教皇ヨハネ・パウロ2世
1997年世界召命祈願日メッセージ
聖書に基づく信仰教育を刷新してください、より効果的な召命促進のために!
司教団の尊敬する兄弟の皆さん
全世界の愛する兄弟姉妹の皆さん!
1.来る世界召命祈願日は、紀元2000年の大聖年直前の一連の準備の内に位置づけられています。皆さんもご存じのように、1997年は、キリスト、わたしたちのために人となられた御父のみことばの神秘をめぐる熟考にささげられています。神のみことばにもっと親しむことによって、この熟考は進められなければなりません(ヨハネ・パウロ2世使徒的書簡『紀元2000年の到来』40項参照)。神の国のための奉仕に自分を徹底的に与え尽くすようにとの呼びかけに関しても、同じく聖書の内容について注意深く調べることの利点を認めないわけにはいきません。それで、わたしは、来る世界召命祈願日を機に、より効果的な召命促進にかなう聖書に基づく信仰教育をしっかり確立するよう、取り組みを新たにして熟考してほしいと強く望んでいます。
神のみことばは、物事の深い意味を明らかにし、日常生活でのいろいろな選択において、識別や方向づけによる保証を人間にもたらします。召命の促進という領域においても、聖書の啓示は、神がご自分の民のために特別な使命をお託しになったさまざまな人物の物語を伝えています。この啓示によってわたしたちは、神がどんな時代の男性にも女性にも呼びかけておられる、その招きの方法と性格をよりよく理解できるのです。
さらに、来る4月20日の召命祈願日は、教会にとって特別な意味をもっています。というのは、「ヨーロッパにおける司祭職・奉献生活の召命に関する会議」とほとんど期を同じくして行われるからです。会議はローマで開催されます。召命の活性化と評価という徹底的な作業を遂行しようとしているこの会議の推進者たちに、わたしは、今から心からの親近感を表し、心底から次のように願います。どうか一人ひとりがこのような重要な出会いの場を、それぞれの祈りをもって支えてくださいますように。この会議は、ヨーロッパの教会共同体のためだけではなく、それぞれの大陸のキリスト者のためにも確かに実りをもたらすでしょう。
2.救いのご計画を実現するとき、神は、人間に協力を求めることを望まれました。聖書は、救いの歴史を、ちょうど召命の歴史として述べています。その歴史のなかでは、主の招きと人間の応答がからみ合っているのです。実際、それぞれの召命は、二つの自由、つまり神の自由と人間の自由が出合うところから生じます。神のみことばによって個人的に呼びかけられ招かれた者は、神への奉仕に自分をささげます。このようにして旅路が始まります。困難や試練がないわけではなく、かえってそれらが神との親しさをますます深め、神の望みにいつもすばやく自分を明け渡すようにさせます。
召命へのあらゆる呼びかけにおいて、神は、みことばの深遠な意味を明かされています。みことばは、いのちの究極的な意味であるキリストがこの世に遣わされるまで、キリストのペルソナを徐々に明らかにします。「わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、いのちの光を持つ」(ヨハネ8・12)。したがって、御父のみことばであるキリストは、すべての男女が召命を理解し人生の旅路を検証するための、また自分たちの使命を霊的に豊かに実らせるための模範なのです。
信仰教育においてそうであるように、聖書を個人的に読む時にも、本文の意味を照らしてくださる聖霊にいつも耳を傾ける必要があります(2コリント3・6参照)。聖書の真価と聖書が要求しているものをわたしたちがつかめるように力を貸し、みことばを生きたもの、現実に即したものとしてくださるのは、聖霊なのです。「聖書は、それが書かれたのと同じ霊の光のもとに読まれ、解釈されなければならない」のです(第2バチカン公会議『啓示憲章』12項)。
それで、召命という観点からの聖書に基づく信仰教育は、聖霊に従い、聖霊に素直な態度を取ることが求められます。聖霊の光に満たされた者だけが、教会のなかにある召命の芽を成長させることができるのです。修道会や奉献生活の会の男女の創立者の経験が証明しているとおりです。この方々は、多くの男性や女性が主の招きを見いだし、それにこたえるように力を貸したのです。
3.現代のわたしたちの文化において、特にキリスト教の古い伝統を保っている社会では、みことばへの奉仕は、以前にもまして大事な今日性、緊急性を帯びています。たびたび皆さんに思い起こさせてきましたように、わたしたちすべてがかかわる新たな福音化の時代を、わたしたちは、今日、生きているのです。かつてないほど世俗化した世界においては、刷新された方法での「教会の植えつけ」は、召命の体験を可能にするための常に必要な条件として、勇気をもって推し進めていかなければならないものです。
適切な方法を使った信仰教育は、信仰を自覚させ、活性化し、また成熟させることを可能にします。そして、日々の体験のなかに神の呼びかけのいろいろなしるしを読み取るように導くのです。レクチオ・ディビナ(聖書を読むこと、教父による聖書注解や説教を読むこと)は、神のみことばに耳を傾けて神と出会う特別恵まれた機会として大変有効です。このレクチオ・ディビナは、修道会の多くの共同体で実践されているので、神のご計画に自分自身の生涯を合わせたいと望んでいるすべての人に適合する方法として勧めることのできるものです。神の啓示に耳を傾けること、また沈黙の瞑想、観想の祈り、そして生活体験のなかでその意味を見いだすことは、召命の真の育成を進展させ、開花させる土壌となります。
この光に照らされて、聖書とキリスト者の共同体とを結びつけることは、ますます重視されてきています。みことばに耳を傾けることによって、神のみことばであるキリストに人々は心を開いていき、共同体づくりに貢献するのです。共同体のメンバーは、このようにして内面から自分たちの固有の召命を見いだし、また信仰と愛をもって寛大にこたえるために互いに育て合うのです。「弟子」となった信仰者のみが、「神のすばらしいこと ば」(ヘブライ6・5)を味わうことができ、特別な福音的生活への招きにこたえることができるのです。
4.個々の召命は、個人的な出来事で、独自なものですが、教会の出来事、共同体の出来事でもあるのです。だれ一人として、単独で歩くように呼ばれてはいません。それぞれの召命は、キリスト者の共同体へのたまものとして、主が奮い起こしてくださるものです。キリスト者の共同体は、それを生かすことができなければなりません。したがって、直接の当事者には、召命の道に同伴してくれる共同体の責任者たちの力を借りて真剣に識別することが求められるのです。
司教団の尊敬する兄弟の皆さん、わたしの思いは皆さんの上にあります。皆さんは、教会の牧者として、召命を活性化する第一の責任者です。皆さんのエネルギーをすべて召命のための奉仕に使ってください。聖霊の力に助けられて、皆さんの教区共同体が、召命の問題に関与していることを意識し、神の一つ一つの呼びかけに対する教会としての次元に気づくよう導いてください。
若者のための信仰教育が、明確に召命を指向するようにと望みます。若者たちが神のみことばに照らされて、自分の召命の可能性を受けとめ、神の国のために徹底的に自分を与えることがどんなにすばらしいものかを感じ取ることができますように。司祭職、男女の奉献生活、宣教生活、観想生活への召命促進を、勇気をもって奨励してください。本当に呼びかけを受けている人々が、貴重な、また特別なたまものを発見することができるためです。この貴重で特別なたまものは、主がこの方々をいつくしんで与えてくださるものなのです(マルコ10・21参照) 。
5.教区司祭、ならびに修道会司祭の皆さん、あらゆる手段を使って、信徒たちが聖書に対する愛と理解を深めるよう、力を尽くしてください。また、信仰教育に含まれる召命の側面について、絶えずいろいろな配慮をはらってくださるようにお願いします。崇高な聖書から汲み取る信仰こそ、信仰者の「生き生きとした記憶」であることを確信して、若者たちが、神のみことばに耳を傾けることをますます大事にするよう尽力してください。
修道者の皆さん、わたしは、皆さんがキリストへの徹底的な奉献を喜びをもってあかしすることを、緊急なこととして呼びかけます。共同体で分かち合われた神のみことば、また兄弟たち、特に若者たちが寛大に奉仕することによって体験した神のみことばが、絶えず皆さんに強く訴えかけるものを受けとめてください。神のみことばに照らされた、兄弟的で愛のこもった雰囲気のなかでは、呼びかけに「はい」と答えることは、ずっとやさしくなるのです。
わたしは、小教区、カテキスタ、協働団体、運動団体、使徒職にかかわる信徒の皆さんが、聖書に真に親しむように勧めます。みことばに耳を傾けることは、召命を開花させるすぐれた道であることを心に留めているからです。小教区の信仰教育においては、とりわけ召命グループを置くことによって、召命のために必要な場を与えてください。同様に、一年の典礼暦を通し、召命の目的に向けて勘案された独創的な聖書に基づく信仰教育と祈りを奨励してください。黙想会や学校の練成会も十分に大切にしてください。聖霊の絶えざる働きに広く心開いた態度をもって、神のみことばを愛を込めて理解し、それによって、それぞれのキリスト者の信仰を養う必要があるのです。
6.しかし何にもまして、わたしが話しかけたいのは、若者の皆さん、皆さんに対してなのです。キリストは、ご自分の救いの計画を実現なさるために、皆さんを必要としておられます! キリストは、皆さんの若さ、福音を告げ知らせようとする皆さんの寛大な熱意を必要としておられるのです! この呼びかけにこたえて、キリストに、そして兄弟姉妹たちに、皆さんの生涯をささげてください。どうかキリストに信頼してください。キリストは、皆さんの望みや計画を裏切るようなことはなさらず、むしろ存在の意義を皆さんに与え、喜びで満たしてくださいます。「わたしは道であり、真理であり、いのちである」(ヨハネ14・6)と、キリストは言っておられるのです。
信頼して、皆さんの心をキリストに明け渡してください! 聖書を尊重し、日々耳を傾けて、キリストの存在を皆さんのうちにますます確固としたものにしてください。聖書は、いのちの書であり、また、なし遂げられた召命の書でもあるのです。
7.親愛なる兄弟・姉妹の皆さん、このメッセージを終わるに当たり、わたしは、すべての信仰者がわたしに一致協力してくださるようにお願いします。神のかたわらにあって何でもおできになる御方の名によって、絶え間のない祈りの声を上げるためです(ヨハネ3・35参照)。御父の生けるみことば、またわたしたちの弁護者である御方が、わたしたちのために執り成してくださり、教会のために司祭職、および奉献生活に多くの聖なる召命をくださいますように。
聖にして、すべての善の源である父、
あなたは、ぶどう畑の主、刈り入れの主です。
あなたは、一人ひとりにその仕事にちょうど見合った報酬をくださいます。
あなたの愛の計画において、
世の救いのために、あなたとともに働く男女を招いておられます。
わたしたちはあなたに感謝いたします、
あなたの生けるみことば、イエス・キリストをいただいたことを。
キリストは、わたしたちの罪をあがなってくださり、
わたしたちの貧しさのうちでわたしたちを助けるために、
わたしたちのうちにおられます。
羊の群れを導いてください。
この群れに、あなたは神の国を得させると約束してくださいました。
あなたの畑の刈り入れに、新しい働き人を送ってください。
牧者たちが、救いの計画に忠実であり、
召命に忍耐をもってかかわり、そして聖なる生活を送るように励ましてください。
キリスト・イエス、
あなたは、ガリラヤ湖の岸辺で使徒たちを招かれ、
彼らを教会の礎、あなたの福音をもたらす者とされました。
どうか今日も、歴史の旅の途上にあるあなたの民を支えてください。
司祭職、また奉献生活の道において、
あなたに従うようにと招かれた人々を励ましてください。
みことばの英知をもって、神の畑を肥えたものとすることができるためです。
彼らを、兄弟姉妹たちへの日々の奉仕において、
あなたの愛に素直に従う道具としてください。
聖性の源である聖霊、
あなたは、すべての信仰者、とりわけ、キリストの奉仕職に招かれた人々の上に、
あなたのたまものを豊かに与えてくださいます。
若者たちが、神の呼びかけのすばらしさを発見するように力を貸してください。
どうか、彼らに本当の祈りを教えてください。
祈りは、神のみことばによって育てられます。
時のしるしを読み取ることができるように、彼らに力を貸してください。
福音の忠実な代弁者、救いをもたらす者となるためです。
みことばに耳を傾けられたおとめマリア、
胎内に人となられたみことばを宿されたおとめ、
わたしたちが、主のみことばに自分を全く明け渡すことができるよう力を貸してください。
そうすれば、みことばは受け入れられ、黙想され、
わたしたちの心のなかで育っていきます。
わたしたちが、あなたのようにキリストの教えられた信仰者としての幸いを生き、
あなたの御子を探し求めているすべての人に福音を伝えるために、
惜しみない愛の業をもって自分自身を奉献できるよう、力を貸してください。
どうかわたしたちを、全人類に奉仕する者としてください。
すでに受けとめたみことばの使者としてくださいますように。
そうすれば、みことばに忠実に留まって、
みことばを生きることに幸せを見いだすことができるでしょう。
アーメン!
召命促進の責任者、および推進者の皆さん、また、神のあらゆる望みを探し求めている青年男女の皆さん、特別な奉献生活に招かれている皆さんに、わたしは、愛を込めて特別な使徒的祝福を送ります。
1996年10月28日 バチカンにて
ヨハネ・パウロ2世
※聖書の引用は日本聖書協会『聖書 新共同訳』(1991年版)を使用しました。ただし、 漢字・仮名の表記は本文に合わせたことをお断りいたします。
訳:日本カトリック宣教研究所 1997年3月7日
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