☆以下の記述は、私自身の自由な個人的見解であり、私個人からの情報提供です。したがって、正確さや客観性を保証できない場合があります。あらかじめご了承ください。
もちろん、「自然・芸術における美の本質や構造を解明する」ことは不可能ではありませんし、これまでもさまざまなかたちでなされてきました。しかし、それが「客観的な普遍妥当性」を要求する「学問」的論証の作業であったのかといえば、そうではありません。美の本質への判断は、「論証することのできない」趣味の判断になってしまうため、学問的作業とは相容れないものになってしまうのです。「美の学など存在しない」のだという先ほどのカントのことばの裏には、このような事情がありました。
美の学が存在しないとすれば、「美学」っていったい何なのでしょう。さいわい、カントは、先ほどのことばの後で、「(美の学があるのではなく)ただ美の批判だけがある」とフォローしてくれています。なにが美しいかについて学問的に論証して断言することはできないけれど、そのような論証が一般にどのようなかたちでなされているのかについての分析は可能だし、ある意味では必要だというわけです。というわけで、美学の定義は、「自然・芸術における美の本質や構造を解明することが可能になるための条件を解明する学問」となります。
一般に、美学といえば、独自の美意識を主張することだと考えられているようです。また、アカデミックな美学についても、独断的な教説を押しつけるような印象があります。しかし、これまでの説明からもおわかりの通り、それは両方とも誤解です。美学とは、美とは何かを決めつける学問ではありません。それは、むしろ、美や芸術をめぐるさまざまな言説が社会のなかで通用しているようすを批判的に検証する知的活動のことなのです。
おわかりいただけましたでしょうか?ちょっと理屈っぽくなったので見かたを変えます。
「美学って何?」という疑問に対して、定義ではなく、「学科」あるいは「学会」の現状を紹介することで答えるやり方もあります。日本では、(1899年の東京大学以来)多くの国立私立大学に「美学」の「講座」が設置されています。ちなみに、西欧の諸大学で美学の講座が独立するのはかなりあとのことになります。したがって、事実関係を正確に確認したわけではありませんが、制度としての美学の成立は、どうやら日本が最初だったということのようです。また、日本における学会組織としての「美学会」は、1950年に創設されました。東西両部会の活動のほか、毎年10月には全国大会を開催し、学会誌『美学』を年4回きちんと発行しています。学会員は、先日配布された名簿によれば、1700人を越えていました。
ただし、制度としての美学の実態は、ほかのノーマルな専門学科と比べてみると、ちょっと変わったところがあります。何よりも不思議なのは、学科として制度上認知されており、学会も健康な発展を遂げているというのに、じっさいに「美学」そのものの研究をしている研究者はほんのわずかしかいないという事実です。美学会の会員のなかで、自分が「美学者」だと考えている人は、おそらく 100人もいないでしょう。その結果、たとえば、いわゆる旧帝大のなかでさえも、「美学美術史学科」という学科の名前があるのに「美学」の専任教官が1人もいない大学がいくつも存在するという事態が生じるようになってきています。
言説そのものを作り出すというよりも言説批判という点に重きを置く美学の基本性格が、ここにもよく表れています。「美学会」の会員の多くは、実証科学の研究者である美術史学者や音楽学者です。彼らが自分たちの専門学会にだけ所属して、美学会に参加しなければ、おそらく美学会は、学会としては今よりもはるかにマイナーなものになっていたことでしょう。しかし、幸いなことに、彼らのなかには、領域横断組織である美学会の存在意義を理解し、自分たちの研究に対する方法論的反省の機会として美学会を積極的に活用してくれる人がすくなくありません。もちろん、業績づくりの機会が増えるという理由もあるでしょう。しかし、理由は何であれ、美学会はそのような人たちによって支えられています。このように、すくなくとも日本の場合、制度としての美学は、純粋な哲学的美学や美学史研究者たちによって構成される「専門学科」というよりも、芸術や美的経験をめぐって多様な専門研究者たちが意見を交換し合う「サロン」としての性格を色濃くもっているようです。
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