クリスマスの料理はターキーと思っていたのですが、これはイギリス(クリスマス・プディングも有名ですが)、アメリカの話のようです。むしろ、魚料理がメインな国が意外に多いようです。ハンガリー、ポーランドではそうですし、スウェーデンでも、魚料理・ハム・ミートボールとのことです。ドイツでは鴨だそうですが、すぐ隣のオランダでは特別な料理はないそうです。また、ビクトリア朝(1837〜1901)のイギリスにおいても、クリスマスのトリ料理の素材として、ディケンズの「クリスマス・キャロル」ではターキーが出てきますが、シャーロック・ホームズではガチョウが出てきます。
クリスマスの飲み物としては、ワインに香辛料を入れて暖めたもの(甘い「おとそ」みたいです)を飲む国が多いようです。
12/6(オランダでは12/5)のシント・クラエス(聖ニコラウスの祝日)にドイツ、オランダ、ハンガリーでは贈り物をする習慣があるそうです。どうやら、クリスマスはここから来ているようです。
シェークスピア以前は、教会で上演される劇がほとんど唯一の演劇だったそうですが、その教会劇を観に行ってきました。期待していたような古典的劇ではありませんでしたが、とても信者さんが手作りで行っているとは思えない見事な出来でした。中でもソロを踊ったバレリーナは、アメリカで観た中で(テレビも含めて)、トップクラスの踊り手でした。日本の公民館くらいある教会の講堂は大入り満員でした。どうやらプロテスタントのこの宗派はこの様な行事に非常に力を入れているようです。
Stanford周辺で、クリスマスのライトアップが綺麗なことで有名な場所にFulton通りがあります。クラシカルなデコレーションが多いですが、味があって気に入っています。
Palo Altoの草サッカー・リーグの20世紀の試合が終わりました。最終日は主に左FWとしてプレーしました。結局得点できませんでしたが、納得のいくプレーが出来ました。
一番のプレーは、以下のアシストです。中央付近でパスを受け、ドリブルで右前方に進む。味方MFがそれをウェーブの動きで追い越していき、左のライン沿いを駆け上がっていく。相手DFが外に注意が行った瞬間、その内側に30m程のスルーパスを、DFとGKの間のスペースに通す。駆け上がっていったMFがそれを受け取って、GKとの1対1の状況から、落ちついてシュートして、「1点」というものでした。MFとの意図がバッチリと合い、タイミングも狙い通りの気持ちのいいプレーでした。
自分で得点のチャンスは、大チャンスがあったのですが...。相手DFの裏のスペースに走り込んで、そこに、タイミングの良いパスが来る。ダイレクトで触りさえすれば1点という状況で、「空振り!!」....。 残念でした。
今世紀中の1点を目指して、実はもう一試合出場したのですが、流石に途中で力つきてしまいました。試合後に、「3年前と比べると見違えるようだ」と言われたのは、ちょっと嬉しかったです。
グランド・キャニオンにアメリカに来て初めて行ってきました。思っていたよりもずっと簡単に行けました。ラス・ヴェガスまで飛行機で行って、そこからレンタカーで5時間ほどでした。その途中にフーバー・ダムがあります。大恐慌の時に雇用対策で行われた大規模事業として有名ですが、名前の由来であるフーバー大統領はスタンフォード大学の卒業生で、家も大学内に持っていたそうです。
グランド・キャニオンは想像以上に雄大で見事でした。夜明けから次第に変わっていく様は見応えがありました。秋は昼間も暑くなりすぎないために、夏よりも見に行くのに良いシーズンかもしれません。公園内の宿はこちらで予約できます。数年後には公園内への自家用車の乗り入れは禁止され、その代わりに、近くの町から列車で乗り入れ、公園内ではシャトルバスを利用することになるそうです。それはそうと、ラス・ヴェガスと1時間の時差があるのには驚きました。
ちなみに、グランド・キャニオンがアメリカの60セント切手の絵柄(February 02, 2000 のところ)になっていますが、これは、印刷の手違いで左右がひっくり返ってしまっています。間違いに気が付いたのが手遅れで、そのままになっているそうです。
帰りにはアリゾナ・大隕石孔 を見てきました。何もない砂漠の中にぽつんと巨大な穴がありました。ハイウェー(I-40)の出口もここ専用のもので、隕石孔に続く道一本しかありませんでした。
アメリカで車の後ろに、魚の形で中に「Jesus(キリストのこと)」というエンブレムや、それと良く似たもので中の文字が「Darwin(英国の博物学者・進化論者)」というものを見たことがありませんか? 魚はキリスト教徒のシンボルだそうです。魚のエンブレムを見て、魚に足を付けたDarwinのエンブレムが作られたということのようです。また、アメリカの南部などでは、キリスト教の聖書の記述と異なるという理由で、進化論を学校で教えていない州があるそうです。このように、科学と宗教の対立が今だにアメリカでもあります。そして、どちらを支持しているかというメッセージを車に貼っているわけです。そのことを知るまでは、かわいらしいエンブレムだと、少し憧れていましたが(しかも、区別できていませんでした)、流石にその気はなくなりました。特にJesus を貼っている人には、アメリカ・ライフル協会の人が多いと思うと聞いてからは、むしろ恐ろしくなりました。着ているTシャツのロゴにも変なことが書いてないか、気になるこの頃です。
ご存知の通り、アメリカの大統領選挙は混迷を極めています。選挙当日までは研究室では全くに近いほど話題にならなかったのに、終わってからこんなに(研究室でも)話題になっているのは、何だか変な気分です。両陣営の得票 3百万票弱の内、300票の差というのは...、もしかして、(アメリカでは)機械誤差の範囲内ではないかと思うのは、私だけでしょうか? どちらが勝ってもこれから4年間遺恨が残りそうですが、どうなるのでしょうか?
アメリカでは、英文を書くという訓練は想像していたほどは行われていないそうです。学位を持ったネイティブ・スピーカー向けの論文添削サービスもあります(日本人向けに、日本語添削をする会社があると想像して下さい)。ネイティブに英文を確認して貰えば大丈夫だと思っていたのは、どうやら大きな幻想だったようです。そういえば、英国人やアメリカ人の書いた論文の下書きの中には、ひどいものもありました。
サッカーのアジア・カップは日本の優勝という最高の結果で終了しました。そして、2002年には日本でサッカーのワールド・カップが開催されます。2002年に世界中からやってくる観客は、オリンピックなどとは全く異なり、「庶民」が押し寄せてきます。本当の日本の国際化に向けては素晴らしいチャンスだと思いますが、同時に日本がそのショックに適応できるのか不安でもあります。世界の他の国(南米などを含めた)での「庶民」とはどういうもので、どんな行動をとるのかについて、十分な広報活動はなされているのでしょうか?
日本に一時帰国していました。横浜の中華街の食事はこちらで食べる中華料理よりも美味しかったです。日本人の口に合うようにしてあるのと、実際に美味しいのとその両方だと思います。
スタンフォード大学の就職センターに行ってきました。学部学生からポスドクや卒業生に至るまで、様々な人の就職の手伝いをしてくれるところです。日本の大学にもあるのかもしれませんが、医学部出身のためにお世話になることが無く、知りませんでした。手紙の書き方から面接の仕方まで教えて貰えるようです。たまたま見つけたのですが、面白そうなので、また行ってみるつもりです。バークレーにも同様のものがあるようです。
SLAC(Stanford Linear Accelerator Center)に見学に行ってきました。素粒子という原子の中の小さな粒子を研究するための施設で、地下に、長さ3km程、太さ腕くらいの銅線が設置されています。その銅線中央に開けてある、真空の穴の中で、粒子を加速してぶつけるという実験をしています。ノーベル物理学賞を3つ生み出した実験施設とのことです。このくらいの長さ(3km)になると、月の満ち欠けでゆがみが出てくるそうです。
近くの町にある航空博物館に行ってきました。ライト兄弟より10年以上前に飛んだグライダー(実物)から、最新の飛行模型まで展示されており、面白かったです。近くのファーストフード店にまでヘリコプター(実物)の展示がありました。
9/12は中秋節です(日本でもお月見をしますが)。中華マーケットではいろんな種類の月餅が山積みで売っています。化粧箱に入って、結構な値段($20-30)がします。中国人同士で、お中元のように送り合うそうです。それなりに美味しいです。ただし、カロリーが高いそうですから、程々に!
伝統的な月餅は「蓮蓉双黄月餅(蓮の実と、鴨の卵黄が2つ入ったもの)」です。ただ、卵が塩漬けで、これは、それ程美味しいものではありません。それから、月餅を食べるときは、中にメッセージが入ってないか注意して下さい。中国の伝説によると、「元」を滅ぼすために、反乱軍のリーダーが、反乱計画を月餅の中に入れて仲間に配って、反乱を成功させたそうですから....。
月に兎がいるという話は、インドのインドラ(帝釈天)という神様と兎の話に由来します。狐と猿は捧げものを持っていたのに、持っていなかった兎が自分の体を火にあぶって捧げました。それに感じ入ったインドラが、兎に月に住みかを与えたという話に由来します。月に兎が居るという話は、香港・台湾・中国・韓国でもあるようですが、パキスタンには伝わっていないようです。また、餅をついているのは日本と韓国の兎だけのようです。私が聞いた限りでは、台湾では兎は月餅を作っているという話もありますが.....良く知らないようで、香港・中国人は知らないと言っていました(ものの本には 薬草を挽いているとあります)。
いつか、本場で讃岐うどんを是非食べてみたいと思っています。発端は村上春樹の「辺境・近境」という本でしたが、香川県に行った人に聞くと、本当に美味しかったそうで、是非行ってみたいと思っています。行きたいのは、ざるぶっかけの「うどん本陣山田家」と伝説の「中村」です。
近くのWoodsideという町でオリンピック・スタイルの馬術の競技会が開催されているとのことで(9/15-17)、見に行ってきました。ちなみに、この町は、住民の半数近くも馬を飼っているらしいです。丁度、クロスカントリーの障害競技が行われていました。競技委員長に競技の説明をして貰い、お勧め観戦ポイントの水郷で観戦しました。そこまで、コースの真ん中を横切っていくのです! 一応、競技の邪魔にならないようなタイミングで歩いていきましたが、ホントに良いのかなという感じでした。審判員以外、柵の内側にほとんど人がいなかったもので....。それにしても広かったです。
オリンピックのサッカー代表がとうとう決勝トーナメントに行くことになりました! ブラジル戦をご覧になった方も多いかと思いますが、アメリカでは全く放送されませんでした。当地時間の深夜2時からの試合を即時に知る方法は、インターネットを介したものに限られました。一つは大速報という有志による書き込みを追いかけること、もう一つは新聞のHPの速報、また、Real Audioによるポルトガル語の放送もあるようですが、残念ながらこれは繋がりませんでした。それ以外に、
糸井重里さんがテレビを見ている様子が「聴ける」というものもありました。これらを駆使すると結構臨場感がありました。
次のアメリカ戦はさすがに中継録画が見れました。中継録画にも関わらず、放送時間は放送開始まで全くわかりませんでした。結局、予想していたより30分早く始まりました。その理由は....ご存知の方も多いと思いますが、延長戦に突入しPK戦にまで至ったからです(延長の前・後半あわせて30分)。久しぶりに見る日本代表は見事な戦いぶりを見せてくれたと思います(体力が切れるまでですが)。「世界の一流どころに手が届くようになってきた」と感じたのは私だけでしょうか? それにしてもアメリカ人はオリンピックに関心がありません。日本 vs. アメリカ戦の翌日のPalo Altoの草サッカー・リーグにおいてすら、全く話題にのぼりませんでした!
ハチドリの季節がやってきました。昨年からハチドリの餌箱(液体入り)をベランダに付けています。昨年の秋頃はひっきりなしに来ていたハチドリは、しばらく餌をやらずにいたためか、或いは、周りで花が咲いていたためか(冬から春にかけて雨期になり、花が咲き乱れます)、姿を見せませんでした。それが8月中旬から、再び、わが家に来るようになりました。少なくとも3羽が交代できているようです。それ以上来ているのかもしれませんが、個体の識別がそこまで正確でないために、これ以上は分かりません。見ている限り、4カ所有る吸い口に、それぞれのお気に入りの場所があるようです。
アパートで、毎月パーティーが開かれているのですが、今回「寿司パーティー」を開くのを手伝いました。ちらし寿司、いなり寿司、巻き寿司とある中、どれが一番アメリカ人に人気だったと思いますか? なんと....ちらし寿司でした。甘い、いなり寿司だと思っていただけにちょっと意外でした。日本文化のビデオ紹介も行いました。ただ、能と歌舞伎の「道成寺」の紹介は、ちょっとマニアックだったかもしれません。
お盆フェスティバルが近所のお寺で開かれたので、行ってみました。お盆フェスティバルはアメリカでも認知されているようで、アメリカ人から、そろそろだと言われていました。盆踊り、カラオケ大会、盆栽、柔道・剣道のデモなどがありました。この町でも50回目とのことでした。
Bank of the West Classicという女子のテニスの試合がスタンフォードのスタジアムで行われたので観に行ってきました。最前列で、ヴィーナス・ウィリアムスの試合が見れました。これは圧勝でした。均整のとれた体から、すごい球を打っていました。隣のコートのモニカ・セレスの試合もコート越しに見れました。セレスは...ちょっとファンだったのと(同じ型のラケットを持っています)、そっちの方が盛り上がった試合だったので、遠目で少し残念でした。でも、その代わりダブルスの試合も間近で観ることが出来たので、まあよしとします。そして、試合後にモニカのサインを貰ってしまいました!! 選手控え室の前で待っていた甲斐がありました。
ウィスコンシン州のマディソンに行ってきました(マディソンといえば「マディソン郡の橋」という映画を思い出しますが、そのマディソン郡はアイオワ州のことらしく、残念ながら、関係ないようです)。何と言っても驚いたのが、蛍の多さです。文字どおり数え切れないほどいます!! 見渡す限りクリスマス・ツリー状態だと思って下さい。本当に綺麗でした。ウィスコンシン州はチーズと酪農、それから、ビール(ミラーなど)が有名ですが、牛は流石に町中にはいませんでした(日曜日のフリーマーケットには出てくるらしいですが)。のんびりした綺麗な町でした。治安が非常によいらしく、家の鍵どころか、車の鍵も車にいつも付けっぱなしだと言っていました。
車で家から1時間ほどの所にある、Santa Cruzという街に行って来ました。海辺にある町で、カリフォルニアで唯一の海辺の遊園地もあります。海辺のレストランでは久しぶりに美味しい魚料理を食べました。また行ってみたいものです。
この一月ほど歯を白くするのに取り組んでいます。とは言っても、専用の歯磨き粉を買ってきて(Rembrandtという会社から出ているDazzling Whiteという製品です)、歯を磨いた後で口を濯ぐのを20分ほど我慢しておく(歯磨き粉を口に含んだままにして)、といった簡単なものです。しかし、効果は絶大で、説明書では2-3週間すると白くなってくると書いてあったのが、1週間もしない内に白くなってきました。米国で他人の歯が異様に白い理由がわかった気がします。でも反対に、こんなに強い効果があるものが害がないものか、ちょっと不安になりました(もちろん無害と書いてありますが)...。
5/5(旧暦では今年は6/6だそうです)は端午の節句ですが、ちまきの由来をご存知でしょうか? リンクを読んでいただけると良いのですが、中国の屈原という詩人/政治家にちなんだ話で、彼の命日が5/5ということに由来しています。この屈原の話は(実は最初からにビックリしたのですが)中国人なら誰でも知っている程有名です。それにはちょっと訳がある様でして...。一つは屈原が政治の腐敗をなげいたこと、そして、もう一つにはその場所が毛沢東の出身地に近いことがあるようです。
6/4のPalo Altoの草サッカー・リーグ試合ではDFをしました。急所にボールを受けるというアクシデントもあり、2失点の原因となってしまい、散々でした。結局、1-6で負けました。帰りに防御用のサポーターを早速買ってきました。付けると動きにくいかと思っていたら、結構快適です。
学会でラスヴェガスに行ってきました。エクスカリバーというホテルに泊まりました。この名前はイギリスのアーサー王伝説のアーサー王の剣の名前です。その名から想像できる通り、中世の城の形のホテルでした(ただし、そこは如何にもアメリカらしく、遊園地のお城のイメージ!)。しかし、部屋の内装は意外にも落ちついていて結構良かったです。そのホテルで、「トーナメント・オブ・キングス」というショーを観ました。馬上槍試合が見れるというもので、予約していたお陰で最前列だったこともあり(意外にも)楽しめました。次に行くときにはトレジャー・アイランドに泊まってみたいと思っています(このホテルのモチーフはカリブ海の海賊です)。
5/7のPalo Altoの草サッカー・リーグ試合ではDFをしました。久しぶりのDFだったので、どうしたらよいかも分からず、やりたい放題やられていました。ゴールキーパーと皆の頑張りのお陰で、どうにか前半は得点を入れられずにすみました(1-0)。後半は前半よりは大分ましになりました。結局、4-1で勝利しました。
4/15にディズニーのファンタジア2000を観に行ってきました。感想ははっきり言って「がっかり」でした。前作のファンタジア(1940年)は音楽と映像の素晴らしいマッチに感動したものですが、その後の技術の進歩は全く役に立っていないようです。オムニバス形式なのですが、最初の2曲は時間の無駄でした。2曲目はアニメーションが動いていない! 一番良かったのは3曲目のガーシュウィンの名曲でした。それから、前作のミッキーの「魔法使いの弟子」を手を全く加えずに流していたのには絶句しました。その次のは、映像は良かったのですが、音楽は耳に全く入ってきませんでした(これははっきりって失敗だと思います)。最後の曲に至っては、宮崎駿の「もののけ姫」のラストの場面とあまりにも酷似した内容でした。しかも、「そのイメージをしぼませたらこうなるのでは...」というものでした。
「もののけ姫」のアメリカでの放映権はディズニーが持っています。そして、これがアメリカで封切られたのは、なんと、この冬になってのことでした。そして、時期をほぼ同じくして、イメージが余りにも酷似した「ファンタジア2000」の公開! 今やアニメの世界を引っ張るのは日本ということでしょうか。
元旦の早朝からローズ・ボールとその前に行われるローズ・パレードを観に行きました。パレードは、花や植物で飾り付けをした山車と鼓笛隊が 総計100団体以上も参加するという大がかりなもので、日本からの参加もありました。ただ、寒かったのと、余りに山車の数が多かったので疲れてしまいました。
アメフトの試合は思っていたよりも楽しめました。というのは、下馬評では相手のWisconsin大学の圧勝ということでしたが、実際にはStanford大学のディフェンスが大健闘したからです。前半は一点リードして終了。後半も結局敗れはしましたが、もし、簡単なキックをミスしていなければ...といった感じでした。
Wisconsin大学の方が応援に来ている観客も3倍位いました。また、翌日、LAを観光しながら帰ったのですが、Wisconsin大学のトレーナーを着た、明らかに応援帰りの人たちがかなり目につきました。
ボストンに行って来ました。寒い寒いと思って準備していったのですが、記録的な暖冬で、トレーナー1枚くらいで昼間は過ごせました。日本人が経営している民宿(House in Boston)に泊まったのですが、ビックリしたことに、大学の先輩のK先生とそこで一緒になりました。K先生はボストンに引っ越してこられるとのことで、一寸だけ引っ越しの手伝いをしたのですが、その時に現れたのが大学の同期のW先生で、世界の狭さを実感しました。
ハーバード大学の医学部周辺のメディカル・エリアでは、その巨大さに圧倒されました。一つの町ぐらいの大きさの地区に10階建てくらいのビルが立ち並び、しかもその全部が病院または医学関係の研究施設なのです! しかもその中にはMGH(マサチューセッツ・ジェネラル・ホスピタル)を含んでいません! MGHは少し離れた所にあるそうです。
メディカルエリアとは川を挟んで反対側に位置する、ハーバード大学の本部キャンパスも見に行ったのですが、その中でもMCBの建物は、生物学系らしく、様々な生物のレリーフで飾られていたりして、一見の価値がありました。
MIT(マサチューセッツ工科大学)にも行ったのですが、そこは大学というよりも巨大な研究施設のように感じました。
こちらに帰ってきてから、東海岸に寒波が襲ってきました。その後だったら行くのも少ししんどかったと思います。
アメリカの滞在許可のvisaについてですが、Jという留学用のものは最長3年半で、それ以上延長するにはH-1visaを取るのが一般的だったのですが、最近はなかなか取れ無いらしく、それに変わって脚光を浴びるようになってきたのが、O-1visaです。それについての説明がここに載っています。ただし、1999年度には簡単に取れていたO-1visaも2000年になってからは取得が急に難しくなったとの話です。