zangai会2月14日報告
今回、出エジプト記 第20章 1−17 十戒
担当浅野氏
プロテスタントの使っている聖書とカトリックのが使っている聖書
では、十戒の順番が違っているとのこと。
今回の勉強会では主に前半のところを話合いました。
偶像崇拝のところで、カトリックがマリア様の像に向かって祈って
いるところは、多の人々から見て、偶像崇拝に見えるという誤解が
生じているのではないか?マリア様を投して祈りを仲介してただく、
行為が見えるみえないの認識の偶像崇拝になっているのではないか
はたまた、自分の心が物質における偶像崇拝否定していても、
自分自身の心の偶像を作ってしまっているのではなかろうか。
信仰は、信じる心と信じられない心との相反するところが必要で、
信じていますという信仰オンリーだけでは本当の信仰を形成して
いるのだろうか。
種々われわれの生きている過程においていろんな側面が生じるが、
その中で、自分が置かれているその時の思いが、いろんな方面に
広がる過程において、信仰オンリーの必要はいかなるものであるか。
来月は3月14日 金 大阪 玉造教会 司祭館
pm7:00から
担当は、当日決めます。
zangai会も、パソコンを使う人も増えてきています。まだインター
ネット
に本格的にしている人は少ないですが、その中で、斎藤さんは、
旧pc-vanの中の聖書喫茶シャロームにおいて頑張っています。
驚いているところです。また、木次さんもパソコンに向われる日も近い
でしょう。
ネット上でも意見がいえるような広がりを待っていますし、カトリック
プロテスタントの垣根もないよなつながりもほしいものです。
今回の担当の浅野氏はプロテスタントですが、私たちは決して
違う信仰者とは思ってもいません。
時間、環境、場所関係なく聖書を通してつながる場を持ち続けていきたい
と思います。
来月は、2月14日(金) 玉造教会 司祭館にて
午後 7時から
来月の担当は浅野氏です。
会への問い合わせは
shizuo_shimoyama@msn.com
1997年1月17日のまとめ
今月は担当下山でした。
初めの祈りから入り、淡路阪神大地震の2周年に当り、お祈りをさせてい
ただきました。
神田神父さんのますますの被災地における活動もまっとうされることを祈りつつ。また、この時期の神田神父さんのマスコミの露出にたいして本当に的を得ているのかどうか
などと思いつつも。
テーマ ペテロの第二の手紙 第三章1−12
ここでの読んだ感想の一番に参加者それぞれペルーにおける人質事件にお
いてのバチカンの介入に関して言葉が発せられたのには驚きました。
テロリストの上にも、監禁されてる人の上にも同じ介入が届くのでしょう
か?
いつものごとく種々の話に飛び、zangaiとして、日本以外のカトリ
ック及びキリスト教会の
つながりあるいは典礼とか外国から短期滞在する人の話とか聞く場を持っ
てみたいとのこと。
うちから外に向けるつながりも持ち続けたい会にしたいとの皆さんの意見
でした。
また、今年の私のテーマ、棄教するかどうか、についても2−3話を聞け
ました。
こだわるものをないのなら、カトリックのままでいいではないか、という
意見もあり、
私はこだわりがないから、カトリック信者でなくてもいいのではないかと
いうこともありました。
まあ、この辺のこだわりは続けていくつもりですが。
この件に対して神田神父さんからのご意見も個人的にいただきました。
この会に興味ある方は、場はいろんなところで交流できると思います。
では、来月もよろしく。
1996年のまとめ
11月のZANGAI会
11月15日(金)午後7時から玉造教会 司祭館 にて
今回は離縁がテーマでした。
基本的に底辺に流れているアンチローゼはどこの民族、宗教も
同じであり、その上に立脚しているものが各宗教において違う。
マタイ19章がその日のところでした。
10月11日 金 pm7:00 から 玉造教会 司祭館 にて
どうぞご参加ください。
9月13日(レジメ)
テーマ ヨハネによる福音書 第4章 1−39
担当当番 ユダ
多くの方に参加してもらいたいですが、なかなか場所、時間と制約が
あると思います。今回私の当番なので、試みとして、インターネット
上でもいろんな意見感想など当日までの間お聞かせ願えたら幸いだと
思っています。担当司祭 神田神父は、震災後鷹取教会にて、多忙な
活動されてこちらには来られませんが、結果報告は致しております。
zangai
ヨハネによる福音書 第四章1−39
9月13日
課題
1 ユダヤから見たガリラヤはやはり正統ユダヤ教とは見られない
辺境の地に向かわれたのか?
2 サマリアの女は、すぐに主と呼ばれることになったのか
3 霊と真理とは
4 弟子の態度は刈り入れの喩えとどう結びつくのか
5 正統ユダヤから見たサマリア人やガラリヤ人の目と
イエスが見られた目とはどう違うのだろうか。
6 知らないものの礼拝と知っているものの礼拝とは
7 生きた水とは
8 信仰には場が必要なのか
9 私たちは常に弟子の立場にいるのでしょうか
10 生きた信仰とは
担当 ユダ 下山
感想意見欄
ご自由に
来月は、10月11日 金 pm7:00すぎから
玉造教会司祭館にて
担当はその時に決まります。