ある日、きりおばさんは、とてもきれいなうすもも色の封筒に入った
ちょっとぶあつい手紙を受け取りました。
それは、「魔女」からの手紙でした。
「魔女」という文字を見ただけで、きりおばさんは胸がどきどきしま
した。
「世界魔女クラブですって!まあまあ魔女さんが私にどんな用事が
あるっていうの?」
きりおばさんは急いでハサミを取りにいこうとしました。ところが、
ひざががくがくしてうまく歩けないのに気がついてちょっとどぎまぎ
しました。でも、いつもの場所にはハサミがなくて、きりおばさんは
封筒の口を手でやぶこうとしました。けれど、封筒はとてもしっかり
した紙でできていて、よっぽど力をいれたのに、封筒の口をほんの少
ししかやぶくことができませんでした。
「さすがに魔女さんの手紙だわ、ちょっとやそっとでは破れない」
妙なところで感心して、きりおばさんは改めて封筒をしげしげとなが
めます。
―なんてきれいな封筒なんでしょ。いい色だわ。香りも素敵だし、手
でぎざぎざに破いたらもったいない。
封筒のやぶれ目に鼻を近づけてきりおばさんはクンクンと匂いをかぎ
ました。
「こんな封筒はどこにでもあるものじゃないわ。きっと魔女さんの特
製なのよ。それにしてもこのうすもも色、なんて素敵な色なんだろう。
まるで今咲いたばかり、ふうっとやさしい香りをたてる春一番のもも
の花という感じよ」
きりおばさんはしげしげと封筒をながめて、ふうっと息をつきました。
「そうそうハサミ、ハサミを探さないと手紙が読めないわ」
きりおばさんはこまごましたものがおいてある飾り棚の上をもう一度
ながめましたが、ハサミはやっぱり行方不明のようでした。
―ああ、なんてじれったい。
きりおばさんは部屋中あちこちを見回して、とうとう編み物の仕事台
の上のおいてある裁縫箱をあけて、糸切りバサミを取り出しました。
小さなにぎりバサミでチョキチョキと封筒の口を切ります。ハサミを
動かすたびにいい匂いがしました。
封筒の中をのぞくと、うすもも色の便せんが何枚か折り重なっている
のが見えました。
きりおばさんはどきどきしながら、うすもも色の便せんを開きます。
便せんがカサコソと乾いた音をたてて、またふわっと匂いが立ちまし
た。いい匂いをかぎながら、便せんに目を向けると、いきなり黒い大
きな字が目にとびこんできました。
あなたは魔女になりたいですか
きりおばさんはゴクリとつばを飲み込んで、いそいで便せんに目を走
らせました。一枚目、二枚目、三枚目……、便せんは全部で三枚あり
ました。最後の便せんまで、きりおばさんはささっと目を通しました。
「ていねいなごあいさつがついた手紙のようだけれど、ははぁーん、
これはアンケートだわ。なぁんだ、魔女さんからの手紙だから、どき
どきしてしまったけれど、これはきっと何かの宣伝なのよ。もしかし
たら魔女の香水とか、魔女の宝石だとか…。手紙に魔女と書いてあっ
たからといって、ほんものの魔女からの手紙だとは限らないわ。
そうよ、そうだわ、なぁんだ、期待して損したわ。こんなものに答え
て、妙なものを買わされたらたまらないわ。まじめぶって答を書くな
んてばかばかしい。さあ、仕事仕事!頼まれていたストールはまだ半
分しかできていない。明日までに仕上げないといけないのに・・」
きりおばさんは、ふっとため息をもらしながら手紙をたたみ、封筒に
戻そうとしたのですが……。でも、やっぱり何か気になります。
「でも…、なんだかもったいない。魔女になりたいですか?なりたい
と答えたら、魔女になれるって言うの。だけど…、魔女になれるもの
ならなってみたいわ。だって、魔女なら魔法が使えるでしょ。魔女さ
んが魔法を使ってこんなにきれいな色の封筒を作ることができるのな
ら、糸だって何だって染めることができるはずよ。ちょいちょいと魔
法をかけて、春一番のももの花のもも色になあれって。そうしたらど
んな好きな色の糸だって手に入れることができるかもしれないものね」
きりおばさんは、仕事台の上に並べてある糸入れのバスケットをうら
めしそうにながめました。バスケットの中にはいろんな色の糸が入っ
ています。それは全部、きりおばさんが自分で花びらや木の葉から染
めた糸でした。売っている糸では思い通りの色が手に入らないので、
きりおばさんは花や草や葉っぱから自分で糸を染めて、いろんなもの
を編んだり織ったりするのです。
仕事台の上には半分ほど編みかけた灰色のストールがきちんとたたん
でおいてありました。きりおばさんは編みかけのストールを手で軽く
トントンとたたきながら、仕事台の上にひろげます。
「この灰色はつやがあってとてもいい色だけれど、本当はあとほんの
少し軽い色あいにしたいのよね。こんな柔らかなうすもも色を重ねて
染めたら、そりゃあ、上品さがましてもっといいストールになるかも
しれないわ。それから・・・」
きりおばさんはたくさんの糸がはいったバスケットを手前にひきよせ
て、糸のたばを手にとって順番に仕事台の上に並べていきます。
「このグレーにこのアカネ色を編みこんだら夕陽の感じが出るかしら。
夕焼けもようのストール!ああ、見るだけも暖かそうだわ。それだっ
たら、このアカネ色はもう少しいろんな種類が欲しいわ。でもね、な
かなか思うようには染まらない。だから、糸を染める時に、魔女さん
の魔法をちょいと借りることができたら、どんなに素敵だろうか」
きりおばさんはずらりと並んだ糸のたばをながめて、ふうっと大き
な息をつきました。
―ああ、魔女ねぇ、ぜひ一度会ってみたいものだわ…。
きりおばさんは思い直して、また魔女の手紙をひろげます。
「ふーん、いったいどうやったら魔女になれるのかしら」
魔女の手紙をもう一度ゆっくりながめ、きりおばさんはきちんとめが
ねをかけ直し、えんぴつを用意しました。
「さてさて、《あなたは魔女になりたいですか》。そりゃあ、もちろ
ん、「はい」に、まる、いやいや、ここは大きな二重まるにするわ。
次は《お花が好きですか》。もちろん好きだわ。花や葉っぱの色は優
しくてほんとうにきれいだわ。ほっと安心する色なんだわ。あの通り
の色に糸を染めることができたら、どんなに素敵かしら。わたしはお
花からいつもきれいな色をいただいているわ、お花がないと仕事にな
らない。だからここも二重まる、ね。
次、そうじが好きですか。そうね、嫌いというわけでもない。好きで
もないけれど、おそうじをするのは気分がいいから、ふつうのまる、
ね。
《甘いものは好きですか》うーん、困ったわ。好きだから、困ってる
んだもの。おかげで少し太りぎみよ。太りすぎの方は空とぶほうきに
乗れません、なんて言われたら、がっかりよ」
きりおばさんは一つ一つの質問をゆっくり読みながら、ていねいに答
えを書いていきました。うすもも色のふうとうの中には、返信用のふ
うとうがちゃんと入っていました。切手を貼らなくてもいい封筒で、
宛て名もちゃんと印刷してありました。きりおばさんはアンケートの
答えを書いた紙をいれるだけ。アンケートの紙ていねいにおりたたん
で封筒に入れると、きりおばさんは舌でペロリと封筒の口をなめて封
をしました。
「さて、ポストまで一走り…。なんだかわくわくするわ」
きりおばさんは、早速スリッパをひっかけて大通りのポストへ走って
いきました。
それからしばらくしたある日、きりおばさんはまた、魔女からの手紙
を受け取りました。
あれからしばらくの間、きりおばさんは毎日、注文の編みものを仕上
げるのにいそがしくて、魔女のアンケートに返事を出したことなどすっ
かり忘れていたのです。
今度の魔女の手紙は、うすみず色でした。封筒はほのかによもぎの
においがしました。
「雨あがりの春の野原のにおい・・かしら。やっぱり魔女さんの特製
の封筒なのね。色といい香りといい、これは何かの花か実で染めたも
のに違いないわ。だけど、どうやったら、こんなに素敵な色や香りが
出せるのかしら。魔女さんたちは素敵な花畑をもっているんだわ」
きりおばさんは封筒の色をながめ、匂いをかいでいるだけでうっとり
しました。
封を切ると、封筒の中から、きっちり四角にたたまれたレースのふ
ち飾りのついた真っ白のハンカチがでてきました。
「アンケートのお礼なのね。上等なハンカチだわ。だけど、まあ、こ
のふち飾りのレースは手編みよ。これも魔女さんの特製ハンカチかし
ら。けれど、もしかしてこれは、魔法のハンカチ……」
そうつぶやいて、きりおばさんは自分の言葉にちょっとどごまぎしま
した。
―魔法のハンカチだとしたら…、どうしたら魔法が使えるのかしら?」
たたんだままの真っ白のきれいなハンカチを手のひらの上において、
きりおばさんは思わずハンカチに話しかけました。
「魔女のハンカチさん、願いごとをしてもいいかしら。一度でいいか
ら魔女さんの花畑を見せてくださいな」
きりおばさんはハンカチを穴のあくほどじっと見つめました。けれど、
何事もおこりません。それでもきりおばさんは、ハンカチを目の前に
もってきて、なんとか魔法がはじまらないかと、しつっこくながめま
わしました。
「でたらめの呪文じゃあきかないわ。魔女になる勉強もしていないの
に、私に魔法が使えるはずがない。それにしても、なんてきれいな上
等のハンカチだこと。でも、ただのハンカチかもしれないけれど」
魔女さんからのお礼だから、これはきっと魔法のハンカチかもしれな
いと期待していただけに、きりおばさんはがっかりして大きなため息
をつきました。ふうっとはき出した息がハンカチにかかってハンカチ
がふわっとふくらみます。
うん?
ふうっふうっふーっ
きりおばさんはハンカチに息をふきかけました。ハンカチのはしっこ
がふきかけた息でめくりあがります。
「あらっ、なんだろう?」
おりたたまれたハンカチの奥の方に何か小さな黒いものが見えました。
きりおばさんがハンカチをつまみあげると、ハンカチの中から黒い小
さなものがパラパラと床にこぼれ落ちました。きりおばさんはしゃが
みこんで、床におちたゴマつぶのような黒くて小さいものを指先でつ
まみあげ、しげしげとながめました。
「ふーん?何かのタネ、魔法のタネ?まさか……」
きりおばさんはうすみず色のハンカチを床のうえにひろげ、ハンカチ
の真ん中にゴマつぶのような黒いものを、一粒ずつひろって、ていね
いにならべていきました。
ひろい集めて数えてみると、全部で20粒ありました。
黒いものをつまみあげ、鼻にちかづけて、クンクンにおいをかいでみ
たり、陽にすかしてみたり、きりおばさんはいぶかしそうな顔で、黒
いつぶをながめます。
「どうみてもこれは花のタネだわ」
きりおばさんはやっとにっこりほほえんで、うんうんとうなずきます。
「これを植えたら、魔法の花の芽がでて……」
きりおばさんは、あのアンケートの中に「お花が好きですか」とい
う質問があったことをふと思い出しました。
「このタネをまいて、芽が出て、育って、花が咲いて・・・。そう、
そうだわ!それは魔女の花・・!」
わくわくしてきたきりおばさんは、うすみず色のハンカチで黒いタネ
をていねいにつつみ、そっとエプロンのポケットにいれました。
さっそくシャベルとジョーロを持って、きりおばさんは庭に出ました。
そして、庭の花畑の一番日当たりのいいところに一粒づつ魔女のタネ
を植えました。それから、ジョーロいっぱいの水をていねいにまきま
した。
次の日から、きりおばさんは、毎日、朝と夕方に、魔女のタネにジョー
ロいっぱいの水をまきました。
―魔女のタネからどんなお花がさくんだろうか。魔女さんからのプレ
ゼントのタネだもの、ある日とつぜん、芽が出て、芽が出たら、ニョ
キニョキ大きくなるかもしれないわ。そしてきっときれいな花が咲く
んだわ。そうだわ!花が咲いたら、魔女の花で糸を染めてみよう。あ
あ、待ち遠しいわ。
きりおばさんは水まきをしながら魔女のタネに話かけ、毎日毎日ジョー
ロいっぱいの水をまきました。けれど、一週間、十日、なかなか芽は
でませんでした。
とうとうある日、きりおばさんは、土の中に小さなみどり色の芽を見
つけました。
―大きくなあれ、はやく大きくなあれ。
きりおばさんは水をまくたびに、緑色の小さな芽にやさしく話しかけ
ました。
小さな芽は青々してぶあつくて、とてもしっかりしていました。きり
おばさんは時々、花畑の前にすわって、「大きくなあれ。きれいな色
の花が咲きますように」とじゅもんのようにとなえました。
―魔女のタネから花が咲いたら、早速糸を染めてみよう。どんな色の
糸ができるかしら。
それから一週間、きりおばさんの花畑の小さな芽は急にニョキニョキ
伸びだして、とうとう、うすももいろの小さなつぼみをつけました。
そして次の日の夕方、きりおばさんがジョーロを持って花畑に行って
みると、ひらひらのレースのような花びらをつけた赤ちゃんのこぶし
くらいの大きさの花が、三つだけ咲いていたのです。
花びらが風にゆれると、いい匂いが流れてきます。そして、ゆらゆら
ゆれると、花はかすかに鈴のような音をたて、水にぬれた花びらがい
くつもの色に輝いて見えました。
「まあ、なんてやさしい花だろう。風にゆれていい音色をたてている
わ。それに花びらの色がいろんな色に見える。虹色だわ。だけどなん
て不思議な色だろう。もも色にも見えるし、うすみどり色にも、黄色
にも見えるわ。こんな素敵な花びらで糸を染めたら、いったいどんな
色に染まるのかしら」
きりおばさんは花畑の前にしゃがみこんで魔女のタネから咲いた花
を目を丸くしてながめました。
―この花で糸を染めたら、虹の色に染まるのかしら。魔女の花だもの、
きっとこの色のまま糸を染めることができるわ。ええ、きっとできる
はずよ。
きりおばさんは知らず知らず花びらの下に手をさし入れていました。
そして指先に力を入れて花びらをもぎとろうとすると、花はかすかに
リンリンリンと鈴のような音をたてました。
「いい音、風鈴みたい・・」
きりおばさんはそっと花をゆらしてみました。
リンリンリーン
最後の音が妙にながくのびてきりおばさんの耳に耳なりのようにリィーーー
ンという音が響いてきます。
リィーーーンシャラシャラシャラ
とつぜん、きりおばさんのまわりで小さな竜巻のように強い風が舞い
上がり、耳なりがどんどんきつくなっていました。きりおばさんは頭
をかかえこむようにして両手で耳をふさぎ、うずくまりました。そし
て、ますます体を丸め、しっかりと目をとじました。耳もとで風がう
なり、リンリンという音がきりおばさんの耳の底に響いてきました。
リンリンという音をじっと耳をすまして聞いていると、きりおばさん
は、体ごとふわっと持ち上げられたような妙な感じになりました。耳
もとで風がピューピューとうなり声をあげています。きりおばさんは
おそるおそる目をあけてみました。
―まあ、空をとんでいるんだわ、私はほうきに乗っているわ!
おどろいて思わず体をゆらすと、ほうきの柄がグラリとゆれました。
きりおばさんは、あわてて両手でしっかりとほうきの柄をにぎりしめ
ます。耳もとで風がうなり、きりおばさんはうすみず色の空の中をど
んどんとんでいきました。
やがて、目の前に白い雲のかたまりが壁のようにせまってきました。
「ああ、ぶつかる!」
竹ぼうきが急に下にむかって傾いて、すごいスピードで落ちていきま
す。体が左右にゆらゆらゆれて、きりおばさんはとうとう竹ぼうきか
らすべり落ちてしまいました。
ふと気がつくと、いつのまにか風の音はやんでいました。そっと目を
あけると、きりおばさんは野原の草むらの中で、ほうきの上に体をか
ぶせるようにしてほうりだされていました。竹ぼうきから落ちた時に
足をくじいたのか、足くびがジーンと痛みました。あたりはどこもか
しこもきらきらとまぶしくひかっていて、きりおばさんは目をしょぼ
しょぼさせてまわりをみまわします。
きりおばさんの目の前には広い花畑がひろがっていました。一面にひ
らひら風にゆれる花がさいて、花はゆれるたびにリンリンリンと静か
な音をたてていました。
―なんてきれいな花畑だろう。見たことがないような珍しい花ばかり
だわ。
きりおばさんは思わず身を乗出して立ち上がろうとしました。
「うっ、痛い!」
歩こうとすると、足くびに強い痛みが走りました。きりおばさんはも
う一度うずくまり、痛みがおさまるのを待ちました。それから乗って
きた竹ぼうきを杖のようにして、ゆっくり花畑にむかって歩いていき
ました。きりおばさんはいつのまにか花畑の中に入って花の中に座り
込んでいました。そして、思わず知らず花びらを摘みとっていたので
す。花びらをプチンともぎとると、花がゆれ、リンリンとかすかな音
が耳に響いてきます。きりおばさんは夢中になって花を摘みました。
1枚ちぎってエプロンのポケットにいれ、そしてまた1枚ちぎって・・・
いつのまにかエプロンの2つのポケットは花びらでいっぱいになって
いました。
「これだけあったら、糸一束を染めることができるわ」
きりおばさんが夢見ごごちで花の中に座っていると、とつぜん、冷た
い水が頭の上から降ってきました。
「うっ、冷たい!」
頭に手をおいて、あわててあたりを見回すと、花畑のあちこちで、ちょ
うちょのような白いものがとびかっているのが見えました。花の上に、
時々、シャワーのような水が降ってきます。きりおばさんは目を凝ら
して花畑をみつめます。
「まあ、あの白いものはちょうちょじゃないわ、ほうきに乗った魔女
さんよ。魔女さんが空の上からジョーロで水をまいているんだわ」
花畑の上でときどきキラリとひかるのは、空を飛ぶ魔女たちが手に持っ
ている金色のジョーロでした。
―ここは・・・、魔女さんの花畑。魔女さんたちが花のお世話をして
いるんだわ。
きりおばさんははっとしてエプロンのポケットに手をやりました。
「魔女さんたちが育てている花を、こんなにたくさん、だまって摘み
とってしまった」
きりおばさんは急に胸がどきどきしてきました。顔がポーッとほてっ
てきます。
―魔女さんの花をぬすんでしまったんだ・・。
きりおばさんは体がふるえました。胸がどきどき打ってきて、立ち上
がろうとすると体がよろけました。そして、また足くびがまだジンジ
ン痛みはじめていました。
きりおばさんは早く花畑から逃げ出そうとしました。でも、足が痛ん
で早く歩けません。
―魔女さんに見つからないうちに早くここから出ないといけないわ。
こんなにたくさんの花びらを盗んだことが見つかったら・・・。
きりおばさんは一生懸命歩きました。冷や汗が体中をかけぬけていき
ます。
「こんにちは」
とつぜん、きりおばさんのうしろで声がしました。
きりおばさんは花びらをもぎとったのをとがめられるのかと思って、
ビクンと体を震わせて立ち止まり、おそるおそる後ろをふりむきまし
た。きりおばさんの後ろに金色のジョーロを持った魔女さんが立って
いました。
きりおばさんはゴクリとつばをのみこんで、それからかすれた声で
「こんにちは」とあいさつをかえしました。
「こんにちは。見かけない魔女さんだと思ったら、新しい魔女さんか
しら」
ジョーロで水まきをしていた魔女さんは、笑顔であいさつを返しまし
た。
きりおばさんが竹ぼうきを杖のように支えにしているのを見ると、魔
女さんは、ふふっとおかしそうに笑い声をあげました。
「ほうきから落ちたのね」
「ええ……」
きりおばさんの顔がぽーっともも色にそまります。
「ほうきに乗るのは、はじめて?だったらしょうがないわ。いまに慣
れますよ。そうそう、痛み止めの薬を持っているわ」
魔女さんは白いエプロンから小さなビンを取り出して、きりおばさん
に渡してくれました。
「痛いところに1日に1回ポッとひとふり、それでだいじょうぶよ。
お手伝いにきてくださったのかしら。でも、くすりにする花を摘む
のは朝じゃないといけないわ。夜つゆをたっぷり吸ったさいたばかり
の花じゃないとダメなのよ」
魔女さんはぷっくりふくらんだきりおばさんのエプロンのポケットを
ながめながらいいました。きりおばさんはどぎまぎしてうつむきまし
た。
「魔女の花を摘んでみたくなる人は、きっといい魔女になれるわ。さ
あ、花を摘むのはあとまわしにして手伝ってくださいな。 手が足り
なくて困っているの」
「ええ、もちろん」
きりおばさんはほっとして答えました。
「そうそう、あなたのところにはタネは届いたかしら。花魔女になる
のは、まずいい花が作れなくてはいけないわ」
「まあ、そうでしたか?あのタネはやっぱり魔女さんの花のタネだっ
たのね」
「ええ、花魔女になるには、どんな花でも上手に育てられないといけ
ないの。わたしたちはいつもさがしているんですよ。花を育てるのが
上手な花魔女をね」
そういってその魔女さんはにっこり笑いました。
「花魔女は魔女の花から薬をつくるのよ。ききめばつぐんの痛みどめ
やのどの薬。近ごろはアレルギーの人が増えたらしくて魔女の薬はと
ても人気があるのよ。
それから、花の色で染め物もするの。全部この花畑で咲いた魔女の花
を使うのよ。だから花を育てるのは魔女の一番大事な仕事なの。ああ、
だけどほんとにそがしい。この広い畑全部に水をまかなくてはいけな
いのよ。水が足りないと魔女の花は、またたくまにしおれてしまうの
よ。いらしたばかりですみませんけれど、水まきを手伝ってください
な。ジョーロはあっちにありますからね」
魔女さんはひとしきりおしゃべりをすると、金色のジョーロを手にとっ
て、水くみ場の方にスタスタと歩いていってしまいました。
きりおばさんは魔女さんからもらった痛みどめの薬を、足首にポッと
ひとふりしました。またたくまにスーッと痛みがひいていきます。
小さな薬のビンをエプロンのポケットにしまおうすると、さっきまで
花びらでぱんぱんにふくらんでいたはずのポケットはいつのまにかぺ
しゃんこになっていたのです。
「あらっ・・」
きりおばさんは驚いてポケットの中をのぞきこみます。ポケットの底
にはしおれて小さくなった花びらが小さなかたまりになっていました。
「ああ・・」
きりおばさんはふっと大きな息をひとつついて、しおれて小さくなっ
てしまった花びらと一緒に魔女の痛みどめの薬のビンをそっとしまい
ました。
きりおばさんは魔女さんがさっき「あっち」と指さしたにゆっくり歩
いていきました。
小さな家の軒下に金色のジョーロが行儀よくならんでいます。
「くすりのにおいかしら・・」
プーンと鼻をつくにおいは家のなかから流れきているようでした。
そっと窓の下に行き、きりおばさんは家のなかをのぞきこみました。
家の中では、4、5人の魔女さんがやっぱりいそがしそうに働いてい
ました。ひとかかえもあるバスケットの中の花びらを一枚一枚よりわ
けている魔女さんがいて、花びらを大きな釜の中で煮出している魔女
さんがいて、魔女さんたちは、花びらにうもれて働いていました。あ
たりは息が苦しくなるほど花のにおいでいっぱいでした。
「ここは、魔女さんの仕事場ね」
あたりをよく見回すと、家の軒下には、かさかさに乾いた花の束がい
くつもぶら下がっていました。軒下に摘んだばかりの花が入った大き
なバスケットがあって、その横で年取った魔女が花をていねいにたば
ねていました。
「こんにちは」
きりおばさんはおそるおそる言葉をかけます。
「はい、こんにちは」
「ドライフラワーですか」
「ええ、よく乾かさないと煮出した時にいい色がでないから」
花を束ねていた魔女さんは、手を休めずにひとりごとのように答えま
した。あざやかな手つきで魔女さんはどんどん花をたばねていきます。
きりおばさんはそっとジョーロのあるところに歩いていき、金色のジョー
ロを手にとりました。ジョーロはずっしりとおもたくて、きりおばさ
んは腕に力をこめて、ジョーロをかかえるように持ちました。
その時、きりおばさんのあとからジョーロをとりにきた若い元気な魔
女が、金色のジョーロを手にしたとたん、ほうきにのっていきおいよ
く空にとびあがり、あちこちに水をまきはじめました。
きりおばさんの頭の上にいきなりシャワーのように冷たい水がふって
きました。きりおばさんは驚いて両手で顔をおおい、きゅっと目をつ
むりました。目をつむると、リンリンと耳なりがはじまり、耳の底で
音が響き、そして耳なりがだんだんきつくなって、きりおばさんはた
まらなくなってしゃがみこんでしまいました。
きりおばさんのほっぺたに冷たいしずくがあたります。
「雨?」
はっとして目をあけて、きりおばさんはあたりを見回しました。そこ
は見慣れたきりおばさんの家の庭でした。きりおばさんは魔女のタネ
を植えた自分の花畑のまえにうずくまっていました。
ポツリポツリと降りはじめた雨は、かすかにいい香りがしました。ほっ
ぺたをぬぐった手をおもわず鼻の近くにもってきて、くんくんとにお
いをかいでみると、手のひらは、魔女の花の香りがしました。
きりおばさんはのろのろと立ち上がりました。足をのばそうとすると、
足がしびれたようでジーンと痛みが走りました。
―足がしびれて痛いわ。
きりおばさんはエプロンのポケットをさぐりました。ポケットの中で
カサコソと音がします。きりおばさんの指の間に、乾いた花ビラがひ
とつまみ、そして薬の入った小さなガラスビンがきりおばさんの指先
にふれました。
「痛みどめのくすり、あとほんの少ししか残ってないわ。大事にしな
きゃ。ああ、花はすっかり乾いてドライフラワーになっているわ。そ
うだわ、これを煮出して、この間頂いた魔女さんの真っ白のハンカチ
を染めてみよう。どんな色に染まるだろう」
きりおばさんは魔女の花が三つだけ咲いている自分の畑をながめまし
た。
「いい花を咲かせて・・そうね、魔女になるにはまだまだ長い時間が
かかりそう。でも、いつかきっと魔女の花で糸を染めてみるわ」
きりおばさんが花畑の前でぶつぶつつぶやいているうちに、雨はどん
どんきつくなっていました。きりおばさんはようやく畑の前を離れ、
家の中にかけこみます。
「この雨は、魔女さんのジョーロの水だわ。私がまいた魔法のタネも、
魔女さんの雨がかかれば、明日の朝はきっといい花が咲くわ」
きりおばさんは、もうすっかり本ぶりになった雨をながめ、すっかり
暗くなった空をながめながら、耳をすまして雨の音に聞き入りました。