追記1:
万博ホールで開かれた日本万国博覧会の記録映画上映会(企業パビリオン編とお祭り広場編)に行って来ました。そして、あの万博が紛れも無く今日まで続いてきた博覧会の原点であることを再確認しました。やはりすごいエネルギーだったのだなと感心しました。そして、私があまりにも一部しか見ていなかったことに驚かされました(当然かもしれませんが)。企業パビリオンはほとんど見たように思いましたがいくつも見逃していたことに気が付きましたし、タカラビューテリオンで開かれた未来のファッションショーに現代のガングロそのものが登場したことにも大変驚きました。また、お祭り広場のイベントは全く見ていなかったことも知りました。思い起こせばあの当時、クラシックのオーケストラの来日ラッシュで、1週間に2度3度と大阪フェステバルホールにカラヤンやバーンスタイン、セル、リヒテル、オペラと行きまくっていたので肝心の万博には3度しか行かなかったのを今になって悔やんでいます。ただ、今回この上映会を見て感じたのは万博以後のパビリオンはあまり進化していないことに気が付きました。やはり万博はもう曲がり角に来ているのかもしれません。でも、私の好きな万博は大画面や立体映像、などなどの実験的な試みが好きなのですが... それともう一つ、岡本太郎の太陽の塔の建設フィルムにも感動しました。太陽の塔は私の万博の永遠のシンボルです。
2000.5.1
追記2.
太陽の塔内部公開に行ってきました。1回目の抽選では当たらず、2回目も駄目で3回目にしてやっと実現しました。ハヤル気持ちを抑えてとはこのことで、じっと順番を待って地下の通路から(当時の入り方ではない)入りました。記憶では中にある「生命の樹」はもっと明るくてちゃちな感じを持っていたのですが、今見てみて、その意味を考えてみると外観の姿といい、内部のオブジェといい、やはり今でも大阪万博、いや日本の万博史上の最大のシンボルとしての存在価値は充分にあると感じました。ただ、当時は「生命の樹」の横をエスカレーターで見ながら上がったので下から見上げるのはなんとも奇妙な気分で、10分程の見学でしたが懐かしさよりも何か古墳に入ったような過去との体験でした。 2004.3.6
追記3
開幕には遅れましたが、4月9日に愛知万博に行ってきました。
万博なら何でも好きですから、面白くないとは言いませんがついつい大阪万博と較べてしまいます(かなり美化されているかもしれませんが)。スケール、国際性、デザイン性、運営面等どれを取っても大阪万博です。やはり、あの時代は高度成長期であり、また、プロデュサーの資質の違いが歴然と出ています。人数的には成功したかもしれませんが、とても万博と呼べるようなものとはいえなかったと思っています。大阪万博の時の日本人の未来に対するエネルギーや、外国パビリオンのユニークなたたずまいに比べて、愛知万博のなんと味気の無いパビリオンだらけだったこと(外国人の姿もまばら)。規模縮小を余儀なくされたとはいえあまりにも平板な造りには愕然としました。また、「自然の叡智」というテーマ自体に無理があったとも思っています。万博は本来、技術の最先端を紹介するものですから。救いはマンモス、現実に化石でなく存在したというリアリティに素直に感動しました。それと外国館です。それぞれの国の主張がはっきりしており、建物はちゃちでしたがそれなりに見応えがありました。日本館(にわとり小屋のような)は恥ずかしくて外国の人に見せられないようなものでした。合計3回行きましたが、シンボルが残らない博覧会はさみしいです。 2005.9.30
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