黒豆のケーキ

お正月は何はなくとも、とにかく「黒豆」を炊くのですが、丹波の黒豆2袋をた
きました。で、ぼちぼち食べていたのでは家だけでは食べ切れない、というわけ
で少々おすそわけもしているのですが、それでもまだ(笑)
そこで何かに利用できないかと考え、ケーキに焼きこんでみることにしました。
本体はただのドーナツ型で焼いたバターケーキなのですが、黒豆をちらしてみま
した。ところがこれがけっこういけるではありませんか。
ケーキの下のほう黒い点のように見えるのが黒豆。

 

2008年ウィーンフィルニューイヤーコンサート

2008年になりました。
新年おめでとうございます。

1月3日になって、ウィーンフィルニューイヤーコンサートを見ました。1日の
生放送をビデオに取っておりました。いつの頃からかお正月にはウィーンフィル
ニューイヤーコンサートを見るというのが私の定番のお楽しみ。

今年の指揮者は、なんと83才というフランス人のジョルジュ・プレートルさん。
なじみのない方でしたが、なんと楽しいコンサートだったことか!
指揮の方がフランス人ということでフランス好みもあったでしょうが、ヨーロッ
パ全地域を意識したような選曲で、ほんとうに楽しかった。
今年はサッカーのヨーロッパ選手権が開催され、オーストリアは開催国で、初出
場ということもあり、これを祝福してのサッカー味がとても楽しかったです。

このコンサートではいつもバレエを見るのも楽しみなのですが、今年は「美しき
青きドナウ」の最後でバレリーナが会場に登場。客席の通路で踊るのには本当に
びっくりでした。いつもバレエと音楽をどうやってあわせているのだろうと思っ
ていたのですが、こんな演出はほんとうに最高によかった。

さてしめくくりは定番の「ラデツキー行進曲」。いつもの年よりも客席とオーケ
ストラが一体になっていたような感じで、すばらしく華やかなニューイヤーコン
サートでした。

今年もまたこのビデオを折にふれて楽しむことだろうと思います。
今年は、どんな年になるのかな。

 
    

最近ちょっと感動してしまったこと

先日(2月17日のこと)、なにげなくテレビで日本アカデミー賞の受賞式を見
ていました。見ようと思ってみていたわけではなく、そこにチャンネルがあって
いたのでしばし見入ってしまったというわけ。
私は映画はほとんど見ません。映画が嫌いなわけではないのですが、実は、何を
隠そう(笑)映画館が嫌いなのです。嫌いというよりは映画館という場所が苦手
というほうが当たっているのかもしれませんが。でも、生舞台というか、劇場は
こよなく好きなのですが、映画館だけはなぜかダメなのです。

したがって映画にはほとんど縁のない生活をしているのですが、そうか、「日本
アカデミー賞なのか」と、なんだかキラキラした雰囲気をしばし楽しんでおりま
した。
主演男優賞の発表。「明日の記憶」という作品で、渡辺謙さんが受賞されました。
そして、短いスピーチ。そのときの言葉にかなり感動してしまいました。

渡辺謙「周囲に感謝」/日本アカデミー賞

「平成元年、大きな映画を断念し、病院のベッドの上にいました。いつか主演映
画で日本アカデミー賞の壇上に立ってスピーチするんだとイメージトレーニング
をしていました」。

渡辺謙さん、29才の時に、急性骨髄性白血病で入院しておられた。その時に
いつか必ず日本アカデミー賞の舞台で挨拶をしたいと病院のベットで、その日
のことを心に描きながら、病気と戦っていたというあいさつだったのでした。

いつの日か、それははるか彼方にある遠い日かもしれないけれど、
いつか必ずそうありたいと思う自分の姿をみつめつつ、努力を重ねることはとて
も大事なんだとつくづく思った。妙に感動してしまったスピーチでした。
2007/02/18

2007年の節分に


        

だるまさんの行列    縁起物のさしだるま   だるままんじゅう


近くのだるま寺に行ってきました。

京都 法輪寺(だるま寺)

よく前を通るのですが、この季節になると、そうか、そんなに有名なお寺だった
のかと改めて気がつきます。
小さなお寺ですが、けっこうな人出でした。
お茶の接待があったので、御馳走になりましたが、何やら甘くておいしくて、
とても暖まるお茶でした。どんな茶葉を使っているのかとお聞きしましたら、
普通のハト麦茶に小量の砂糖を入れているということでした。
境内には縁起物の「だるま」さんがいっぱいで、「赤」が目につきますから、
ああ、春なんだなぁという雰囲気がただよっていました。
名物はやっぱり「だるままんじゅう」、だるまの押し印があって、この時期にし
か買えないおまんじゅうです。
今年は寒いとはいえ、いつもの冬に比べると、やっぱり暖かいかなとも思います。
それでも春はやっぱり待ち遠いですね。2007/02/03



「千の風になって」という歌

2006年の大晦日、紅白歌合戦でこの歌を聞いてしまった。偶然に遭遇してし
まったのだと思うよ。だって、それまで紅白歌合戦を見ていたわけではなく、あ
ちこちのチャンネルをパチパチやって、あちこちのテレビ局の年末番組を別にど
うってことないねぇと言いながら、あまりおもしろくテレビを見ていたわけじゃ
ないのですから。偶然にも某HK にチャンネルがあってしまった瞬間、なんだか
オペラの歌手が歌うらしいよ、へぇ〜、そうなん、何歌うの?くらいの興味でチャ
ンネルが紅白歌合戦にあわせたままになったとたん、妙に場違いな感じの歌が流
れてきたのだった。うん?何これ?

私のお墓の前で泣かないでください

なんだか衝撃的だった。無言のまま目はテレビに釘付けになってしまったのだ。
テレビの画面の下に詩が流れる。
はぁ〜?!?!

何?この歌はいったい何?と心のなかで焦ったね。

その後、この歌の CD が爆発的に売れたようだ。
そういうことにはミーハーになってしまう私!思わずシングルCD を購入してし
まったのだ。しかし、買ったはいいがあまり聞く気分にはなれないから、まる
で聞いてはいないのだ。
聞きたい気持ちはあるが、正直あまり聞きたくないのだ。
いま、私の手もとには、この歌の訳をした新井満の「千の風になって」という本
もある。
あの紅白で受けた衝撃は何だったのだろうと CD を手にしてからふと思う。
多くの人に感動をもたらしたというこの歌、もちろん気持ちは十分すぎるほど理
解できるのだ。
しかし、私の心はそれほど素直には、この歌に反応していない。
はじめて聞いた時の衝撃は忘れられないが、本当のところは、かなり違う思いが
あるのだ。
なんとなくこの歌について毎日考えていた。なんとなく気になって、いろいろあ
れこれ考えてはいたのだ。
そうしたら、ふと、まるで違った詩が頭のなかに浮かんできたのだ。
それは、谷川俊太郎の「死んだ男の残したものは」という詩だ。
60年代、フォーク全盛の時代に、武満徹がこの詩に曲をつけて、
高石ともや、森山良子、デューク・エイセスらが歌っていた反戦歌である。

死んだ男の残したものは
一人の妻と一人の子供
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

全部で5連の部分からなる詩である。

死んだ男の残したものは

「千の風になって」の衝撃は、たぶん、その詩が「死者の視点」であるというか
らかもしれないとも思う。死者が生きているものへ語りかけているメッセージだ
から、本来ならあり得ない視点からの言葉がとても強烈に印象に残り、驚いたの
だと思う。死者自らが生きているものへ語りかけてくれるというのは、なぐさめ
があり、癒しがある。
しかし、私の心にはぴったりしないのだ。
わかる、わかるんだけれど、何かちょっと違うんだなぁという妙な溝を感じてし
まうのだ。

「死んだ男の残したものは」ではじまる5連の詩。
こちらも何やら気になって、最後までゆっくり読んでみる。
すると、いままでこの詩を私は勘違いしていたように思うのだ。
最初の強烈な言葉で、この詩の本当の心を見ることがなかったような気がする。
この詩は、死んでいったものがいま「生きてる私」に何かを托している詩なのだ
と気がついた。
自分には果たせなかった夢や希望、そして平和を、「あなた」もまた戦って勝ち
取って欲しい。本当ならあなたに平和を残したかった。でも、私は望みを果たせず、
何も残せず、死んでいった。「あなた」に私の夢を托そう、力の限り生きて欲し
いという詩なのではないかと、気がついたのだ。
そうなると「何も残さなかった」どころではない。あまりある「何か」を残して
いるではないか。それが最後のこの部分に連なるではないか!

死んだ彼らの残したものは
生きてる私 生きてるあなた

いま、私はどちらの詩に思いを寄せるかと聞かれたら、
「千の風」のあいまいなやさしさではなく、
力を感じる「死んだ男の残したものは」という詩を選ぶだろうな。
2007/01/21

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