罪というのは、ただ悪いこと、そういうことじゃないかもしれない。もちろん悪いことをするのは「罪をおかす」と言うし、それは悪いことに違いない。だけどイエスさまの十字架には、それだけじゃない意味があるんだと思うの。それは、ちょっとむつかしい言葉だけれど、「あがない」という風に言うものなんだ。
 「あがない」というのは、これまたむつかしい言葉だね。今は、その意味なんか知らなくてもいいよ。そういう言葉があるんだってことを知ってくれたらそれでいい。

古い人と新しい人
 聖書の中に「古い人を脱ぎすて、心の底から新たにされて・・」とか、「日々新しく・・」とか言った言葉がたくさんでてくる。これは、キリストは十字架につけれて死んでしまったけれど、その死はただの死ではなくて、「あがない」の死、そして、キリストは復活して、新しく生きる・・ということを別の言葉で表現しているものなんだよ。  もちろん、「罪」をおかすというのは、とても悪いこと。だけど、悪いことをしてしまったと言って、そのことにずっとこだわり続けてしまうというのは、これがまた罪になってしまう。じゃあ、どうしたらいいのって。もちろん、悪いことをしたことは本当に反省して、誤らなくてはいけない。神様というのは、きっといつかは許してくれる。これは信じていてもいいことだよ。

痛み

 さて、ここからがむつかしいからよく聞いてよね。罪は神様が許してくれる、だけど、罪は帳消しになって消えてなくなってしまうわけではないんだ。何か悪いことをしたら、あー、悪かったなぁとそう思った、その「痛み」というのは、きっと心の中に残る。罪の中身は自分の心の中に痛みとして刻んでいくものかもしれない。「あー痛いなぁ」と自分が思うこと、それがイエスさまの十字架の苦しみのほんの一部なんだ。だから、その痛さは覚えておくほうがいいよね。
 「ゆるし」というのは、神様の恵み、そして、ゆるしは罪からの解放だよね。だけど、「罪」ということに束縛されたり、捕らわれたりしまったりすると、それこそいつまでも「古い」人ということになってしまう。

恵みは主から

 よく「お恵み」という言葉を聞くけれど、これは、棚からぼた餅なんていう言葉があるけれど、どっかから都合よく落ちてきたりするようなものじゃないよ。やっぱり、神様の言葉を真剣に聞いて始めてわかることなんだと思うよ。十字架とあがないと恵みとむつかしい言葉が並んでしまったけれど、まあ、そういう言葉があるんだってこと。

聞く人に恵みが与えられる
ように、その人を造りあげ
るのに役立つ言葉を、必要
に応じて語りなさい。
エフェソの信徒への手紙4・29




copyright/Chie Nakatani 中谷千絵
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