1996年「国際協力の日」メッセージ

 教皇ヨハネ・パウロ2世 1996年 国際協力の日メッセ−ジ

           違法状態にある移住者と教会

毎年、各国の教会は、それぞれの司教協議会で決めた日を「世界移住の日」とし、特に移住者のために祈り、献金することにしています。日本の司教協議会は、「世界移住の日」を「カトリック国際協力の日」とし、9月の第2日曜日を当てています。今年の教皇の「世界移住の日メッセージ」は、違法状態にある移住者を兄弟姉妹として受け入れる義務が特に部分教会(教区)にあることを明言しつつ、一人ひとりのキリスト者に連帯と協力を訴えています。  

 愛する兄弟姉妹の皆さん

1.今日、国際共同体や各国政府は、複雑な諸問題を伴った移住現象によって、かつてなかったほどの対応を迫られています。各国政府は一般的に、出入国管理法を厳しくし、国境の取締り態勢を強化することによって対処する傾向にあります。そのために、過去において移住がもたらしていた経済的・社会的・文化的発展という次元が失われてきています 。実際、出身国では、「他国への移住者」の状況についてほとんど話題にされなくなり、移住先の国々では「他国からの移住者」の引き起こす問題がますます話題にされるようになってきています。  移住は、社会的な緊急事態の様相を帯びつつあります。とりわけ、現行の管理態勢では違法状態にある移住者の増加を止めることができそうにないからです。違法入国は常にありましたが、しばしば黙認されてきました。それは、出世街道を走り安定した職について合法的移住者となる人々を引き寄せ、人材の流入を容易にしてきているからです。

2.今日、違法状態にある移住者の現象は、無視できないほどになってきています。その理由の一つは、経済の需要に比べて外国人労働者の供給が極端に多くなっていることが挙げられます。すでに自国労働者を吸収するのさえ難しくなってきています。もう一つの理由として、強制移住の広がりが挙げられます。何千人もの人々が、問題解決どころか、悪化する運命にさらされるような状況の犠牲者として耐え続けているのですから、移住という非常にデリケートな問題を扱うために慎重さが要求されるとはいえ、それについて沈黙したり、排他的になったりすることはできません。違法な状態にあるからといって、移住者の尊厳をおろそかにすることは許されません。だれもが他者に譲り渡せない権利をもっているのですから、彼らの尊厳が侵されたり無視されたりしてはならないのです。

 教会はキリストの使命を継続する 

 違法入国は防ぐべきです。しかし、違法入国者を食いものにする犯罪行為に対しては、断固として闘うことも必要です。長期にわたって堅実な成果をもたらす最も適切な選択は、政治的安定を促進し、低開発を改善するための国際協力です。移住の流れを大いに助長している現今の社会的・経済的不均衡を、避けることのできない現象として見るのではなく、むしろ、人類の責任感に挑戦しているものとして見るべきです。

3.教会は、キリストの立場に立って、違法状態にある移住者の問題を考えます。キリストは、散らされている神の子たちを一つに集め(ヨハネ11・52参照) 、差別されている人々を社会に復帰させ、遠くにいる人々を近づけるためにご自分を死に渡されました。キリストは、民族、文化、社会的地位に基づくのではなく、神の言葉を受け入れ、正義を探し求める共通の望みに基づいた交わりにあるすべての人々をまとめるために死んでくださったのです。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」(使徒言行録10・34〜35) 。  教会は、キリストの使命を継承して行動します。とりわけ教会は、法を尊重しながらも、その国の領土に留まることが認められない人々の必要をどのように満たすことができるかを自らに問いかけています。また、他国から移住してくる権利に相当するものを認めることなしに、他国に移住していく権利の価値がどこにあるのかも問いかけています。キリスト者の共同体は他国からの移住者に敵対する世論にしばしば感化されてしまいます。そこで教会は、どのようにしてキリスト者の共同体を移住者との連帯活動に参加させるか、という問題に懸命に取り組んでいます。

 移住者たちを援助する第一の方法は、彼らの状況を知るために彼らの話しに耳を傾け、たとえ彼らが国家の法規によってどのような立場におかれているとしても、必要な生活手段を供給することです。  したがって、違法状態にある移住者が滞在許可を得ることができるように、手続きに必要な書類をそろえるために協力することはとても大切なことです。社会福祉団体や慈善団体は、種々の事例に応じた合法的な解決策を探すために、当局と接触することができます。特に、長年その国に滞在し地域社会に深く根をおろして、出身国への帰還が逆の意味で移住の形になるような人々のために、この種の努力をしなければなりません。子どもたちにとっては、とりわけ深刻な結果をもたらしているからです。

 民族差別と外国人拒否は阻止されなければならない 

4.何の解決策も見いだせないような場合、それらの援助団体は、場合によっては物質的援助を提供しつつ、受け入れてくれる他国を探したり、母国に帰還するように彼らを指導すべきです。

 一般的な移住問題と、特に違法状態にある移住者の問題解決を探す上で、移住先の社会の対応が重要な役割を担っています。この見解から、移住者の出身国の実情や彼らが巻き添えとなった事件の真相、帰国すれば遭遇するに違いない危険などについて、世論に正確な情報がもたらされることは非常に重要です。移住者が被っている貧困と災難は、人々が寛大に援助しようとして行動を起こすもう一つの理由となっています。

 新しい形態の民族主義、あるいは外国人拒否行動の出現を阻止しなければなりません。それらは、地元が困難な状態になったとき、このわたしたちの兄弟姉妹たちを、「身代わりの山羊」にしようとするからです。  違法状態にある移住者がかなりの割合で増えているために、関係するすべての国の法律は、均衡のとれた解決のための負担を公平に分配するよう調整されなければなりません。家族とともに住む権利はどのような法律によっても奪われることのできないものです。ところが、家族の構成員の基準を狭める目的で行政的条例を用いることがあります。このような行政的条例は、不当に人々を違法状態に追い込むことになってしまいます。このようなことは絶対に避けなければなりません。  もし本国へ強制送還されれば、命にかかわる深刻な危険に身をさらすかもしれない人々には、十全な保護が確約されなければなりません。それは、たとえ彼らが、国際協定では予測されていないような理由のために母国から逃げてきたとしても同様です。

5.慎重な扱いを必要とする複雑な環境の中で、識別しながら行動しようとしている司牧担当者やソーシャルワーカーを助けるために、部分教会(教区)が考察を深め、指針を出し、情報を提供するようお願いします。

 問題の把握が先入観や外国人拒否の態度に左右されている時には、教会は、愛の優位性を証明する行動を起こして、兄弟愛の必要を叫ばなければなりません。  移住者の不安定な状況の中で特に福祉面に注目するからといって、違法状態にある彼らの中にもカトリック者が存在するという事実に注意を向けなくてよいということではありません。彼らは、同じ信仰の名において、しばしば魂の牧者を探し、神のことばを聞き、祈り、主の秘義を祝うことができる場を求めています。教区には、これらの求めにこたえる義務があります。

 教会の中ではだれも外国人ではありません。また、だれにとってもどこにおいても、教会は外国ではないのです。教会は、一致の秘跡、すなわち人類全体を結び合わせる力としるしとして、違法状態にある移住者が兄弟姉妹として認められ、受け入れられる場なのです。それぞれの教区には、市民社会の保護を受けられずに生きることを強いられているこれらの人々が、キリスト者の共同体の中で兄弟愛の温かさに触れていくことができるように働きかけていく義務があります。

 「お前たちは、わたしが旅をしていたときに宿を貸してくれた」 

 連帯とは、困難な状況にある人々に対する責任をとることを意味しています。キリスト者にとって、移住者とは、法律の規定の範囲内で尊重される単なる個人のことではありません。移住者の存在はキリスト者にチャレンジを促し、彼らの必要はキリスト者が自ら責任を果たすための義務となります。「あなたの兄弟に何をしたのか」(創世記4・9参照)。この問いへの答えは、法律によって押しつけられた枠の中に限定されてはならず、連帯によってつくりだされるべきものなのです。

6.人は、キリストの現存の秘跡そのものです。とりわけ、弱く、無防備で、社会から除け者にされている人はなおさらそうです(マタイ25・40、45参照)。ファリザイ派の人々は、自分たちの掟が定めている範囲を超えてまでイエスが救われた人々のことを、「律法を知らないこの群衆は呪われている」(ヨハネ7・49) と非難しました。実際、イエスは 、失われていた者を探し、救うために来られたのです(ルカ19・19参照) 。社会から追い出された者、見捨てられた者、拒絶された者を連れ戻すために来られたのです。  「お前たちは、わたしが旅をしていたときに宿を貸してくれた」(マタイ25・35) 。教会の務めは、主イエスのこの信仰の教えを絶え間なく提示するだけではなく、その教えを、時代の変遷が繰り返し引き起こしている様々な状況に応じて適合させることでもあります。今日、違法状態にある移住者は、あの「旅人」と同じようにわたしたちの前に立っています。イエスは、この「旅人」のうちにご自分を見いだしてほしいと願っておられます。その人を受け入れ、連帯することは、キリスト者がキリスト者として忠実であることであり、キリスト者にとっての義務なのです。  わたしはこれらの願いとともに、移住の分野にかかわっているすべての人々に、天の豊かな報いのしるしとして使徒的祝福を送ります。

教皇在位17年、1995年7月25日、バチカンにて

ヨハネ・パウロ2世

※ 聖書の引用は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』(1989年版) を使用しました。

    訳:日本カトリック宣教研究所、1996年4月25日


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