- 現代文明の動向−「現代文明論」が語るもの 同志社大(名) 望田 幸男
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「現代文明の動向」を論ずるに、文明の定義やその展開の跡を追うという歴史叙述的方法をとらず、「現代文明論」ないし「現代論」のいくつかを取り上げ、それらを通じて「現代文
明の動向」を見る。つまり「言説」を通じて「あり様」を透視してみたい。 取り上げる「現代文明論」「現代論」の素材は、「近代化論の現代的変態」「文明の衝突論」「緑の思想」の三つである。
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持続可能な社会の哲学 京都橘女子大 碓井 敏正
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核兵器の存在は、文明の進歩が必ずしも人類の生存の持続を保障しないことを示しているが、この点は日常生活の再生産についても当てはまりそうである。農薬や添加物にまみれた効率本位の食生活が、やがて人類消滅の引き金にならないという保障はない。これらの問題は資本主義的市場経済を批判的にとらえるだけでなく、現代における人間と自然とのあるべき関係を追究する必要性を教えている。一方で、肉食中心の先進国の生活の裏には、10億を超える飢える民の存在がある。飽食と飢餓の同時存在(南北問題)こそ、現在の地球が抱える最大の問題であろう。加えて化石資源をはじめとする地球資源の限界、地球温暖化における負担のあり方などは、グローバルな配分的正義の確立だけでなく、将来世代との関係や所有権の原理的な問い直しを求めている。環境問題は人間と自然との関係だけでなく、グローバルな人間と人間との関係の問い直しをも求めているのである。
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京都議定書の排出権取引について 鳥取大:形岡亮太郎
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1997年京都において開催されたCOP3において京都議定書が採択された。「排出権取引」を始めとした、いわゆる「京都メカニズム」を導入することが決定した。「抜け穴」になると強く批判されたが、一方で、すでに各国は具体的な取り組みを始めている。もう英国では「排出権取引」が始まっている。また「排出権取引」、それ自体が欧米ではそう新しいものではない。我が国では経済産業省と環境省によって、実験的な取り組みが為されている。本論では、@「排出権取引」がそもそもの目的である排出量削減に寄与するのかということ、A各国の「排出権取引」への取り組みから「効率的な市場」を設計するにはどのような制度が望ましいのか、ということについて考察を行いたい。
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被爆樹木が教えるもの 京都大 村田 芙美
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戦後の広島において樹木は「命と平和」の象徴とされ、市内各地で積極的に植樹されてきた。一方で被爆後もなお生存を続けた樹木(被爆樹木)への関心は低く、広島市の復興と再建の過程でそれらの多くは街中から消失し、現在に至るまで、被爆樹木に関する系統的な調査はほとんど行われてこなかった。また、科学的研究もわずかであり、現在、被爆樹木は、その外形的な特徴のみで被爆の痕跡が判断されている。被爆樹木は歴史的財産、平和教育の教材、学術的研究対象として重要な意義を持つと考える。そこで原爆による樹木被害、現状、保存経緯、平和教育への活用例に関して調査を行い、爆心地から1.27kmで1978年まで生育していたエノキについて、内部の構造に及ぼした被爆の影響を検討した。本報告ではこれらの結果を発表し、核兵器を廃絶して平和な世界を持続していくために被爆樹木が果たす役割について考えてみたい。
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今日の地球環境と持続可能性 元京都工繊大 泉 邦彦
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かけがえのない地球が、今人間の社会的な活動によって急速に破壊されつつある。 特に、フロンなどによるオゾンホールの激化に加えて、大量の石油や石炭の燃焼が大気中の二酸化炭素の濃度を飛躍的に増大させつつあり、地球の温暖化がじりじりと進みはじめている。また酸性雨や砂漠化の広がりと共に、森林の破壊と野生生物の減少がますます顕著になり、絶滅の危機に追いやられる生物種は毎年5万種にもおよぶ。
このような地球環境の破壊の主な原因は、先進工業国に広く見られる持続不可能な生産・消費パターンである。したがって、大量生産・大量消費・大量廃棄を軸とした20世紀後半以降の生活様式を抜本的に転換して、環境への配慮を何よりも優先した新しい社会システムをつくりだすことが強く求められている。そこでそのために最低限必要な基本原則について考えてみたい。
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廃棄物問題と拡大生産者責任 (京都大)淺木洋祐
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20世紀に顕在化した環境問題は、21世紀に入っても深刻化の一途を辿っている。その中でも廃棄物問題は、最も重大な環境問題の一つと認識されている。
この廃棄物問題は、現在の大量生産・大量消費・大量廃棄という社会経済システムに起因するとされており、その解決には、大量廃棄社会から循環型社会へのパラダイム転換が必要とされている。このパラダイム転換に向けた様々な取り組みが模索されているが、現在最も注目されているアプローチの一つが、拡大生産者責任(Extended Producer Responsibility、以下EPR)である。
EPRは、先進国を中心に多くの国々で検討され、実施されつつある。日本においても、2000年に成立した循環型社会形成推進基本法においてEPRが位置付けられた。そしてEPRに基づく法制度として、容器包装リサイクル法、家電リサイクル法などが制定され実施されており、循環型社会へ向けた取り組みにおいて中心的な位置を占めつつあるのがEPRである。
EPRとは、一体何であり、既存の取り組みと比較して何が新しいのか、そして、それが果たして現在の社会システムを循環型社会へと移行させることが可能なのか等について検討する。
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アメリカのグローバル戦略と石油 京都大 野口 義直
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20世紀は石油の世紀であり、石油をめぐる帝国主義戦争が繰り広げられた世紀であり、石油を支配するアメリカの世紀でもあった。新世紀を迎えても、アメリカは自らの覇権を維持するというグローバル戦略を保持し続けている。
1991年のソ連崩壊後、アメリカが狙うのはユーラシア大陸全体の覇権である。特に中央アジア地域は、米ロ両大国間での帝国主義的な「新グレート・ゲーム」の舞台となっている。その経済的動機は、同地域に眠る豊富な石油・天然ガス利権に対する国際石油資本の激しい渇望である。アメリカ政府は、ロシアから同地域の軍事的・経済的覇権を奪い取って中央アジア諸国を従属下におき、自国石油資本の海外での経済活動の安全を保障する政策をとってきた。具体的には、旧ソ連から独立した新政府に対する外交的支援、同地域での自由貿易協定の締結と石油パイプラインの敷設計画の推進、テロ対策を名目とした軍事同盟の構築である。さらに、ブッシュJr.政権のすすめてきたアフガン戦争、イラン戦争は、中東・中央アジア全域での覇権確立を目指す戦略の一環であり、各国に対して両戦争への協力をせまりながら、軍事的覇権を構築している。
だが、アメリカの帝国主義的行動は、中東・中央アジア地域でも民族紛争を激化させて民主主義の発達を阻害し、自らテロリズムの種をまきちらしている。その自国への波及が、2001年9月11日の航空機爆破テロにほかならない。さらにアメリカは、戦争を遂行する上で国連を無視して自らの国益を追求する単独行動主義をとり、地球環境問題という全人類的課題に背を向けて京都議定書からも脱退した。しかし、ブッシュJr.政権の露骨な帝国主義的行動は国際世論による厳しい批判を浴びており、帝国主義を否定して民主主義的な国際秩序を形成する要求をグローバルな規模で強化する契機となっている。
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エアラインの規制緩和とグローバル化 京都大 松本俊哉
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経済グローバリゼーションは、アメリカ主導による国家間関係の変化や国家の役割の変容を伴いつつ
進展している。国際航空輸送は、競争のグローバル化という点からも、国家の役割の変容という点から
も、そうした経済グローバリゼーションを検討するために重要な素材を提供してくれる。
政府間の規制の下で競争を制限されてきた国際航空輸送は、現在、国際提携を軸にして価格やサービスにおいて激しい競争を展開するようになった。こうした経緯について、アメリカ国内で始まった規制緩和の影響と帰結、政府間で交渉され交換される航空権益に対する認識の変化、企業利益と公共利益の
対立側面などの観点から検討を加えてみたい。
さらに、今後のグローバリゼーションにとって、アメリカ主導で進む国際航空秩序の展望や国際航空輸送の可能性などについても考えてみたい。
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経済グローバル化の論理と帰結 京都大 (名) 杉本 昭七
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(T) 資本主義発展の歴史過程
時期区分、推進軸としての企業、歴史的地政学
(U) グローパル化の展開
(1)手段の展開;貿易、証券投資、直接投資、提携
(2)思想;自由化、規制緩和と撤廃
(3)枠組;GATT→WTO、IMF、世界銀行、OECD、SUMMIT、ODA、ダボス会議
(V)グローバル化の結果=現実
(1)超国籍企業の聳立、
(2)政府・政策の変容、 (Ex. 対米従属)、
(3)全面的な世界の包摂と競争激化、
(4)世界経済の二極化(先進国と途上国、肥満と餓死)、国際人と大衆への二分化、
(5)自然環境と人間の破壊(地球温暖化、砂漠化、刑務所と自殺)
(W)結語
(1)必然的な道としての世界経済融合過程の進展 (Ex.EU)、
(2)ナショナルな経済の歴史過渡的性格、
(3)民主的なグローバルな統治体制、WTO、国連、トービン税
(ジョン・グレイ、スーザン・ジョージ、他)
(4)環境保護、
(5)ローカライゼションと地域連帯の意味
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多忙状況における教師の教育活動 立命館大 布川 淑
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1990年代後半以降の教育改革において、教師の資質向上方策が重要な課題とされている。教師の資質向上方策は、戦後の教育政策において一貫して見られるが、今日のそれは、学校内における教師の指導力向上のための制度や組織作りを推進する。他方で、近年、過労・現職死やバーンアウトといった教育活動の継続困難に象徴される「教師の多忙」問題が指摘される。こうした情勢のなか、教師の教育活動の実態はどのようなものであろうか。
本報告においては、大阪府立高等学校の教師に対する聞き取り調査の結果をもとに、多忙化との関連から教師の教育活動の実態をみるとともに、教師が教育活動を継続する条件を示唆したい。
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看護における発達保障 立命館大 武分 祥子
- 看護師として患者と日々接し多くのことを学んでいる。その中で、患者のもつ「力」を引き出すことが病気の治療にとって重要であると実感する。治療の主人公は患者である。患者の「力」が発揮できるように援助を考えていくのが看護の役割である。そのためには、患者の思いを尊重し共に取り組んでいくことが欠かせない。
また、援助過程において看護師自身も磨かれる。つまり患者と共に学び育っていく。援助の場そのものが教育の場であるといえる。
看護師が患者と接する場は治療を通して共に学び合い、身体的にも精神的にも成長する場である。そのために環境を整え、目標に向かって取り組むのである。患者の「力」、家族の「力」、看護師の「力」等が結集されたとき現状を克服する基盤ができる。その「力」を引き出すことが看護において発達を保障することである。
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教える側と学ぶ側の食違いは何故? (元教員)関谷 健
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子どもはどういう知的存在なのか。 児童期の力学的自然観の研究に拠って、生活的な「学び」による認知・認識、その身体性と理科教育の「教え」の内容・方法との食い違いを検討。「理科嫌い」解消の方向を探る。
- 9〜12歳児童の力と重さの生活的(素朴)概念の発達とその身体的特質,特に質量の重力的・慣性的両側面の認知発達と停滞について。(資料A)
- 子どもは何故,力学領域と生物学領域の事象に関心が強く,しかも理解し易いのか。最近の認知心理学的諸研究と新たな子ども像について。(資料B)
- 現行の小学校学習指導要領・理科による教える側の「教え」と学ぶ側の児童との距離の問題。 事例--初めての力学領域学習単元「てこの働き」(小5)の場合、指導要領の指針、教科書の内容と児童の知識・理解度について。(資料C)
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教育の今日的課題−特別支援教育と教師の発達感− 京都教育大 田中道治
- 「枠組みを変えるだけで、障害児教育が良くなるのか」という不安や批判を背に本格的にスタートしようとしている「特別支援教育」をとりあげたい。ここでは、システムの概要、対象児、従来の障害児教育との関係、問題点を整理して、特に対象児5倍増のなかで、教師の教育観や発達観との関係を考察したい。