この文書は、 技術評論社発行: 1999年Linux x BSD Hyper Press夏号Vol.1 Linux 「日本語化の歩み」 というタイトルで掲載したものです。 (テキスト版のみ) -------------------------------------------------------- Linux の日本語環境開発整備の歩み --------------------------------------------------------- 1991年10月5日 最初の公式版Linux である v.0.02が発表された。 1992年頃にはSLS(*) のパッケージが入手でき、 日本語環境ではkon やnemacs(日本語Emacs)などがftpで入手できた。 1992年7月21日NIfty-ServeでTowns Linux-0.96c-PL1-TL0 αテスト版が公開。 1992年7月25日 Nifty/FFMPROにLinux porting Lab. 会議室が誕生 (FM Towns関連フォーラム)。1994年から Nifty/FFMHOBへ移行。 1993年頃からPC/AT機が一般的に普及し始める。 1993年5月 Nifty-Serve funixにLinuxの会議室が開設された。 1993年7月5日 JEパッケージ公開。 JEパッケージは1998年JE-0.9.8a で終了。 1993年 8月 Linuxの日本語FAQを収集してまとめるため、 JF(Japanese FAQ)Project 結成。 1993年9月 「Linux情報メモJapanese INFO-SHEET」 が公開され、以後定期的に更新される。 1993年10月15日 META FAQ日本版(JMETA-FAQ)の最初の公開版。 1993年10月頃からJFでLDPのHOWTOの翻訳活動が活発になる。 また、Niftyの参加者がJFの活動へ参加するようにもなった。 1993年12月 Linux v. 0.09リリース 1994年3月14日 Linux v.1.0リリ ース 1994年3月 Linux Journal創刊号 1994年2月 Laser5版日本語Linux + JE(JE2)発売。 ソフトウェアデザイン誌1994年3月号にLinux のインストールについての 記事(*)掲載。 1994年9月 Laser5版 日本語 Linux + JE(JE3)発売。 Slackware V.2.0 がパッケージに収録される。 1994年11月4日 Linux Japanese Extensions HOWTO V1.10 1994年12月21日 Linux FAQ 日本語版 (英語版 FAQ 1994/12/21 の翻訳)が公開 1994〜1995年頃からインターネット接続サービスをする「プロバイダ」が登場し、 ppp接続サービスを始める。 1995年2月 Linux Gazette 創刊号 1995年7月 Linux 用に移植・開発された日本語環境で動くゲームや お遊びのソフトを集めたパッケージ JG(Japanese Games and amusements)が Unix User(ソフトバンク社)95年8月号の付録CD-ROMになる。95年7月8日発売。1995年9月18日 Netscape Navigator 2.0発表 1995年9月 Slackware3.0 ELF版が登場 1995年11月11日 Run Run Linux 初版 アスキー出版局 1995年11月 Windows95 発売。 1995年12月2日 Linux + JE4 (JE4)パッケージ Laser5 から発売。 1995年12月4日 Linux の創始者 Linus 氏初来日。 1996年 3月 FreeBSD 用の日本語文書の収集を進めるプロジェクト(jpman)発足。 1996年11月 Linux Japan 創刊号発行 1997年 1月 FreeBSD オンラインマニュアル翻訳プロジェクト(jpman)のページ公開。 1997年 2月 一般ユーザを対象にしたLinux Users MLスタート 1997年3月16日 Jman(JM)プロジェクトからLinux 日本語マン・ページ Version 0.1 初版公開 1997年11月5日 plagia-alpha4 1st print 配布 (98/05/24 に Plamoに改名) 1997年12月6日 PJE-0.1PJE リリース 1997年12月 TurboLinux1.0 リリース 1998年10月11日JMおよびXJMANで日本語に翻訳したマニュアルの検索ページ公開 1998年10月14日 JMの活動から、X Window Systemに関連したマニュアル群を 日本語に翻訳するプロジェクト XJMAN 発足。 1998年11月 Eric S. Raymond氏が Goodbye, "free software"; hello, "open source" を発表。 1998年11月11日 Linux-users ML FAQ Ver 0.6がまとめられた。 1998年11月16日RedHat Linux 5.x をベースにしたVine Linuxリリース 1998年12月 Linux Conference '98開催 1999年3月18日にVine Linux 製品版発売決定。 1999年4月 1日 日本 Linux 協会設立 1999年6月18日 Vine Linux 1.1CR(Commercial Relese)発売。 ---------------------------------------------------- * SLS Softlamding Software(SLS)のパッケージ * ソフトウェアデザイン 1994年 3月号「Laser5 版 日本語 Linux + JE」 Linux日本語化の歴史 (1) 私がLinuxと出会ったのは 1995年のはじめのことでした。私自身がたどっ てきた足どりを思い起こしつつ、日本でLinuxの日本語環境が作られていっ た歴史を振り返ってみたいと思います。 私は、1993年の12月にPC/AT機486,66Mを購入し、しばらくwindows3.1を使用 していましたが、1994年にWindowsNTの最初の版が発売された頃に、ほぼ同時 に発売されたIBMのOS/2 Warpにはまり込んでいました。OS/2 Warpは複数のOS を起動できるブートマネジャーを備えており、それが私にLinuxと出会うきっ かけを作ってくれたのです。OS/2 Warpをインストールする時に、ハードディ スクを3つのパーティションに分けました。1つめにPC-DOSを入れ、2つ目に OS2 Warp の本体をインストールし、さて、3つ目のパーティションに何を入 れようかとNifty-serveの会議室でつぶやいておりましたら「それはもう Linuxしかありません」と答えてくださった方がおられました。そこで始めて Linuxという名前を知り、それは私にとても大きな影響を与えてしまうものに なったのです。 1995年の春頃にLinuxをインストールしようと思い、何か参考書がないかと 書店の書棚を見に行くと、当時「Linux」という単語が使われている本は 私が見る限り3冊(*1)きりしかありませんでした。そのうちの1冊、小山裕司 他著「Linux 入門」(発売:星雲社)を購入しました。付録についていた CD-ROMのLinuxが私が最初にいじったLinuxでした。Slackware2.1、 kernel1.1.59 でした。 (*1) 1955年の3冊とは、 「Linux 入門」PC互換機の最新UNIX環境 小山裕司、斎藤靖、佐々木浩、中込知之 著 アジソン・ウェスレイ・パブリッシャーズ・ジャパン 発売 星雲社 1995年2月10日初版第1刷 「Linux を256倍使うための本」生越昌巳、大内和博、阿部博信 共著 アスキー出版 1995年3月21日初版 「お気軽極楽 Linux」丸池 樟 著 (2) Linux はヘルシンキ大学の学生であったLinus B.Torvldsさんが開発した UNIX互換のOSです。最初の公式版Linuxである 0.02がリリースされたのは1991 年10月5日。Linux 0.02は「OSと386に興味があってMINIXが使えるハッカーを 対象にしている」(*2)というものでした。1992年7月21日にはNifty-Serve で TOWNS Linux(*3)用Linux-0.96c-PL1-TL0 αテスト版(初版)が公開(*4)され ており、またkonやnemacsような日本語ソフトがftpで入手できるようになって いたそうですから、Linuxをめぐる日本での動きは、Linuxの公式版がリリース されたのとほぼ同じ頃にはじまったと言えます。 インターネット上には、日本のLinux関連のニュースグループfj.os.linux や Linux MLが生まれ、1992年7月にはNifty-ServeのFM Towns のフォーラム FFMPROにLinux porting Lab. 会議室が誕生し、1993年5月には、 funix に Linuxの会議室が開設されました。funixのLinux 会議室はATマシンにLinuxを インストールしようとする人たちの情報交換の場となりました。この頃は、 SLSやYggdrasilのようなパッケージがよく使われていたようですが、 Anonymous FTPが現在のように自由に使えるわけでもなく、モデムも V.32bis(14400bps)が早いクラスのモデムだった時代だったわけですから、 Linuxもそれほど簡単に手に入るものでもありませんでした。Super ASCIIや日 経MIX、またFIBMPROなどではLinuxの回覧が行われたり、1993年8月頃には、 Nifty-serve funixのLinuxフォーラムでもLinux を使ってみたいという希望者 をつのって、自分たちでCD-Rを作成して配布(Linux 0.99pl9)するというよう なことも行われていました(*5)。 このような状況のなかでLinuxユーザは次第に増えていき、Nifty-serveのFFMPRO では、初心者のためのマニュアル作りや会議室での質問をまとめる作業などが 行われるようになりました。また、1993年8月にはfunixのLinuxフォーラ ムでも参加者を募って、Linux FAQの日本語訳作成に本格的な取り組みがはじ まりました。これが現在のJFの始まりでした。このようにしてユーザコミュ ニティのなかに、日本語パッケージの作成や日本語マニュアル文書の公開ある いはプロジェクトの結成といった活動が生まれていきました。 1993年7月には、JEパッケージの最初の版がリリースされており、8月には JF(Japanese FAQ)Project が結成されています。1993年9月に「Linux情報メモ JapaneseINFO-SHEET」(著者:山崎康宏)(*6)が公開され、同年10月には、日本 語環境でLinuxを使用する際に役立つ情報源を列挙している「META FAQ日本版 (JMETA-FAQ)」(著者:小野哲)(*7)の最初の版ver 1.0が公開されています。こ れらの文書は初期の頃にLinux関連ML やニュースグループ、あるいはパソコン 通信のフォーラムでかわされた話が煮詰まっていった結果、書かれるべくして 書かれた文書であるとも言えるのではないでしょうか。 1994年2月にはLaser5版日本語Linux +JE(JE2)パッケージが発売されました。 このパッケージに収録されていたものは、PC/AT互換機用kernel、FM Towns用 kernel、SLSパッケージ、JEパッケージ、その他(XFree2.0)、SLSパッケージと JEをインストールした環境、各種ドキュメントでCD-ROM は1枚でした。このパッ ケージにはインストールのための解説書は添付されておらず、ソフトウェアデ ザイン誌の記事(*8)には「疑問があればパソコンを通信を通じて質問するのが よいでしょう」と書かれていますから、当時Linuxについての情報を得るため にパソコン通信の会議室はとても大きな役割を果していました。 最近の日本語用パッケージは、インストールのための印刷された日本語マニュ アルが添付されていますし、インストール時から日本語のガイドで作業ができ るようになり、そして特別な設定をしなくてもインストール直後から日本語が 使える環境を得ることができます。日本人が日本語用Linuxを使う、現在では それがごくあたり前のことになりましたが、そのあたり前の環境を作りあげる ためにLinuxのユーザたちは自ら無償の活動を行ってきました。Linuxコミュニ ティの活動としていくつものプロジェクトが作られ、そのようなプロジェクト に参加した多くのボランティアの方々の熱心な働きがありました。とりわけ、 Linux が公開された1991年から1993年頃の日本でのLinux先駆者の方々の熱気 ある活動は、現在の日本のLinux界を支える土台となりました。 1993年から1994年にかけて日本語環境でLinuxを使うために、さまざまなア プリケーションの開発や、 Linux日本語文書の作成や翻訳活動がさらに活発 になっていきます。JFとは、JapaneseFAQの略号で、そもそもは初心者向けの 日本語マニュアルの作成やLinux FAQやman pageの和訳、また、Linuxを使 うための助けとなる日本語文書を作成し、また収拾する活動を行うために結成 されたプロジェクトでしたが、 LDP(*9) の英語文書を翻訳する活動も加わり、 JFには日本語で読むことができる入門文書やマニュアル、そしてHOWTO文書な どが蓄積されていきました。 1995年、私がはじめてインストールしたLinuxでは、日本語環境を作るた めにSlackwareのインストールは2段階の手順が必要でした。Linux本体をイ ンストールしたあとで JEパッケージをインストールしました。JEはezinst という日本語対応のインストーラをまず先にインストールし、それからJEの 各種パッケージから必要なものを選択し、インストールしたわけです。そして すべてのインストールが終ったあとで、さらにまたさまざまな設定を設定ファ イルに追加してやらなければなりませんでした。その頃Nifty-Serveのfunix の会議室では、「muleで日本語入力サーバcannaが起動しません、どうやっ たら日本語入力ができますか」というような質問もよくみかけました。私自身 もはじめて触ったLinuxでmuleすら満足に使えない状態の時に、「cannaの 起動のために /etc/rc.d/rc.localに以下の記述を追加します」(『Linux 入門』 :星雲社364ページ)という説明の通りにしようとして、たった4行ほどの記述 を加えるだけなのに、muleのキーが満足に使えず四苦八苦してcanna起動の ための記述を加えたことを妙に懐かしく覚えています。 「日本語入力ができる」状態を得て、それからインターネットに接続できる ようにし、そしてnetscapeをインストールしてもそれは英語版しかなく日本 語のホームページを日本語で表示してくれる版を手に入れるまではまだしばら く待たなければなりませんでした。1995年11月頃に私はホームページを開設 しましたが、日本語のページを見るためにはMosaicもインストールしてい ました。そのような日本語環境のもとでは、 manコマンドで表示されるオン ラインマニュアルも当然ながら英文のマニュアルが表示されたわけで、当時の Linuxでは日本語環境を持ったアプリケーションのほうがまだ珍しかったわけ です。それでもmuleで日本語入力ができ、そのうちsendmailの設定もでき てメールの送信受信もできるようになりましたし、dicで英和和英辞書を使う ことができました。  また、この頃の思い出深い文書としてはNifty-serveのfunixにあった「Linux でパソコン通信をする方法」(*10)や 「MS-DOSユーザのためのLinuxの基礎知 識」(*11)という文書があります。これらの文書を参考にkermitが動くようにし、 日本語でパソコン通信をすることができました。当時Nifty-serveの会議室では nifty4u(*12)の設定についての質問も多い時期でした。そして、さらに playmidiでmidファイルを演奏することもできましたから、私にとっては、 Linuxの日本語環境が多少不十分であってもそれは不便なことでも困ることで もなくて、むしろLDPにあるLinuxの英文のHOWTOやmini-HOWTO文書にじか に触れることでUnix OSを使う醍醐味も味わえた楽しい時代だったのだろう と思います。そのような文書を参考に自分のマシンに入れたLinuxの設定に はまりこんでいました。必要に迫られてLDPにあるHOWTO等の文書に目を通 していたわけですが、せっかく読むなら隅々まで読んでみるのも悪くないと思 い、1996年5月にJFに参加しmini-HOWTOを中心にいくつかのLinux文書の日 本語訳を作らせて頂きました。 (*2) Linuxが生まれた頃ついては Linux HISTORY 1993年 9月11日 (深瀬 長彰)和訳 http://www.linux.or.jp/JF/JFdocs/linux-history.html 0.01 から0.96 が出るまでの経過についてcomp.os.minix に投稿された Linusさんのメールを和訳したものです。 (*3) TOWNS Linuxとは、LinuxをFM TOWNS 上で動作するように移植したもの。 TOWNSに関する記事は、ソフトウェアデザイン 1994年8月号からの連載記事 「Let's Enjoy Linux!」で、HELLO TOWNS WORLD!というタイトルで10回に わたり掲載されました。 また、Let's Enjoy Linux!の著者、片山さんはTOWNS Linuxの歴史をまとめた ページを公開されています。 http://web.kuicr.kyoto-u.ac.jp/~katayama/linux/history.html 1989年FMTOWNS モデル 1, 2が出た頃から 1995年までのTOWNS 関係の詳しい年表があります。 (*4) TOWNS Linux情報メモ http://www.linux.or.jp/JF/JFdocs/tlx-info.html 進藤秀郎(SHU)著 1996 年 8 月 24 日版 「7. TOWNS Linux の歴史」参照 (*5) NiftyServe funix会議室のログ参照 (*6) Linux 情報メモ(Japanese INFO-SHEET) http://www.linux.or.jp/JF/JFdocs/INFO-SHEET.txt 1995年11月7日版 (*7) JMETA-FAQ http://www.linux.or.jp/JF/JFdocs/JMETA-FAQ.html version 1.32 94/09/01 (*8)ソフトウェアデザイン 1994年 3月号「Laser5 版 日本語 Linux + JE」 (*9) LDP Linux Documentation Project http://sunsite.unc.edu/mdw/linux.html http://www.gee.kyoto-u.ac.jp/LDP/ (*10) Linux でパソコン通信をする方法 DOS でパソコン通信していた人に捧げる Linux でパソコン通信する方法 ぺー著 1993年03年09日 (*11) MS-DOS ユーザのためのLinux の基礎知識 著者: いちに NiftyID: NCD02720 1994 年8 月27 日 http://www.linux.or.jp/JF/JFdocs/kisochi5.txt.html (*12) nifty4u Nifty-serveの会議室を読み出すパソコン通信の巡回ソフト (3) 1995年に入ると日本ではインターネット接続サービスをするプロバイダが急 速に増加し、一般的にもインターネットを利用する人口が増えていきました。 しかしながら当時の主流の OSであったWindows3.1 でppp接続をするためには winsockというソフトを別にインストールしなくてはいけない時代でした。 ちなみに、私は1993年にtwicsのIDを取得していたのですが、twicsが ppp接続を開始したのは 1995年7月のことでした。 さて、1995年にはLinuxのコミュニティにはとても大きなトピックがあり ます。1995年12月Linuxの創始者Linus氏が来日し、12月4日、私は京 都大学で行われた Linusさんの講演会にスタッフとして参加することができ ました。その日、その会場にはスタッフもあわせて推定で130-140人の参加者 がありました。この数字はJFでの報告ですが、会場は立見の人もおり、本当 のところは200人以上の参加者があったのではないかと思います。通訳者なし のLinuxについての講演会に100人を超える参加者があったことはやはり驚くべ きことだったのかもしれません。 その講演会でLinusさんは右肩あがりでユーザ数の増加を表すグラフを示 し、現在のLinuxのユーザは数万人、でも、数年後にはLinuxのユーザはきっ と数十万人に増えるのだと笑いながら言われました。それを受けて、会場から は一斉に楽しそうな笑い声があがったのです。その日、そこにいた人たちのほ とんどは半信半疑で急角度で右肩あがりにユーザの予想増加数を示したグラフ を眺めたかもしれませんが、その後仲間を増やすためのひとつの方法として日 本語マニュアルの整備がはじまり、日本語でLinuxが使えるようにする活動が 実際に行われていったのでした。  少なくとも1995年にはJFの活動はしっかり定着していたはずですし、この 頃からLinuxに関連するさまざまな文書は、まずはJFのページから探しましょ うというのが、ML上でのさまざまな質問に対するひとつの答だったと思いま す。1995年から1996年になると、JF以外にLinuxに関連する英文文書の日本語 化推進のためにオンラインマニュアルの日本語化を行う JMをはじめとして多 くのLinuxマニュアルについての日本語化プロジェクト(*13)があいついで発足 します。またさまざまなアプリケーションソフトを日本語化する試みも行われ ます。たとえば、X Window用英語版Netscapeの日本語化は1997年にはすで に始まっており、私もこの頃から日本語化されたnetscapeを使うことができ ました。これにともなってさまざまなアプリケーションを日本語化する試み (*14)が行われるようになりました。このような日本語化に関する試みの成果 はLinux日本語用ディストリビューション(*15)の開発と作成に反映し、日本 語で利用できるディストリビューションの整備が進みました。 ----------------------------------------- (*13)日本語文書の作成、収拾、翻訳プロジェクト ----------------------------------------- * Linux JF (Japanese FAQ) Project http://www.linux.or.jp/JF/ *JM project オンラインマニュアル翻訳プロジェクト http://www.linux.or.jp/jman/ * MAN pages on WWW http://surf.ap.seikei.ac.jp/~nakano/man/ *Japanese Manual Project for FreeBSD FreeBSD 用の日本語マニュアルを作るプロジェクト http://www.jp.freebsd.org/man-jp/ * X Window Systemに関連したマニュアル群を日本語に翻訳するプロジェクト http://xjman.dsl.gr.jp/ X Japanese Documentation Project * FreeBSD 用の日本語文書の収集を進めるプロジェクト jpman FreeBSD bookshelf-jp プロジェクト (bookshelf-jp) http://www.jp.freebsd.org/bookshelf-jp/ * Linux 関連の各種ドキュメントを収録した CD-ROM の作成配布プロジェクト http://Doc-CD.linux.or.jp/ ドキュメントCD-ROM の編集配布 * 一般ユーザを対象にしたLinux Users ML http://www.linux.or.jp/community/ml/linux-users/index.html 1998/11/11(FAQ inux-users ML FAQ Ver 0.6) Linux Japan vol.4 に関東第1サーバ管理人の(ご)さんによる紹介 「Linux ユーザメーリングリストとその運用について」があります. http://mx1.plathome.co.jp/~goto/linuxdoc/linux-users.html --------------------------- 日本語化プロジェクトその他 --------------------------- * Towns Linux http://www.st.rim.or.jp/~shindo/" * 外国人Linuxユーザのための日本語化についてのページ Linux-Nihongo http://www.twics.com/~craig/writings/linux-nihongo/ * Linux でのTrueType日本語フォントの利用 X-TrueType Server Project : 理想のましゅまろを求めて http://hawk.ise.chuo-u.ac.jp/student/person/tshiozak/x-tt/ * 日本語TeXについての情報 http://www.matsusaka-u.ac.jp/~okumura/texfaq/ * xdvi 日本語化・機能拡張パッチのページ http://www.ipc.chiba-u.ac.jp/~yamaga/TeX/xdvi-j.html * The TeX-Guy Project http://TypeHack.aial.hiroshima-u.ac.jp/TeX-Guy/" * RFCJ -- RFCs and Internet Drafts in Japanese!(RFC文書の日本語化) http://www.barrier-free.co.jp/homes/RFCJ/ --------------------------------- (*14)アプリケーションソフトの日本語化 --------------------------------- * JF Workshop Guidance: SGML 文書作成 http://www.linux.or.jp/JF/workshop/guidance-sgml.html * X Window 用 英語版 Netscape の日本語化 http://www.bpel.tutics.tut.ac.jp/~take/Netscape/ * Japanized Netscape in Linux(Netscape の日本語化) http://www.bekkoame.ne.jp/~egota/NetscapeV.html * windowmaker Window Maker完全FAQ http://www.nurs.or.jp/~gen56/wmaker/wmfaq_j.html * 全文検索システム Namazu http://openlab.ring.gr.jp/namazu/index.html.ja * Japanized SAMBA Web Pages http://samba.bento.ad.jp/ * Addressookj http://www.netfort.gr.jp/~hinako/addressbook/config_sample/index.html * 日本語化 idraw for Linux http://proton.is.s.u-tokyo.ac.jp/%7Etsekine/soft/idraw-j.html * Mew Official Homepage http://www.mew.org/index-j.html ここにあげたものはほんの一例にすぎません。 さまざまなアプリケーションについての日本語化は日々進んでいます。 ------------------------------------ (*15)日本語用ディストリビューションの開発 ------------------------------------ * Vineプロジェクト http://vine.flatout.org/whatsvinelinux.html RedHat Linux 5.x ベース * Plamo Linux http://www.linet.gr.jp/~kojima/Plamo/index.html *PJE http://www.pje.linux.or.jp/ 97/12/06 にPJE-0.1 リリース * Debian JP http://www.debian.or.jp http://www.debian.org/index.ja.html * JRPM JRPM (Linux Japanese RPM Project) は Red Hat Software で開発された rpm 形式のバイナリパッケージを 作成・収集するプロジェクトです。 http://www.linux.or.jp/jrpm/ * JG(Japanese Games and amusements) http://jg.linux.or.jp/ (4) この1年ほどの間の日本でのLinuxをめぐる動きは本当に目ざましいものが あります。信じられないような勢いで「Linux」という名前が新聞や雑誌でと りあげられ、Linuxは多くの人に知られるようになり、ユーザ数も飛躍的に増 加しています。従来のディストリビューションに加えて、1997年頃からは Plamo Linuxや Vine Linux のような日本語用ディストリビューションがボラ ンティアの手によって開発されるようになりました。また1997年12月には、パ シフィック・ハイテック社がインストール後標準で日本語環境が整うLinuxディ ストリビューションであるTurboLinux1.0をリリースしました。そして、書店 のコンピュータ関連の書棚には Linuxのインストール解説書や入門書などの 関連の書籍が平積みされるようになりました。そして、現在では選択に困るほ ど多くのLinux日本語商用ディストリビューション(*16)やアプリケーション (*17)が発売されるようになっています。 (*16) 1999年6月現在のおもなディストリビューションには、Slackware、Debian、 、PlamoLinux、RedHat Linux、Vine Linux、 などがあります。 Linux のおもなディストリビューションについての解説や入手方法については は次の URL を参考にしてください。 http://ktarn.www.linux.or.jp/distributions/index.html おもな商用日本語ディストリビューションとしては、TurboLinux日本語版 4.0(パシフィック・ハイテック)、RedHat Linux +PJE (Laser5)、Caldera Open Linux などがあります。Linux商用パッケージについての解説と購入方法 等については次の URL を参考にしてください。 http://www.linux.or.jp/distributions/other.html (*17) 1999年6月現在のおもな日本語商用アプリケーションソフト。 それぞれについての解説や入手方法については次の URL を参照してください。 http://www.linux.or.jp/biz/software.html オムロン http://www.omronsoft.co.jp/ Wnn6 eWnn for Linux/FreeBSD dp/NOTE for Linux/BSD Ver2.0 http://www.omronsoft.co.jp/SP/pcunix/dp/index.html ジャストシステム ATOK12 SE for Linux 1999/6/9発表、1997年7月ATOK12 SE(Standard Edition) for Linuxは、 「TurboLinux 日本語版 4.0」 にバンドルして発売予定) ジャストシステム Vacs VJE Delta for Linux/BSD http://www.vacs.co.jp/ Oracle Oracle8 Workgroup Server for Linux http://www.oracle.co.jp/ パシフィック・ハイテック Apploxware はTrubo Linux PRo日本語版3.0に梱包され 単体では販売はしていない。 http://www.pht.co.jp/applixware/ TurboLinux オフィシャルサイト http://www.pht.co.jp/turbolinux/index.html TurboLinux (たーぼりなっくす) 日本語版 は, パシフィック・ハイテック社 より 販売されている商用ディストリビューションで、 基本的に Red Hat Linux に JRPM を加えて日本語化し, インストーラや管理ツールを付け加えた ものです。 (5) いま、Linux には多くのパッケージがあり、参考書があり、ガイドブックが あり、Web 情報があり、探そうとすれば本当にありとあらゆる情報が日本語で 手に入るようになりました。 Linuxでは、インストールと同時に日本語のオンライ ンマニュアルや、ソフトの添付文書は同時に/usr/docのディレクトリにインス トールされますから、多くの人の手によって作られたお宝はLinuxをインストー ルすれば自分のマシンのなかにちゃんとあって、「あなた」に発掘されるのを 待っているのです。 Linuxはこの10年の間に、信じられないほどの数の多くの人たちの手によっ てさまざまなものを作りあげてきました。作り手は使い手でもあったわけで、 使う人たちが自分の必要にかられて何かを作り、また別の使い手によってさら に改良改変されたり、あるいはまったく新しい何かを生み出してきているので す。そしてこれからも、100年たってもまだ建設中のガウディの建築物のよ うに、今日もまた多くの人の手が加えられ作り続けられています。そのような 不思議な生命力がLinuxに捕まった人を離さない大きな魅力になっているの かもしれません。 -----------------------以上