格致の有名人(1)
藤田まこと さん

1933年生まれ。格致には1944年から1946年の
格致国民学校時代に在住されました。
ただし、昭和20年(1945年)の8月8日〜
11月10日までは旧美山町へ疎開されていたとのこと。
大阪の中学校に進んだ後、1949年から1951年まで堀川高校に通うが、中退。
お住まいは西高辻町(堀川高辻付近)にありました。
格致の有名人(2)
山口華楊(やまぐちかよう)さん


明治45年格致校をご卒業。
その関係で昭和49年の格致校105周年記念として
日展にも出展された「凝視」という作品を寄贈されました。
なお、この図柄は、祇園祭・芦刈山の胴掛けとしても有名です。
格致の有名人(3)
大野克夫(おおのかつお)さん

1939年9月12日高野堂町にある呉服屋さんの
5人兄弟の末っ子として生まれました。
堀川高校を経て、1962年にはザ・スパイダース、
その後、PYG、井上尭之バンド、大野克夫バンドなどでご活躍。
沢田研二の時の「過ぎゆくままに」などのヒット曲の作曲家
としても有名で、1977年には「勝手にしやがれ」
でレコード大賞を受賞。
太陽に吠えろのテーマ曲や、ルパン三世、名探偵コナン、
居酒屋などヒット曲多数。
格致の有名人(4)
千原しのぶ(ちはらしのぶ)さん

昭和6年生まれ。本名・石原知子
昭和27年の東映入社以来、200本以上の時代劇に出演。
赤穂浪士、桃太郎侍、旗本退屈男、新撰組、山口組三代目など
出演作品多数。お住まいは妙伝寺町。
格致の有名人(5)
加賀邦男(かがくにお)さん

(1913.2.9−2002.1.7)
本名亀山邦男。三男は悪役で有名な俳優の志賀勝さん。
映画宮本武蔵のほか、テレビ・男は度胸、
水戸黄門・忠臣蔵・太平記などに出演の男優さん。
お家は、住吉町にありました。
格致の有名人(6)
梅原龍三郎(うめはらりゅうざぶろう)さん

(1888.3.9−1986.1.16)
格致学区の芦刈山町にある染め物問屋に生まれる。
京都二中(現鳥羽高校)を中退後、東京へ。
フランス留学を経て、日本洋画界の重鎮となる。
格致の有名人(7)
吉岡憲法(よしおかけんぽう)

江戸時代前期の剣豪で、戦国期剣法流派「京八流」の開祖。
宮本武蔵と対決して引き分けたお話は有名です。
江戸時代に入ってからは、京都の今の綾西洞院町付近で
染物屋を始め、この人によって編み出された黒染めの
一種である憲法染めは、加賀に伝わり艶を控えた
加賀憲法染めとして広まりました。
この憲法染めで染められた色を憲法色と言い、
これを英訳すると、セピア色となります。
セピア、つまりイカ墨のような色が憲法色なのですね。
格致の有名人(8)
白岩 玄(しらいわ げん)さん

1983年京都生まれの小説家。格致小学校から洛央小学校を
経て府立朱雀高等学校へ進学。卒業後にイギリス留学。
初めて書いた小説が文藝賞を受賞、さらに芥川賞の
候補にもなり、男性最年少の芥川賞受賞か?と、
話題になった。現在、大阪デザイナー専門学校に在学中。
この専門学校に入る直前の2月に、時間が空いて、
自分を試すつもりで1ヶ月半かけて、この
「野ブタ。をプロデュース」を書き上げ、文藝賞に
応募した。その後、小説を書いたことは忘れていて、
専門学校の合宿中に、最終選考に残った事を聞いて
びっくり。その後、この本はベストセラーとなり、
日本テレビ系でテレビドラマ化され、堀北真希など
が出演して好評を博した。格致には木賊山町の
マンションにお住まいだったようです。
格致の有名人(9)
玉村知弘(たまむら ともひろ)さん

1990年京都生まれ。太子山町のマンションにお住まい
でした。お母さんは確か、少年補導の委員さんでした。
大阪のナユタコーポレーションスタート所属の
子供タレントさんです。
JR西日本・三都物語のコマーシャルや
関西電力、NTT西日本などの宣伝に出られています。
関西テレビ 2時ドキッ!/いつでも笑みを!/
テレビ大阪 あすか等にも出演。
タイガー、ひらかたパークなどのポスターにも
モデルさんとして活躍されています。
現在は京都学園中学から高校へ行かれているはずです。
格致の有名人(10)

中田 昭(なかた あきら)さん

1951年京都市生まれ。写真家。風早町に現在もお住まいです。
日大芸術学部写真学科卒業。(社)日本写真協会・日本写真芸術学会会員。
主な著書・祇園祭(保育社)・京都の祭り暦(小学館)など
入選作多数。昭和39年度格致小学校卒業生。
学校歴史博物館のホームページに氏のフォトライブラリーがあります。
格致の有名人(11)
伊吹文明(いぶき ぶんめい)さん

現役の国会議員さんで、公職選挙法に抵触する恐れがありますため、
ここではウィキペディアのコピーを転載するにとどめます。
風早町のマンションにお住まいで、木賊山町の花屋さんという旅館の有るところは、
もともと伊吹家の親戚筋であったと、話しておられました。
京都府京都市下京区に生まれる。生家は文久年間創業の繊維問屋。同志社中学校、京都府立嵯峨野高等学校、京都大学経済学部を経て大蔵省へ入省。ロンドン日本大使館書記官、主計局主査、国庫課長などを歴任した後、大蔵大臣に就任した渡辺美智雄に見出され、大蔵大臣秘書官に就任。
1983年に第37回衆議院議員総選挙に自民党より出馬し初当選し、以後連続8期当選。初当選後、渡辺が属した中曽根派には加わらず、1990年に渡辺派が結成されるまでは無派閥を通した。
1994年6月、総理大臣指名選挙で自民党は日本社会党委員長の村山富市に投票するが、伊吹は党議に反し、「社会党の委員長を総理大臣になんかできない」とする渡辺、中曾根康弘、武部勤らと共に、自民党を離党して非自民連立政権に担がれた海部俊樹に投票した。同年10月、衆議院文教委員長に就任。
1997年9月、第2次橋本内閣改造内閣で労働大臣に就任。2000年12月には第2次森改造内閣で国家公安委員会委員長兼防災担当大臣として二度目の入閣。
2005年9月、亀井静香会長の離党で空席となっていた志帥会の代表に内定し、2005年12月、正式に会長に就任。2006年3月、衆議院行政改革に関する特別委員会委員長に就任した。
2006年9月、安倍内閣で文部科学大臣に就任。同年9月27日、外国語を学習するよりも美しい日本語や素養、学力を習得する方が大事だと主張し、小学校での英語必修化は全く必要でないと言う見解を示した。安倍内閣に設置された教育再生会議の一員でもあるが、文部科学省に設置されている中央教育審議会の側にも配慮した発言をすることが多く、一つの分野に二つの異なる会議があるという対立が生まれがちな状況の中でうまく調和を図った。
同年11月17日、学校におけるいじめを原因とした自殺の多発が問題となったことを受け、緊急アピール「文部科学大臣からのお願い」[1]を発し、全国の児童生徒、及びその保護者らに配布した。
2006年12月15日、教育基本法改正案の審議に絡み、民主・社民・共産・国民新の野党4党から、参議院に問責決議案を提出されたが、反対多数で否決された。
2007年9月14日、福田康夫と会見し、福田を2007年自由民主党総裁選挙で支持することに合意する。遅れて挨拶に来た麻生太郎に対しては「なんでもっと早く連絡してこないんだ」となじってみせた。その後、古賀派や町村派と連携して麻生派を除く八派閥で福田支持を固め、麻生包囲網を敷いたが、総裁選において伊吹派からは麻生太郎の総裁候補推薦人を5人も出したため、伊吹派は福田支持で固まっていない派閥と見られた[2]。9月24日、福田の下で党内ナンバー2の自民党幹事長に就任したが、この幹事長人事を予想する人は少なく、サプライズ人事といわれた。福田は幹事長の条件として「自分より若くて、テレビ討論ができる人」を挙げていた(福田新総裁誕生時で、福田は71歳で伊吹は69歳)。
2008年の福田康夫内閣の内閣改造に伴い、自民党幹事長を退任し財務大臣に就任した。
格致の有名人 (12)
小林野々子さん(ボランティアリーダー)
届け!この思い。スリランカへ

太子山町のマンションにお住まいの小林野々子(19)さんは、現在は、造形芸術大学の1回生。高校時代から、格致少年補導委員会の学生委員を務めるなど、積極的にボランティア活動をされていました。
その小林さんが高校三年生の春、永く内戦が続いていて、国内が大変荒れていたスリランカ共和国の事を知り、何とかこの国に住む子供たちに、笑顔を取り戻すことは出来ないかと、思い立ちました。小林さんは、中学、高校時代のお友達に、声をかけて、洛友中学や下京中学をお借りして、英語劇の練習を重ねました。また、スリランカのことについていろいろと調べたことを元に、洛央小学校でも、特別な授業もされました。
幸い、お父さんのお仕事の関係で、この国とのつながりもあり、仲間たちの中から8名のメンバーで、本年3月、とうとう現地の小学校や中学3カ所での公演に、こぎ着けました。

戦争が続き、スリランカの子供たちの心は、何を思うのだろう・・・。そんな子どもたちに、何とか明るい未来のことや、いろいろな楽しい事も有るのだと、知って欲しい。。。そんな熱い思いが伝わったのでしょうか。。。LINKYという、このチームによるこの英語劇の公演は、現地のたくさんの子供たちに勇気と感動を与えたのです。。。
この模様は、京都に拠点を持つKBS京都放送でも、異例の1時間ドキュメンタリーとして報道され、多くの人たちがこれに勇気づけられました。これからも小林さんたちの活動が注目されます。
(リンキーのホームページ http://linky.ojaru.jp/ )
格致の有名人 (13)
下出祐太郎さん(漆芸家・詩人)

下出蒔絵司所三代目。伝統工芸士。NPO法人高台寺蒔絵技術等保存伝承会理事。
住吉町にお住まいです。2002年より高台寺霊屋(おたまや)に展開されている蒔絵を調査・研究。
かつてヨーロッパの人々を魅了し続けた、高台寺蒔絵を現代に蘇らせるプロジェクトに従事されています。
京都工芸繊維大学・伝統みらい教育研究センター特任教授。京都伝統工芸大学校教授。博士(学術)
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