でんわ電話といえばケータイである。家庭でも、コードレスのプッシュホン。ダイアル式の黒電話がすたれて久しい。あの600型電話機の先々代、3号自動式電話機である。筐体からはみ出したダイアルはヒッチコックの"ダイアルMを廻せ"を彷彿させる。もっとも彼の電話機は竪型だったが。この機械、1933年実用化が始まり戦後しばらくまで作られた。電電公社どころではない逓信省の時代だ。それが今でもちゃんとメッセージを運ぶ。今時の短命なキカイとは大した違いだ。さすがに寄る年波に耳が遠い。亭主もいささか耳は遠い。電話は大きな声で願いたい。修学院の我が家では1950年代まで、明治期に採用された公衆電話より大きいデルビル電話機の発電磁石を廻して交換手を呼んでいた。郵便局横の山端交換所からは、電報を打つモールス信号の電鍵の音が響いていた。線路脇の碍子の上に載った何十本もの電話線は、一軒一軒の電話機と心を確かに繋いでいたかに見えた。掌に汗して電話機の前に座り、ベルの鳴るのを待ち構える図もドラマの中だけだ。今では街中、山の中!ですら電子音が響く。朝の車中でパフ、ブラッシングから始まる化粧一式をやらかす女性も以前はいなかった。けじめのつかない世の中である。ちなみにここではケータイのベルが鳴ると、皆さん店外に出て話すけじめをお持ちだ。もっとも路上でべらべらやるのもいかがかとは思うが。(でんわ寄贈−のださん)