青白いせん光に目がくらむ。赤い火の粉があちこちに飛び散る。工場内には、鉄板 切断機や屈折磯、鉄板製品が所狭しと並ぷ。溶接作業の火花と黒々とした鋼鉄板の空間だ。 ごつごつといかめしい。
社長の土木春男さん(五五)は、中学卒業後、山科で鉄工業 を営んでいた母方の叔父の会社に就職。約十年間、溶接など の鉄工技術を学び、帰郷して一九七三(昭和四十八)時に創 業した。「今やらねばいつやる、との思いで工場にこもり、四季 の移ろいも分からないぐらい、しゃにむに働いてましたね」と、 創業時を振り返る。 鉄骨組の建築工事なども手がけるが、主製品は、コンテナロ ーリー(鋼板油槽)。トラックの車体や荷台に取り付け、液体な どを貯蔵運搬する。ガソリンスタンドが、灯油などを宅配する 小型タンクローリーをイメージすれば分かりやすい。 叔父の取引先をのれん分けの形で引き継ぎ、京都市内の専 門メーカーヘ納品する。油槽のサイズは、軽トラックやニd車 用など、車種に応じて変わる。 跡継ぎを目指す長男(二六)や地元、京北町や瑞穂町の職 人を含め、七人で鉄板の切断や溶接に多忙な日々を送る。 「職場は戦場、良心の結晶を提供する」をモットーに、製品づく りに取り組む。「一人前になるには、三年はかかります」と、従 業員の技術向上にも力を入れてきた。 この結果、年ごとに業績を伸ばした。創業二十二年目の一 九九五年には、念願の株式会社になった。 「一時は、業績が一億円を超えたこともありますが、不景気 の影響は避けきれず、今は九千万円台です。扱う製品のレパ ートリーを広げるのが、これからの課題です」と土本さんは、さ らに意欲を燃やしている。 京都新聞丹波版平成14年3月29日 |