★ Hubertus Kohle(Hg.), Kunstgeschichte digital: eine Einf\"uhrung f\"ur Praktiker und Studierende. Berlin: Reimer, 1997. 3-496-01163-7. (フベルトゥス・コーレ編『美術史とコンピュータ:実務家と研究者のための基礎知識』)
☆コメント
表題を直訳すれば「美術史学をディジタルに:具体的にあるいは理論的にアートにたずさわっている人たちのための手ほどき」。中身は、編者自身が認めるように、完全に実用的なマニュアルや用語集ふうのものから、画像分析や修復の方法を論じたり美術史学の電子化へのイデオロギー批判を展開するものまでさまざまだ。収録論文のタイトルとそのだいたいの内容は、以下の通り。
理論的に見ておもしろかったといえるのは、最後の2本だけかな。でも、この本は、基本的には、手ほどきのマニュアルなのだから、むしろ面白い「おまけ」が付いているというふうに考えたほうがいいのかもしれない。
この本の冒頭でも指摘されているように、昔からドイツではどちらかといえば保守的であることで定評のあった美術史学は、いま、いわば電子的なデータ処理(EDV)の導入に躍起になっている。しかし、日本でもそうだろうと思うが、保守的であることと新技術の導入は案外結びつきやすいのではないか? 新技術がもたらす華々しい成果は、伝統的な固定観念への疑いをどこかに消し去ってしまう力をもっている。美術史学がインターネットとの関係を熱心に強化しようとがんばってみても、それが従来型の本や論文メディアでの研究手続き、あるいは図書館や美術館などを媒介にした調査の手続きを(便利なかたちで巧みに)補完するだけのことなら、基本的な考え方(基礎概念)の変更など迫られることはない。安心してこれまでの伝統的な「芸術」観や「学問」観を持ちつづけることができるのである。
しかし、知識(ノウハウ)と操作技術(マニュアル)を導入するだけで、この新しいバーチャルやオールターナティヴ・スペースでの芸術研究は、ほんとうに維持できるのだろうか? 最後の論文が指摘していたように、この「もう一つの世界」では、研究対象や研究主体の非物質化、当初の意図を越えた意外な副次的効果をもたらすインタラクティヴなやりとり、さらには、すべてがビットやピクセル上で並列されることで生じる、ヒエラルキーの解体といった、従来型メディアの常識では考えられないようなことが起ってくる。そのことの意味を考えるためには、この本の「おまけ」もけっこう役にたつのではないかとわたしは思う。(98/3/15)
☆コメント
この本については、『美学』のこんどの号(9月30日発行の190号)で紹介することになっている。ただ、「新刊紹介」の原稿は、400字で3.5枚という枚数の制約があるので、じゅうぶんな情報を提供することができなかった。ここでは、その補足をするとともに、ハイパーテクストであることを生かして、いくつかのリンクを紹介する。その意味では、以下は、雑誌の原稿とはまったくちがった内容をもつバージョンである。
さて、この本は、1992年に新設されたカルルスルーエ造形大学(Staatliche Hochschule fur Gestaltung Karlsruhe)の芸術学講座が1995年11月に開催した第一回のワークショップの報告集である。カルルスルーエには、今年(1997年)の秋、美術、建築、音楽、演劇、映像などの諸ジャンルにわたって電子メディア技術を駆使した資料収集や展示、さらには制作支援などを行う総合芸術センター、ZKM(Zentrum fur Kunst und Medientechnologie)が誕生する。造形大学は、この ZKM や、やはりカルルスルーエに設置されているヨーロッパ映画センターなどと連動しながら、電子技術と芸術とを接近させる研究と教育を担当することになっており、その大胆なカリキュラムや、講義を担当する異色の教授陣が話題を集めている。
ちなみに、この造形大学には、4つの実技系専門コース(メディア芸術、プロダクト・デザイン、グラフィック・デザイン、舞台ディスプレイ)と1つの理論系専門コース(「芸術学とメディア理論」:主任は、中世美術が専門でこの本の編者のひとりであるハンス・ベルティング)、さらに3つの実技系基礎コース(絵画とマルチメディア、彫塑とマルチメディア、建築)と1つの理論系基礎コース(「哲学・美学」:主任は、「シニカルな理性批判」で有名なペーター・スローターデイク)が設けられている。実技系理論系、いずれのコースで学ぶものも他系列のコースのうち1部門の履修が必修だ。また、2つの理論系コースでは、PhDの学位が取得できる。
ワークショップでは、ベンヤミンを想起させる原題(直訳は「今日の映像群のなかでの芸術作品への問い」)が示すように、「ニューメディアによってわたしたちのまわりに氾濫している映像は、それでもやはり芸術の概念のもとにとりまとめることのできるものか?」という問題が提起された。いかにもドイツらしい正攻法の問いである。
この問題をめぐって、ワークショップでは、次の14の発表があった。
- Karl Clausberg, Koerperzentriert oder selbstdistanziert? Orte der Perspektive
- Anne-Marie Bonnet, Bild-Koerper/Koerper-Bild. Die Kunsteschichte, eine >Junggesellenmaschine
- Karlheinz Luedeking, >Spuren, Chiffren...< Zwei Konzeptionen des Bildes
- Yvonne Spielmann, Bausteine zu einer Theorie intermediler Bildgestaltung
- Walter Seitter, Von der Widerspenstigkeit der Erscheinungen
- Rolf Sachsse, Von der Mediokritaet der Medien, oder: Wieviel Megabyte machen ein Kunstwerk
- Beat Wyss, Ikonologie des Unsichtbaren. Kontexte der Abstruktion
- Dieter Daniels, Die (Er)Findung des Fernsehens durch die Kunst
- Monika Wagner, Authenzitaetsversprechen medialer Bilder und Physischer Stoffe
- Monika Steinhauser, Imges stimuli. Boltanskis Kunst nach dem Holocaust
- Stefan Germer, Wechselseitige Fundierung. Von den Kunstwerken untr den heutigen Bildern und den Bildern unter den heutigen Kunstwerken
- Thomas Wagner, Verlorener Ueberblick - Ueberlegungen zur gegenwaertigen Rolle der Kunstkritik
- Roland Recht, La lettre d'Humboldt
- Horst Bredekamp, Die Magna Carta der Medien
このうち、この本に掲載されたのは9人(A.-M.Bonnet, H.Bredekamp, K.Clausberg, R.Recht, R.Sachsse, W.Seitter, Y.Spielmann, M.Wagner, Th.Wagner)の原稿(タイトルとおそらくは内容も変っているのが、R.Recht, >...das Sehen eine Kunst<, H.Bredekamp, Politische Theorien der Cyberspace の2点)である。
序文にもあるように、執筆者たちは主催者側からの問題設定にとらわれず自由に議論を展開しており、内容を一義的に要約することは難しい。ただし、主催者からの問いかけに対して明確な解答や結論が生まれにくい事情は推測できなくもない。
じつは、この新しい造形大学は、ドイツを母国とする伝統ある学科「美術史学」の若返り策の一環として構想されてもいる。美術史学は、キリスト教近代のヨーロッパ中心主義から脱皮をとげつつあるが、ここでは、いわばウィングを現代芸術のほうに伸ばして、ニューメディア時代の電子芸術もその支配圏に取り込もうというわけだ。しかし、この領土拡大の野望の実現は、ボネやザクセが指摘するように、物質性や身体性、あるいは作者の主体性に支えられた従来の「芸術」概念の変更を前提とする。写真や映画への対応にさえ消極的だった美術史学に、「技術的複製」どころか、物体(身体)を自由に分解編集し、作者の主体性の基礎を根本から揺るがすデジタルでインタラクティヴな映像を「芸術」として許容することは、本当に可能なのだろうか。
とはいえ、「美術史の終りの時代の後に来る美術史」を模索するなかで、非連続をしたたかに乗り越えていく方法が見つかっていないわけではない。それは、意外なことのようだが、画像相手の仕事では老舗の美術史学者にはお手のものの、あの「歴史化」という作業である。ブレーデカンプによる「サイバースペースの政治図像学(『フロンティア』へのアメリカン・ドリーム、データの『アウトバーン』の分析)」などは、その典型といっていいだろう。あるいは、クラウスベルクの場合(透視図法の視点の分析)のように、前近代にまでさかのぼって、従来の美術史学の対象領域を「マルチメディア芸術の古代史」として再解釈する試みもある。「新しいテクノロジーを導入すると同時にその批判的吟味も怠らず」、また「伝統的歴史的遺産との関係を失わない」という新学科の方針は、この論文集のなかで、このようにして実現への道を踏み出している。
既成の芸術概念に変更が迫られるという事態は、もちろん他人事ではない。わたしたちの足元を見なおすという意味で、この本が教えてくれることは多いのではないか。
★ Timothy Ambrose and Crispin Paine, Museum Basics. London: Routledge, 1993. 0-415-05770-1. (ティモシー・アンブロウズ/クリスピーン・ペイン『博物館の基本』)
☆コメント
ロンドンの本屋さんに行ったら、美術関係の本が並んでいる棚に、最近急に新しいコーナーができていてびっくりした。この話は、もういろんなところでしたかもしれない。日本でも、そうだろうと思うけれど、「美術館」をテーマにした本はどんどん増えていて、この分野の活動の活発さがよくわかる。
イギリスの場合、この出版ラッシュの中心になっているのは、Routledge である。なかでも、ICOM(ユネスコの文化遺産部門の支援を受けている国際博物館協会)との提携プログラムである、"The Heritage: Care-Preservation-Management" のシリーズや、レスター大学の関係者たちによるシリーズ "Leicester Readers in Museum Studies" などは、なかでもとくに目立っている。
前者のなかから、いくつかタイトルを書き出してみると、その基本方針が見えてくるかもしれない。
- The Handbook of Museums
- Museum Basics
- Museum Ethics
- Toward the Museum of the Future
- The Representation of the Past: Museums and heritage in the post-modern world
- The Past in Contemporary Society: Then/Now
- Museums without barriers: A new deal for disabled people
- Meseums and the Shaping of Knowledge
- Museums 2000: Politics, people, professionals and profit
- Museum Security and Protection: A handbook for cultural heritage institutions
- The Industrial Heritage: Managing resources and uses
- Heritage and Tourism: in the global village
- Museums and Their Visitors
- Museums: A Place to Work - Planning Museum Careers
- Museum Exhibition: Theory and Practice
- Museum, Media, Message
- Making Representations: Museums in the Post-Colonial Era
...
また、後者には、次のようなものがある。
- Care of Collections
- Interpreting Objects and Collections
- Collecting Management
- The Educational Role of the Museum
- Museum Management
- Museum Provision and Professionalism
...
美術館を、社会から切り離された特権的な場所としてではなく、近代社会やポスト近代に固有の一つの社会現象ないしはコミュニケーションのメディアととらえて、その現状と課題を分析する Cultural Studies の立場と、そこから帰結する実践的な知識と技術の情報を提供するマニュアルというのが、おおまかな傾向といっていいだろう。もちろん、ルートレッジだけではなく、ほかにもたくさんの出版社から同様の内容の本が出ており、これらが並んでいるところは、壮観だ。
この『博物館の基本』も、そのなかの一つで、ここで紹介しようと思って Dillons で買った。ところが、あとで聞いてみると、もう翻訳が出ているらしい。日本博物館協会が、現場の学芸員たちの要求に応えて訳出し、内部で頒布しているというのだ。さっそく電話で注文した(日本博物館学協会訳『博物館の基本』\4,790, 4-88952-010-4、電話:03-3591-7190)。ただ、もちろん、いろいろな事情があるのだろうが、イギリスの本屋のことを考えると、このような本は、できれば狭い範囲(「専門家たち!!」)だけで回覧するような閉鎖的な回路に閉じ込めるのではなく、一般の書店に流通するようなかたちをとってほしかったと、わたしは思う(とくに、これから学芸員になることをつよく希望している学生たちのことも考えてほしかった)。
さて、本の内容だが、全体が85のユニットからなり、それらが、6つのセクション(1:序論、2:博物館とその利用者たち、3:博物館所蔵品の保存と展開、4:博物館とその建物、5:博物館とそのマネジメント、6:参考資料)に整然と分けられている。文中には、ボックス(参考資料)、キーワード、事例研究などが、適宜挿入され、「博物館の基本」を学ぶうえでのみごとな実践的マニュアルとなっている。
いま話題のテーマに関する部分を読んで見よう。たとえば、ユニット5、6、7の「マーケッティング」、ユニット17の「インタープリテーション(陳列品解説)」、あるいは、ユニット75の「ボランティア」についての項目でもいい。どこをみても、「ミュージアム・マネジャー」なら当然考えておかなければならないことが、明確に、そして、簡潔にまとめられている。
ユニット35の「収集のポリシー」もおもしろい。ここでまず問われるのは、「何を収集するか?」である。博物館は、その収集方針を文書で明記していなければならない。具体的には、いつ、どこで生まれたものを、なぜ、どのようにして収集するのか?……などについて、順を追って、必要事項のチェックができる。ちなみに、次のユニットのテーマは、「処分のポリシー」だ。また、ここで驚くのは(わたしだけかもしれないけれど)、収集や処分をはじめとする博物館のさまざまな活動に指針を与える「ICOM職業倫理コード」なるものが存在していたということだ。
一種の「国連官僚スタイル」とでもいうのだろうか、冒頭に掲げられている「博物館の定義」と同様に、いかにも妥協の産物といった感じのあるこの文章には独特のくせがある。けれど、この「服務規定」は、けっこうな読み物だ。ここからは、公共サービスのあり方についての先進的で民主的な哲学がかなり明確に見えてくる。ひょっとしたら、一般の書店にこの本が出回らないのは、この規程の内容と日本の博物館の現状とがあまりにも乖離しているからではないかと邪推したくなってくるほどだ。プロフェッショナル・エシックスの問題は、セクハラ裁判などとのからみで日本でも知られてくるようになってきたが、業務に微妙な倫理問題が介入しやすい博物館学芸員の場合、このような規定の内容を熟知することは、 a must といえるだろう。
とはいえ、ひとつ気になるのは、このマニュアルのあまりにもみごとな配慮の行き届きぶりだ。文句を言う筋合いではない(つまり、まことに結構なことな)のかもしれないが、世界中の美術館博物館が、このようなマニュアルを学んだ有能で公正な「ミュージアム・マネジャー」たちによって運営されはじめたらどうなるのだろう。もちろん、すぐれて実践的なマニュアルだけに、「ロケーションにあった柔軟な対応をしなさい」ということまで、じつは書かれていて、画一化の危険性にも対応している。したがって、マクドナルドみたいにどこでも同じ決まり文句を聞かされるということにはならないと思うけれども、それでも、あの薄暗い蜘蛛の巣の張っているような古典的な「博物館」は、少なくとも撲滅の対象になりそうだ。それに代わって登場するのは、万博会場みたいにコンパニオンがピンクのピカピカの制服を着ていたり、あるいは新しい京都駅みたいに頭が痛くなるほど天井を見上げていなければならないような巨大な構造体でできていて、自分が今どこにいるのかがわからなくなるような美術館博物館なのだろうか。
この本が出版されたイギリスには、「整理」などとんでもないという感じで本が積み上げられているあのどうしようもなく汚い古本屋や古道具屋(奥では、やはり汚い格好をした主人が煙草かパイプをふかしている)がよくある。しかし、わたしたちは、いわばこの本の対極に位置するそのようないかがわしさから学ぶことも少しはあるのではなかろうか。
最後は、反動的なルソー主義のようになってしまったけれど、わたしがここで言いたいのは、ようするに、この本は、よくできたマニュアルだということである。(97/07/27)
<美学関係洋書>
★Empathy, Form, and Space: Problems in German Aesthetics, 1873-1893. Introduction and Translation by Harry Francis Mallgrave and Eleftherios Ikonomou. Santa Monica,CA: Getty Center for the History of Art and the Humanities, 1994. 0-89236-260-X. (モールグレイヴ/イコノム編訳『感情移入・形・空間 ―1873年から1893年にかけてのドイツ美学の諸問題』
☆コメント
この本は、カリフォルニアのゲティ・センターの出版プログラムが企画したシリーズ Texts & Documents の一冊として登場した。このシリーズは、「美術や建築、美学関係の研究者たちに、これまで無視されたり忘れられていたり、あるいは入手することの出来なかった著作を、英語の翻訳のかたちで提供する」ものである。このことによって、「このシリーズは、わたしたちの地平を大きく広げるとともに、美術をめぐる批判的思考をわたしたちがさらに深く理解できるように」してくれる。このシリーズ(建築美学関係)では、ほかに、0・ヴァーグナーやデ・メジエールらの著作がすでに英訳されている。
何はともあれ、この本の内容を紹介しよう。
まず、序文 PREFACE に続いて、編者たちによる比較的長い(85ページもある)序論 INTRODUCTION がある。その後に、翻訳され訳注を加えられたテクストが掲載されており、巻末には、原著者たちの著作一覧と伝記情報、索引が付けられている。
英訳されているテクストは、以下の通り。
- Robert Vischer
On the Optical Sense of Form: A Contribution to Aesthetics
(ローベルト・フィッシャー『視覚的な形態感覚:美学への寄与』)
[_\"Uber das optische Formgef\"uhl: Ein Beitrag zur Aesthetik_ (Leipzig: Hermann Credner, 1873)]
- Conrad Fiedler
Observations on the Nature and History of Architecture
(コンラート・フィードラー「建築の本質と歴史についての考察」)
["Bemerkungen \"uber Wesen und Geschichte der Baukunst," _Deutsche Rundschau_ 15(1878): 361-83] This essay was reprinted in _Konrad Fiedlers Schriften \"uber Kunst_, ed.Hermann Konnerth(Munich: R.Piper, 1914), 2:429-79.
- Heinrich W\"olfflin
Prolegomena to a Psychology of Architecture
(ハインリヒ・ヴェルフリーン『建築心理学序説』)
[_Prolegomena zu einer Psychologie der Architektur_, Inaugural-Dissertation der hohen philosophischen Fakult\"at der Universit\"at M\"unchen zur Erlangung der h\"ochsten akademischen W\"urden (Munich: Kgl.Hof- & Universit\"ats-Buchdruckerei, 1886)]
- Adolf G\"oller
What is the Cause of Perpetual Change in Architecture
(アードルフ・ゲラー「建築における永続的変化の原因は何か」)
["Was ist die Ursache der immerw\"arenden Stilver\"anderung in der Architektur?" in idem, _Zur Aesthetik der Architektur: Vortr\"age und Studien_ (Stuttgart: Konrad Wittwer, 1887), 1-48]
- Adolf Hildebrand
The Problem of Form in the Fine Arts
(アードルフ・ヒルデブラント『造形芸術における形の問題』)
[_Das Problem der Form in der bildenden Kunst_ (Strasbourg: Heitz & M\"undel, 1893)]
- August Schmarsow
The Essence of Arhchitectural Creation
(アウグスト・シュマルゾ『建築創造の本質』)
[_Das Wesen der architektonischen Sch\"opfung_ (Leipzig: Karl W.Hiersemann, 1894). Inaugural lecture given at the University of Leipzig on 8 November 1893]
詳しく全ページを検討したわけではないが、翻訳は、かなり読みやすい。最初の序文で述べられているように、この本では、訳語の一貫性を重視するよりも、そのつどのコンテクストの内部で要求される正確さを追求するという方針が採られた。たとえば、Einf\"uhlung を in-feeling、Ausf\"uhlung を out-feeling、Zusammenf\"uhlung を together-feeling などとするのではなく、empathy とか expansive feeling とか contractive feeling といったかたちでどんどん訳し変えていくというわけである。
ヒルデブラントの『形の問題』の翻訳者としていえば、この英訳は(英語の文章のことは本当のところはよくわからないけれど)なかなかみごとで、ちょっとくやしさを感じるほどだ。いくつか訳語の例を挙げてみよう、
視覚表象と運動表象 → visual and kinesthetic ideas
遠隔像 → distant image
知覚することと表象すること → to perceive and to imagine
存在する形と作用する形 → the inherent form and the effective form
浮彫り表象、面の表象と奥行きの表象 → the idea of relief, the idea of surface and depth
ちなみに、図版のほうは、「それ自体が歴史的なドキュメント」といえる1907年のアメリカ語訳(これは、わたしでも、読みにくい文章だということがすぐわかる)に掲載されたもののなかから「もっとも重要なものだけ」しか掲載されていない。この点では、わたしの日本語訳のほうが、わかりやすくなっているのではなかろうか。
また、序論には、原著者たちのほかに、さらに、ヘルバルト、F・TH・フィッシャー、フォルケルト、ケストリン、ツィンマーマン、ロッツェ、ディルタイ、フッサールらの当時の「美学理論」について詳細な言及がある。この点でも、この本は有益だ。この時期の心理学的美学、フォルマリズムの問題(「純粋な形」や「純粋な空間」へのこだわり)、抽象美術の生成といった問題についてじっくりと考えてみようと思う(が当時の学者たちの難解なドイツ語を読むのはちょっとつらいという)研究者にとっては、この本は、涙が出るほどありがたい書物になると思う。
最後に、情報を2つ。まず、最初は、ヴェルフリーンの研究者向けのもの。編者たちは、ヴェルフリーンの『建築心理学序説』を翻訳中に、ゲティ・センターの特別コレクションのなかから、この学位論文の author's personal copy を発見した。そこに付された注も英訳され、原文のドイツ語も章末に掲載されている。
2つ目は、ヒルデブラントあるいはドイツの近代彫刻の研究者向け(日本に何人いるんだろう?)。これは、この本とは関係のない情報だが、ヒルデブラントのカタログが1993年に出版された。ちょうどこの同じ年に出版されたわたしの日本語訳には、このカタログのことが触れられていないので、ここで紹介しておく。
Sigrid Esche-Braunfels, Adolf von Hildebrand (1847-1921). Berlin: Deutscher Verlag f\"ur Kunstwissenschaft, 1993. 671p.: ill., port.; 32 cm. ISBN: 387157144X. (97年1月21日)
★Peter Vergo, Ed., The New Museology, London: Reaktion Books, 1991(1st Pub.1989). 0-948462-03-5. (ピーター・ヴァーゴ編『新しい美術館学』)
☆コメント
イギリスの本を読んでいておもしろいのは、たとえば、序文などで、まじめなのか冗談なのかよく分からないような文章にぶつかったときだ。たとえば、イーグルトンの『美的なもののイデオロギー』(T.Eagleton, The Ideology of the Aesthetic.1990、『美のイデオロギー』、鈴木/藤巻/新井/後藤訳、紀伊國国屋書店 1996)の序文が、そうだった。そこには、いつもの、友人や同僚たちへの感謝の言葉にすぐ続いて、Since these individuals charitably or carelessly overlooked my mistakes, they are to that extent partly responsible for them. とある(とけとげしくならないように、これを日本語に訳すのは難しい。ちょっと冗談っぽい雰囲気も伝えたいので、原文のまま引用する。ちなみに、日本語版では、この箇所は、ものすごくまじめに翻訳されている)。
最初に読んだときは、目を疑ってしまったが、この手のユーモアで、ステレオタイプをかわしていくやり方には感心する(わたしの深読みかな?)。ちなみに、このヴァーゴの『新しい美術館学』にも、これほどではないが、似たような記述がある。やはり、序文の結末部分だが、「読者や批評家によっては、この本の全体が『代表的な説をもとにしていない』とか充分に包括的ではないとか、あるいは一貫性を欠くなどと思われるかもしれない。だとすれば、それは、すべてわたしのせいだ。とはいえ、はっきりと言っておきたいが、それらが欠陥だとしても、それは、意図的に生み出された過失である」。A deliberate fault という矛盾語法が、ここでは効いている。編者は、ここで、美術館内部の事情に通じた人たちによる「代表的な」見解を選んできて、美術館に関わるトピックスの「包括的な」リストをつくろうなどとは最初から考えていない。収録されている論文は、単一の視点どころか、単一の出発点さえ共有することなしに執筆されている。編集者が考えたのは、彼の同僚(友人)たちがどうしてもいますぐに論じたいと思うようなテーマについて書いてもらおうということだけだった。
編者によれば、執筆者たちは、編者とも、あるいはお互いにも、まったく相談しあうことなしに論文を寄稿した。にもかかわらず、そこには、一貫性とは呼べないとしても、ある種の共有された信念の一致のようなものが生まれていると編者は考えている。具体的にいえば、それは、たとえば、「だれもがそってしておいたほうがよいと考えているために、もしここで取り上げなければいつまでも論じられることのない問題に言及する勇気」であり、さきほどのイーグルトンの言葉でいえば、イギリスがはぐくんできた "own long traditions of nonconformity and critical dissent"である。また、最後に、ヴァーゴが、I am grateful to them for their selflessness in putting aside other equally urgent tasks in order to contribute to this volume. と書いているのも、もし正直な謝辞だとすれば、うらやましいことだ。
さて、ここまでながながと書いてきたことは、この本の内容とまったく無関係の話ではない。最近のイギリスの批評家たちが「自分たちの伝統」とも呼んで大切にしているこの批判精神こそ、「新しい美術館学」の「新しさ」を生み出しているものだからだ。「ニュー・アート・ヒストリー」や「ニュー・ヒストリー」の母国の一つがイギリスであることを思い起こしてみれば、そのことはすぐに理解できるだろう。つまり、「ザ・ニュー・ミュージオロジー」とは、「古い美術館学」に対して批判的なスタンスをとる一種の異議申立てにほかならない。
では、従来の美術館学のどこに問題があるのか。編者によれば、「古い美術館学」は、美術館の運営にかんする「方法」について議論するばかりで、美術館の「目的」について考えてみることを忘れている。必要なのは、どうやって収蔵品を保存し展示し、展覧会を企画し、来館者を増やし、来館者に満足を与え、財務を管理するかということだけではない。重要なのは、それだけではなく、そのような活動が社会にとってどのような意味をもつのかを考えることだというわけだ。
たしかに、美術館学は、一見、かなり特殊で、専門的な知識や技術を必要とするものであるように見える。じっさい、ミュージアムというものは、歴史のなかでは、特異で珍奇な文物を、特権的な地位にあるちょっと風変わりな人物が収集し研究する場所でありつづけてきたからだ。しかし、すくなくとも現在の博物館が収集対象としているのは、人間の社会的活動のほとんどすべての領域にわたって見られるものであり、その意味づけは、ほとんどすべての人にとっての重大な関心事になりうる。また、収集という行為そのものがもつ政治的あるいは美的な次元(価値判断を下しながら一つの共同体の歴史を形成していくという側面)のことを考慮すれば、専門技術者向けのハウツー知識の伝授に終始する古い美術館学の限界は明らかだ。美術館博物館は、それ自体が「生きた化石」になっては洒落にならない。そのためには、美術館の目的、つまり、社会のなかで美術館博物館がはたす教育的、政治的、社会的役割についての、周知の、ないしは暗黙の合意を徹底的に再吟味することが必要になる。これが、「新しい」美術館学だ。ヴァーゴは、このようなことを念頭に置きながら、美術館学を、「美術館、およびその歴史、さらには、その根底にある美術館の哲学についての研究」と定義している。
この本のなかで具体的に取り上げられているそれぞれの内容について言及しはじめると、またまた長くなってしまうので、ここでは、目次だけを紹介しておこう。
序論 (Peter Vergo)
この本では、すでに述べたように、テーマを網羅することは、最初から度外視されている。各執筆者がどうしてもいますぐに論じるべきだと考える問題だけが取り上げられているのだ。したがって、美術館の管理運営の実際、保存技術、収蔵作品の目録づくり、後援組織などにかんする情報を求めても無駄である。これらについては、ほかの「ハンドブック」を参照しなければならない。
日本でも、最近は、美術館についての議論が盛んだ。本もたくさん出始めている(岩淵潤子『美術館の誕生』中央公論社 1995、長谷川栄『新しい美術館学ーエコ・ミューゼの実際』三公社 1994 ……など)。しかし、いま名前を挙げたいくつかの例外を除けば、そのほとんどは、その道にたずさわってきたプロフェッショナルによる「専門技術者向けのハウツー知識」の集成であったり(とくに「博物館学」という名称が採られている場合にこれが多い。資格との関係だろうか)、場合によっては、功労者の経験を記した回顧録であったりする。もちろん、それらが「実際に役に立つ」ことを否定する気はないし、理屈でかたづけられるほど学芸員の仕事が安易なものでないことも理解しているつもりだ。しかし、ここ数年の日本での美術館博物館の数の急激な増加(数だけなら、合衆国を抜いて世界一だということだ)のことを考えると、たんに技術のことだけではなく、その社会的意味について考えることは、いま必要なのではなかろうか。今年の美術史学会のシンポジウムでは、美術館の問題が取り上げられた。しかし、そこでの議論や、あるいは、学芸員たちからよく聞こえてくる「雑芸員残酷物語」などには、美術館が社会のなかで政治的役割を果たしていることに対する認識が欠けてしまいがちであるように、わたしには思われる。この本は、そのような視点の重要性をわたしたちに再認識させてくれるといっていいだろう。
ところで、わたしの知り合いたちの仕事だが、1998年4月刊行予定で『美術館学』という本が企画されており、具体的な内容についての議論が進んでいる。まだどんなことを書くかも決めていないが、わたしも「アートマネジメント」の章を担当することになった。いたずらに哲学的であったり政治的であったりするような議論が先行してしまうのもどうかと思うが、わたしとしては、この本がたんなるハンドブックになってしまってほしくはない。具体的にどのようなものになるのか、だいぶ先の話だが、乞うご期待ということにしておこう。(96/11/21)
★Eric Fernie (Ed.), Art History and Its Methods: A Critical Anthology, London: Phaidon, 1996(1st Pub.1995). 0-7148-2991-9. (エリック・ファーニー編『美術史学とその方法論』)
☆コメント
この本の目的は、序文の冒頭で編者が端的に述べているように、美術史学者(あるいは美術史学を学ぼうという希望をもつ学生)たちにとって「適切で有益な数々の方法論の全体を展望すること」にある。この種の「方法論のガイドブック」は、いわゆる「新しい美術史学」の登場の後、とくに多く見られるようになった。ドイツでは、ライマー社のシリーズの『美術史学入門』(1986)、『美術史学:しかし、どのように仕事をするのか?』(1989)などがあり、オランダには、前にここで紹介したハルバーツマ/ゼイルマンス編『さまざまな視点:今日の美術史学』(1993)がある。
しかし、この種のハンドブックのなかで最も早く登場し、内容面でも注目に値するのは、M・ポイントンの『はじめての美術史』(1980,86,94)(木下哲夫訳。スカイドア、1995)だろう。さすがにニュー・アート・ヒストリーの先進国イギリスだけあって、先端的な文化研究や女性研究の蓄積が、このような「教科書」にも着実に反映されている。方法を論じることの必要性と有益さが一般読者のあいだでの共通理解として認識されているという事実は、(同様の書物が出版されてはいても、「西欧の」「最新の」理論情報が「知的マニュアル」として消費されるケースばかりが目立つ日本の状況を考えれば)うらやましいかぎりだ。
そのイギリスから去年出版され、今年再版されたのが、この本である。編者は、ロンドン大学コートールド美術研究所の所長。制度レベルでの実践的で具体的な議論が欠けている点ではポイントンの本に劣るが、方法論そのものに接近していくという点では、彼女の本を充分に補完しているといってもよいだろう。また、紹介され批判的に検討される諸理論の多様性や範囲の広さは(多少の偏りがあるのは事実だが)、この本の存在価値を高めている。
全体は、大きく三部に分かれる構成となっている。まず、序論は「方法論の歴史」を概観する。これは10ページほどのもので簡潔にまとまってはいるが、内容的にはとくに言及するほどのものではない。ポドゥロの『批判的美術史学の歴史』(The Critical Historians of Art, 1982)の梗概のようなものだといえば近いだろうか。
次に、この本の大部分を占める、テクストのアンソロジーが続く。紹介されるのは27編(G.Vasari, K.v.Mander, G.Bellori, J.J.Winckelmann, J.W.Goethe, J.Burckhardt, W.Morris, G.Morelli, A.Riegl, H.Woelfflin, P.Frankl, R.Fry, H.Focillon, A.H.Barr, E.Panofsky, N.Pevsner, A.Hauser, S.Sontag, E.H.Gombrich, W.Fagg, T.J.Clark, J.Onians, M.Baldwin/Ch.Harrison/M.Ramsden, S.Alpers, H.Belting, G.Pollock, O.Oguibe)。英訳された抜粋の前には、かんたんなコメントが付されている。最初のほうは平凡で、編者の専門である建築史やイギリスの理論家のテクストが優遇されているのが目立つ程度だが、後半では、とくに1940年代生まれのあまり紹介されることの少ない論者たちが多く取り上げられており、それらへの言及は貴重だ。また、ここでは、とくに人類学者や文学理論家などの「非専門家」のテクストが大幅に採用されている。全体としては、ヴァールブルクなど英語に翻訳のない美術史家をはじめ、いくつかの重要な著書が抜け落ちてはいるが、巻末の文献案内で紹介されているものを追加すれば、「概観」の名に恥じないといっていいだろう。
最後の第三部は、50ページほどの「用語集」。項目数も約50。R・ウィリアムズの『キーワード辞典』(晶文社)を意識してつくられており、図版もかなり多く使われていて、けっこう読ませる。「文化史」「政治学」「イデオロギー」といった用語の選択や、説明にすぐイーグルトンの引用が出てくることなどからもわかるように、内容は一定のバイアスがかかっているが、解説そのものは、むしろ抑制の効いたおとなしい印象を与えている。
本の全体としては、コンパクトで有益な概説書だが、どこか物足りないというところだろうか。編者は、序論の最後で、美術史学における「目の修練」の重要性と研究活動の具体性を強調したあと、「作品の実証的な身元確認作業」と「政治的な理論活動」とが、ともに重要だが、けっしてどちらかだけが突出してはならないという結論を提示している。ここには、バランスのとれた大人の判断を感じるが、逆にいえば、中途半端な感じは免れない。また、オリエンタリズムやコロニアリズムにたいする批判を念頭においてアフリカ美術関連のテクストを掲載してはいるのだが、第三世界への言及はアフリカ問題(しかも「民族学的見地」からの言及、あるいは、そうでなくとも、いつも大英帝国の勢力圏を念頭においた思考の展開)に限られている。あるいは、フェミニズム(G・ポロック)理論も、もちろん取り上げてはいるのだが、コメントは、たとえばハルバーツマの『さまざまな視点:今日の美術史学』と比べれば理解の深みに欠けており、表面的だといわれてもしかたがないのではないか。
ただ、あまり人のことはいえない。わたし自身も、この種の教科書の原稿を書き上げたばかりだ。じっさい、書きたいことと書くべきこととの葛藤に折り合いをつけるのはたいへんで、枚数の関係などで、内容は思うようには、まとまらない。それを考えれば、この本は、なかなかよくできた、いい本だ。とりあえず、おすすめということにしておこう。(96/10/30)
☆コメント
この本については、昨年末の京大の集中講義でもとりあげたし、今年の京都市立芸術大学の講義でも折りに触れて言及している。とはいえ、この2つの「講義概要」には、この本の内容についての詳細は掲載されていないので、ここにまとめておく。
全体の構成としては、まず、「第三世界」あるいは「アナザー・ワールド」の80年代以降の現代美術の動向と、そこへと至る歴史的背景などが一般的考察としてまとめられ、その後、各地域の現状について、具体的な作例や事例が分析される。一般的な考察の箇所で明らかにされるように、全体の記述の流れのなかで基本的な骨組みとなるのは、「国家的美術と生存のための美術」や「美術市場と市場美術」に注目する視点である。この視点にもとづいて、各地域の現状の分析では、「植民地化以前の美術状況」、「アカデミーの美術」、「ワークショップの美術」、「民衆美術と伝統美術」、「美術工芸とエアポートアート」、「亡命者の美術と西洋大都市で生活する『第二世代』の美術」などが具体的に考察される。
この全体の概要からもうかがえることだが、この本の独自性は、次の2点にまとめることができるだろう。
まず、非西欧の美術状況を「脱民族学」的に紹介しているという点。
次に(今述べたことと、けっきょくは、よく似たことになるが)、市場やアカデミーといった「制度」としての美術に注目している点も、見逃すことができない。
もちろん、この本には、いくつかの難点や限界もある。各地域の現状についての考察は、量的にけっして十分なものではないし、内容面での偏りもある。たとえば、おそらく著者のメンタルマップを反映して、アフリカの部分は非常に詳しいが、それ以外の地域については、既知の情報の羅列に近いような箇所もないわけではない。それに関連していえば、中国を代表とする東アジア地域を「第三世界」からはずした理由は、なになのだろうか。西欧そのもののなかにある「第三世界的な美術」への言及もほしかった。しばらくまえに、ドイツ出身の「美学博士」が書いた非常に興味深い大衆視覚文化論(ジャクリーヌ・ベルント『マンガの国ニッポン』花伝社)を読んだが、たとえば、日本のコミックのようなポップなメディアも、比較制度論的な考察を加えることで、従来の「日本」論の枠を脱した知見が得られるのではないだろうか。
ともあれ、「第三世界」のさまざまな地域の現状について、包括的で整合的な視点から分析された情報が手に入ることは、この本の最大のメリットである。じっさい、このような理論的基盤にもとづいて書かれた類書は、ほとんどないといってもいい。フランス語関係では、有名な「地球の魔術師たち」展のカタログがあるが、これは、「美術」の側に傾きすぎているように思われる。しかし、この展覧会の後、「ワールドアート」に対するアプローチには、かなりの方法論的な意識の成熟が必要なのだということがひろく意識されつつある。また、英語圏でいえば、「民族学」的見地からのアプローチが、本屋にはいやになるほど並んでいる。しかし、「民族芸術学」によくある「形態分析」や「イコノロジー」の手法は、いうまでもなく、それぞれが、西欧的な「美的フォルムのグルメ理論」や「エスニック・フィクション」の再生につながることが多い。このほか、英語関係の文献では、同時代美術の現状報告も、展覧会の増加とともに増えてきたが、グローバルな観点から共通の問題意識を探ったものは、まだなかなか見当たらないようだ(もしご存知の方は、お知らせください)。ただ、以前に紹介したことがある「同時代のアフリカ美術」展のカタログに収録されたいくつかの論文で展開されている議論は、シュトレーター=ベンダーの視点に、かなり近いということを、最後に付け加えておく。
長くなってきたのでこれくらいにするが、ひょっとしたら、ニューアートヒストリーやフェミニズム批評、パブリックアートなどに対して感じるような不快感を、この本に見られるような「アフリカ美術研究」にも感じる人は多いかもしれない。でも、特定の人間集団が共有する常識や良識(あるいは「わがまま」)を、すぐに一般化してしまうのは、もうそろそろやめたほうがいい。さきに紹介したベルントの言葉を引用すれば、「コミュニケーションとは記号を通して視点を転換すること」(前掲書 p.20.)なのである。
ところで、わたしは、著者のシュトレーター・ベンダーとは、もちろん面識はない。しかし、わたしがいま勤務している大阪学院大学と、彼女の関係しているイワレワ・ハウスのあるバイロイト大学とは学術提携校なので、わたしは、1990年に、バイロイト、オルレアン、大阪学院の三大学合同シンポジウムが開かれたときに、このアフリカ美術研究センターを訪れたことがある。「訪れたことがある」というより、正確にいえば、会場が、このイワレワ・ハウスの2階だったので、展示などをゆっくりと見ることができた。まだ、今ほど問題意識が明確なものでなかったことが残念だ。機会があれば、再訪したいと思っている。(96/09/19)
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前に紹介した「教科書」は、それほどおもしろいものではなかった。しかし、この小冊子では、美学に対する彼女の基本姿勢のようなものが、わりとはっきりとうかがえて興味深い。詳しいことはよくわからないが、この小冊子は、統一後のイェーナ大学哲学科の(再)創設を機縁として1993年から発行されているシリーズの一冊である。イェーナといえば、美術史学のほうでいえば、最近、Michael Diers と Andreas Beyerという、「新ハンブルク学派」の新進気鋭の2人が着任したばかりだ。なにかこれからやってくれそうな予感のする町である。
この本でのゲートマン・ジーフェルトの主張は、ひじょうにはっきりとしている。それはこうだ。「芸術は、もはやわたしたちにとって過去のものになってしまった」という(この世界では)有名なヘーゲルのテーゼは、これまで、哲学的なドグマ(独断)として大きな当惑と不審の念を読者にいだかせてきた。極端なことをいえば、『美学講義』の編集者たちでさえ、「的確で近代的な美術理解をしめすヘーゲルがそのような主張をするはずがない」という信念によって導かれていたようなのである。その結果、『美学講義』の内部には、メモや同時代の証言によって再構成できる「ヘーゲル自身」と、編集者たちの政治的期待によって理想化された「ヘーゲル美学」という2つの互いに異なった立場が矛盾しながら共存することになる。彼女のねらいは、この2つの立場のちがいを、たんなる師弟関係や世代の問題としてではなく、政治的な基本姿勢のちがいとして示すことにあったといえるだろう。ヘーゲル自身は、ゲーテと同じように、世界市民的教養形成の一環として芸術を考えようとしていた。そのような総体的な地平から見れば、民族や宗教に束縛される芸術は「過去のもの」とならざるをえない。しかし、編集者のホトーや、Fr・Th・フィッシャーなどの考えによれば、芸術は、国民性や宗教性にもとづく市民的な教養の対象であった。芸術は、いわば「将来へと」開かれたものであることが望まれたのである。この背後には、中世絵画の発見や反フランス感情の高まりといったゲルマン民族主義の台頭という政治的な事態がひかえていた。このように、彼女によれば、「過去性のテーゼ」でヘーゲルが言いたかったのは、「芸術が死ぬ」ということではなく、芸術の社会的機能が変化するということだった。したがって、ヘーゲル美学のアクチュアリティは、芸術に対する彼の判断が近代的で「革命的」であったという点にはない。むしろ、重要なのは、過去や異文化の生活形態を直感的に媒介したものとしての芸術に対して、もはやわたしたちは「総体的」には関与することはできないという指摘なのである。
わたしが最初に「芸術の過去性」あるいは「芸術終焉論」という、このちょっと挑発的なテーゼに接したのは、まだ美学の教室に所属したばかりのころ、ハイデガーの『芸術作品の根源』を読んでいたときのことだった。この講演論文のあとがきで、ハイデガーは、このヘーゲルのテーゼを紹介したあと、いつもの予言的な調子で、「芸術は、いまだに歴史的真実が生起する本質的で必然的な方式なのか、それとも、もうそうではないのか」と問いかけている。その後、『美学講義』のテクストを読んだり、あるいは、「終焉論」を扱う数多くの論文を読んだりもした。しかし、いつも気になっていたのは、ハイデガーの脅迫めいた問いになんとか対抗できるだけの答えを準備しなければならないということだった。
ゲートマン・ジーフェルトのこの本を読んだからというだけの理由ではないけれども、いまでは、幸いにしてハイデガーの威嚇的な「問い」にそれほどおびえることはなくなっている。「過去性」のテーゼが同時代の政治状況と深く関連しており、ある政治的な立場が要求する芸術の社会的機能から帰結するものであるとすれば、ハイデガーの「問い」も、おなじように歴史的に考えればよい。「芸術の内部」や「ハイデガーの思索の展開の内部」にとじこもって自閉的に「終焉論」に悩むのではなく、なぜハイデガーが、この時点でヘーゲルのこのテーゼにこだわったのかを、いわば脱領域的に考えてみればよいのだ。もちろん、当時のわたしも、1935年から36年にかけてのハイデガーが芸術の問題に没頭した理由が政治的なものだということは、知識として理解してはいた。しかし、いまなら多くの証言による裏づけがあるのである程度の確信をもって言えることだが、当時の時点では、ハイデガーは芸術の世界にいわば「逃避」したのだという程度の判断しかできなかった。「逃避」なんてとんでもない。ハイデガーは、むしろ芸術の政治性(芸術が置かれている政治的ポジション)を見ぬいたうえで、「芸術への思索」を研ぎ澄ませていったといえるのかもしれない。
(1996/07/19)
★中川理『偽装するニッポン:公共施設のディズニーランダゼイション』1996 彰国社(2400円) 4-395-00435-0
☆コメント
この本で、著者は、非常勤を勤める短大での学生の調査をきっかけに、これらの「偽装の図像」(動物、河童、魚介類、果物、乗物、城郭、洋館など)をおもしろく、しかしやがてかなしげな調子で取り上げて「図鑑」にまとめて紹介してくれている。ただ、正直に言えば、この本は、(これだけの情報を収集したことには敬意を表するけれども)このあたりまでは少なくともわたしにはものたりなかった。消費社会の問題を指摘しているはずの言説や映像自体が、まるで新聞か雑誌のコラムの連載のように消費されてしまうような気がするからだ。
しかし、この図像図鑑が終って第3章に入ってからは(わたしには)がぜんおもしろくなった。ここからは、著者は、DL化の手法を「1%事業」といった行政の問題で片づけてしまわずに、根本的な哲学的問題にどんどん近づいていこうとするからだ。著者は、消費社会がもたらしたこのような新しい(まだ不透明な)社会システムを倫理観から離れたところで把握しようとする。著者によれば、「公共空間」は、かつてもっていた「距離感を喪失」して根本的な「構造転換」をおこしている。もちろん、このようにして変質した「公共空間」には、ある種の(権威的な啓蒙エリートのモダニズムを否定する)治癒的効果があったはずだ。しかし、そのような消費社会における公共空間には、致命的な矛盾があった。DL化がもたらす一時の「親しみ」は、時間が経つにつれて色褪せ押しつけがましいものに変貌する。不特定多数の人が非特定時間に利用するという日常性の本質が変らないかぎり、DL化した公共デザインは一過性の限界を乗り越えられないというわけだ。ちなみに、「テーマ」を導入する手法は、美術館での展覧会などにも応用されはじめている。テンポラリーな展覧会であれば、たしかに、この手法はある程度有効かもしれない。しかし、美術館そのものの「テーマパーク」化には、この本で指摘されているような問題が付きまとうことを忘れてはならないだろう。
著者によれば、わたしたちは、まだ「人々の嗜好を集約する装置」をもっていない。したがって、公衆の存在が見えないまま「アート化(文化化)」の名のもとに行政によって主導される公共デザインは、架空の表象を追い求めて「暴走」し「見捨てられ」ていく。もちろん、だからといって、嗜好(趣味)を切り捨てた(と称していた)かつての機能的で権威的なモダンデザインに回帰するわけにもいかない。では、どうすればよいのか。著者は、オーギュスタン・ベルクや望月照彦、C・アレグザンダー、イー・フー・トゥアンらを援用しながら、社会の変化に即応した新たな関係性のモデルを模索するが、結論は、明確な像を結んでいるとは言いがたい。
結論が出ないのは、当然といえば当然のことだ。「新たな公共性の構築の可能性」が生まれるためには、一方では、「公共空間」の意味を根本的に考え直すとともに、私的領域に撤退して閉じこもってしまった建築家やデザイナーたち(か、それに取って代わる人たち)に、もういちど公共空間に取り組んでもらうことが必要になるだろう。読み飛ばしてしまったのかもしれないが、この本を読んでいて、パブリックアート(PA)に言及していないのが気になる。最近のPA(アートプロジェクトといったほうがいいかもしれない)のなかには、ある意味では、建築家たちが撤退したあとも「公共」の場に踏みとどまって、パブリックスペースの意味を問い続けているものもあるとはいえないだろうか。「アート」なんてしょせん(日常的現実とはかけ離れた)お遊びなのさということなのかもしれないが、最近のPAはそうでもないようにわたしには思われる。
そのように思うのは、カトリーヌ・グルーの『都市空間の芸術:パブリックアートの現在』(鹿島出版会)という本を読んだからかもしれない(久しぶりに書いていて、またつい長くなってしまいそうだ。かんたんにすませるように努力しよう)。
この本のもとのタイトル(L'art en milieu urbain: Actualte de l'art, questions urbaines)からもわかるように、著者のグルーは、いわゆるPAには懐疑的だ。著者は、都市のインフラストラクチャーが出来上がったあとで、建築の表面にただ添え物のように「記号」として付加されるだけの「PA」を論じようというのではない。著者が問題にするのは、むしろ、そのようなPAが要請されるようになった原因、つまり、都市における公共空間(グルーの定義によれば、自由な市民たち個人の相互の結びつきと交流の場)の喪失ないしは不在である。このあたりで、グルーと中川の問題意識は重なり合うといっていいだろう。
しかし、(中川とはちがって)グルーは、「出会いが公共的範囲にまで及びうると認められる現代美術作品は、ごくいくつかのものに限られている」けれども、そのなかには「アーティストの野心が芸術のための芸術という領域の限界を超え、美学を倫理や政治と混同せずに、しかも倫理や政治との関係を切り捨てないプロジェクト」があると主張する。それに該当するのは、ボイス、クリスト、ビュラン、クリーシェ、ヴォディチコらの作品、あるいは、ボロフスキーやクルーガーが参加したストラスブールの市街電車のためのプロジェクトだ。また、ここでは、彼女自身がビエンナーレのコミッショナーを務めるイル・ド・フランスのオンガン=レ=バンでの作品設置プロジェクトも紹介されている。
グルーの考え方の基礎には、アレントの『人間の条件』における「公的領域と私的領域」の分析がある。「イベント」(日本語の後ろ上がりのアクセントのついた[あるいは、正確には、ある種の業界用語的なニュアンスを持つことでアクセントを失った]定例化した「催し」のことではなく、「衝撃」とともに突然「みずからの姿を現す」「生起」)や政治(「ポリス」という意味での政治)についての考え方を見ればわかるように、グルーの考え方はユーロセントリックというか、古典主義的なギリシャモデルの都市観に依存するところが大きい(昔ちょっとハイデガーの勉強をしたことのあるわたしとしては、懐かしい言葉がどんどん出てくるので、ちょっと気恥ずかしくなってしまう)。したがって、このやたらにまじめな考え方をそのまま受け売りする必要はないが(というより、そうするのはちょっと危険だが)、公共空間でのアートの課題を、ともに感じともに考えともに生きること(Mit-Dasein?)への印象的な提案だとするグルーの主張は、公共デザインに関してもある程度は通用するのではないかなとも思う。
公共施設やモニュメントのデザインをどうするかという問題は、近ごろさまざまな場面で問題になっている。中川やグルーの本を読んで考えさせられるのは、けっきょく、ここで問われているのは、外見の美醜や適合不適合だけではなく、さまざまな方向からそれとかかわっていく市民たちの生活のビジョンだという、ごくあたりまえといってもいい事実の重みである。(98/3/15)
☆コメント
かんたんにいえば、「芸術」というのは、自己中心的で閉鎖的で独善的な芸術家が見せてくれたり聞かせてくれたりするもの。受け入れる側も、プライベートな状況で、あるいは、そのための特別の施設(ハコ=美術館やコンサートホール)の内部で感覚的ないしは精神的な快楽を鑑賞/享受するというもの。一方、「アート」は「人の中に入り、人と関わるもの」、「新たな価値観や世界観との出会い」を通じて「地域を活性化」させる「コミュニケーションのツール」であり、「触発的で、双方向的な」「開かれたコミュニケーションそのもの」である。
筆者によれば、「アート」は、「見て楽しい」だけではない。アートには、人やまちを生かす広く深い力がある。「人を幸せにし、癒し、元気づけてくれ」、「人の精神世界の多様さ・おもしろさを示してくれる」アートは、わたしたちの「エネルギーの素」であり、生きる元気を回復してくれるものである。したがって、アートを鑑賞中心のものから、参加・交流型の「アートプロジェクト」へと進化させ、このプロジェクトを、社会とアートのインターフェイスとして活性化させることで、文化的に多様で豊かな社会を形成することが可能になるというわけだ。
芸術を社会化(市民化)することで、地域共同体の「生活の質の向上」させるという、このどこかで聞いたようなプラン(文化庁の文化立国21プランとか、アーツプラン21?)は、とりあえずの「政策」としては悪くはない。ある面ではこの考え方も正しいし、じっさい「アート」の意味を行政側が理解して「芸術文化」支援が充実してくれば、この業界も潤うのはたしかだからだ。皮肉な言い方を止めて言えば、筆者が指摘している今後の課題(アートの理解と支援の継続のための公正で効率的なシステムの整備、プロジェクトの企画調整を行うコーディネータ不足の解消)への取り組みは、現実問題として、まず優先されるべきだと思う。
しかし、ここが政治の問題の難しいところなんだろうけど、とりあえずは支持すべきこの「政策」も、その「理念」に対しては、やはり少々疑問が残る。これは京都のアートマネジメント講座のときも少し話題になっていたことだが、「芸術文化」とか「アート」に大きな期待が寄せられているときには、ちょっとその言葉の内実について考え直したほうがよいのではないか。「アート」は、ほんとうに地域社会の「幸福を約束」してくれるのだろうか。「芸術文化」に資金をつぎ込めば、「先進国」のような「豊かな社会」が、ほんとうに実現するのだろうか。そして、この場合の「幸福」とか「豊かさ」、あるいは、「自然やノスタルジーによる癒し」とは、具体的に何を意味しているのか。まず、必要なのは、「幸福論の貧困」を乗り越えることなのではないのか。
あまり性急な結論は出したくないし、この本の中で紹介されている6つのプロジェクトのなかにも、じっさいにすばらしい成果を挙げているものがあるのは事実なので、反論するのは、とてもむずかしい。しかし、ここで語られている「アート」には、どこか「やんちゃ坊主」が無理していい子になっているような感じが拭い切れない。管理されない反社会性や毒々しさを売り物にしていた悪役としての「芸術」への郷愁を捨てられない美学者の限界かもしれないが、「芸術文化」が「豊かな社会」を実現するなどという言葉を聞くと、どうもひとこと皮肉が言いたくなってしまうのである。(97/07/27)
★佐々木晃彦編『芸術経営学を学ぶ人のために』 1997 世界思想社(2427円) 4-7907-0635-4
「目からウロコ」などとよく言うが、この本を読んでいると、ああそうかと納得させられる箇所になんども出会う。近代日本における制度としての「美術」の成立という問題は、これまでさまざまな場所で議論され、文章にもなっている(わたしも講義でよく取り上げる)のだが、著者の着想と議論の組み立て、文章表現は、ちょっとまねのできない独特の力を持っている。
その理由の一つは、この本でもしつこいほどに繰り返される、言葉へのこだわりだ。また、もう一つは、同じことかもしれないが、「知識の前提以前の<そういうことになっている>ところ」をついた疑問に答える姿勢にある。「得てして<専門家>は、そういう(子どもや外国人がよくするような)質問はしないことになっている」のだが、「人々の暗黙の了解を揺るがす部分」に、この本は意識的に近づこうとする。
序章に続く3つの章(第一章:「近代日本美術」とはなにか――時間と空間の枠組み、第二章:美術の文法、第三章:ジャンルの形成――「日本」への論争)では、この「言葉へのこだわり」が、直接、近代日本美術に向けられていく。ここでは、「近代」「日本」「美術」をはじめ、「絵画」「彫刻」「工芸」、「日本画」「東洋画」「(西)洋画」、「歴史画」「風俗画」「裸体画」、「近代美学」と「現代美術」といった概念が、たんなる語源詮索ではなく、社会的政治的なコンテクストを背景にして、徹底的に検証される。また、続く第四章(美術の環境――階層・行政・団体・コレクション)と終章(「日本美術史」の創出)では、それまでの考察にもとづいて、近代日本の美術と美術研究の状況が政治的な権力闘争という視点から素描しなおされる。このようにして、「美術」の基準が「制度」にあるということが、さまざまな例にもとづいて証明されていくわけだ。
なかでも「日本画」をめぐる議論、とくに、現代美術としての「日本画」というアポリアの指摘は、これまで著者たちが長年かかって築き上げたトピックだけに、なかなか読み応えがある。「近代」の枠組みのなかで成立した「日本画」は、あいかわらず、制度的には(つまり、たとえば大学の学科としては)近代的な機構の支配のもとにある。そのなかで、「現代美術」としての「日本画」を考えることには、根本的な無理があるというわけだ。また、著者によれば、このような困難な状況を生み出しているのは、言葉の定義の曖昧さだけではなく、「日本」像の「ゆらぎ」という事態もある。「明治以降の日本が作りあげ、決算しないまま戦後に積み残した近代の『日本』像」と、「『現代』を支えてきた世界システムによる戦後の『日本』像」のいずれもが今転換点を迎えている。「日本画」を問題にする際には、いったい何を「日本」と考えるのかという反省を欠かすわけにはいかないのである。
あるいは、ここには、「日本」という「絶対的な国家指標」のもとで、ある種の地位を保証された「京都・奈良」の問題への言及もある。1997年の美術史学会は、5月に、京都市立芸術大学で開催されることになっているが、そのシンポジウムのテーマは、「美術史における奈良・京都・東京(江戸)」だ。この本が代表するような「日本のニュー・アート・ヒストリー」は、この学会での議論をどのようにリードしていくのだろうか。
さて、第四章では、出自や出身藩により、明治美術の立役者たちの行動を分析する箇所が興味深い。一般史や政治史ならなんでもないことかもしれないが、美術史の世界では、これが今まで、いわば注意深く避けられてきたともいえるだろう。ここでは、とくに東京美術学校における旧佐幕派と藩閥系有力者との権力闘争の記述などが注目に値する。
また、日本東洋美術史を専攻する学生は古美術を収集する私立美術館に就職し、西洋美術史を学んだ学生は地方の公立美術館の学芸員になるという、この世界での経験的事実への注目も重要だ。ここにも、かつての行政上の権力闘争が影を落としているのである。いや、現在でも事態は変わっていない。著者が指摘するように、行政上の位置づけからいえば、近代美術や西洋美術は、保護指定の対象ではなく、むしろ「振興」の対象であり、管轄からいえば、文化庁の「文化財保護部」ではなく「文化部」の管理課にある。
そして、「日本美術史」の問題を扱う終章にも、示唆的な発言が多く見られる。その一つは、現在の日本美術史学の主流となっている研究手法、つまり、作品論が中心で、データ重視の傾向が強いという事実への言及である。著者によれば、この背後には、美術史研究自体が、古美術の調査と保護という国家事業の権威づけによって自立したという歴史上の経緯が影を落としている。「指定」のための資料提供ということが、美術史学に与えられた最大の課題であったわけだ。この件(文化財保護と美術史学との結びつきや、美術史学の政治的な役割という問題)に関しては、日本という枠を越えて、たとえば、ドイツやイタリアの場合、あるいはアメリカ合衆国、さらには、かつては日本もそうだったいわゆる途上国のケースなどと比較して考察してみるとおもしろいだろう。
この本では、「塔」を『芸術新潮』に連載していた頃の梅原猛を思わせる著者のエネルギッシュな饒舌と、権威による常識の背後にまわりこむために一見奇抜に見えるが、実感に訴えるという点で強い説得力のある注意喚起の手法が魅力だ。しかし、それだけに、着想だけで、その後の綿密な論証や関連する事実の考察が不十分になる箇所も目立つ。これらは、今後の本人や同僚、後継者たちによる研究の展開が補うことになるのだろう。いずれにせよ、この本は、北澤憲昭の『眼の神殿』(美術出版社1989)や木下直之の『美術という見世物』(平凡社1993)、さらには、資料集としての、青木/酒井校注『美術(日本近代思想体系17)』(岩波書店1989)と青木茂編の『明治日本画史料』(中央公論美術出版1991)とともに、制度という観点から近代日本の「美術」の問題を考えるうえでの必読書となるにちがいない。
アートマネジメントという言葉が最近よく聞かれるようになった。画廊の経営のノウハウをまとめたものから、いわゆるNPO(非営利組織)としての芸術文化事業一般(美術館博物館などから企業のメセナ活動にいたるまで)を論じたり、あるいは、行政サイドから文化振興のための基盤整備を語った本などが書店には並んでいる。
アートマネジメントという言葉が登場してきた背後には、芸術と社会の両方の側での、最近の大きな変化がある。芸術の側では、近代的な制度としての「芸術」を支えてきた美学、とくに、芸術を純粋で自律的なものとみなすヨーロッパの近代美学が一種の「制度疲労」をおこし、芸術が社会とのつながりをもう一度模索しはじめた。パブリック・アートをめぐる議論は、その典型的なものといえるだろう。一方、社会の側にも、芸術のほうに歩み寄る理由があった。これは、とくに日本で顕著に見られたことだが、「欧米と肩を並べる」ためには、経済発展だけではなく、文化や学術活動への支援、自然環境の保護、社会的弱者の救援などを実行する、いわゆるインフラストラクチャーと呼ばれる非営利組織を整備充実させなければならないという認識が高まってきた。このような、芸術と社会の双方からの相互接近が、「アートマネジメント」への関心と受容を生み出してきたのである。
このような状況は、悪いものではない。たとえば、美術館の問題を一つ取り上げてみても、美術館が、後光のさす偉大な「芸術作品」を見せていただく「神殿」から、「顧客」のニーズに応える「グッズ」を取り揃えた「テーマパーク」に変貌していくようすは、見ていて楽しくなる(この話題については、前に「観光学」を扱った本について紹介したときにも言及した)。少なくとも、いわゆる「お役所的発想」から脱して、芸術事業に「民間企業経営の感覚」を導入することは、芸術と社会のあいだの関係を活性化するうえで、重要な役割を果たしているといえるだろう。
以上のような意味で、この本のテーマは、わたしたちの関心をつよく引きつける。しかし、この本や、同じ編者によって監修されたシリーズ『芸術経営学講座』(東海大学出版会、全4巻、1994)には、多少の不満もないわけではない。もちろん、教科書として学ぶべき知識が提供されている点には、おおいに感謝している。また、文化経済学会を通して実際に行なわれているいくつかの提言や指摘には共感する部分もある。しかし、それにしても、これらの本が示す基本的(いわば哲学的)な姿勢には、いくつかの疑問を感じざるをえない。
字数を減らす約束したばかりなので、簡単に述べるが、一言でいえば、ここには「哲学」が欠けている。「美学」ないしは「文化理論」の欠落といってもいい。アートマネジメントとは、芸術生産者と芸術受容者のあいだを仲介するという役割を担った活動だが、ここで、その「芸術」は、どのようなものだと理解されているのだろうか。明確な定義がない(あるいは定義が困難であるとの明言がない)のは困ったことだが、本文、とくに「はじめに」や「おわりに」を読むかぎり、ここで芸術は、「豊かな生活空間を作るもの」とか、「心の豊かさ」を実現するもの、「生活の質」を高め、「充実感や生きがいのある生活」を求める市民たちの欲求にこたえるものと理解されているようだ。
じつは、これは、わたし自身の意見ではなく、ある本 (John Pick and Malcolm Anderton, Arts Administration. 2nd.edition. London; ..: Chapman & Hall, 1996) からの受け売りだが、アートマネジメントをめぐる議論は、「アート」(の理念)への理解がなければ不可能だ。芸術は、(企業や行政が考えるように)人々のニーズにこたえて配達サービスされるピザではない。経済的(あるいは経営学的)観点からの芸術経営論では、芸術の定義や機能理解がとかく回避されがちなために、芸術の生産のこのような特殊性が十分に考慮されず、単一次元的発想に陥ってしまうケースがよくある。この『学ぶ人のために』の場合もそうだが、芸術が、いわばアメニティー実現の手段に平板化され、そこからは、たとえば、芸術に含まれる社会批判的な要素や、社会的倫理的価値をめぐる多様で「アクチュアル」な問題は切り捨てられてしまう。このことは、挙げられた参考文献を見てもすぐに理解されるだろう
いずれにせよ、なにが「芸術」で、なにが「受容者:パブリック」なのかについての理念への深い洞察があってはじめて、その中間プロセスを管理するアートマネジメントの、あるべき姿は見えてくるのではないか? この洞察を支えるのが美学である。美学とは、イデオロギー的な嗜好を哲学的に糊塗することではないし、現実の具体的な数値を操作することで人々の「ニーズ」を特定方向へ誘導することでもない。美学にとってもっとも重要なことは、既成の概念ではとらえることのできない多様な創造の世界の存在を人々に知らせていくことだ。この「美学」の前提がしっかりと認知されていなければ、最終的には、芸術もパブリックも、そして「芸術経営」も、月並みで変化に乏しいつまらないものになってしまうだろう。
また、イギリスのカルチュラル・スタディーズ(レジャー研究)系の本を読んでいて気がつくことだが、アートマネジメントの問題を「先進国」アメリカのモデルだけで考えていくことにも、少々問題がありそうだ。ちなみに、さきほどのピックの本では、理念もなく、ただその場しのぎの繰り返しで経営を維持し生産性を追求しているようなニュアンスのある「マネジメント」という言葉の代わりに、「アドミニストレーション」という用語が採用されている。それによれば、アート・アドミニストレーションとは、管理サービスを押しつけるアート・ビューロクラシーに対抗して、文化状況や芸術のあるべき姿への深い洞察をもとに、芸術生産者と消費者とを(管理者ではなく、この両者が最大の利益を得られるように)結びつけることである。(97/01/21)
☆コメント
ただ、このような説明は、たんに学科の内部にしか目を向けていない。その点で、多少不十分だという気は、いつもしていた。美術史学のパラダイムの変化は、内部の構造変化だけではなく、当然、「美学」と「歴史学」という二つの外部からの力を考慮せずには、考えられないからだ。「美学」の問題はともかくとして、「歴史学」については、すぐに、たとえば、「アナール学派」のことなどが思い浮かぶ。ただ、それを実際にどのように説明に結びつけるかということになると、正直にいえば、いつもちょっと苦労していた。しかし、ここで紹介するP・バークの本を参照すれば、それがかなりうまくいきそうだ。つまり、あたりまえのことだが、「ニュー・アート・ヒストリー」は「ニュー・ヒストリー」の一環としてとらえることで、その性格がかなり明確になってくるというわけだ。
じつは、先月のブレーデカンプもそうだったけれど、この本の翻訳も、けっこうひどい。でも、ここで文句を言うのはもうやめて、まず、目次から紹介する。
序章 ニュー・ヒストリー:その過去と未来 (ピーター・バーク)
どの章もなかなかおもしろい。しかし、ぜんぶ紹介するのは無理だ。ここでは、第八章の「イメージの歴史」をとくに詳しくとりあげるというのが妥当な線だろう。ただ、その前に、序章について一言。ここで、バークは、ニュー・ヒストリーと「ラ・ヌーヴェル・イストワール」(ジャック・ル・ゴフ)との関係について述べたあと、ニュー・ヒストリーを、ランケに代表される伝統的な歴史学のパラダイムへの反発運動として定義する。そして、ニュー・ヒストリー(NH)とオールド・ヒストリー(OH)との対照を次の7点に要約する。この要約は、包括的で、いろいろと役に立ちそうなので、紹介しておこう。
さて、第八章の「イメージの歴史」の著者アイヴァン・ギャスケル Ivan Gaskell は、著者紹介によれば、ハーバード大学美術館絵画部所属の美術史家である。詳しいことを確認する手間を怠っているので断言できないが、文章を読んでいると、17世紀オランダ絵画関係の実例がよく出てくるので、そのあたりが専門だろうか。
ギャスケルは、この論文集のなかで、まず、自分が使う言葉の定義を行う。彼によれば、「歴史」とは、「過去」そのものよりも、歴史家の行う「言説」をさす。また、「芸術」とは、芸術家と本人が称し、また同時代人や後世の人たちがそう呼ぶ人たちによって作られた作品や、あるいはそれに結びつけられる概念を意味する。ギャスケルは、この章のタイトルを、「芸術の歴史」ではなく、「イメージの歴史」とした。これは、彼が、芸術としての純粋な「美術」だけではなく、「それ以外」のもの、たとえば、工芸、建築、写真、あるいは、民衆文化のなかで消費され、現在では収集対象となった品々を含めて、歴史学が「ヴィジュアル資料」を扱うときの問題点を包括的に考えようとしているからである。
ギャスケルは、この定義のあと、歴史学が視覚資料を扱うときの問題点を、「作者性」「名品であること」「解釈」の三点から考察する。彼によれば、歴史学者が視覚資料を扱うときの最大の問題点は、過去を過去として固定化すること、つまり、「作者の鑑定」や「当時の趣味の再現」や「歴史主義的な解釈」によって、批判的な想像力を封じ込め、政治的に従順な態度を助長し、支配的なシステムの防衛に貢献することにあるからである。
ギャスケルによれば、まず、閉ざされた自己肯定的なシステムである作者鑑定の作業をめぐっては、イデオロギー的な両極化が進行している。もちろん、トリノの聖骸布の例や、「レンブラント・プロジェクト」に見られるように、最近の科学技術による鑑定は、かなり精度を高めている。しかし、これらの例をよく検討すればわかるように、このような鑑定に認識論的な限界があることは明らかだ。どんなに科学的な鑑定であれ、その結果はけっして積極的なものではなく、証拠としての説得力は弱い。それを知りつつ、あるいは、知らないままに、鑑定眼に重きを置きすぎる美術史の議論には警戒が必要だ。そこには、「目利き」とか「科学」といった権威を利用した既成システムの制度防衛の論理が見え隠れしているからである。
また、「名品であること」の件に関していえば、「知識」と「見解」の分離の難しさは、「鑑定」でも「趣味」でも同じだと、ギャスケルは主張する。彼は、ボッティチェッリが19世紀後半に「再発見」され「名作」(一種の「トーテム」)として認められていった経緯を例に挙げながら、学者や学芸員たちの趣味が発揮する指導的役割について指摘している。しかし、最近になって、研究における学者たちの名品意識の変化を意識化する作業が、やっとはじまった。ギャスケルがあげるのは、F・ハスケルの『芸術の再発見』(1976)や、ハスケルとN・ペニーとの共著『趣味と古代』(1981)、あるいは、フランスのアカデミーをめぐるA・ボイームの仕事などである。
「作者性」や研究者の「趣味」によって決定される「名品」意識の解体への流れは、歴史主義的で「回顧的」な解釈への批判というかたちでも、今日、表面化している。ギャスケルが挙げているのは、M・ローゼンタール(「英国芸術史の死」)、H・ベルティング(『美術史の終焉?』)、M・バクサンドール(『ルネサンス絵画の社会史』)、S・アルパーズ(『描写の芸術』)、R・ヒューイソン(『文化遺産産業』)らによる批判である。なかでも、情緒的反応を利用した文化財産業による過去の歴史主義的回顧の危険性を指摘したヒューイソンの主張は興味深い。
結論として、ギャスケルは、次のように彼の議論をまとめる。それによれば、視覚資料の解釈に関して、歴史家と美術史家のどちらにも独占的権利はないし、ある意味では、ともに資格不足だ。とくに美術史家は、「鑑定」「名品」「過去」といった概念の庇護のもとに逃げ込んで解釈を純化洗練させようとする傾向が強い。ただ、ギャスケルによれば、彼らは市場や美術館だけに奉仕しているわけではない。彼らの仕事は、現在や将来の関心にとって重要な材料を提供してくれるはずだと彼は考えている。
日本でも、いわゆる絵画資料論は、最近、黒田日出男(たとえば、『謎解き 洛中洛外図』[岩波書店、1996])らの力でやっと世間的に(少なくとも研究者の世界では)認知されてきた。歴史家と美術史家とのあいだの議論も、シニカルな悲観主義を越えて、少しずつ堅実な成果を生み出しつつあるようだ。バークの本のなかで、ギャスケルも強調していたことだが、残念なことに、やはりどちらかいえば、「ひどい資格不足」は、「芸術を専門に扱う人たちの実践のなかに発見」されることが多い。歴史家たちの、画像の諸特性に対する無知もときには深刻だが、美術研究者たちも、たとえば、このような本を読んで、自分たちが歴史家であることの意味を少し考えてみてはいかがだろうか。(96/11/21)
☆コメント
ヴァルンケの『政治的風景』を紹介したときにも感じたことだが、これは編集の側の問題かもしれない。どうもこのシリーズの場合、「この本を紹介したい」という気持ちが先立ちすぎていて、適切な訳者を探すことに時間や手間をかけられなくなっている(ケースが多い)のではないか。また、独文学者(あるいは一般化していえば、多くの外国語文学研究者)たちの、芸術研究への理解不足ということも大きい。これはもちろん、逆に言えば、貴族主義的な芸術の理解に閉じこもってきた美学者や美術史学者たちの責任でもある。いずれにせよ、べつに「俺達に任せろ」などというつもりはないが、せめてヴァルンケやブレーデカンプがドイツの美術史学界でどのような政治的位置を占めていて、日本ではどのような紹介がすでにされているのかに関する情報収集の努力は惜しんでほしくはなかった。
もちろん、自分の翻訳の仕事のことを棚に上げて、身勝手な批判は慎むべきかもしれない。そうでなくても、翻訳に対する苦情というものは、聞きづらいものだ。また、翻訳書を読みつづけてきた手練の読者なら、この程度の訳文なら「むしろ原文が読み取りやすい」などとうそぶいて読みこなしてしまうにちがいない。わたしも、基本的には、このおもしろい内容の本を日本語で読める状態にして公的に流通させてくれた出版社や訳者たちに、とりあえず感謝の気持ちを表明すべきだという点に関して異論はないということは、はっきりとさせておこう。
さて、内容だが、この本は、かんたんにいえば、(訳者たちが変更した)原書の副題にあるとおり、「クンストカマーの歴史と美術史学(クンストゲシヒテ)の将来」について論じたものである。つまり、この本で、著者は、16世紀から18世紀にかけてヨーロッパの王侯たちのあいだに見られたクンストカマーと呼ばれる博物的な珍品陳列館の流行の歴史を振り返るとともに、現在では切り離されてしまった芸術、科学、技術のあいだの深いつながりを回復することを、クンストカマー的な思考の伝統を一部で(たとえばイコノロジーのなかで)引き継いできた美術史学の新たな課題として強調しようとしている。
翻訳の基本ポリシーが日本での「博物学」ブームに引きずられすぎているので、わかりづらくなっているが、この本が基本的にめざしているのは、従来の美術史学の伝統的な枠組みを越えた「新しい美術史学」の一つの試みを具体化してみせることである。著者が念頭に置いているのは、一部の読書家たちの知識欲や想像力を刺激する、それこそ「風変わりな」特異現象としてのコレクションではない。ここで想定されているのは、具体的な歴史的環境のなかで流行した全ヨーロッパ的な現象としての「収集行動」であり、いわばその理念を体系的に具体化したものとしての「クンストカマー」である。つまり、ここでは、作品を美的に切り離して賞玩することを前提にしていた従来の美術史学の枠を打ち破って、作品の生産や消費の状況、あるいは「美術」という概念を当時の具体的なコンテクストのなかでとらえ、その社会的政治的意味を解明することが試みられている。この本は、ヴァルンケの『政治的風景』に言及したときにも紹介した、あのハンブルクのヴァールブルクハウスで実践されている「政治図像学」の成果の一つなのである。したがって、クヴィッヘベルクの理論書、ルドルフ二世のプラハのクンストカマー、F・ベーコンの「自然誌」、あるいはヴィンケルマンやピラネージの歴史的位置などへの言及も、そのような視点からその意味を読み取るべきだろう。
なお関連書として、解説ではカウフマンの『奇想の帝国』(斎藤栄一訳、工作社、1995)との比較対照を行っている。両者を比べてその共通認識(クンストカマーの「プログラム」への関心)を取り出してくることは、もちろん有益なことだ。ただ、欲をいえば、その前に、コレクションという現象一般を概観するための文献が紹介されてあれば、もっとこの本の内容を理解しやすくなるのではなかろうか。たとえば、ポミアンの『コレクション:趣味と好奇心の歴史人類学』(吉田城・吉田典子訳、平凡社、1992)などは、ドイツ人たちとはまたちがった視点から同じ現象を分析している。これは、「クンストカマーにおける古代憧憬と機械信仰の一体化」に注目し、そこに「自然物/古代の彫像/人工物/機械という連鎖的発展」を読み取るブレーデカンプの全体構想を理解するうえでも、また、一般的な情報提供という意味でも貴重である。また、美術史学ではなく、美学あるいはメデイア論のほうで関係書籍を紹介すれば、マズリッシュの『第四の境界:人間−機械[マン−マシン]進化論』(吉岡洋訳、ジャストシステム、1996)も、人間と機械とのあいだの連続性(つまり、非連続[→第四の境界]の解消)という問題をめぐって、動物機械(アニマルマシン)や自動人形(オートマトン)の問題に触れている。ブレーデカンプが結論部分でテューリングのテープに言及していることを思い出せば、このいかにも現代的な状況分析を行った本との比較対象も、たいへん興味深いのではなかろうか。
ブレーデカンプには、フットボール(手を使わない近代「サッカー」ではなく、メーディチ家以来のフィレンツェの祝祭行事の一つとしての「カルチョ」)についての著作(Florentiner Fussball: die Renaissance der Spiele. Calcio als Fest Medici. Frankfurt am Main: Campus Verlag, 1993.)もある。これも、その趣旨からいえば、ジョットやボッティチェッリ、レオナルドやミケランジェロといった芸術家たちが活動したフィレンツェの街の文化的で社会的な実態に迫ろうとする歴史研究だ。できれば、この本もその方面の「情報を欠いている」独文学者ではなく、フットボールの歴史に詳しい文化人類学者とか、都市としてのフィレンツェを知りつくした文化史家の手になるこなれた訳文(名文という意味ではなく、事情に通じた文章)で読みたいものである。(96/10/30)
☆コメント
現状からいえば、多くの美学研究者の注目を集めているのは、造形芸術、とくに絵画の分野である。「美学美術史学」という呼称がすでに明示しているように、美学と美術史学とは、きわめて「自然」な結びつきをもっており、これに、今たとえば音楽が入り込むことはむずかしい。
もちろん、これには理由がある。その一つとして、美学の理論活動に、あるジャンルの芸術がどれほど強いインパクトを与えているかを考えてみるとよい。最近に話を絞っていえば、まず、1960年代からの文学研究。そして、いわゆる「ニュー・アート・ヒストリー」の登場後の美術史学。しかし、音楽学は、……?
ここで紹介するサイードの本も、このような現状に対する認識から話が始まる。サイードは、音楽学に喧嘩を売るつもりはないと何度もことわっているが、序文にある次のような文章を読めば、彼のねらいは明らかだ。
「……音楽に関する文献の多くは、そのおおもとにおいて『実証主義的な』ものにすぎず、さらにつけくわえるなら、音楽を崇拝しているにすぎないと考えている。……(音楽学における新しい批評の動向も)、人文科学分野で刷新された解釈批評の多くと歩調を合わせていないように見える。わたしたち文学研究者のほうが、レイモンド・ウィリアムズ、ロラン・バルト、ミシェル・フーコー、それにスチュアート・ホールの仕事のおかげで、文化がどのように働きかけるのかについて、はるかに多くのことを知っている。わたしたちは、ジャック・デリダ、ヘイドン・ホワイト、フレデリック・ジェイムソン、スタンリー・フィッシュが確実に開拓し刷新した方法でもってテクストを検討するすべも知っている。そしてフェミニストたち、エレイン・ショウォルター、ジャーメイン・グリア、エレーヌ・シクスー、サンドラ・ギルバート、スーザン・グーバー、ガヤトリ・スピヴァックの仕事のおかげで、芸術の生産や解釈においてジェンダー問題は避けてとおれないことも知っている」。
「大筋において専門分野としての音楽学は、他の専門分野にも見られることだが、ギルド的なというべき集団的コンセンサスというものを保持している。このコンセンサスは時としてただ現状を維持するだけの方向にはたらき、あたらしい抜きんでた考え方を認めようとせず、境界や領分を維持するのに汲々とするだけである。音楽学者たちが分析や評価を行なうときの手続きなどをすべて捨ててもいいとわたしは夢にも思っていないし、むしろ重要な部分はどんどん活用すべきだと思っているのだが、しかし、そういうわたしですら、音楽学の仕事がいかに批評的意識を欠いているかについて思いをはせると唖然とするほかはない……」。
美術史学だって、ちょっとましだというだけの程度だが、たしかに、音楽学の「ギルド」的性格は強固だ。その背景には、音楽が、個人の技量に依存した、かなり私的で自己閉鎖的な特徴をもっているということがある。しかし、だからといって、そのような音楽経験が外部の社会への開かれとは無縁だということにはならない。音楽経験は、かぎりなく内的で私的なものでありながら、その実践は社会的文化的環境のなかで公共的に行われる。1989年5月にカリフォルニア大学アーヴァイン校で行われたこの講演のなかで、サイードが試みたのも、この「内」と「外」という2つの極のあいだの相互関係を、どちらかがどちらかを支配するというかたちをとらずに、ダイナミックに記述することであった。
第一章のコンサート論、第二章の「脱領域」の理論、第三章の「現代における音楽的快楽」の理論と、看板に違わず刺激的な議論が展開する。とくに、コンサート論でのグールドやトスカニーニの評価、第二章での「ド・マン問題」への言及、第三章でのリヒャルト・シュトラウスへの評価などは興味深い。また、アドルノの音楽美学との対決の箇所には、多くの有益な示唆が含まれている。ただし、音楽の商業化による「聴取の退化」が進行する一方で多くの技巧的な演奏家を生産しつつある「極東」地方の住人の印象からいえば、「西洋クラシック音楽」の「よろこび」をサイードの口からそのまま聞くのは、それほど居心地のいいものではない。じっさいに非西欧の音楽への言及があったのは、「ウル・クルスーム」についてのものだけだった。古典的アラビア歌曲とブラームスとがつながりをもちうるという彼の主張は、やはりどうみても「ユートピア的」だし、「それ自体をまったくの音楽として主張する音楽」(p.129 )を肯定的に評価する姿勢を受け入れることは、(西洋クラシック)音楽への愛を素直に共有できない「部外者」には、かなり困難であるような気がする。(96/07/19)
☆コメント
☆コメント
★ベネチア、ビエンナーレ
☆コメント
まず、ベネチアから。イタリアに行くと、ついはめをはずしたくなるくせは、やはりドイツで身につけてしまったのかもしれない。他にすることが多くて展示場に行く時間が少なくなってしまった。それでも、日本館へは、朝早くから出かけていった。行列はできていないけれど、1人になる時間はたった3分間。時間を監視の人に教えられて、1人ではなかったことに気づく。何かふにおちないという気分のまま、いくつかのパピリオンをまわって帰ってきた。ヒーリングや仮設テントでの神秘的な自然(自己)回帰、コミュニケーションと自閉といった問題について考えなければと思いつつも、けっきょく、それについて考えることができたのは、イタリアを離れてからだった。
つぎに訪れたのはリヨン。ここも食べものが美味しい町で誘惑も多い。でも、滞在日数の関係で、ビエンナーレに集中。じつは、あまり期待していなかったのだけど、案外、おもしろかった。まず、人が少ない(雨が降っていたということもあるが……)。皮肉なことに、作品の前で完全に一人になって10分でも20分でもながめていることができる。ちなみに、治癒ということでいうと、Emery Blagdon の The Healing Machines は、けっこう迫力があった。また、迫力ということなら、いちばん奥のほうでまわっていた Flying Steamroller も、つい引き込まれてじっと見つめてしまった。あと、会場で感じたのは、来ている少ない観覧者たちのなかに、子ども連れが多かったこと。そう思って注意してみると、展示によっては、「子どもや神経の過敏な人には刺激の強すぎる作品があります」という警告のメッセージが小部屋の入口などに掲げられている。パンフレットにも子ども向けのガイドツアーの案内があった。アートと子どもの関係というのも、時間があればゆっくり考えたい問題だ。
つぎに、ミュンスター。テーマは、公共スペースのなかの彫刻。ちょっとみんなに逆らって、自転車に乗らずに、ゆっくりと歩きながら「彫刻」を見てまわった。アートとアートを直線で結んでいくのではなく、そのあいだにある公共空間のほうをゆっくりと通過していると感じられてくることだが、市民たちに愛されている彫刻がそれほど多いようには見えない。ミュンスターは「古都」といっていい町だからかもしれないが、市民たちのほうに余裕が感じられるようだ。京都市は、いま「アート空間創生事業」と称して御池通に「芸術」を導入しようとしているらしいのだが、こんな感じのちょっと距離をとった対応も悪くないかもしれない。ちなみに、どこかでインタビューに答えているのを読んだのだが、キュレーターのカスパー・ケーニヒは、奈良が大好きで、大仏などの伝統彫刻が残った都市環境のなかで国際彫刻展をやってみたいそうだ。
最後は、カッセル。以前に、この町のお城 Wilhelmshoehe が所蔵しているレンブラントの《カーテンのかかった聖家族》について書かれた本を翻訳したことがある。その関係で、ここは知らない町ではない。ただ、旧東ドイツ国境に近い西側の町という印象が僕には強くて、ちょっと親しみにくいところがある。今回の展示のために設定された巡覧の動線も、ところどころでこの問題に触れるところがあって、そのつどメランコリックな気分を高めてくれた。ただ、展示館に入ると、ものすごい人の波。リヨンやベネチアと比べて、芸術家一人に与えられたスペースは格段に広く展示の量も多いのだが、逆に、鑑賞者のスペースは狭い。観覧者が多すぎたのだろう。内容に関しては、さまざまな論評があったが、僕には、写真やスライドなどの旧メディア静止映像の扱いに意外に新鮮なものが多くて、それがおもしろかった。
以上、えらそうなコメントを書いてはきたけれど、じつは、僕には現代美術は、あまり得意な分野ではない。とはいえ、4つも大きな展覧会を見てまわっていれば、それなりに見えてくるようなこともある。最後に、全体の感想を、つぎの3点にまとめておこう。
☆これは、もういろいろなところでしゃべっているけれど、大きな国際展は、もう観光や地域振興とは切り離せない。とくにカッセルはすごかった。ドイツの新幹線ICEには、ドクメンタのマークが描かれていて、ベルリン、ハンブルク、ミュンヘンといった大都市からの入場券つき往復割引券が多量に売られていた。会場周辺のカフェやレストラン、土産物屋も、これでけっこう潤っていたのではなかろうか。ビエンナーレ・ジャンボリーという見出しがどこかの美術新聞にあったが、多くの(とくに非西欧の)都市がビエンナーレを開きたがるわけだ。
☆つぎに目立ったのは、作品や作家よりも、それらを持ち駒のように支配して一つの全体のイベントを総合プロデュースするキュレーターたちの活躍に注目が集まっていること。ベネチアのチェラント、リヨンのゼーマン、ミュンスターのケーニヒ、カッセルのダヴィッドたちは、マスコミでもスター扱いをされている。また、この新聞や雑誌での取扱いがけっこううまくて、つい読まされてしまう。とくにダヴィッドのインタビュー記事は、なかなかのドラマティックな読物になっていて、旅行中も楽しませてもらった。
☆あとは、東アジア系のアーティストの進出が目立っていたこと、ただの抽象的な形態だけではなく「物語」(テーマ性)や「機能」(たとえば治癒)への欲求が感じられることが多かったこと、そして、「過去へのまなざし」(現代美術史の再編成を行ったり、すでに歴史の世界の住人になっている作家の作品をもちこむ試み)が意識的に強調されていたことなどが、(ブームに乗って「観光」気分で4つも続けて国際展覧会を見て混乱しきった僕の頭には)ぼんやりと印象に残っている。
(97/12/27)
☆コメント
まず、常設展示室に入る。写真展示の奥に、モード20世紀、18-19世紀、さらには、民族衣装の展示が続く。絵画作品(ダヴィッド《ナポレオン[ジョセフィーヌ]の戴冠式》、モネ《庭園の女たち》、スーラ《グランド・ジャット島の日曜日の午後》)に登場するファッションを再現する企画は、たいへんわかりやすくてけっこう。でも、なにかさびしい。
さびしい理由の一つは、動いていないこと。これは、仕方がないか。そのために、「映像館」も準備されているわけだから。それにしても、絵だけを見ているときはそれほどでもないのに、衣装を見ているときには、なぜか動いてほしくなる。衣装は、たんなる「布の彫刻」ではなさそうだ。
さびしい理由のもう一つは、来館者が少ないこと。日曜や休日なら、もっと人がいるのかもしれない。しかし、「商売上手」の神戸市にしては、広報活動が足らないのではなかろうか。たしかに、六甲アイランドは、ちょっと交通の便が悪い。それでも、国立国際美術館よりは、だいぶましなのでは?
誰かが言っていたように、この美術館は、ちょっと(関西人にとっては)気取りすぎているのかもしれない。ファッション美術館というのは、ブティックのディスプレイと民族学博物館の資料展示のちょうど中間に位置するものだと思うが、ここでの展示にはどのような位置づけが与えられているのだろうか。館の全体の主旨から言えば、「産業と文化の振興」ということであって、ファッション資料館で十分なはずだ。それを、わざわざ「日本初の」ファッション「美術」館としなければならなかったのは、なぜだろう。
パンフレットには、「芸術文化(最近、この言葉を聞くと、どうも官僚的な作文を思い出してしまう)の提供」とある。しかし、ファッションは、いまさら「芸術」を標榜したり、あるいは、わざわざ「美術」の力を借りたりする必要があるのだろうか。わたしの目から見れば、服飾は、もう、とっくの昔に、「工芸」という、美術のなかでの「第三身分」を脱出して、独自の地位を築きはじめていると思うのだが……。また、もしファッションが「アート」だというのなら、そのときの「アート」とは、どのようなものをさしているのだろうか?
もちろん、印象派絵画との並列展示のような場合なら、たしかにわかりやすいし、一種のお遊びとして楽しめないこともない。しかし、これにしても、むつかしいことをいえば、衣装は、絵画の立体図解なのかとか、絵画は、衣装の権威づけなのかとか、いろいろと考えされられてしまう。ファッション写真にしてもそうだが、このあたりの「アート」の利用のしかたが、少なくともわたしには中途半端な感じがして、どうもふに落ちない。なんでもいいから、ファッションと関係のあるものを展示して、「ファッション」を、「アート」(芸術)のちょっぴり知的でぜいたくな雰囲気のなかで味わってほしいということなのだろうか。
いろいろと文句ばかり言ってきたが、この「美術館」が、なかなかユニークで楽しい場所なのだということは、忘れないうちにはっきりと言っておこう。とくにおもしろいのは、ここが、たんなる展示施設だけではなく、「複合情報文化施設」だという点である。3階4階の「リソース・センター(神戸ファッション産業復興支援センター)」は、なかなかの充実ぶりだ。一般の企業のデザインルームがどの程度のものなのか、わたしにはわからないので、4階のほうは評価できないが、3階のライブラリは、蔵書の量と質から見て、かなりのレベルにある。もう少し近ければ、頻繁に利用したいところだ。
PS:ファッション美術館に行ったのは、5月15日のこと。今なら、もっと来館者も増えているかもしれない。たしか、今は、「SHASIN」展を開催中(10月5日まで)だ。そういえば、京都の近代美術館でも写真の展覧会をやっている。京近美は、美術館で「ファッション」の展示をするという点でも先輩格だが、写真の場合はどうだろう。東京都写真美術館というのもある。ちょっと考えてみたらおもしろそうだ。誤解してほしくないのだが、わたしは、なにもファッション「美術」館や写真「美術」館がいけないといっているわけではない。わたしが確認したいのは、「ファッション」や「写真」を、それぞれが「アート」とどのように結びつけて考えているのかというポリシー、あるいは「美学」の問題である。(1997/07/27)
☆コメント
じつは、展示を見ていて、ひとつひらめいたことがある。最近、インドネシアの近代美術について調べる機会があった。それによれば、オランダ植民地時代のインドネシアでは、「うるわしのインド」絵画と呼ばれる自然風景画が、熱帯の自然風景に惹かれたヨーロッパ人たち(後には、そのようなヨーロッパ人の視覚の欲望に気づいて、それに同一化したり、あるいは、それを商品化した現地の人たち)によってしきりに描かれていた。その構図と色彩が、たとえば三保の松原を描く司馬江漢の油絵にとても似ているのだ。
最近は、江戸末期から明治にかけての美術の見直しが進んでいる。とくに、そこで問題になるのは、ヨーロッパと日本の関係なのだが、たとえば司馬江漢の場合のように、オランダと日本のあいだにもうひとつ、インドネシアという項をはさんで考えてみてはどうだろうか。このような問題設定については、植民地にならなかった国であるというナショナル・プライドがどこかで邪魔をしてくるかもしれない。しかし、明治の近代国家形成期における制度としての「美術」の問題を客観的にとらえていくためには、日本における、いわば「内なる植民地化」と「内なるポスト・コロニアル」の状況を、地球上の他の非ヨーロッパ地域の状況と比較することが重要になってくるのではなかろうか。(1996/12/24)
☆コメント
とくに国立の美術館が国立の美術大学の特別協力を得て、日本のアカデミズム絵画の出発点を形成する画家集団をテーマとする展覧会を開催しようというのであれば、展示そのものが、どのような言説、つまり、社会的な意味作用を持つ言語行為として受取られるのかについて、いくら神経質になってもなりすぎということはない。しかし、残念ながら、わたしの見るところでは、今回のこの展覧会は、ただひたすら「眼」のための作品展示であることに没頭しているような印象を受ける(これは、前回の「プロジェクト・フォー・サバイバル」展の反動なのか?)。
たとえば、黒田清輝のアカデミックな絵画制作のプロセスについて、習作を織り交ぜて、ていねいな解説が加えられる。しかし、このような作画態度が当時のフランスや日本でもちえた意味について、あるいは、いまのわたしたちにとって黒田たちの試みが示唆するものについては、ほとんど何の言及もない。わたしたち、あるいは、少なくともわたしが望むのは、「教科書に出ている名画」のたんなる羅列や、「才能ある画家による作品創造の秘密」のもったいぶった公開などではない。わたしが知りたいのは、むしろ、いまここで展示することの意義を主催者側がどのように考えているのかということだ。たとえば、主催者となっている国立文化財研究所は、たしか黒田の遺産をもとに開設された美術研究所ではなかったか。今回の展覧会が(ややこしい理屈などは言わずに)「名品を見せていただく」だけのものだとしたら、これは、きわめて危険な徴候であるといわざるをえない。(1996/12/24)
☆コメント
行ってみると、ATCは、まだまだ工事中のところが多い。平日で、しかも、ちょっと風が強かったので、人が少なくて、ちょっとさびしかった。関西人は、ちょっと新しいからといって、不便な満員電車や混んだ都市高速を通って「未来都市」を見に行ったりはしない。超高層ビルを除けば、天保山や神戸のハーバーランドなんかと似たような感じだし、休日にちょっと遊びに行くのにはおもしろそうなところなのだから、交通の便をもう少し良くしてくれるといいと思う。
さて、美術館だけど、建物そのものはきれいだが、展覧会は期待どおり(?)だったので、それほど残念にも思わないほどだった。この結果は、ポスターやちらしを見たときに、もう予想できていた。チケットにもそう書いてあるが、そこには、「日本初公開」とあって、しかも、そのすぐ下に読めないほどの小さな字で「一部作品を除く」としてあったからだ。
「初公開」を売り物にするこの姿勢から見て取れるのは、この美術館が、何度見ても飽きないような良質の美術品を展示するというよりも、どのようなものであれ物珍しいものを看板に掲げることで入館者の数を増やすことに熱心だということだろう。じつは、西欧でも(ロシアでも)、美術品は、高尚な貴族的趣味や教養の対象というだけではなく、ある意味では、旺盛な好奇心の対象でもあった。だから、まじめな顔をしてこんなことに憤慨するのはじつは滑稽なことになるのだけれども、それにしても、あまりにも露骨な集客の姿勢には驚くと同時にあきれてしまう。
もちろん、これは、企画者側の問題というより、美術を消費している受容者層の問題だ。べつに初公開じゃなくても、いいものを見せてくれるのなら文句はいわない、大歓迎です、何度でも見に行きますよ、というくらいの見識が大阪の市民たちにあれば、こんなことにはならないと思う。じっさい、絵を見ているというか、絵の前でおしゃべりしたりしている人たちの雰囲気は、ほかの、たとえば、大阪市立美術館でみるような人たちとは、だいぶちがっている。出口で、カタログを買ったら、ポスターをサービスしてくれたけど、そんなサービスよりも、展示品の質に合わせた宣伝やマーケットリサーチをきちんとやってほしい。
ところが、このカタログを見て驚いた。しっかりしたものなのだ。出品作品の解説もさることながら、出品目録には、来歴、展覧会歴、文献がきちんと記入され、その後に、ごていねいに「展覧会歴一覧」が付されて(もちろん、東博や京博、西美や大阪市美での展覧会をはじめ、札幌、福岡、静岡、岡山、熊本……などの諸都市での「日本巡回展」の記録も含んで)いて、「日本初公開」という売込みがいかに「あざとい」ものであるのかが、一目瞭然だ。
驚くべきことは、まだある。主催者側からの「ごあいさつ」や、主催の新潟県立近代美術館長による巻頭の文章を読むと、この展覧会は、「環日本海諸国との政経・文化交流を県是とする新潟県」が誘致し、「両館は、毎度特定の総合的テーマをもつ展覧会を数回のシリーズとして開催し、第一回展は1996年度に『神と人間』をテーマとすることで合意」したものであるらしい。その目的は「(西洋美術とか仏教美術とかの)一つの部門に偏ることなく、広く総合的美術博物館としてのエルミタージュを紹介すること」にあるという。
芸術をできるだけ政治から切り離しておきたいと願うわたしたちは、美術館による社会教育活動の政治的意義については、とかく見逃してしまう傾向がある。しかし、この展覧会は、文化行政や国際交流といった多くの点で、いろいろなことを考えさせる。
まず、エルミタージュ美術館で「新潟県立近代美術館特別名品展」を開くことの意義について考えてみればすぐにわかることだが、ここには、日本側とロシア側との思惑のちがいがはっきりと見て取れる。日本側からいえば、この展覧会は「県が誘致する」ものであり、そのことによって「県民(と、ATCミュージアムの入館者)は数万年におよびまた広くユーラシア大陸全域に亘る人類の造形文化活動の遺産を収蔵する大エルミタージュ美術館の全容を」知らせてもらえることができるというわけだ。
一方、ロシア側の政治的経済的背景についても、さまざまな事情が推定できる。ハードな政治レベルでの意義については、うまく言うことはできないけれど、「神(と人間)」をテーマにすることや、聖像画(イコン)を中心にロシアの文化的なナショナル・アイデンティティを強調することのなかに、現在のロシアの文化政策の一端をうかがうこともできるだろう。
まだ、作品について、何も言っていないが、展示されているものは、五部門(「原始文化史」「古代ギリシャ・ローマ美術」「東洋美術」「ロシア美術」「西洋美術」)のいずれも、専門家が見ればいろいろいろと興味をそそるような作品ばかりだった。しかし、正直にいってそのどれも一般受けするものではないし、それらの「芸術的言語」は、けっしてそのままでだれにでも理解できるようなものではない。「少々の努力で自らにとって異質な形象の美を鑑賞できる」とする日露双方の主催者の近代美学的発想は、状況認識の甘さというか、ある種の権威主義的な発想を指摘されても仕方がないのではなかろうか。
具体的にいえば、ロシア側(あるいは研究者/学芸員サイド?)に関しては、カタログに見られるような本格的な文化財研究の成果を、もう少し一般の来館者にとって身近なものにするために展示や作品選択の工夫をしてほしかった。一方、日本側(あるいは行政/興行サイド?)に対しては、せっかくの興味深い(たんに美しいとか芸術的というだけではなく知的な関心を刺激する)作品群を、たんなる珍しい(あるいは「ありがたい」)見せものとして売りこんだり「町(県?)おこし」のイベントにしてしまうのではなく、それらを具体的に結び合わせて展示することが政治的にも文化的にも有意義な一つの物語になることを、展覧会のなかでもっと前面に押し出してほしかった。少なくとも、ATCで見るかぎり、テーマがあまりにも抽象的で漠然としているため、漠然とした羅列以上のものは感じにくい。
すでに引用したように、主催者側の発表によれば、この展覧会は「数回のシリーズ」になるということだ。第二回展がいつ開催され、どのようなテーマになるのかは、わからないが、作品選択や展示、あるいは情報宣伝のいずれの側面でも新たな展開が生まれることを期待したい。
ところで、最初にふれたレストランだけど、店名は「ぼふぁんじぇ Bofinger 」。アルザス出身の創業者がバスティーユ広場の石炭工場を改造して、パリではじめてのブラッスリーをオープンさせ、これまたはじめて生ビールを提供した。おすすめは、シュークルートとアルザスワイン。大阪店は、コスモスクエアの「ふれあい港館」1F(地下は、ワインミュージアム)にある。定休日は水曜日。交通の便が悪いので、車がなければ(真夏や真冬は)たどりつくのはちょっとたいへんだけど、味も雰囲気も本格的で、なかなかいい。(96/11/21)
☆コメント
大阪の天王寺にある大阪市立美術館は、日本でも有数の歴史のある美術館である。震災や恐慌の影響のために美術館建設は大幅に遅れて1936年になったものの、その前身をたどれば、1919年の「大阪市民博物館」、1903年の第5回内国勧業博覧会における「美術館」、さらには、1875年の「物品陳列場」(「美術館」の設置は1888年)にまでさかのぼることができる。もっといえば、「今からおよそ1400年前にこの地に建立された四天王寺には、奈良時代には、聖徳太子の生涯を壁画に描き、それを絵解きした絵堂があった」。美術館側の説明によれば、これは、本格的なギャラリーとしては日本でもっとも早いものであり、「日本の美術館のはじまりは天王寺にあった」のである。また、戦後すぐの1946年には、美術館内に「市立美術研究所」が設置され、実技指導が行われると同時に、学芸員による美学美術史の講義も行われていた。生活さえも困難な状況下での「芸術」に対する市民の渇望というニーズにみごとに即応してみせたこの事実も、もっと知られていいことだろう。
その大阪市美が開館60周年を迎えて、所蔵品や寄託品のなかから名品約500点(国宝5点、重要文化財62点を含む)を選び、12のコーナーと「サロンルーム」に分けて展観した。サロンルームは、「名品に囲まれた憩いの場」「市民の応接間」というコンセプトで構成され、大きなテーブルとソファが置かれた広い部屋。ここでは、美術館のコレクションを代表する作品が何点か展示されると同時に、60年間の展覧会カタログや所蔵品図録をゆっくりとながめることができる。また、各コーナーは、「中国の書画:筆と墨のこころ」「中国の仏像:永遠の祈り」「中国の工芸:精緻の技巧」「日本の工芸:贅を尽くす調度」「日本の仏像・仏具:祈りと儀礼」「日本の仏画・経典:祈りの空間」「肖像画:語りかけるまなざし」「花鳥画と風俗画:いろどりとにぎわい」「光琳資料と琳派の芸術:着想とデザイン」「江戸明治の工芸:てのひらの芸術」「近代日本画:ぬくもりと洗練」「近代洋画:情熱のゆくえ」と題されていて、それぞれが独立した一つの展覧会といってもいいくらいの充実ぶりだ。まともに鑑賞していると一階だけでへとへとになってしまう。とても一日では見切れなかった。
各コーナーの中のどこがおもしろいのかということについては、人それぞれだろうが、わたしは、江戸や明治の工芸がいちばん楽しかった。かんたんにいえば、ここには「根付」と「印籠」をはじめとする、当時欧米で人気の高かった蒔絵のコレクション(市美所蔵のカザール・コレクション)がずらりと並んでいる。もう20年近く前に、最初にヨーロッパに行ったときに、大英博物館の日本のコーナーに根付がたくさん展示されているのを見て、あきれはてたことがあった。しかし、時代のちがいなのか年をとったせいなのか、それとも、救いがたいまでに趣味が欧米化(と同時に通俗化)してしまったせいなのかわからないが、今回は、このきわめて非芸術的なはずのちまちまとした職人芸を、つい一つひとつぜんぶ見てまわってしまった。ひょっとしたら、最近、アフリカやオセアニアの工芸やエアポートアートの意味についていろいろと考えているということも大きく影響しているのかもしれない。
このほか、小西家伝来の「尾形光琳関係資料」や、ほとんどが国宝や重文指定品で構成されている仏画や肖像画のコーナーは、見ごたえがあった。一方、中国関係のものは、伝来を問いはじめるとややこしい。だから、あまり「美の殿堂」であることばかりは強調できなくなるはずなのだが、そのことへの言及はあまり充分ではなかったように思われる。住友コレクションの日本画(1943年に「戦時文化発揚、関西邦画展覧会」のために製作された約20点)の「従来あまり語られなかった内容」についての説明があったり、美術における女性イメージについて興味深い視点が設定されていたりする点で、文化コンテクストへの配慮が感じられていただけに、中国美術に対する「美的切り離し」の姿勢は、ちょっと残念だ。
また、もう一つおもしろかったのは、カタログだった。これは、カタログというより、正確にはガイドブック(『見る知る遊ぶ:大阪市立美術館探検ガイド』)である。館内館外の案内に続いて、「紙上ギャラリー」、「コレクションガイド」、「美術館小史」、「あとがき−美術館のめざすもの−」という構成になっている。なかでも、なんといっても、ユニークなのは、紙上ギャラリーだ。ここでは、「実際の展示とは異なり、いくつかのテーマごとに作品が集められ、架空の展示空間が開かれている」。テーマには、百面相、美人画、花の世界、鳥とりどり−美術館でバードウォッチング−、動物王国−美術館が動物園になった−……などが選ばれ、自由な発想で、しかも悪乗りすることなく、ていねいに作品の意義や魅力が語られている。岸/島本編『絵画の探偵術』(昭和堂)や赤瀬川/熊瀬川の『ルーヴル美術館の楽しみ方』(新潮社とんぼの本)を思わせる内容といえばいいだろうか。あるいは、前に紹介したように(姫路市立美術館)、このような傾向は、美術館のめざす方向の一つとして定着しつつあるということなのかもしれない。
ちょっと俗物趣味のあるわたしは、個人的には、この美術館の玄関にあるシャンデリアが大好きだ。「古くさい」美術館として悪名を分け合う京都市美術館もそうだが、この建物や設備では、欧米の美術館やコレクションの「名品展」は開けそうもない。このままでは、時代の流れに取り残されてしまうことにもなりかねない。しかし、たとえ最新の保存環境を実現する新築の「ハコ」(ハード)があっても、そこで開かれる展覧会の中身(ソフト)が未熟であったり拙劣粗雑であれば、無意味であるばかりか、政治的に危険でさえある。新築のATCミュージアムで感じたのは、そのことだった。美術館は建物が新しくてきれいであればいいというわけではないということを教えてくれたという点で、この展覧会の意味は大きかったようにわたしは思う。
☆コメント
じつは、このときわたしは、このシーボルトの展覧会が岡山の林原美術館で、すでに始まっていたことを知らなかった。その後、5月の末に東京に出たついでに、江戸東京博物館を見に行って、そのとき、たまたまこの展覧会を見て、おもしろいなと感じた。きちんと展覧会情報を見ていないわたしが悪いのかもしれないが、江戸東京博物館の建物と同じで、美術好きがよろこんで見に行く展覧会ではないという扱いだったような気もする。千里の民博では、ゆっくりと時間をかけて陳列を見てまわったが、来館者の一般的な反応や鑑賞のスタイルは、歴史民俗資料館系の独特のリラックスしたものだった。「むかし、うちのおばあちゃんは、こんなもん、つこうてはった」とか、「ぜんぶ、せんそうで、やけてしもうたんやねえ」といった調子だ。ちょっと鋭い目をした一部の専門家らしき人物を除けば、すくなくとも、小粋なファッションで周囲の人の気を逸らす女も、腕を組み思いつめた表情で陳列品をにらみつける若い男もいない。やっぱりここは民博だと妙に納得してしまう。
林原ではどうだったのだろう。展示は縮小したものだったというから、茶道具や染織といった「美術」系の資料が中心だったのだろうか。それにしても、基本理念は同じなのだから、違和感が相当あったのではないか。もし、この展覧会が、たとえば、国立博物館か、あるいは、国立近代美術館で開かれたらどうだったのだろう。息子のハインリヒのコレクション(や、ヴィーン万博に対する彼の貢献)のことを考えれば、あるいは、カタログで河野元昭が主張する「美術史的意義」を考えれば、近代美術館は、けっして不自然な展示場所ではないはずだ。ところが、これが制度としての美術の腰が重いところで、もしそんなことをすれば、冷たい不興か、せいぜい的外れの賛辞の対象となるだけのことだろう。
それでも、今後は、このような領域交差的な展覧会は増えていくだろう。「美術作品」とみなされてきたものが博物館に「資料」として展示され、逆に、美術館で、「民族学/民俗学的資料」が「美術作品」として鑑賞されるという例は、すでに珍しくない。とくに、「美術」という制度の「外」にある非西欧の美術をとりあげる場合には、根本的な哲学のレベルで、作品か資料かの二元論的な択一の姿勢は、けっきょくは放棄せざるをえなくなるのではなかろうか(日本「美術」の場合も、そうならなければならないはずなのだが……)。これは非西欧にかぎった話ではないが、純粋に美的に切り離して作品を眺めようという近代美学の態度は、作品に対する適切な対応だとは考えられなくなっているのが実状だ。たとえば、ブリティッシュ・ミュージアムの最近の展示がそうなっているように、古代ギリシャ美術のような場合でも、作品成立の背景、とくに社会生活や日常感覚にかんする情報を提供しながら作品の理解を促進するという姿勢が目立っている。一方、だからといって、展示される資料は、なんでもかまわないというわけではない。資料の「質」は展示の効果という観点から見ても重要だ。今回、ロンドンとパリで、Museum of Mankind と Musee de l'Hommeの二つの人類学博物館を見てきたが、両者のちがいに驚いた。偶然だとは思うが、一方は、首都に住む旧植民地系の住民や学童が、にぎやかにほこらしげに展示を見てまわっているのに対して、一方では、いかにも美術に理解のありそうな知識人ふうのヨーロッパ人と日本人観光客が、ほこりをかぶったガラスケースのなかをのぞきこんでいる。今回のシーボルト展では、さまざまな点で質の高い「資料」や「解説」が一種の国民感情を鼓吹するようなところがあったが、「日本」や「東アジア」の展示の前で逃げ出したくなるような博物館があるのも事実だ(なお、この博物館は、かなりのスペースが改装のため閉鎖されていた。改装によって、もう少し資料の管理が行き届き、独善的な解説も改善されるといいのだが)。
いずれにせよ、このシーボルトの展覧会は、いろいろなことを考えさせてくれた。このほか、この展覧会で興味深かった点としては、いつもおきまりのライデンだけではなく、ミュンヘンやヴィーンの政府や博物館との関係をも視野に入れた展示になっていたこと(じつは、今年の夏、ミュンヘンの民族学博物館は、館内改修工事のため閉鎖されていた)、それから、息子のとくにハインリヒの活動に注目して、「シーボルト」と近代日本との関係を浮び上がらせたことなどがあげられるだろう。
最後に、(ドイツ)ワイン好きの方のために、いくつか情報を。
Buergerspital zum Hl.Geist
パンフレットと最新の価格リストを郵便で請求すれば、すぐに送ってくれる。
★Jutta Stroeter-Bender, Zeitgenoessische Kunst der >Dritten Welt<: Aethiopien, Australien(Aboriginals), Indien, Indonesien, Jamaica, Kenia, Nigeria, Senegal und Tanzania. Koeln: DuMont, 1991. 3-7701-2665-3 ユッタ・シュトレーター=ベンダー『<第三世界>の同時代美術:エチオピア、オーストラリア(アボリジニ)、インド、インドネシア、ジャマイカ、ケニア、ナイジェリア、セネガル、タンザニア』
ちょっと古いけれど、アクチュアルな視点を含んだ、なかなかいい仕事なので紹介する。
非西欧の美術といえば、すぐ、アフリカやオセアニアの「黒人」彫刻を連想するステレオタイプに、わたしたちは陥りがちだ。しかし、この本では、そのような固定的な観念を離れて、「ワールドアート」としてグローバルに共有される現代美術への接近が試みられている。また、そのような紋切型を貪欲に利用する観光産業や、それに依存せざるをえない「芸術家」たちのきびしい生活条件(たとえば、養老年金や国民健康保険の問題)にも照明が当てられている。このように、同時代の芸術状況に、できるだけ「目線」を低くしながら接近しようとするこの姿勢は新鮮であり、貴重だ。
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とくに、この論点は、「(擬似)ポストコロニアル」状況下で展開された、日本の「美術」の成立事情を考えあわせると、ひじょうに興味深い。ここで紹介されている諸地域における「制度」としての「美術」の成立過程を日本のそれと比較して、非西欧の「先進国?」日本で「美術」が置かれている状況や、日本で考えられている「美術」という概念の内実を相対化してみれば、ひじょうに興味深い結果が得られるだろう。比較芸術学という、成立以来多くの問題を抱えている研究分野に、今なお可能性があるとすれば、この観点は、その可能性を実現するための有望な立脚点の一つとなるのではないか。
★Annemarie Gehtmann-Siefert. Einfuhrung in die Asthetik. Munchen: Fink, 1995. 3-8252-1875-9. DM 29,80
ドイツでは、「美学」は学科として制度的には認められていない。それでも、ここ数年、哲学の一部門として、事典や入門書が書店に並ぶようになってきた。統一後ようやく「ドイツ美学会」も成立したことだし、環境やメディア問題との関係で注目を集めるようになったのだろう。それにしても、哲学的美学の2つのパラダイム(認識としての芸術/行動としての芸術)をあつかうこの本の、あいかわらずの「まじめさ」には何とも文句のつけようがない。哲学的美学の課題が「基礎概念」や「先入観」の「批判」にあるという主張には大賛成だ。しかし、たとえば「芸術」や「美学」や「文化」が自明なものではないのではなかろうかというような不安とはまったく無縁の論調に耳を傾けていると、少しいらつきを覚えないでもない。「認識」と「行動」を2つの対立パラダイムと考えることも、「ドイツ観念論美学の展開」を説明する常套手段かもしれないけれども、今では全然説得力をもたない。まあ、お勉強のための教科書としては、こんなところなのかもしれない。
★Anne-Marie Bonnet und Gabriele Kopp-Schmidt(Hg.), Kunst ohne Geschichte?: Ansichten zu Kunst und Kunstgeschichte heute. Munchen: Beck, 1995. 3-406-39989-4. DM 39,80
『美術史の終焉』で日本でも有名なH・ベルティングの60歳を記念した論文集。執筆者に、V・I・ストイヒータ、P・ビュルガー、A・C・ダントー、W・ホーフマン、H・−G・ガーダマー、M・ヴァルンケ、P・スローターダイク、G・ディディ=ユーベルマンなど。ガーダマーやスローターダイクの論文は再録だが、彼らを含めて、15人の「有名人」たちが、1983年のベルティングのテーゼ「美術史の終焉」に議論を挑む。個人的には、いまやいたるところでひっぱりだこのディディ・ユーベルマンが、「終焉」ではなく「はじまり(根源)」へ、しかもそれが、デリダ/ハイデガーではなく、ベンヤミーン/フロイト/レヴィ=ストロース(もちろんヴァールブルクも)経由で引っ張っていくのがおもしろかった。
★Marlite Halbertsma/Kitty Zijlmans(Hg.), Gesichtspunkte: Kunstgeschichte heute. Berlin: Reimer, 1995. (Gezichtspunten. Een inleiding in de methoden van de kunstgeschiedenis. Nijmwegen: Sun, 1993) 3-496-01133-5 (ハルバーツマ/ゼイルマンス編『さまざまな視点:今日の美術史学』)
これはオランダ発の美術史学制度論。ハルバーツマを中心に、美術史学者、文学研究者、社会学者たちが、美術史学の現状に接近する。オランダだからといって特別に何か変わったことがあるというわけではないが、今年の美術史学会はアムステルダムで開かれるわけだし、問題意識がインターナショナルに共有できるという事実が重要なのだろう。ライマー社からの「教科書」シリーズも、いつのまにか増えて充実したものになってきた。
★Robert Galitz und Brita Reimers. Aby M.Warburg. 'Ekstatische Nymphe... trauernder Flussgott': Portrait eines Gelehrten Hamburg: Dolling und Galitz, 1995. 3-926174-87-0 (ガーリッツ/ライマース編『アービ・M・ヴァールブルク―ある学者の肖像―』
ヴァールブルクのアクチュアリティについては、もう聞き飽きたという人もいるかもしれない。じっさい、ヴァールブルク・ルネサンスとよばれた70年代以降、彼についての論及は急激に増加した。とくに90年代になってからは、フォローするのが大変なほどである。しかし、これは、あくまでもヴァールブルク「についての」文献の話であって、ヴァールブルク自身によるテクストが広く入手可能になってきたというわけではない。全集は、当初予定されていた6つの部分のうちの第一部(生前に公刊済みのテクスト群)が出版されているにすぎない。彼が残した膨大な量の写真ファイルや構想メモなどは、現在もロンドンのウォーバーグ研究所に秘蔵されていて、この内容を知るには、直接研究所に出かけていって見せてもらうか、ゴンブリッチの少々偏りのある視点からの紹介に頼るほかはないのが現状だ。したがって、なんといっても望ましいのは、全集の残りの部分が出版されて、資料を研究者たちが平等に手にした状態で彼の業績について議論することなのだが、いろいろ問題があってなかなかうまく進まない。というわけで、少しでも情報提供をという発想から、この本のような伝記情報をまとめたものがでてきたということらしい。
ただ、この本の意義は、たんにこれまで知られていなかった伝記的な個人情報が掲載されているという点につきるというわけではない。わたし自身がおもしろいと思ったのは、出版の背景、とくにハンブルクの逆襲とでもいいたくなるような、ハンブルクにベースを置く研究者たちのヴァールブルクへの思い入れがこの本に如実に表れている点だ。これまで、ヴァールブルクについての研究では、イギリスを中心に英語圏がリードしていた。「ワールブルク学派」といえば、ゴンブリッチ、ウィント、ウィトコウア、ザクスル、そして場合によってはパノフスキーがまず挙げられ、「国際様式」となったイコノロジーのちょっと風変わりな先駆者のイメージが彼らによって作り上げられていたわけだ。1933年の研究所の「移転」という事態のことを考えれば、「追い出した」側のドイツには、ほとんどチャンスはなかったのである。ところが、1970年代になって、ドイツのニューアートヒストリーを支えたいわゆるウルム芸術協会系の研究者たちがハンブルクと深い関係をもつようになってからは事情が変わってくる。たとえば、W・ホーフマン、M・ヴァルンケ、H・ブレーデカンプ、W・ケンプ、若いところでは、M・ディールスやA・バイヤーなどの名前がすぐに挙がってくる。彼らは、積極的にヴァールブルクの業績に言及し、自らの作品解釈に彼の方法を重ねあわせていった。とくに、ハンブルク美術館の館長であったホーフマンはヴァールブルク賞の制定に尽力し、ハンブルク大学教授となったヴァルンケは、かつて研究所があったハイルヴィヒ通り 119番地の(最近になって大学に買い戻された)建物で「政治図像学」の講座を開いている。ヴァールブルクとベンヤミーンとの関係に早くから注目していたケンプも現在はハンブルク大学の教授になっている。また、1990年にブレーデカンプらを中心にしてハンブルクで開かれた国際ヴァールブルク研究シンポジウムは、たんなる伝記的研究にとどまらず、ヴァールブルク研究がもつ幅広い可能性を知らしめたものとして重要だ。
いま紹介しているこの本も、このような流れと無関係ではない。この本は、1994年にハンブルクの美術館とプラネタリウムで行われた講演をもとにしたものだが、巻末の論文のタイトルは、「忘れることと思い出すこと:ハンブルクに生残るアービ・ヴァールブルク」であり、ヴァールブルクとその故郷ハンブルクの関係をとくに強調するものとなっている。ちなみに、今年の国際美術史学会(アムステルダム)のテーマは、「記憶と忘却」である。かつて1989年にストラスブールで国際美術史学会が開かれたときに、この年がヴァールブルクがストラスブール大学にボッティチェッリについての学位論文を提出してちょうど 100年目にあたったことから、方法論部会では彼の業績が集中的に取り上げられ論議されるということがあった。「ムネーモシュネー」がテーマとなる今年の学会では、どうなるのだろうか。
★ Annemarie Gehtmann-Siefert, Ist die Kunst tot und zu Ende?: Ueberlegungen zu Hegels Aesthetik. Erlangen; Jena: Verlag Palm & Enke, 1994. 3-7896-0522-0. アンネマリー・ゲートマン=ジーフェルト『芸術は死んでしまったのか?』
ゲートマン・ジーフェルトについては、以前にちょっとネガティヴなコメントをつけて紹介したことがあった(→書庫)。彼女は、ミュンスター、ボン、インスブルック、ボッフムで学び、ボッフム大学のヘーゲル・アルヒーフ関係の仕事をしたあと、ボッフム大学の教授。現在は、ハーゲンにある放送大学で哲学(美学、人間学)を教えている。研究の出発点は、ハイデガーとの対決だったようだが、その後は、一貫して、ヘーゲルの美学の問題に研究の焦点を絞っている。
カトリーヌ・グルー『都市空間の芸術:パブリックアートの現在』1997 鹿島出版会(3000円) 4-306-07210-X
「ディズニーランダゼイション」とは、公共施設のデザインに、ディズニーランド(DL)に見られるような「仮構された」テーマが導入されることを指している。たしかに、著者が指摘するように、交番や電話ボックス、公衆トイレ、駅舎などのデザインには、80年代ころから変化が現れている。これらの「公共に開かれた」スペースには、本来は隔離され閉じられた空間(遊園地やテーマパーク、博覧会場、風俗営業店、リアリティを欠いた「少女」の世界など)で機能しているはずの「ファンタジック」で「かわいい」デザインが、妙に押しつけがましい現実感を伴って登場してきているのだ。
★橋本敏子『地域の力とアートエネルギー』1997 学陽書房(1957円) 4-313-47008-5
「美学」の世界に閉じこもっていたらおそらく気がつかなかったことだと思うけれど、「アートマネジメント講座」なるものに出かけていったり、この、おいしそうな言葉が満載の本などを読んでいると、「芸術」という語がまったく使われていないことに驚いてしまう。どうやら、「芸術」と「アート」はべつものの扱いを受けているようなのである。
★佐藤道信著『<日本美術>誕生:近代日本の「ことば」と戦略』 1996 講談社(1456円) 4-06-258092-6
☆コメント
(佐藤道信著『<日本美術>誕生:近代日本の「ことば」と戦略』)
☆コメント
(佐々木晃彦編『芸術経営学を学ぶ人のために』)
★ピーター・バーク編(谷川稔/谷口健治/川島昭夫/太田和子他訳)『ニュー・ヒストリーの現在:歴史叙述の新しい展望』 1996 人文書院(3996円) 4-409-51041-X (Peter Burke, Ed., New Perspectives on Historical Writing. Cambridge: Polity Press, 1991)
最近はそれほどでもなくなったが、「ニュー・アート・ヒストリー」って何?という質問を受けることは少なくない。それを説明するとき、わたしは、たいていは、『新しい美術史学』(A.L.Rees and Francis Borzello, The New Art History, 1986.)という本の扉や序論に書いてある印象的な定義を使うことにしている。それによれば、1970年代に盛んになったニュー・アート・ヒストリーとは、かんたんにいえば、学科としての美術史学の内部に潜む保守的で閉鎖的な研究傾向や趣味に反発し、それを鋭く批判する運動のことだ。これはイギリスの場合だが、ドイツの場合なら、ここでもよく紹介している「新ハンブルク学派」がそれに妥当する。かつては、「ウルム芸術学協会グループ」とも呼ばれていたが、現在では、その主力である、ヴァルンケ、ブレーデカンプ、ケンプの3人がハンブルク大学に集結したので、こう呼んでもいいだろう。
第二章 下からの歴史 (ジム・シャープ)
第三章 女性の歴史 (ジョーン・スコット)
第四章 海外の歴史 (ヘンク・ヴェッセリング)
第五章 ミクロストーリア (ジョヴァンニ・レーヴィ)
第六章 オーラル・ヒストリー (グイン・プリンス)
第七章 読むことの歴史 (ロバート・ダーントン)
第八章 イメージの歴史 (アイヴァン・ギャスケル)
第九章 政治思想史 (リチャード・タック)
第十章 身体の歴史 (ロイ・ポーター)
第十一章 事件史と物語的歴史の復活 (ピーター・バーク)
★ホルスト・ブレーデカンプ(藤代幸一/津山拓也訳)『古代憧憬と機械信仰:コレクションの宇宙』 1996 法政大学出版局(2472円) 4-588-00513-8 (Horst Bredekamp, Antikensucht und Maschinenglauben: Die Geschichte der Kunstkammer und die Zukunft der Kunstgeschichte. Berlin: Klaus Wagenbach, 1993)
ここで紹介しておきながらこんなことを言うのもなんだが、この本を読むのは、ちょっとたいへんだった。内容はおもしろいのだけど、翻訳がちょっと……。訳者たちは、「読み合わせを重ねたうえで原稿を作り、さらにそれを基に検討した。しかし、原文は難解な上に、クンストカマーに関する情報を欠いていたので難渋を極め、三度び稿を改めた」そうだ。しかし、いちいち例は挙げないが、一昔前の英文解釈の参考書の解答丸写しのような定式化された訳語の羅列とか、著者の思考の流れを配慮しない生硬な漢語を使用したかと思うとこんどは突然日常的な口語表現が現れるという一貫しない文体など、読んでいると、推敲してあることが信じられなくなってつい校正用の赤ペンを使いたくなってくる。また、もし自分たちが訳す本の内容(しかも中心的なテーマ)に関する「情報を欠いていた」のなら、わかるまで情報を収集すべきだし、内容がある程度理解できないうちは出版(つまりパブリックなものにすること)に踏み切らないのが良識というものではなかろうか。
★E・W・サイード(大橋洋一訳)『音楽のエラボレーション』 1995 みすず書房(2266円) 4-622-04251-7 (Edward E.Said, Musical Elaborations. N.Y.: Columbia UP, 1991)
美学の研究にとって、実際の芸術活動や芸術作品との接触は、ほとんど不可欠の前提だといってもいい。したがって、研究者たちは、個別芸術学についての知見を増やし洗練されたものにしようと努めるわけだが、ここで一つの問題が生じる。どの芸術を選ぶかだ。あらゆるジャンルに精通することは困難だから、けっきょく、どこかの分野に関心が集中して、それ以外の分野についてはおろそかになるといった事態が生まれてしまう。
★マルティン・ヴァルンケ『政治的風景:自然の美術史』(法政大学出版局)1996. 4-588-00511-1. \2266.
「訳者あとがき」(p.176) に、「残念ながら(『クラナッハのルター像』などのヴァルンケの著作は)いずれも我が国には未紹介である」とある。三元社がマイナーすぎるのか、それとも、この訳者(あるいは出版担当者)が同業者の仕事に無関心であったり、情報収集の時間や能力が足りなかったためなのか。たぶん、文学関係者と美術関係者とのあいだに歴史的に形成されてきた制度上の隔壁が原因なのだろう。そういえば、ベンヤミン全集に載っていた「美術史学者のリーゲル」は、もう訂正されているのだろうか。
本の内容そのもののほうは、そのような隔壁を取り払った「交差領域的」考察の産物として興味深い。たしか、原書が出版されたときも、"Die Zeit"の書評欄で大きく取り上げられていた。話題の本だったわけで、わたしもすぐに買って読んでみた。内容を一言でいえば、自然風景や風景画がもっている政治的意味の解読というところである。具体的には、境界石、橋、道路、並木道、記念碑、山、城塞、展望台、戦場、庭園、自然巨像、太陽、雲、嵐、日の出と日没……などがとりあげられる。要するに、自然風景や風景画の「美しさ」は、かならずしも「美的切り離し」だけによって成立するわけではないということが強調されるわけだ。このような「読み解き」を積極的に推進しているハンブルク大学の「政治図像学」講座がハイルヴィヒ通り 116番地の「ヴァールブルク・ハウス」、つまり、ロンドンに移転する前のヴァールブルク文庫のあった建物に置かれているということは、もう少し知られてもよいのではないだろうか。
★ジョン・アーリ『観光のまなざし』(法政大学出版局)1995. 4-588-02161-3. \2987 (John Urry. The Tourist Gaze: Leisure and Travel in Contemporary Societies, 1990.)
ひさしぶりにちょっとおもしろい本にぶつかったという感じで、楽しく読んでしまった。この本は、イギリスの社会学者がフーコーの「まなざし」の概念を手がかりに、現代の「観光」(余暇と旅行)について分析し考察を加えたものだ。「まなざし」とは、「社会的に先行的に構造化された視線」であると定義されている。旅行者たちの「まなざし」がどこに向かっているのかを分析することで、観光産業の歴史的変化を見るとともに、今後の「ポスト・ツーリズム」に対応するための戦略リサーチを試みようというわけだ。
なかでも興味深いのは、芸術の消費化と消費の芸術化が進行するポストモダン社会における美術館博物館の観光上の意義についての記述だ。カーニバル的な大衆観光やロマン主義的な孤独志向が中心となる近代の観光とはちがって、観光地の消費が行き着くところまで行ってしまった時代のポストツーリストたちの視線は、快楽主義的でゲーム的な好奇心に導かれて、表象される観光資源としての「遺産」(異国としての過去)に向かっていく。この流れと平行して、美術館博物館も変化する。近代の美術館は、国家権力とアカデミックな学者と天才的な芸術家たちによって支えられたエリート的なアウラ記号の神殿だった。それが、「ポストモダンの美術館」では、入館者へのサービスが重視されるようになる。展示や収蔵対象に対する純粋ハイカルチャー的な枠が外され、入館者は展示品を商品のように楽しみ消費する。美術館の商店化と商店の美術館化が進行して、まるで美術館のようなパブやレストラン、ホテル、タレントショップ(まるでそれらのような美術館)がどんどん増えてくるというわけだ。
廃虚の美的機能についてきちんとした説明をしたのはムカジョフスキーだが、彼の説明は、「遺産」としての過去の文物(博物館の民族資料もそうだが)にもあてはまる。歴史的遺産は、当時の具体的な機能コンテクストから切り離されており、安心して眺めつづけたり想像の世界に浸り込んだりできるという点で、きわめて「美的」なのだ。そして、遺産のこの美的性格は、本質的に多義的で快楽主義的な傾向をもつポストモダン社会において、大きな役割を果たすことになる。アーリも指摘しているように、これは、美術館だけの問題ではない。歴史的遺産としての「京都」、あるいはノスタルジックに「美術館化(ミュージアミフィケーション)」された「倉敷」などのように、都市や景観そのものが文化観光資源として、遺産産業の対象となっていくようすは、いたるところで見られる。このような状況を理解するうえで、この本は、きわめて有益なのではなかろうか。
美術館訪問者についての社会学的分析といえば、ブルデュのものが有名だ。ただし、ブルデュの(ちょっと独善的な)分析には、やはり限界があるようだ。この本の最後で、アーリは、「フラヌールの視線」、「旅行写真」、あるいは旅行におけるジェンダーとエスニシティの問題などについても触れているが、このような問題意識がなければ、なんといっても説得的な議論を展開することはできないように思われる。もちろん、アーリの社会学的視点にも問題がないわけではない。彼自身も認めているように、現代のツーリズムや文化産業をめぐる状況はきわめて多義的で複雑だ。この多様性を、無責任なレッセ・フェールではないかたちで許容することは非常にむずかしい。おそらくは、美学や倫理学といった分野も含めた幅広い領域横断的な視点があってはじめて、このような問題に答えを与えるための土台はできあがるのだろう。
<美術館博物館>
☆今年ヨーロッパで開かれた国際展覧会
★リヨン現代美術ビエンナーレ
★カッセル「ドクメンタX」
★ミュンスター、彫刻プロジェクト
夏休みに見てきたことを今ごろ思い出して書くなんて、ほんとに間が抜けている。でも、メモも少し残っていることだし、惑星直列のような希有な巡り合わせになった年に、いろいろと見てきたわけだ。年末にあたって、かんたんに感想をまとめておくのも悪くはないだろう。
★神戸ファッション美術館
Closed on Wednesday (11:00-18:00, 11:00-20:00 on Friday \500/250 078-858-0066)
神戸に新しい美術館ができたというので出かけてきた。短大ではずっと「世界の服飾」という講義を担当していたから、じつはファッションには「土地勘」のようなものがなくもない。
★神戸市立博物館:「司馬江漢(生誕250周年―江戸時代のマルチタレント)」百科事「展」
96/11/02-96/12/23 Closed on Monday (10:00-17:00 078-391-0035)
神戸の市博は、博物館らしい博物館だ。国立博物館のように「美術」をきどらない。画像資料というものが、かつても、そして今も「好奇心」の対象であることをよく理解している。今回の展覧会も、その方針に沿った、とても面白いものだった。とくに、興味深かったのは、司馬江漢の初期の浮世絵、それから有名な油絵風景画、月の表面の図などを含む天文学の研究などだ。
★京都国立近代美術館:「明治の新風『白馬会』:結成100年記念」展
96/12/10-97/01/26 Closed on Mondays and 12/24, 12/28-1/4 (09:30-17:00 075-761-4111)
司馬江漢の展覧会のところでもふれたが、幕末から明治にかけての日本の美術のとらえなおしが、最近急速に進んでいる。しかし、ここで重要なことは、この時期の作品にただ注目するというだけではなく、なぜいま明治の美術を取り上げることが自分たちにとって必要なのかということを明確に意識することだ。そのような問題意識がなければ、研究にせよ展示にせよ、たいていは退屈であり、場合によっては、危険ないしは有害なものになりかねない。
★ATCミュージアム:エルミタージュ美術館特別名品点――神と人間――
96/10/27-96/12/15 Closed on Monday and 11/20(open 11/04) 1100-1800( -1900 on Friday, Saturday and 11/03) 06-615-5004 \1100/800/---
大阪南港の付近に、いまはやりの湾岸開発で、ATC(アジア太平洋トレードセンター)なるものが登場して、そこに美術館が設けられたということは前から聞いていた。天保山のサントリーミュージアムのようなものかと思って、あまり期待もしていなかったのだが、一度も行かずに文句を並べたてるのもどうかと思うし、今年の夏に友人たちと食事をしたパリのレストランの大阪店がたまたまこのATCのなかにあったので、そこをのぞいてみるのをかねて出かけていくことにした。
★大阪市立美術館:開館60周年記念特別展「美しの日本 崇高の中国」
96/10/15-96/11/17 Closed on Monday and 11/05(open 11/04) 930-1700 06-771-4874 \500/300/---
最近、ここに書く文章が「悲憤慷慨調」になってしまって、自分でも少しいやになっている。けれども、この展覧会は、よかった。残念なのは、期間がとても短いので、もう終ってしまっているということくらいだろう。とくに、ATCミュージアムと前後して見に行ったからかもしれないが、ここでは、展覧会あるいは美術館には一つのポリシー(理念)が必要なのだというあたりまえの事実を再確認させられてしまった。
★国立民族学博物館:「シーボルト父子のみた日本−生誕200年記念−」特別展
96/08/01-96/11/19 Closed on Wednesday (10:00-17:00 \1100/630/350 06-876-2151)
個人輸入というほどではないけれども、いつもワインを取り寄せているヴュルツブルクの Buergerspitalから、今年の5月、ちょっと変わったパンフレットが届いた。それによると、「ヴュルツブルク市のシーボルト博物館落成記念に、日本で医者として自然科学・文化歴史研究家として活躍したヴュルツブルク市出身の偉大な息子であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト (1796-1866)生誕200年をお祝いして新しい特別なラベルを奉納いたしました」とある。用意された特別ラベルは、「日本の椿 (Camellia japonica) 」と「あじさい (Horensie Otaksa)」の2種類。中身はごくふつうのフランケンワインなので、べつにどうでもよかったのだけれども、寄付のつもりで何本か注文した。そういえばティエーポロも生誕300年で、今年のヴュルツブルクは、けっこう盛り上がっているらしい。
まず、フランケンワインの醸造元の「ビュルガーシュピタル」の住所は、以下のとおり。
Postfach 110451
97031 Wuerzburg
GERMANY
また、シーボルト(父)は、「事件」の後、しばらくライン河畔のボッパルトに住み、子のハインリヒは、そこで生まれている。(96/09/19)
96/04/18
★「インサイド・ストーリー:同時代のアフリカ美術」
姫路市立美術館 96/04/06 - 96/05/06
1000-1700(FR:20:00) closed on: 04/08, 04/15, 04/22, 04/30
\900(700), \600(400), \200(100).
☆コメント
音楽では「ワールド・ミュージック」という考え方が定着してきた(たとえば、ネトル『世界音楽の時代』(勁草書房)参照)。しかし、美術の世界では、まだ「世界の美術」といえば、旧世界中心だ。しかも、いわゆる第三世界の美術が取り上げられる場合には、いつも西欧近代の視点から「芸術」としての美術が美的に鑑賞されてしまう。民族藝術学も、そのあたりのジレンマを解決しきっていない。「オーセンティシティ(いかにも、それらしいもの)の神話」の拘束力は、思いのほか深いものなのである。
たとえば、この展覧会を紹介した新聞記事(96.04.06 大阪読売夕刊8頁)には、「展示は今世紀初頭の仮面などから、西欧文化の影響を受け始めた一九四〇年代の絵画、木や生活用品などで作った現代の立体造形、街に掲げられた看板など約百四十点……」とある。しかし、この展覧会に「仮面」の展示はない。カタログの序文を読めばすぐにわかることだが、過去の、いかにもアフリカらしいイメージを強く喚起させる「あの黒光りして少々気味の悪い」仮面とはべつのところで「同時代のアフリカ美術」を紹介することが、この展覧会の第一の趣旨であった。また、1989年の有名な「マジシャン・ド・ラ・テール」展(ポンピドゥ)を強く意識したこの展示を紹介する記事なら、「西欧文化の影響」という用語を使うことには敏感になってほしかった。
いずれにせよ、非西欧の美術を、制度としての「美術館」や「美術史学」がどう扱うかという現在ホットな議論が集中している問題に対して、この展覧会は1つの答を(たとえ試行的なものであるにしても)示したものだといえるだろう。また、わたし個人としては、ポスト・コロニアル期における美術状況の紹介方法が、とくに、日本の明治初期における制度としての美術(美術館、アカデミー、伝統工芸、「日本画」、日本美術史……)の成立の問題との関係で非常に興味深かった。比較芸術学は、もういいかげんで「東西の名品の比較」をやめて、このような制度としての芸術の比較を課題にすべきだと思う。なお、この展覧会は、昨年秋に世田谷美術館で始まり、徳島、姫路ときて、このあと、郡山、丸亀、岐阜と巡回することになっている。
★「東アジアの仏たち」(奈良国立博物館)96/04/27 - 96/06/02
★「東洋の人物・動物像」(大和文華館)96/04/04 - 96/05/19
☆コメント
奈良の国立博物館は、東京や京都の博物館と比べて、どうしても地味な印象がある。「正倉院展」のときは、たしかににぎやかだけど、それはそのときだけ。旧館は、いつ行っても静かで重苦しい。入館者数を気にしないでいい国立博物館だから許されることなのだろうが、それでは国立国際美術館と同じになってしまう。もちろん、「美術館入館者が多いのは異常であって、自主性を欠いた新聞社主催の展覧会がもたらす悪弊だ」と主張する議論もわからないではない。しかし、この議論の背景には、「芸術」作品の「礼拝価値」を保持しようとする一種の貴族趣味が潜むことがある。かんたんに警戒心を解くわけにはいかないのだ。
もちろん、展覧会の学術的芸術的レベルは、とくに最近のものは申し分なく、非常に高い。去年の「仏教美術名品展」も、94年の「運慶・快慶とその弟子たち」も、それから、今回の「東アジアの仏たち」も、興味深い作例が目白押しで、しかも、カタログを見れば、けっこう新しい解釈の試みなどもなされている。問題は、それが展示に効果的に反映されていないことだ。とくに、展示の「各個解説」の文章はひどい。「土坡(どは)」のたぐいの隠語だらけで、観覧者に、特殊な暗号解読の負担を負わせている。たぶん気がついていないのだろうが、「きわめて古様で径直な表現」、「のどやかな表情」、「しっかりした出色の表現」など、お経の文句と同じで、(部外者には)ほとんど意味不明の言葉の連続である。あのバルトが指摘したファッション記事の用語もそうだが、ここには、プライドの高い特殊で閉鎖的な社会の存在が見え隠れしている。
また、具体的な順路の設定や、対比展示などにしても、慣習的な手法に頼っていて、せっかくの「東アジア」という視点のおもしろさを生かしていない。今回の展覧会の最大の意義は、仏教美術において「日本的なもの」や「(東)アジア的なもの」がどこまで確認できるのかを実証することにあったはずだ。しかし、具体的な展示には、このような展望は欠けていて、「伝来」の経路をたどったり、ただ視覚的に類似するだけの作例を並置したりすることばかりがめだっていた。個々の担当者がどこまで意識しているのかはわからないが、「東アジアの仏教美術」という視点を奈良の博物館が打ち出してきた背後には、おそらく、あの噂の「九州国立博物館」への対抗戦略がある。九州国立博物館が「アジア」(の前近代)を前面に出してくれば、当然、仏教美術は、その中心に位置することになる。しかし、「仏教美術なら、うちが本家ですよ」というわけだ。しかし、外から見ているかぎり、九州には大きなチャンスがありそうだ。
じつは、奈良の博物館に行く前に、大和文華館の「東洋の人物・動物像」展も見てきた。博物館とは比べようもないほど小規模な展観だが、視線は同じ「東アジア」に向けられている。おもしろかったのは、古美術への貴族的な礼拝趣味という点では、矢代幸雄以来、筋金入りといってもいいこの美術館で、人物や動物の像がもつ祭祀や礼拝、供養といった非美的な機能に注目する展示が見られたことだ。もちろん、これは、「洗練された芸術的表現の底流」にひそむ「人々の願い」ということで、過大評価は禁物だが、考古学や人類学で実現されている 'cognitive'な発想を導入しようとする積極的な態度が、ここにはうかがえる。
★「シルクロード大美術展」(東京都美術館)96/04/20 - 96/07/07
☆コメント
この展覧会は、1995年10月28日から1996年2月19日まで、パリのグラン・パレで開催された展覧会「セランド:仏陀の地」をもとに東京国立博物館が企画監修したものである。「セランド」という言葉をはじめとして、少々フランス臭さが鼻につくところもあるが、全体としては堅実でよく考えられた展覧会だとの印象を受けた。
構成は、まず「セランド」の「文化地理学的規定」からはじまる。ここでは、インド、ガンダーラ、中国といった、この地域に強大な影響をもたらした文化圏とこの地の文化とのあいだの関係が、美術と宗教の両面から規定される。次に、「セランド」の各地域が「オアシスのつらなり」としてとらえられ、それぞれの地域について、外からの「影響」と「独自の様式」とが提示される。このあと、「セランド仏教図像学」で、いちど時間空間の枠を外して、礼拝や説話のための図像を宗派を超えた連続体として理解する試みがなされたあと、東アジアへの展開、あるいは、場合によっては、東アジアからの影響などが扱われる。合理的でがっしりとした構成だ。
この展覧会については、新聞などによっては、奈良博の展覧会とならべて紹介されることもあったが、東アジアの展示部分だけを見ても、そのちがいは歴然としている。もちろん、展示品そのものの質と量のちがいもある。しかし、もっと重要なのは「哲学」のあるなしだ。この展覧会の場合、基本にあるのは、「仏教考古学」という学問的姿勢であり、それが、「文化地理学」的方法によって自覚的ないしは反省的に追求されている。言い換えれば、ここでは(展覧会の名前は「大」「美術」展だけれど)、「美術」という視点がはっきりと後ろに退いている。ここで提示されているのは、まず、インドと中国との中間にある地域の文化的(宗教的)特性であり、その規定にしたがって読み取られるかぎりでの遺品の意味である。わたしたちは、仏像や仏画といえばすぐに、それを「古寺巡礼」ふうに美的に礼拝してしまいがちだが、すくなくとも研究者は、仏教遺物が、仏教考古学の対象であることを忘れないほうがいい。このことは、「美術」という概念の存在しない時代や地域の「美術」を扱う「美術史学」一般に当てはまることだろう。
最後にひとこと。シルクロードや「西域」、あるいはS・ヘディンなどが話題になれば、とうぜん、楼蘭やロブノールのことが思い浮かぶ。しかし、ロブノールの現在のことやフランスの政治的立場を考えれば、この地域の問題がきれいに抜け落ちてしまうのもしかたがないか……。ちなみに、8月からは、東京都美では、メソポタミア美術展が開かれる。これまた、オリエンタリズムや、イラクとの関係で政治的に面白いのだが、やっぱりこれも、「美術」というきれいなことばで見えないようにされてしまうのだろうか。
★大山崎山荘美術館
☆コメント
新しい美術館が京都と大阪のあいだにできたと聞いたので、帰りがけに阪急の途中下車をして行ってみた。正式には「アサヒビール大山崎山荘美術館」。若くしてイギリスに留学し、日本人としてはじめてアルプスに登攀したという関西の実業家加賀正太郎が自ら設計した英国風の洋館(昭和初期)をアサヒビールが修復し、さらに安藤忠雄による新館「地中の宝石箱」が併設された。本館には、アサヒビール初代社長山本為三郎の陶芸コレクション、新館には、4点のモネの《睡蓮》を中心とする近代の絵画や彫刻の作品が展示されている。
「民芸」と「印象派」の組み合わせは、倉敷の大原美術館でもおなじみのもので、日本のメセナ活動の美的趣味を典型的なかたちで代表している。時代物のビールのジョッキが置かれているのも愛敬だ。ここでは、濱田、リーチ、河合、芹沢らの作品が妙に違和感なくおさまっている。この山荘が保存されるにあたっては、地域の住民の意志が強く働いたということだが、わたしたちが考える快適な住環境というのは、けっきょくこんなところなのかもしれない。
また、「宝石箱」を地中に埋め込むというのも、最近の建築の自閉症的傾向を表していておもしろい。京都の植物園のそばにある「陶板名画の庭」も、たしか安藤の設計だが、この「宝石箱」では、「名画の庭」で重要な役割を果たしていた空が全然見えなくなってしまっている。大気と光を求めて戸外に飛び出した印象派の絵を鑑賞するためには光を遮断しなければならないという皮肉な事態は、近代芸術(芸術、あるいは「人工」そのもの)のあり方を示しているようで、つい考え込んでしまった。ちなみに、この宝石箱のうえの池では、ちょうど梅雨の晴れ間の明るい光のもとで睡蓮が美しい花をつけていた。
★姫路市立美術館:「『美術探偵団』―館蔵品の謎を追え―」 96/07/17-96/08/25 10:00-18:00 \200/150/100 0792-22-2288
☆コメント
一般に、「館蔵品展」というのは、地味なものである。たいていは、2月か8月という、美術館に行こうなどという気を誰も起こさない季節に、ひっそりと、はでな宣伝もなしに開かれることが多い。大きな展覧会の開催期間をまちがえて、展示が始まる前や終了の直後に美術館に行ってしまって、がらんとした常設展示だけを見て帰ったという経験のある人なら、その地味さをわかってもらえるだろう。もちろん、「館蔵品展」が醸し出す雰囲気は悪くない。館内は静かで快適だ。また、館の方針や学芸員の力量が見極められるという点からいえば、「くろうと」好みといってもいいかもしれない。しかし、とくに公立美術館であれば、市民の税金でまかなわれる展示企画(しかも市民に寄付されたり市民の税金で購入された作品の展示)の入場者数が少ないというのは、ほっておける問題ではないということになるのだろう。この姫路の展覧会は、この「館蔵品展」をなんとか活性化しようとして企画されたものであるように思われる。
たしか、神戸の兵庫県立近代美術館でも「コレクション大研究」と銘打って、館蔵品の意義を納税者に理解してもらおうとする試みがあったと記憶する。このときも、アンケートを利用して訪問者とのコミュニケーションを求める姿勢が目についた。しかし、今回の姫路の展覧会では、館蔵品に親しんでもらおうという方針が徹底されており、しかも、ターゲットとなる訪問者の層が明確に絞り込まれていて、ちょっと気持ちがいいくらいだ。8月→夏休み→子どもという、じつは安易な発想だったのかもしれないが、これは、けっこう当たるのではないだろうか。
具体的には、展示が5つのコーナーに分けられ、全部で6つの「事件」が提示される。観覧者は、手渡される「探偵手帳」や展示の説明を読みながら事件を解決し、その過程を通して、「様式や真贋の判別」や「版画の技法」、「彫刻の鋳造法」、館蔵の「風景画の主題」、やはり館蔵の「デルヴォー作品とモデル」や「姫路生まれの画家丸投三代吉の世界」などを理解していく。このうちいくつかの事件は「未解決」とされ(解答が「手帳」に書かれていない)、展示室の中央に置かれている「事件解決報告書」(ジュニア用:中学生以下と、シニア用:高校生以上の2種類)に答を書いて提出することになっている。ジュニアには正解者全員に「美術探偵団ライセンス」が贈られ、シニアの正解者には、抽選でペア30組に「梅原龍三郎展 (8/31-9/29)」の招待券がプレゼントされる。
見たところ、けっこう楽しそうに子どもたちは、絵を見ていたように思われる。おもしろかったのは、おとなたちが、いわば「はまって」しまって、真剣に絵を見比べていたりしたことだ。提示される問題は、難しすぎず簡単すぎず、うまく設定してある。帰りがけに、市内バスのなかのポスターも見たが、「探偵手帳」も含め、イメージ戦略も行き届いているようだ。
わたし自身は、『絵画の探偵術』(島本/岸編、昭和堂)という本を共同執筆した関係で、新聞記事が目に留まったので出かけてみたわけだが、じつは、この展覧会は、わたしのような「関係者」にとっても、たいへんおもしろい。館内には、目つきの鋭い(それこそ「探偵」か「刑事」のような)その道のプロらしき人も見かけた。もちろん、専門家の場合は、単純に「クイズを解いて……をもらおう」というゲームがおもしろいというだけではない。わたしも含めて、この美術関係者たちにとって、この展覧会が刺激的で興味深いのは、それが、美術館のアミューズメントパーク化という近未来的な現象を先取りしているように思われるからである。
上野でも岡崎でも王子公園でも、そして、この姫路でもそうだが、美術館と動物園は、隣どうしであることが多い。一時はまったく性格の異なる場所として、訪問者の年齢層や社会層がきれいに分かれていたこの両者が、最近、多くの共通点をもちはじめている。動物園では、そこが絶滅に瀕した動物を保護するとともに種の多様性を維持することの意義を学ぶ場所であることが強調されはじめている。一方、美術館のほうは、神聖な美の神殿であることをやめて、市民が美術作品を気軽に楽しむと同時に、作品の意味や歴史的背景を学ぶ場所へと変貌しつつある。美術館は、動物園がそうであるのと同じように、この「楽しみながら学ぶ」あるいは「おもしろくてためになる」場所をめざして変化しつつあるのである。
今回の展覧会は、子どもを基本的なターゲットにしてはいたが、最終的に社会教育ということを考えれば、年齢制限にあまり意味はなくなる。問題は、「(おもしろくてためになる)美術探偵」という活動が、美術の理解にとってどこまで役に立つのかということだろう。『探偵術』の執筆者の一人であるわたしがこんなことを言うのも変だが、「絵を読む」とか「絵を学ぶ」とか、「絵の細部から表現内容や歴史的背景を推理する」といった作業は、絵画作品にアプローチするための通路の一つにすぎない。わたしとしては、「探偵」だけではなく、もっと多様な受容方式の準備された美術館の近未来像も見てみたいと思う。
(1996/07/19)
★第48回美学会全国大会(於東京芸術大学)97/10/10-12
★国立民族学博物館国際シンポジウム「博物館は『文化』のイメージをいかに創りあげてきたか」(於国立民族学博物館)97/10/21-23
★第21回文化財の保存に関する国際研究集会「今、日本の美術史学をふりかえる」(東京国立文化財研究所主催、於東京国立近代美術館)97/12/03-05
★第216回美学会西部会研究発表会(於関西大学)97/12/06
・「メロドラマ・性差・現実効果:マルセル・パニョールのフィルム群に即して」(京都大学:青山勝)
・「メルスマン音楽美学の一側面」(橋本斉)
☆コメント
この3ヶ月のあいだに出席した学会やシンポジウムについても、ここでレポートしようと思って、そのつどメモを書きためてはいた。でも、時間が経ってしまうと、印象の復元に手間取って、もうどうでもいいではないか、という気がしてくる。とくに今年の美学会全国大会は、ちょっと散漫な感じで(分科会ばかりで全体セッションが少なすぎた)あまり強い記憶は残っていない。もちろん、おもしろい発表はあったし、シンポジウムのテーマ(環境美学)も悪くはなかった。久しぶりの人や初めての人、それから、いつもの人とも飲み、かつ議論もした。にもかかわらず、どこか落ち着いたところがなかったのは、会場のせい(美術学部が工事中)だったのかもしれない。来年はどうなるのだろうか
民博のシンポは、講義の関係で、最終日にちょっとだけ覗かせてもらっただけ。前から興味のあったテーマ(とくに、セッション1の「博物館と美術館」)だったので、ちょっと残念。アートの人類学的価値を、本家本元の人類学者たちがどのように処理しているのかが、僕にはいちばん興味があったのだけど、参加した人たちからの話を聞くかぎり、それほど突っ込んだ議論はなかったようだ。
文化財研究所のシンポには、初日(近代と美術、近代と美術史)のパネラーとして参加した。問題点を指摘したり議論を活性化させるという役割は、正直に言って僕には少々重かったが、歴史(日本史)研究者たちとの意見交換は、けっこうおもしろかった。とくに、いわゆる国民国家論の導入を講座派史学との力学で相対化する視点や、歴史的事象をつねにダイナミックに変動する過程として把握しようとする基本姿勢などは、これまで、あまり指摘されてこなかったことのように思う。
続く2日目(内なる他者としての東アジア)、3日目(語る現在、語られる過去)の発表や議論でも、研究の「主体性」の問題や、研究対象(「美術」)の恣意的な規定についてなどの興味深い論点がいくつか指摘された。ただ、問題は、これらの議論を通して、専門研究者が陥りがちな、対象への美的礼拝や、理論的反省へのリラクタンスがどこまで乗り越えられたかということだろう。今回のシンポジウムに参加した日本東洋美術史研究者たちのなかで、自分たちの仕事が変わりつつあるという意識をもった人がどのくらいいただろうか。「今、日本の美術史学をふりかえる」のなら、その仕事の基本的な枠組みが、じつは少しも変っていないことに愕然とするというところまで行ってほしかったのだが……。
(97/12/27)
★トヨタ・アートマネジメント講座(於京都市美術館/京都市勧業館:みやこめっせ)97/06/06-08
☆コメント
学会も、前回から数えると、何度か美術史学会や美学会の支部会があった。ただ、あまりきちょうめんに毎回の報告を書いていると、いろいろな人たちからや、自分自身からも相当のプレッシャーがあるので、ちょっといやになってきた。というわけで、今回は、もう全部お休みにしてしまおうと思ったのだけど、まあ、大きな大会だから、美術史学会の全国大会のことと、それから、自分も関係者だったわけだから、トヨタのアートマネジメント講座については、簡単に報告しておくことにする。
まず、美術史学会の全国大会についてだが、正直に言って、細かい発表内容については、忘れてしまった。全般的な印象として、若い人の発表が多かったなという程度。もう少し「大人の発表」があっもよかったのではなかろうか。「学会は業績作りの場なのだからしょうがないよ」という意見も聞かれたが、定職に就いた研究者こそ、きちんとした仕事をして、それを公表するべきだとわたしは思う。
それから、シンポジウム。これは、恒例の行事だけど、シンポジウムに対する不満も、また恒例のこと。人によっては、日本における言論の風土を考えるとシンポジウムがつまらないのは当然だ、などという意見もある。わからないわけではないが、「日本人論」の一つとして静態的に決めつけてしまうよりも、シンポジウムをなんとかおもしろくする手立てを考えたほうが考え方としては健康だろう。これは、大学の教師として、たとえば、演習(トークとディスカッション)の時間を充実したものにする努力が必要なのとおなじことである。
今回のシンポジウムに関しては(あるいは、大学での毎週の演習でも同じことだが)、主催者側と聴衆の側の双方に、準備不足という側面があったことは否定できない。主催者側からは、「何か一定の結論や解決を求めるわけではないので、自由に発言を」とか、「できるだけ多くの人に発言の機会をもってほしい」という内容の要請があったが、課題が少々難解(!)で、こちらもあまり予習をしていない状態では、それでうまくいくほうが不思議ではなかろうか。少なくともわたしには、その場ですぐ自分の記憶のすべてをたどり、正確な判断を下し、意見を簡潔にまとめて発言するというような芸当はできない。あいまいなままの知識でしゃべることへの抵抗感もある。これは、シンポジウムの内容にかぎらないが、発表の要旨を、たとえばインターネットを利用するなどして、前もって提示することはできないだろうか。いずれにせよ、シンポジウムがつまらないと文句を言うのはやめたいと思う。責任は、主催者側(というより正確には委員たち)だけにあるのではなく、参加する会員の側にもあるからだ。
さて、そのシンポジウムの内容だが、じつは、いまだによくわからない。いったい何を目的に、わたしたちは、「美術史における奈良・京都、京都・東京(江戸)」というテーマについて知識をたどり、知恵を絞りながら考えたのだろう。まさか、世間で話題の「新首都」移転問題にからんだ行政側からの情報戦略の一端というわけではなかったのだろうが、あの場所で「文化的中央集権化の状況のなかで地域文化確立への問いかけ」を行うことの意味はどこにあったのだろうか。様式の(多様でダイナミックな変化の)問題か? 都市の(セルフ)イメージの問題か? それとも遷都がもたらすノスタルジーのメカニズムの解明か? 少なくとも、学者たちがそれぞれの研究分野の情報をたんに交換したり確認したりする(あるいは、知識を披瀝する)だけの場所ではなかったはずだ。考えられるとすれば、このようなシンポジウムの目的は、現在の美術史学の認識モデルに新たな刺激を与えることだろう。しかし、パネラーたちの努力にもかかわらず、このシンポジウムに参加して、自分の美術史学に対する方法論的意識が変ったという人は、わたしのまわりだけのことかもしないが、残念ながらあまりいなかった。とはいえ、これにこりてやめてしまうなどと考えずに、ぜひとも次回は、新たな工夫をこらしたシンポジウムを企画してもらいたいと思う。
ところで、シンポジウムといえば、この美術史学会の2週間あとに開かれたトヨタ・アートマネジメント講座では、わたしもパネラーとして参加した。
この講座については、もういろんなところでしゃべっているので、ここでは詳しく書かないが、わたし自身は、非常に楽しく参加した。とにかくおもしろいのは、「美学」とか「美術史学」とかの狭い研究者たちの世界を出ていって、生き生きとした社会の現実に触れることができたことだ。わたしは、むかし大学時代に、ある芸術系サークルの「マネジャー」をしていたことがある。もちろん、レベルはまったくちがうのだけど、アートマネジメントの世界の仕事のおもしろさの原点を、ひさしぶりに思い出してしまった。
最終日の日曜日に開かれたシンポジウムのテーマは、「アートを育てる/ハートを育てる <アート・マネジメントの可能性>」。基本的には、金曜日から続けられてきた4つのセッションでの討議の内容を踏まえて、とくに美術館におけるアートマネジメント活動の重要性を確認していくというのが、大きな目的であった。
結果からいえば、こちらのシンポジウムも、それほど大きな成果を挙げたとは言いがたいかもしれない。わたしだけかもしれないが、ここでのパネラーたちは、じつは、これまでのセッションの担当者だったために、ちょっと疲れと解放感が出てしまったようだ。また、マネジメント用語でいえば、「マーケット・リサーチ」が十分でなかったともいえる。受講者たちの予備知識や関心の多様性を前もって確認して、そのための措置を考えておかなったために、フロアとの意見交換は、かならずしもスムーズには進まなかった。結果として、受講者の方たちには、少し不満が残ったかもしれない。
それにしても、この講座の参加者数は、予想以上だった。トヨタ・アートマネジメント講座は、岡山、福岡、京都と続いて3回目だが、今回は、とくに学生たちの参加が多かった。学生の町である京都だからという説明もあったが、参加してくれた学生のなかには、東京や横浜から来てくれた人もいた。やはり、理由は、アートに関わる仕事への関心の高さだろう。ボランティアの仕事に参加してくれた学生たちも含めて、彼ら彼女らが、将来、「熱いハート」で「アートを育てる」仕事に携わっていけるようになることを期待している。(97/07/27)
◆美術史学会西支部例会(於大阪市立東洋陶磁美術館)1997/01/25
★「日本のセザニスム:1920年代日本の人格主義的セザンヌ像の美的根拠とその形成に関する思想および美術制作の文脈について」永井隆則(京都国立近代美術館)
★「聚光院方丈襖絵の成立についての一考察」渡邊雄二(福岡市美術館)
★「日本のセザニスム:1920年代日本の人格主義的セザンヌ像の美的根拠とその形成に関する思想および美術制作の文脈について」
☆コメント
日本におけるセザンヌの受容の背景(理解のイデオロギー的な地平)を、大量の資料をていねいに読解検討しながら明らかにしたもの。それによれば、1920年代における「人格主義的」なセザンヌ像の成立の条件として、思想の世界では、筆触や律動感を重視する生命主義(気韻生動、心身一如)の文脈が、そして、美術制作の世界では、南画復興運動という歴史的な文脈との関係が考慮されなければならない。最近はやりの日本近代美術研究のひとつだが、ここでものをいうのは、なんといっても「実証」の裏づけである(ただし、実証は、必要条件ではあるが十分条件ではない。実証への過度の礼賛と信頼は、自らの解釈に対する批判的な反省意識を弱める危険がある。この発表では、そのおそれは、とりあえず少ないだろうが、「日本回帰」という流行現象のなかに入っていくときには注意が必要だろう)。
★「聚光院方丈襖絵の成立についての一考察」
☆コメント
聚光院方丈襖絵の成立年代を、従来の永禄9年(1566)から、天正11年(1583)まで下げようという提案。「これはたいへんなことになりますな」と言いつつ、全然平気な顔をしていた質問者がいたが、このへんをどのように解釈していいのか、「外部」の人間にはわかりにくいところだ。わたしの聞いたかぎりでは、たしかに、論証の経過があまり明瞭でなかったため説得力に欠けていたように思われる。また、永徳の「天才」(イメージの形成)という話題を最初に持ち出してきたのに、年代変更が、この問題にどのように関わるのかについて、詳しい考察がなかったのは残念だった。「指定のための作品調査」を最大の課題とする日本美術史の典型的なイデオロギーは、やはり強力である。
◆美学会西部会第 212回研究発表会(於京都造形芸術大学)97/02/15
★「安堅筆《夢遊桃源図》についての一考察」盧載玉(同志社大学)
★「意思と放下:ハイデガーのニーチェ解釈をめぐって」小林信之(京都市立芸術大学)
★「安堅筆《夢遊桃源図》についての一考察」
☆コメント
安堅(アン・ギョン 1418?-?)筆の《夢遊桃源図》は、朝鮮王朝初期(15世紀)の絵画としては、制作年代と画家が明確に知られる数少ない作品のひとつである。ただし、この作品には、他の「桃源図」の作例からかけはなれた特異な性格(桃源が画面右に位置していること/無人であること/安堅が学び、また、当時の朝鮮画壇を支配していた「李郭派様式」とは異なる様式で描かれていること)が見られる。この発表では、この特異性について、これを「画巻」ではなく「掛幅」であったことを指摘したり、「風水説」を応用したり、この絵の注文主であった安平(アン・ピョン 1418-53)大君をとりまく当時の政治情勢に注目したりすることで、整合的な説明が試みられた。発表者によれば、この絵に描かれた「桃源」は、これまで説かれてきたような「逃避空間」ではなく、安平大君が実現したいと思った「願望空間」なのである。貴重な情報提供であり、また、伝統的な解釈にたいする批判的な問題意識も明確な発表だったが、具体的な実証という観点からは(多くの質問者が指摘していたように)課題を残している。
★「意思と放下:ハイデガーのニーチェ解釈をめぐって」
☆コメント
発表者は、長年、ハイデガーによる美や芸術への問いかけに取り組みつづけてきた。その彼が、有名な「ニーチェ講義」を取り上げるというのは、あまりにも当然で、むしろ遅すぎたというべきかもしれない。また、美学会での発表ということを考えれば、中心のテーマが、カントの「無関心性のテーゼ」になるということも、この講義録を読んだことのあるものならすぐに予想できる。まずかんたんにカントの主張を要約して、それからショーペンハウア、さらにニーチェによる解釈を紹介する。そのあとで、ハイデガーの、いかにも「メスキルヒの小魔術師」(レーヴィット)らしい魅力的だが(批判的な対話を拒否するという点で)少々危険な独特の議論に倣って「放下」と「無関心性」を結びつければよい。そして、最後は、「国民言語」である日本語と(何よりも優先される)「デンケン」との関係の問題にこだわってみせれば、お定まりのコースはできあがる。
ただし、発表後の質問者による指摘にもあったように、今回の小林の発表は、通俗的な「ハイデガー研究」の枠をある程度は越えていた。たしかに、基本的な筋立てでは、ひたすら彼の言葉や行動を摸倣することが「研究」だと考えて「恭順硬直」する追随者たちの発言ほどではないにせよ、ハイデガーにとって異質な発想は注意深く避けられていた。また、最後の(日本語で思考することをめぐる)「付足し」の言葉の甘さは、「ゲルマン的で、ほとんど月並みといっていいほどのロマンチックな語彙」(エティンガー)に溺れるハイデガーのラブレターを思い出させる。しかし、ショーペンハウアの「美学」に対する最近の研究動向への注目や、ハイデガーのニーチェ理解の「限界」に対する指摘などには、耳を傾けるべき論点が含まれていた。また、この発表が、カントの無関心性のテーゼそのものがもつアクチュアルな問題(アメリカの美学メーリングリストでも、最近、この無関心性ということをめぐって議論が「はじけ」ている)にわたしたちの目を向けさせたということも、見逃してはならない重要な事実であるとわたしは思う。
長くなってしまったが、いま書いていることは、かつてハイデガーを「研究」していたわたし自身への自戒の言葉でもある。ハイデガーは、問題にそのまま答えるのではなく、問題設定そのものを解体するという手法をよくとる。その結果、批判的対話による直接対決の可能性は、こうしていつも先送りされ、当の問題状況は未解決のまま現状が保存されることになる。ハイデガー自身はともかく、その追随者が、先生のやり口をひたすら摸倣することになれば、その結果は、先生が夢見る世界観の容認と美化につながるだけだ。このような「他者なき思想」の問題点については、フィリップ・ラクー=ラバルトやジャン=リュック・ナンシーら「ストラスブール学派」からの指摘がよく知られている。また、べつにアドルノまでさかのぼらなくても、オット、ザフランスキー、ファリアス、高田珠樹らによる最近の文献でも、ハイデガーの哲学的手法の問題点を「社会史的に」(つまり、ハイデガーの「世界」の「外」で)分析することの重要性が強調されるようになってきた。ニーチェ講義との関係で言えば、ここで避けてはならないのは、ニーチェ「研究」者であったアルフレート・ボイムラーとハイデガーとの関係だろう。ハイデガーが美や芸術の問題に深く関わるようになったのは1930年代の後半からである。このような問題点から目を離さないようにしていけば、たとえば、「美」を「存在の輝き」と定義することの非論理性(西欧形而上学の解体などというたいそうな問題ではなく、「美」を「輝き」という美的でロマンチックな意味を含んだ言葉で同語反復的に定義することの知的幼稚さ)に、わたしたちは、もっとよく気がつくようになるのではないだろうか。(97/03/24)
★美学会西部会第211回研究発表会(於京都市立芸術大学)96/12/07
・「ニコラ・プッサンと絵画の背景:風景を見る快楽」佐々木多喜子
・「煎茶の位相、その試論」鈴木幸人(大阪市立美術館)
★「ニコラ・プッサンと絵画の背景:風景を見る快楽」
☆コメント
プッサンは、晩年にいたって、風景表現を大幅に絵画面に導入した。この発表は、その動機について、彼の書簡や作品の分析を通して明らかにしようとしたものである。問題設定は悪くないし、分析もけっして説得力がないわけではない。しかし、全体の印象としては、ちょっと弱い感じで、聴衆たちの賛同はあまりえられなかったようだ。わたしが感じたのは、使用する用語のあいまいさだった。とくに、主題と背景の概念対に、人物と風景、前景と後景、文学的な物語と視覚的な自然といったさまざまな対立項が、そのつどあまり厳密に定義されずに重ね合わされてくる。これらのいくつかの問題を解決すれば、この発表がもつ本来の面白さと有益さは、もっと明確に聴衆に伝わっていたのではなかろうか。
★「煎茶の位相、その試論」
☆コメント
二つ目の発表は、いわゆる「煎茶会」と「書画展観」との結びつきを、大阪を中心に歴史的に追跡したものである。発表者は大阪市立美術館の学芸員。したがって、この発表は、いわば自らのコレクションとその展示のルーツを探索したものだといってよい。ちなみに、最近の大阪市美の意欲的な活動には、目を見張るものがある。この発表のなかで、わたしが面白いと思ったのは、煎茶会に参加する人たちの主体性をめぐる議論だった。近代以降の美術館は、いわば趣味の大衆化に奉仕する社会制度である。しかし、その一方で、作品を受身的に消化するだけの来館者に意外な発見や疑問、知的な興味などを感じてもらうという姿勢も美術館には欠かせない。この問題をめぐっては、発表者自身も述べていたように、今回は歴史的事実関係の記述に終始していた。展覧会の開催のことも含めて、今後の展開に期待したい。
★国際ワークショップ「美術史と他者: Art History and Alterity」(於高野山福智院、主催:帝塚山学院大学)96/12/14-15
☆コメント
発表者と題目は、次の通り。
発表のレベルや発表者の問題意識、プレゼンテーションの巧拙など、ある程度のばらつきはあったが、基本的には、発表後の質疑なども含めて、けっこう面白かった。とくにわたしが興味をもって聞いたのは、最初と最後の発表だった。最初の加須屋の発表で主張されたのは、一見リアルで即物的に見える《病草紙》における描写が、じつは注文主であった男性支配者階層の人たちの「まなざし」によってとらえられたイデオロギー性の強い表象であったということだ。彼によれば、そのような「病」の「表象」を「リアル」で「自然な」ものだとみなす解釈態度は、問題の所在を隠蔽するある種の共犯関係を構成する。一方、最後の稲賀の発表は、全体をいわば締めくくるようなかたちで、このワークショップの経過のなかで浮き上がってきたいくつかの論点に言及しながら、日本の美術史学という制度に内在する問題を顕在化してみせた。具体的には、他者(や自己)のハイブリッドなあり方に見られる両義性や力動性、他者の同化と自己の他化、政治的な排除のシステムと精神分析的な自我形成システム、他者の眼を借りた自己回帰の戦略……などが、そのような論点の一部だ。
今回のワークショップでは、最終的な結論が共通見解として採択されたわけではない。むしろ、各発表者や参加者のあいだで意見をぶつけ合うことか主催者のねらいであったようであり、それはかなりの程度で成功したと思われる。ハードなスケジュールによる疲労や、せっかく高野山に来たのに伽藍や宝物館や奥の院をゆっくり見られなかったことによるフラストレーションなどは確かにあったが、全体としては、ちょっと風変わりで、しかし、それなりの成果も得られた面白い「合宿」だった。なお、発表や討論の詳細については、いずれ書物のかたちで出版されることになっているということだ。(1997/01/21)
☆コメント
美学会全国大会では、最近、当番校がいろいろと企画に工夫を凝らすのが恒例になっている。昨年の東京大学は、発表の数を倍増させてワークショップ化させ、内容の多様化や充実とともに研究者の発表機会の増大を図った。これに対して、今年の関西大学は、個々の議論を大切にしようという配慮から、発表数を逆に減らした。質問時間を長くとり、いくつかの発表については、あらかじめコメンテイターを準備するなどして、「ディスカッション」が活性化することを期待したわけである。
わたし自身の意見をいえば、学会の全国大会は、ワークショップと全体セッションの併用方式がいちばんいいのではないかと思う。ワークショップは小人数で行い、多数の発表を同時進行させて、できるだけ多くの参加者に門戸を開く。テーマもできるだけ細分化して、かなり専門的な情報や意見の交換の場とする。発表内容はレジュメにして(あるいは学会ホームページに掲載するなどして)あらかじめ学会員に知らせておくとともに、発表後に詳しい要旨集を作成して、会場に出席できない会員もあとで発表者にコンタクトできるようにしておけばよい。そうすれば、聞きたい発表が重複した場合や、聴衆があまり集まらなかった場合でも不満は少なくなるはずだ。一方、全体セッションのほうでは、逆に多くの会員の共通の関心事となるような一般的なテーマを選んで、そのテーマに関するオピニオン・リーダーに発表してもらう。場合によっては、会員以外にゲストスピーカーを頼むのもよい。また、ここでシンポジウムやパネル・ディスカッションを企画することもできるだろう。
いずれにせよ、学会の大会運営にはかなりの知識と経験が必要であることは、まちがいない。もちろん、今回の大会がお粗末だったという気はない。むしろゆったりとした時間配分が参加者に大きな余裕を与えていたのは確かだ。しかし、多少準備不足というか想像が及ばなかったと感じられる場面が何度か見うけられたのも事実だ。日程や分科会の割り振りもそうだし、ディスカッションの充実の具体的な施策や発表者の人選などについても不満が残る。この他にも言いたいことはいろいろあるが、「質問時間が足りない」からといって、時間を延ばせばそれですむというわけではないという簡単な事実を確認できただけでも、大きな成果があったというべきなのかもしれない。
さて、発表についてだが、まず、初日。参加者が少なくて、ちょっとさびしかったが、増成隆士(筑波大学)の「HTMLによる美学的思考の展開:インターネット、WWWと美学」は、多くの参加者の関心と期待を集めていた。ただ、聴衆の期待と発表者の意図は、かなりくいちがっていたようだ。聴衆のなかには、ある種のデモンストレーションを期待していた人たちも多かったように思う。じっさい、わたしも、関西大学に行く前に大阪学院に立ち寄って、増成のホームページから当日の発表内容をダウンロードしておいたのだが、それでも、なにかもっと具体的な提言のようなものがあるのではと考えていた。しかし、この予想は、みごとにくつがえされる。増成が「美学」とよんでいたのは、具体的には学科や学会として活動している制度としての美学なのではなく、いわば直観と推論による純粋な思考プロセスの一種のことだったからだ。このすれちがいを、なんとかまとめていくのは、少なくともアドリブでは不可能に等しい。司会者も質問者もたいへん苦労していたようだ。今から考えてみれば、発表者が「美学的思考」とよぶものがどこまで実際の美学研究者たちの間で共通の理解になっているのかといったことから議論を詰めていけば、けっこう実りのあるディスカッションになったのではという気もするが、これは、いわゆる「後知恵」にすぎない。
2日目。発表は、ヴェルシュの講演を合わせても、なんとたったの4つ。しかも、この4人とも、よくいえば安心感のあるいつもの語り口でいつもの主張を繰り返してくれた(篠原による、芸術と死の問題への切り込み[「墓としての作品をめぐって」篠原資明(京都大学)]は新味を感じさせたが、残念ながら具体例にふれる前にタイムアップ)。ゆっくりと話を聞けてよかったという人もいたが、少なくともわたしは退屈した。そのためというわけではないが、自分が質問者の番になると、ちょっと入れ込んで(これまたおなじみの)早口になってしまった。大いに反省している。それにしても、新しさを聴衆に感じさせることはむずかしい。田中の場合[「西洋と日本の美術史方法論の問題:南大門の仁王像は運慶作ではない、をめぐって」田中英道(東北大学)]も、「新発見」の運慶など出さずに、主張内容や議論の進め方の新しさを示して、これまでの田中とはちがうぞというところを見せてくれたら、いい方向に盛り上がっていけたのに、少々残念だ。美学会を方法論の議論のためのメディアにするということと、作品の実証的な調査研究の発表場所にすることとは、やはり相容れない。
3日目。今度は、1日に全部で14の発表。参加者のなかには、この日だけ出てきたという人も多かった。というわけで、おもしろい発表も多かったのだが、この日の話題は、なんといっても室井尚(横浜国立大学)の「ワールド・アートと美学:<芸術>の多元的状況をめぐって」だろう。この発表には、マルティ・カルチュラリズムやポスト・コロニアリズムに対するここ数年の室井の研究や具体的な議論の実践の成果が凝縮されていた。会場ではじめて聞いた人は聞き誤るかもしれないが、表面に出てきた比較的巨視的な現状分析や批判や提言の背後には、さらに第二第三の分析などが用意されている。発言に感じられた自信は、そこからきているにちがいない。このような発表には中途半端なコメントなど、つけないほうがいいかもしれない。問題は、彼の主張をどのように理解するかではなく、それにどのように反応し、どのように行動するかにあるからである。じっさい、彼の言葉づかいそのものは、それほど難しいものではないので、最近の文献を少しでも読んでいる人なら、すぐに理解できるはずだ。しかし、「この今回の発表は、最近の芸術の状況に対するコンパクトな現状分析としてよくできていて、美学のいい勉強になった、ああ学会に来てよかった」などというような反応は、おそらく最悪のものである。発表の際の彼の強い口調は、<芸術>にかんする言説を管理する学問としての<美学>そのもの、あるいは、<美学>という「専門学科」の庇護のもとで外の世界に触れようともせず同じルーティンを繰り返しているかもしれない「研究者」たちに向けられていたのだということを、わたしたちは、見逃してはならない。
このほか、今回の大会では、さまざまな分野から新しいアプローチの試みの報告があった。日本美術史では、福島恒徳(山口県立美術館)の「雪舟のイメージ史:画聖神話の解体」、西洋美術史では、藤原貞朗(大阪大学)の「マネの『筆致』をどう記述するか:絵画作品と観者の距離から」、また、工芸研究では、児子弘恵(大谷女子短期大学)の「日本工芸とアール・ヌーヴォー:1900年/博覧会」、あるいは、オリエント学からの渡辺千香子(大阪学院短期大学)の「アッシリア帝王狩猟図のイコノロジー」などが記憶に残っている。
来年の全国大会は、東京芸術大学で開かれることが決まっている。どのような企画が立てられるにせよ、多種多様な分野の参加者が提供する情報や意見が平等に取り込まれていくと同時に、参加者が共有する基本的な理論上の問題については議論が十分に深められていくように、周到な準備がなされることを期待したい。(96/11/21)
★美学会西部会第209回研究発表会(於同志社大学)96/07/06
・「シュライエルマッハーの文体論:美学と解釈学の架橋」岡林洋(同志社大学)
・「植田寿蔵の美学思想:中期西田哲学の受容と解体」岩城見一(京都大学)
★「シュライエルマッハーの文体論:美学と解釈学の架橋」
☆コメント
この(少々わかりにくかった)発表の目的は、かんたんにいえば、シュライアマッハーの青年期の手稿「文体論」(1790/91 )の内容を紹介することにあったらしい。少し時間をおいて、当日配布された発表原稿を読んでみると、そのことはすぐに確認できる。とくに、注で示された引用ページを見ていくとよい。
それがなぜ当日は、理解されなかったのか。発表原稿を配布するという丁寧な配慮にもかかわらず、「さっぱりわからん」という感想が多くの人から聞かれてた理由は、どこにあったのか。解釈学の最大の課題は、理解の断絶に架橋することにある。「美学と解釈学のあいだに架橋すること」より前に、この不思議な(あとで考えればあたりまえの)理由を確認しておく必要があるだろう。
まず(発表や質疑における態度や、主張内容の各所に見られる論理的不整合などの問題はべつにして)、この発表をわかりにくいものにしているなによりも重要な原因は、発表の基本方針が不明瞭だという点にあるように思われる。この発表が目指しているのが何であるのかが述べられていないというのではない。それは、いたるところで示されているのだが、そのつど、前に示されたものとはちがった方針が追加され、あたらしい「課題」が提示される。「初期シュライアマッハーの文体論の性格づけ」から、「同時代の思考システムにおけるスタイル概念の系列設定」、「文体の言語学的記号学的定義」、「『予見』と読者の役割との結びつけ」……。これらをすべて「美学と解釈学の架橋」という一語でまとめてしまおうというのなら、そのためにはかなりの説明が必要になるだろう。その説明が十分になされないかぎり、聴衆には、そのつど「玉虫色」にきらきらと光る「課題」ばかりがいかにも立派そうに示されるだけで、まじめに追いかけていこうとすると、すぐ次の課題が姿をあらわすことになってしまう。
もうひとつ、この発表の問題点は、言葉の定義にもあるようだ。「美学」、「解釈学」、「美術史学」、「文体/様式」、「記号」、「表象」、「恣意性」、「副次性」、「読み手/読者/解釈者」……。これらの用語は、使用者や使用の状況などにより、その意味内容が大きく変化する。とくに、それらが指し示すものが制度的に成立していない時代の場合、これらの用語の使用には注意が必要になるのだが、残念ながら、そのような配慮は感じられなかった。「(M・フランクによる)ポストモダン(?)ふうの解釈には、抵抗を感じる」と述べる発表者であれば、当時の歴史状況を再構成する際の用語に「解釈者の現在の地平」の影響が現れることには、もう少し慎重であってほしかった。
また、見方を変えていえば、発表がわかりにくかった原因は、聞く側にもある。いつも感じられることだが、多少発表がひどくても、その内容をフォローしたり、発表者が紹介しなかった最新の研究情報を提供したりできる「専門家」がいればいい。ところが、美学会には、その「美学の専門家」が、じつは極端に少ない。「どんな分野であれ、芸術に関心をもつ研究者なら共通の問題意識をもてる、したがって、美学の問題は理解できるという信念」をもつことは、ある面では大切だが、限界があることも事実だ。わたし自身を含めて、数少ない美学研究者は、もっと基礎体力をつけなければならないと痛感する。
「植田壽蔵の美学思想:中期西田哲学の受容と解体」
☆コメント
こちらの発表の意図のほうは、冒頭からきわめて明確に提示された。この発表で「植田の美学思想」として扱われるのは、基本的には、1924年の『藝術哲学』にすでに示されている「現象学的解釈学としての視覚理論」である。また、この発表は、この植田の美学が、「中期西田哲学」(『自覚における直観と反省』1917、『芸術と道徳』1923)における「超越論的美学」を「編集」(つまり、「受容」と「解体」)するなかで形成されてきたことを論証しようとするものである。用語は少々難解だが、問題意識は、はっきりと限定されていて、その面では気持ちよく内容に入っていくことができた。
しかし、この発表は、別の面で、大きな問題を抱えていた。それは、いわば、言語行為論的な次元での問題とでも言えようか。ある「言説」というものは、それだけ切り離された自律的な意味をもつだけではない。言説は、発話されることで、その発話の場に、いわば行為として働きかける。たとえば、「この部屋は暑い」という発話は、「窓を開けてくれ」という「依頼」や、「部屋を替えよう」という「提案」として機能する。それと同じように、美学西部会で植田の美学について京都大学の教授が発表を行えば、それは、けっして「それだけ」ではすまないはずだ。あとで聞くと、この原稿は、べつのある啓蒙的な論文集に掲載される予定で執筆されていたものらしい。「想定される受容者層」が異なっていたというわけだが、それなら、新しい聴衆に対してそれなりの配慮があってしかるべきである。
具体的に言えば、この発表は、まず、美学会西部会という(少々マイナーな)「制度」の歴史編纂にかかわる一つの意思表示と読むことができる。「美学って何」のコーナーでも紹介したが、美学会は、1950年に、竹内敏雄と井島勉という東大と京大の教授を中心に誕生した。しかし、もちろん、制度としての美学は、このとき突然生まれたわけではない。関西のほうでいえば、戦前から、談話会のような活動があり、そのなかに、たとえば植田がいたわけである。今回の発表は、その植田を、しかも西田哲学の批判的継承者として、美学会西部会の「前史」のなかに位置づけたものだといっていいだろう。
当日の発表では、そのような制度史的な背景については、ほとんど触れられなかった。また、結びでの一言を除けば、植田の思想のネガティヴな側面への言及も省かれていた。その結果、この発表の(発表者本人はおそらく意図していない)秘められた意図、つまり、「正統の系譜づくり」の意図は、目立つことなく、いわばそのまま承認されたようなかたちになってしまった。このようなかたちでの「正史の編纂」が高度に政治的な意味をもつことについては言うまでもない。しかも、このような歴史記述は、現実の状況を図式的に単純化してしまう危険性を秘めている。たとえば、中井正一の位置づけの問題もこれと関連してくるだろうが、戦前の関西における美学研究の状況は、西田哲学との関係という枠を越えた、もっと多様でダイナミックなものだったはずだ。
一見中立的な「それだけ」の歴史記述がひそかに重大な政治的影響力を行使してしまうことへの無関心は、じつは、(当の植田の後継者たちが築き上げてきた)美学会西部会の「伝統」でもある。以前は、よく西部会で『判断力批判』や『芸術的活動の根源について』の「内在的解釈」を聞かされて、ほとほとうんざりしきったことがあった。これは、もとをたどれば(それだけではないだろうが)、「実証主義」を標榜してきた「京都学派」の研究態度に遠因がありそうである。最近、日本でのハイデガー受容を取り上げた『他者なき思想』(藤原書店)という本が出たが、「純粋な学問研究」にあこがれて京大で学んだ哲学や美学の研究者たちのあいだに、基本的な精神傾向として、「他者」や「異質なコンテクスト」への開かれを避けようとする態度がいつのまにか定着してしまったのではないか。
領域自律性の神話が崩壊したあと、歴史学では、「言説」や「まなざし」の政治的地平の吟味が精力的に行われている。そのような潮流を(一部が)きちんと引き受けている美術史学とは対照的に、美学では、議論が、あいかわらず、「外」の人間に通用しない「インサイダー言語」や「インサイダー情報」で構成されており、そこからの展開が生まれにくい。誤解があってはいけないので、急いで書き加えておくが、今回の岩城の発表は、京都学派を論じるという観点から見れば、「植田美学」を「西田哲学」の「他者」ととらえる点で、「正統形成」に対する一つの挑戦となっている。ヘーゲルやポストヘーゲルの美学を専門にする岩城ならではのことだが、ポスト西田の思想展開がダイナミックな物語として描き出されており、それなりに聞きごたえがあった。しかし、その「他者」へのまなざしが、自己の属する美学会西部会を批判的に対象化するまでにいたらなかったのは残念だ。この問題は、学科そのものに課された今後の課題ということになるのだろう。今後も、日本の美学者を取り上げる研究発表や論文は増えていくことが予想される。これは、非常に望ましいことだ。日本の美学史を書くためには、研究者が、「歴史」を書くことの意味を十分に理解して、歴史記述者である自己の地平を批判的に相対化することが不可欠の条件となるからである。今回の発表の最大の意義は、そのための出発点を築いたという点にあるといっていいのではなかろうか。(96/07/19)
☆コメント
ここ数年、美術史学会は、大きく変化している。たとえば、女性会員の割合が急激に増加した。このことは、今回の全国大会の発表者や参加者の数を見れば明らかだ。どのくらいの数の人が利用したのかはわからないが、今回は、会場にベビーシッターの用意もされていた。発達心理学会のようなケースをのぞけば、日本の学会で、これほど女性の比率が高く、しかも、そのような状況になんとか対応しようと努力しているところは珍しいのではなかろうか。今後は、(美学を含めて)ほとんどの学会で、このような変化が予想される。美術史学会は、その先行例として注目に値するといっていいだろう。
しかし、女性の数が増えたことだけが、美術史学会の変化として重要なのではない。今回の大会でも強く感じられたのは、美術史学会が、「専門学会」として、いわばある種の「制度マシーン」に変貌しつつあるということだ。この傾向は、もちろん今に始まったことではない。しかし、作品(の意味)を「発掘」し「管理」し「提供」する主体として社会に君臨し、さらに、その優秀な後継者を養成しようとする意思は、今回、とくに明確なかたちで現れていたように思う。インターネットの将来性に向けられたビジネスライクな関心がそうだし、美術館博物館の学芸員たちの「窮状」に対して表明された「支援」(ないしは「保護者」として)の態度なども、その現れの一つだ。インターネットは、あくまでもツールとして、つまり、制度としての美術史学の現在の解釈観に影響を及ぼさない限りでの有能な道具として導入を許されるようだし、学芸員問題については、当局に対して美術史学会からのメッセージが伝えられる(努力がなされる)ことになるそうだ。
専門学会が制度化を指向するのは、ある意味では、当然の成り行きである。したがって、美術史学会のさまざまな活動が、制度的に整備されていくことは、けっしてわるいことではない。問題は、その過程で起こる官僚的な硬直化だ。今回の大会で、「(作品制作後に受容のなかではじめて生成した)事後の意味」の認知を要求した岡田温司の発表が、すこし浮き上がってみえたのは、彼の発表スタイルのためだけではない。それは、むしろ、この主張に、美術史学会公認の解釈定義を動揺させる部分が含まれていたためだというべきだろう。美術史学の場合に限ったことではないが、このような原則批判的な作業を孤立させたり切り捨てたりせずに「制度上の整備」を進行させることがもっとも望ましいのではないだろうか。
★美学会西部会第208回研究発表会(於京都工芸繊維大学)96/06/01
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☆コメント
この報告のことをまったく考えていなかったので、案内状や資料を処分してしまった。内容もよく覚えているわけではないけれど、とりあえず、その場で思いついたことや、その後気がついたことなどを書き留めておく。
最初のベケットの発表は、正直に言えば、おもしろくなかった。わたしが演劇や映画に疎いということは、一部の友人たちのあいだでは常識になっているので、もちろん、発表だけが悪いのではない。聞く側にも問題はある。しかし、それにしても、「なんでいまベケットなのか」というモチベーションのはっきりしない発表だった。発表後の質問のなかには、ベケットを近代演劇史のなかに位置づけてなんとか理解しようとする「しろうと」っぽい努力をわざとらしく標榜したものがあったけれど、それよりも大切なのは、発表者(解釈者)自身を歴史的なコンテクストのなかに位置づけて、「なぜいまこんなことをやっているのか」をはっきりさせることなのではなかろうか。わたしとしては、質疑のなかでちょっとだけ触れられていた、登場人物のジェンダーの問題なんかが気になった。たぶん、アメリカの演劇研究者たちの議論のなかでは、ジェンダーやアイルランド問題(「文学の国アイルランド」←イーグルトン/ジェイムソン/サイード『民族主義・植民地主義と文学』(法政大学出版局)参照)などがケンケンガクガクとやかましく議論されて盛り上がるのだろうと思う。
一方、水野千依の発表は、岡田門下らしく、方法論コンシャスで、とりあげたテーマもアクチュアル。資料もよく読んでいるようだし、翻訳もけっこうていねいだった。ただし、こういう「よくできた」発表にはありがちなことだが、がむしゃらな「解釈意欲」とか「意外な発想」には乏しくて、これからどうするのと聞きたくなってしまう。解釈活動がゲームなら、プレイヤーの仕事は、まじめに練習(勉強)して、その成果をそつなくまとめることになるだろう。でも、それでは、ゲームの外に出ていくことはできない。なぜ自分はこのゲームをしてしまっているのだろうかという問いは、ゲーム中にプレイヤーがけっして発してはならない疑問だからだ。しかし、わたしには、なぜロレンツォ・ロットという画家を取り上げるのか(このいかにも芸術家らしい画家は、その再評価の過程からして、近代の自律性美学の美術史への移植と深い関係をもっている)とか、なぜ「説教と幻想」なのか(これは、たまたまゴーギャンのことを調べていたからなのだが)とかが気になる。こんなコメントは、解釈に対する素朴なロマン主義で、じっさいに大切なのは、もっとクールでドライな研究態度なのかもしれないけれど、ここはわたしの言いたいことを言う場所なので、そのあたりをご了承いただければありがたい。
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