ZANGAI会




zangai6月の報告

6月20日 玉造教会 司祭館にて
本日のテーママルコによる福音 4.35−41
奇蹟についてから話を膨らませていきました。 宗教に奇蹟がなければ宗教ではない。 しかし、聖書の中で述べられている奇蹟の意味と、 現在われわれが遭遇する奇蹟との違い、 あるいは新興宗教などのたぐいとの区別。 奇蹟のとらわれ方も個における認識の違いもあり、 そのことが奇蹟自体があいまいの強調かも知れぬ。 イエスキリストに導かれた今現在の私が奇蹟の中にいる。

途中から、有馬神父さまが参加され、第二バチカン公会議以降、 司祭の指導の不一致がある、あるいは信徒と司祭との教会における 混乱が生じているのか、司祭の指導が絶対視したほうがいいのか、 といわゆる個人的意見が出てきましたが、私は、司祭が神とは違うのであり、 信徒が司祭を絶対視してみることより、より今の現実を司祭とともに歩む姿勢、 又、信徒の個人的想い、行いが教会内の今一歩打開できない状態を作って いるのではなかろうか。

共同体としての本来の一致は、やはり混沌とした状態から埋まれくるべきで、 今の教会事態がベストではないとのお互いの認識が、司祭と信徒の歩むべき 行動かもしれない。

又、個人的に有馬神父さんに問うたこと。
内村鑑三が信者を得る行為は、キリストが巻かれた種の収穫のごとく 刈りうるとの指摘があったと思うが、予定者の中に含まれないものは 救われないのか、また伝道者がそれを区別できるのか。 それは否とのこと。

今回、メンバーであったK氏の奥様が、タイの活き作りを会のほうに いただきました。本来神田神父さんの下でいただくのが本来でしたが、 神田神父さんが急な予定が入られて、来られませんでしたので、 当日の参加者と有馬神父様とでいただきました。

震災後、会のメンバーの中にも交通事故や心臓疾患などの個々の それぞれの情態の中から、会が存続できたのもまた一つの奇蹟ではないで かと思います。

来月は7月11日 金 午後7時30分から 大阪玉造 教会 司祭館にて。

ご意見ご感想もどうぞ。
報告者下山




zangai5月の報告

5月16日 玉造教会 司祭館 にて
今回は1年半ぶりに鷹取教会から、神田神父さんを お迎えし、また、ゲストとして、西尾神父様、有馬神父様を 前半後半と場の盛り上げをしていただき感謝でした。 午後7時半から午前2時前まで、大いなる祝福満ちたばと なりました。

永遠の命をしんじられるかという点での論議もかなり盛り上がり、 当会も久しぶりに司祭という場の中での話合いは、 もう一度初心に返るという点で新たなる表題を得たようで、 次回の勉強会にも活力が与えられたようです。

一応、今回は食事会及び飲み会が主な場としていましたが、 それより、お互いの信仰、また信者、未信者区別なくわかちあう、 素晴らしき場と時間を与えられ感謝の念忘れません。 聖書をとうして、それぞれに注がれる聖霊の息吹に感謝しつつ。

zangai4月の報告

4月18日のまとめ
コリントの信徒への手紙 7章1−16
今回、結婚及び教会においての男女の平等に関して。
教会内において、いろんな場面が実際われわれの目の前に 常に起こる事柄で、聖書の中に示されていることと 実際に起こっている事柄のギャップはいかなる者であるか。 教会という聖なる部分に含まれる事柄と違いが実際の苦悩に 過ぎない集まりに陥っているのではないだろうか。 祈りの中に不平等はなかろうか。
また、信者、非信者の結婚における子供に対する宗教の 対立はどうか。
また、信者であって教派の異なる場合はどうなるか、 聖書の中に答えはあるのであろうが、実際の遭遇のときに 見出されるのであろうか。
教会という閉鎖された場と感じるのか、はたまた教会という 解き放された場と感ずるのか、一つの指針になるのであろうか。
報告者、担当者 下山

zangai3月の報告

今月のZANGAIは、14日に無事終わりました。
今月のテーマは、復活祭も近ずき、 ヨハネによる福音 12.20−33で行ないました。 まず、異邦人にたいする福音が述べられる個所であり、 ここにおいて世界宣教の礎の宣言であろう。 また、当時におけるギリシャ語をはなすユダヤ人に対する 福音も含まれるの゛あろうと思われる。
一粒の麦の個所は、有名なところで、ここの説から、 後に述べられてくる本日のわかりにくい個所も自ずから、 結び付くところ。
自分の命を愛する者はから、それを保って永遠の命に いたるまでは、神と子としての関係をあらわしめ、 また、イエスと弟子との関係も波及する。

ここだけを抜粋してみれば、何のことかわからないし、命 という点を捕らえて、見れば、自然における死をだけを捕らえてみるもの は、失い、その命がもう一歩先に存在すべき者に託されることの存在をきずく べき者は栄光に託される。

ここのところは非常に難しくあいまいな展開がわれわれの上におちいるば かりである。 その次の仕える者という語も、含みのある言葉、ここだけの視点だけでは なかなか意味が会せない。 栄光への宣言であり、われわれがそのメッセージをどう受け取れるかどう かがポイントである。 今回もなかなかその前だけを見てしまえば、わからないし、どの視点に方 向を見出せば、一つの光が見出せるかどうか、難しいところです。

報告者 下山静夫 e-mail shizupshimoyama@msn



zangai会2月14日報告
今回、出エジプト記 第20章 1−17 十戒
担当浅野氏

プロテスタントの使っている聖書とカトリックのが使っている聖書 では、十戒の順番が違っているとのこと。
今回の勉強会では主に前半のところを話合いました。
偶像崇拝のところで、カトリックがマリア様の像に向かって祈って いるところは、多の人々から見て、偶像崇拝に見えるという誤解が 生じているのではないか?マリア様を投して祈りを仲介してただく、 行為が見えるみえないの認識の偶像崇拝になっているのではないか はたまた、自分の心が物質における偶像崇拝否定していても、 自分自身の心の偶像を作ってしまっているのではなかろうか。
信仰は、信じる心と信じられない心との相反するところが必要で、 信じていますという信仰オンリーだけでは本当の信仰を形成して いるのだろうか。
種々われわれの生きている過程においていろんな側面が生じるが、 その中で、自分が置かれているその時の思いが、いろんな方面に 広がる過程において、信仰オンリーの必要はいかなるものであるか。

来月は3月14日 金 大阪 玉造教会 司祭館
pm7:00から
担当は、当日決めます。

zangai会も、パソコンを使う人も増えてきています。まだインター ネット に本格的にしている人は少ないですが、その中で、斎藤さんは、 旧pc-vanの中の聖書喫茶シャロームにおいて頑張っています。
驚いているところです。また、木次さんもパソコンに向われる日も近い でしょう。
ネット上でも意見がいえるような広がりを待っていますし、カトリック プロテスタントの垣根もないよなつながりもほしいものです。 今回の担当の浅野氏はプロテスタントですが、私たちは決して 違う信仰者とは思ってもいません。

時間、環境、場所関係なく聖書を通してつながる場を持ち続けていきたい と思います。



来月は、2月14日(金) 玉造教会 司祭館にて
午後 7時から
来月の担当は浅野氏です。

会への問い合わせは
shizuo_shimoyama@msn.com


1997年1月17日のまとめ
今月は担当下山でした。
初めの祈りから入り、淡路阪神大地震の2周年に当り、お祈りをさせてい ただきました。
神田神父さんのますますの被災地における活動もまっとうされることを祈りつつ。また、この時期の神田神父さんのマスコミの露出にたいして本当に的を得ているのかどうか などと思いつつも。

テーマ ペテロの第二の手紙 第三章1−12

ここでの読んだ感想の一番に参加者それぞれペルーにおける人質事件にお いてのバチカンの介入に関して言葉が発せられたのには驚きました。 テロリストの上にも、監禁されてる人の上にも同じ介入が届くのでしょう か?
いつものごとく種々の話に飛び、zangaiとして、日本以外のカトリ ック及びキリスト教会の つながりあるいは典礼とか外国から短期滞在する人の話とか聞く場を持っ てみたいとのこと。 うちから外に向けるつながりも持ち続けたい会にしたいとの皆さんの意見 でした。

また、今年の私のテーマ、棄教するかどうか、についても2−3話を聞け ました。 こだわるものをないのなら、カトリックのままでいいではないか、という 意見もあり、 私はこだわりがないから、カトリック信者でなくてもいいのではないかと いうこともありました。 まあ、この辺のこだわりは続けていくつもりですが。 この件に対して神田神父さんからのご意見も個人的にいただきました。

この会に興味ある方は、場はいろんなところで交流できると思います。 では、来月もよろしく。



1996年のまとめ
11月のZANGAI会
11月15日(金)午後7時から玉造教会 司祭館 にて

今回は離縁がテーマでした。
基本的に底辺に流れているアンチローゼはどこの民族、宗教も
同じであり、その上に立脚しているものが各宗教において違う。
マタイ19章がその日のところでした。

10月11日 金 pm7:00 から 玉造教会 司祭館 にて
どうぞご参加ください。

9月13日(レジメ) テーマ ヨハネによる福音書 第4章 1−39
担当当番 ユダ

多くの方に参加してもらいたいですが、なかなか場所、時間と制約が
あると思います。今回私の当番なので、試みとして、インターネット
上でもいろんな意見感想など当日までの間お聞かせ願えたら幸いだと
思っています。担当司祭 神田神父は、震災後鷹取教会にて、多忙な
活動されてこちらには来られませんが、結果報告は致しております。

zangai
ヨハネによる福音書 第四章1−39
9月13日
課題

来月は、10月11日 金 pm7:00すぎから
玉造教会司祭館にて
担当はその時に決まります。