プロフィール

指揮:中田延亮

Nobuaki Nakata

 

1975年京都生まれ。筑波大学医学専門学群在学中に本格的に音楽の道を志し、桐朋学園ソリストディプロマコースに入学。コントラバスを専攻する一方、故上杉隆治氏に師事し指揮を学び、学生時代よりコントラバス奏者・指揮者の両面で活発な活動を展開する。

コントラバス奏者としては、96年、サイトウキネンフェスティバル「第1回若い音楽家のための勉強会」の受講生に選抜される。 97年 宝塚ベガ音楽コンクール弦楽器部門で1位なしの2位。イタリア、キジアーナ夏季音楽院 Diploma di Merito 授与。 この時期より国内のオーケストラ・アンサンブルに出演するようになる。98年 ジュネーヴ国際コンクールセミファイナリスト。99年 京都、つくばでリサイタルを開催、好評を博す。同年新日本フィルハーモニー交響楽団の客演首席奏者となる。 翌年、同交響楽団へ最年少首席奏者(当時)として入団し、2005年まで在籍する。 サイトウ・キネン・オーケストラ、紀尾井シンフォニエッタなどにも客演。

一方指揮者としては、桐朋学園在学中に、桐朋学園の学生を中心にしたオーケストラ「仙川管弦楽倶楽部」を立ち上げ、演奏会を指揮、当時のメンバーの多くは現在国内外のオーケストラの主要な楽員として活躍している。98年、沖縄国際音楽祭の指揮マスターコースに参加、広上淳一氏に師事、終了コンサートの際に指揮したベートーヴェンの弦楽四重奏曲13番のカヴァティーナ(合奏版)の演奏は、ヴィオリスト、ブルーノ・パスキエ氏に高く評価される。 なお、この演奏はANAの機内用音源として録音され、機内放送されている。03年、紀尾井ホールでのクウォーターズ・クラブ主催の「モーツァルト・ガラコンサート」で都内プロオーケストラの主要メンバーで特別編成されたオーケストラを指揮、好評を得た。

05年、活動拠点をヨーロッパへ移す。ウィーンを拠点とし、指揮とコントラバスのほか、ヴィオローネ(コントラバスの先祖にあたる16〜18世紀頃ヨーロッパで用いられた古楽器)を学び、ピリオド楽器奏者としても活動する。ウィーンフォルクスオーパーで長らく第一コンサートマスターであった名ヴァイオリニスト、ウド・ツヴェルファー氏に「まるでウィーンに生まれ育ったかのようにシュトラウスを弾く」と激賞され、以降、彼のアンサンブルで度々共演。06年 ロリン・マゼール氏に見出され、新設されたスペイン、バレンシア州立歌劇場のメンバーとなる。(07年より副首席奏者)07年 3月 マーラーの交響曲第2番「復活」の栃木県初演を指揮。 同年6月 ブルガリア、スタラ・ザゴラ州立歌劇場に客演、シーズン最終演目でもあった市内のローマ遺跡を舞台にした野外公演において、オルフ「カルミナ・ブラーナ」を指揮し、同プロジェクトを成功に導く。 同年8月 ドナウ交響楽団(ブダペスト、ハンガリー)主催の指揮者コンクールにて1位入賞。 08年は1月にドナウ交響楽団( Danube Symphony Orchestra )定期公演(ブダペスト、ハンガリー)に客演する。6月にはリオ・デ・ジャネイロで開催される、ブラジルにおける日本移民100周年を記念した「日伯交流音楽会」に指揮者として招聘され、ペトロブラス交響楽団( Orquestra Petrobras Sinfonica )を指揮。同演奏会は、来伯中の皇太子殿下も臨席された。これまでに、ハンガリー国際指揮セミナー(ブダペスト)、 Musica Riva Festival(リヴァ・デル・ガルダ、イタリア)、 Mostra International de Musica em Olinda (レシフェおよびオリンダ、ブラジル)などのマスターコースに参加する。また、指揮を故上杉隆治、湯浅勇治、広上淳一、ミヒャエル・ディトリッヒ、イサーク・カラブチェフスキー、ジャン・フルネの各氏に師事。 コントラバスを故江口朝彦、池松宏、フランコ・ペトラッキ、エルンスト・ヴァイセンシュタイナーの各氏に、ヴィオローネをアンドリュー・アッカーマンにそれぞれ師事。