京都に関係の無い私の好きな本 編


 アムリタ 銀の匙 帰路 こころ 千羽鶴 五女夏音 サヨナライツカ
 残りの雪 真贋 掌の小説 民主と愛国 転落の歴史に何を見るか
 漱石とその時代 脳と仮想 枯木灘/地の果て 至上の時/鳳仙花


「アムリタ」  吉本ばなな 著  角川文庫 刊

         心がささくれだった時、この本は優しく包み込んでくれます。しっ
        とりと、ゆっくりと、でも確実に。内側から癒してくれます。
         頭を打ったことにより記憶と心の一部を置き忘れてしまった姉と、
        普通の人々には感じられないことを感じる能力を持った弟、そしてそ
        の周囲の人々の過ぎ去っていこうとする日々。それを穏やかな朝の海
        様な文章で綴った物語。

         私は宗教がどちらかと言うと嫌いです。信じることを強要している
        ように思えるから。独善的であるように思えるから。でも、人間は弱
        い。心が癒しを求める時もあります。他人も、自分ですら信じられな
        くなっている時、私にとって癒しを与えてくれたのは宗教などではな
        く「アムリタ」でした。
         盲目的に人を信じ、護られることを求めるのでは無く、自分自身の
        心が自分で温かく熱を帯び、人にも優しくなれる。

         私にとって、かけがえの無い物語です。


「銀の匙」   中 勘助 著  岩波文庫 刊
         私は夏目漱石のファンです。そのように自己紹介のページで書かせ
        ていただいていると、ある方が、その夏目漱石が絶賛している作品と
        してこの「銀の匙」をご紹介くださいました。
         前編と後編に分かれるこの作品は、子供の目を通して、子供の感性
        で書かれた優しく、美しい、胸が熱くなるような叙情詩の様です。

         和辻哲郎が解説で書いている通り、「しかしそれは大人の見た子供
        の世界でもなければ、また大人の体験の内に回想せられた子供時代の
        記憶というごときものでもない。それはまさしく子供の体験した子供
        の世界である。」 中 勘助という人の冷たいまでに研ぎ澄まされた
        感性に、自らの心の汚れまでも消し去られそうです(錯覚ですけれどね
        (^ ^; )

         中 勘助はその作品の中で次の様に述べています。
        「私は常にかような子供らしい驚嘆をもって自分の周囲をながめたい
        と思う。人びとは多くのことを見なれるにつけただそれが見なれたこ
        とであるというばかりにそのままに見すごしてしまうものであるけれ
        ども思えば年ごとの春に萌えだす木の芽は年ごとにあらたに我れらを
        驚かすべきであったろう、それはもし知らないというならば、我々は
        この小さな繭につつまれたほどのわずかのことすらも知らないのであ
        るゆえに。」

        この様に世界を見続けるよう心がけたいものです。
        この本をご紹介下さった東京のH.Mさんに感謝いたします。

「帰路」    立原 正秋 著  新潮文庫 刊
         私は、普段、自分の住む街である京都を通して日本を見ています。
        いや、日本を感じているといった方が良いでしょうか。その際、日本
        を対象化して見ることはなかなかできていないように思います。それ
        は、学生の頃40日程かけてバックバックを背に西欧と中欧巡り、そこ
        に住む人々と親しくなることにより感じました。生まれて初めて、そ
        の時、日本を僅かながら対象化して見ることが出来た様に思います。

         「帰路」は、私が初めて読む立原氏の作品です。あとがきを読んで
        みると、この作品は立原氏の他の作品とは趣が異なっているそうです。
         そこには、ギリシャを紀元とするヨーロッパと日本の対比、二十代
        の主人公と四十代の主人公の対比があり、その上に男と女がいます。
        年齢の違いによる対比は弱く、反面、ヨーロッパと日本の対比が強く
        描き出されています。私が二十代初めに訪れ、垣間見た様に思いつつ
        も、未熟さ故に見えていなかったものがそこには示されていました。

         ヨーロッパの寺院で初めて奈良の寺院を発見する主人公。石の文化
        に木と水の文化。異なる光の波長。

         この作品をきっかけに、愛する祖国の文化や風土を改めて見直して
        みたいと思います。

「こころ」   夏目 漱石 著  岩波文庫 刊
         今さらここで紹介するまでも無いのかもしれません。おそらく皆さ
        んも学校の国語の授業でお読みになったことでしょう。私がこの作品
        を最初に読んだのも教科書でした。その後、二十代前半に夏目漱石の
        魅力に目覚め文庫本で読み、二十代の後半に神田の古本屋で全集を買
        い読みました。そして三十路を超えた今、会社の同僚に文庫本を進呈
        するため持参し、電車の中で目を通して再びのめりこんでしまいまし
        た。それで是非ともこのページに載せておきたかったのです。
         年齢ごとに、この作品の感じ方は異なっています。そん中、いつも
        代わらず感じるのは、その言葉の美しさ、格調の高さとエンディング
        鮮烈な余韻です。そして、この歳で読んだ今、これまで分からなかっ
        たことが、何故タイトルが「こころ」なのかということが少し分かっ
        たように思います。
         今まで読んだ内外の作品の中で、私がもっとも好きな作品が「ここ
        ろ」なのです。

「千羽鶴」   川端 康成 著  新潮文庫 刊
         川端康成の作品はいくつか読みましたが、「雪国」や「伊豆の踊り
        子」といった世界的に高い評価を受けているものは、何故か私にとっ
        て強い印象を残しません。「古都」は私にとって特別ですが。。。そ
        れは、やはり私に文学的素養が無いということに尽きるのでしょう。
        そんな中、この「千羽鶴」は私の心に柔らかくしみ渡りました。それ
        は、この物語を通した時間の流れの心地よさや、登場する女性、その
        女性が話す言葉、日本の穏やかな文化、情景に癒されるからかもしれ
        ません。物語の内容そのものは、決して癒しを伴うようなものではな
        いのですが。
         この作品を読みながら、立原正秋の作品や、宮本輝の「錦繍」を思
        い出しました。錦繍は、後半の手紙の連なりによるものですが、立原
        正秋を思ったのは、この作品同様に男女の妄執、日本の伝統美という
        ものが織り込まれているからなのかもしれません。もっとも、錦繍は
        再生、創造への光が最後に見えるのに対し、千羽鶴や例えば立原正秋
        の「薪能」は、私には創造への転換では無く、冒頭から続く韻律を、
        そのまま低く響かせるかのように思えました。その韻律の中に私の心
        も浸って行きます。いずれも好きな作品です。                                         2002630

「五女夏音」  辻 仁成 著  中公文庫 刊
         家族をテーマにした小説です。少なくなっている大家族の婿にな
        った小説家の体験を通して、核家族、家父長制度、夫婦別姓、自宅
        出産など多様なテーマが盛り沢山に(盛り沢山過ぎる程に)、考察さ
        れています。辻氏の小説は、私には作為的なエキセントリックと感
        じられることが多々あり、あまり好きではなかったのですが、この
        小説はコミカルなタッチで書き進められている為、抵抗はありません
        でした。三女小夏の存在は、いつも感じる作為的エキセントリック
        と感じられましたが、これは好みの問題でしょう。
         この作品は、小説としてどうかというより、そこに提議されている
        テーマについて、深く考えさせてくれた参考書として、私の心に残り
        ました。33歳となりさすがに結婚ということも少しは考え始めた私
        です。また、最近身内に不幸等があり親類縁者が集まる機会が多く、
        家族のあり方などを考えていました。そんな折、昨年11月に初版で
        買い求めていながら読まずにいたこの本を、中身のテーマも忘れた
        まま手に取って読み始めたのも何かの縁かもしれません。
                              2002817

「サヨナライツカ」 辻 仁成 著 幻冬社文庫 刊
         上の「五女夏音」でも書いていますが、私は「白仏」を除き、あま
        り辻氏の作品が好きではありませんでした。しかし、ある女性から、
        私の心に残っている「ノルウェイの森」と共に何度も読み返したお薦
        めの作品と伺い、読んでみることにしました。
         読み終わって半日が過ぎようとしている今も、その余韻の中にいま
        す。今、恋愛小説としては「ノルウェイの森」「錦繍」「アムリタ」
        と共に、私の心に深く刻み込まれる作品です。
         ここで私が何かを語るよりもまずは読んで頂きたいのですが、次の
        テーマが私に今も語りかけています。「死ぬ時、愛したことを思い出
        すのか、愛されたことを思い出すのか」。私は前者でありたいと望ん
        でいます。ただ、まだ私は本当に人を愛したことはありません。残り
        の人生、全身全霊を傾け、人を愛したい。そう私に思わせる作品でし
        た。
         この作品を紹介してくれた女性は、一度目よりは二度、三度と読み
        返す程にこの作品は心に響くと言っていました。この文章はまだ一度
        読んだ後に書いていますが、二度、三度と読み返してみたいと思いま
        す。                      200315

「残りの雪」  立原 正秋 著  新潮文庫 刊
         「花のいのち」「残りの雪」と立て続けに立原氏の本を読みました。
        氏の本を読むと、例えば雪舟寺で庭を眺めつつ風の音を聞いたり、釜
        に向かい茶を点てる時のように、静やかな水面のような穏やかな余韻
        の中に我が身を浸すことができます。仕事の雑然の中でささくれ立と
        うとする心が清流に洗われるように。それは豊穣なる日本の美が描か
        れているから、たおやかでありながら、強い女性に触れることができ
        るからかもしれません。
         「残りの雪」を読んだ時、何故か「細雪」を思い出しました。テー
        マも内容も全く異なる作品ながら、そこにある時間の流れに、四季の
        移ろいに類似点を見い出したのかもしれません。それはまぎれも無き
        美しき日本の自然、四季でしょう。
         谷崎氏が繊細な女性的気質を持つのに対し、立原氏は強くどこかエ
        ゴイスティックな男性的気質を持っているように感じられ、同じ日本
        の四季という縦糸に、全く異なる横糸が織り込まれています。しかし
        いずれも私が心を奪われる、見事な錦織の能衣装です。失われようと
        している日本の美を懐かしさと共に再発見することができた作品です。
                                200322


「真贋」    小林 秀雄 著  世界文化社 刊
         久しぶりに読み返し、著者の美に対する姿勢、その洞察の深さに改
        めて心引き締まる思いがしました。自身の美に対する目が曇ったり、
        その姿勢が怠惰に流される時、谷崎の「陰翳礼讃」、立原の「雪中花
        」と共に度々読み返すのがこの「真贋」です。
         同書は、文学の評論家としてのみならず、骨董などにも造旨が深か
        った著者が、様々なモノ、人物、情景に対して綴った随筆集です。
        常にこのような姿勢を以て美に対したいものです。
                                200322

「掌の小説」  川端 康成 著  新潮文庫 刊
         122編に渡る膨大な短編集です。さながら秋の月の光に青白く香る美
        しくも鋭利な刃。122本の刃が時に妖しく、時に狂気を伴い、時に憂
        いや哀しみを帯びながら我が心を貫きます。流し読みなど叶わぬ濃密な
        世界に正面から対そうとすれば、精魂を使い果たし息も絶え絶えの有様
        です。どのような心がこのような作品を生み出したのか。川端康成とい
        う人に吸い寄せられます。
                               2003614

「民主と愛国」 小熊 英二 著  新曜社 刊
         戦後各時代の思想を、代表する思想家の言葉、思想家の言葉の背景、
        様々なエピソードを交えて深く、分かりやすく記した戦後思想の案内
        書です。900ページ近い膨大な量と、重さを感じさせるタイトルなが
        ら、非常に読みやすく、分かりやすい本となっています。この手の本
        で初版第一刷が200210月でありながら、私が買い求めた2003
        7月で早くも第五刷まで発行されているのも、その読みやすさ、分か
        やすさが一因かもしれません。もちろん、今、この時代が求めている
        本であるというのが主因であると思います。
         他の場所でも書いていますが、私はこの日本という国を愛していま
        す。その祖国愛は、多分に京都に対する郷土愛に根ざしていると思い
        ますし、その夏目漱石や川端康成などの文学作品を初めとする文化、
        司馬遼太郎などが描く日本の歴史の一面も糧となっているのでしょう。
        そんな私にとって、愛国心は当然のように私の一部となっているもの
        です。一方、最近文部科学省が愛国心を育む教育を指針としたのに
        対して、日教組という私にとって得体の知れない団体のトップが、
        愛国心教育に反対しているというニュースに接し、違和感と怒りを
        覚えました。その反面、私の感じる愛国心と彼らが議論している愛
        国心は異なるものなのかも知れないという思いも持ちました。そん
        な折にこの本の存在を知り、盆休みという好機に読むこととしまし
        た。
         読後思うことは、是非ともこの本を、もっと求めやすく携帯しや
        すい文庫本にして、より多くの日本人に読んで欲しいということで
        す。その際、作者は、時間を隔て相対化できるようになった一時代
        の思想史を、努めて客観的に書こうと努めてらっしゃると思うもの
        の、やはり作者の主観も文章表現に現れていると思える故に、その
        点を勘案し、鵜呑みにしないよう配慮しつつテキストとして読まれ
        ることをお薦めします。そして、祖国愛と平和、民主主義、安全保障
        、日米関係、天皇制などについて考えてみてはどうでしょう。
        答えを与える本では無く、問題提起と様々な面での参考書となる本
        だと思います。

                              2003815

「転落の歴史に何を見るか」 齋藤 健 著  ちくま新書 刊
         日露戦争における奉天会戦、そしてノモンハン事件。いずれもロシ
        アを相手にした戦闘です。前者は辛勝し、輝かしい栄光に包まれ、後
        者は太平洋戦争に至る、悪しき日本陸軍の象徴となった完全な敗北で
        す。この本は、単なる明治から昭和に至る戦争の歴史を描いたもので
        はなく、何故我が国が、二つの戦争の間、たった30年の間にかくも誤
        りに満ちた国になったのかを分析し、現代の教訓にしようという意欲
        策です。歴史に学ばざる者は愚かである。1969年の私、著者による
        と、新人類と呼ばれる世代の中心たる世代にいる私は、小学校から大
        学にかけて、学校において明治期から第二次世界対戦の日本の歴史を
        全くと言って良い程学ばなかった。強いて言えば、現行憲法が如何に
        素晴らしいものかと刷り込まれたことくらいでしょうか。この現行憲
        法こそが、筆者の言うお題目になってしまっているのでは無いかと思
        われます。筆者は転落の理由を次の通り分析する。「合理的判断より
        も人間関係を優先したこと」「異分子を排除し、独創性を軽視したこ
        と」「経験に学べないこと」「組織の中心が消え、縦割り割拠主義が
        横行すること」「お題目に支配されること」「人事がゆるむこと」。
         閉塞感に包まれる我が国にあって、非常に示唆に富む上、日本と言
        う大きな舞台でなくとも、会社組織においても身近な教訓となるヒン
        トが内包された本だと思います。
         一日本人として喜ばしいことは、この本が現役の官僚によって書か
        れていることです。少数派なのかもしれませんが、このような問題意
        識、合理的思考、愛国心を持った人物が、国政の中枢にいるのであれ
        ば我が国も捨てたものではない、そう思うことができました。
         答えはそこには見出せないものの、答えとは自身で探し出すもの。
        その導き手となる良き本だと思います。

                              2003928

「漱石とその時代 第一部〜第五部」 江藤 淳  新潮社 刊
         そのタイトル通り、夏目漱石をその生い立ち、その時代背景を交え
        て我々の面前に浮きぼりにしようとする評伝です。夏目漱石のファン
        である人であれば既にお読みになった方々もたくさんいらっしゃるで
        しょう。夏目漱石ファンを自認する私ではありますが、この評伝は今
        になって初めて読みました。
         漱石が「明暗」執筆中、未完のまま他界したのと同様、この評伝も
        第五部の途中で未完のまま作者の死によって途絶えています。その為
        漱石が生まれた幕末の江戸から始まる評伝は、大正の初め、漱石が「
        道草」を書いているところで終わっています。非常に惜しまれます。
         著者のライフワークと言われるだけあり、非常に密度の濃い、滔々
        と流れる大河でありながら、非常に読みやすく、一方、随所に散りば
        められた漱石の文章に打ち消されることのない、格調高い文章となっ
        ています。ところどころ、その漱石評にこじつけでは無いかと思われ
        る箇所もあるものの、その深い洞察に驚くこと多き作品です。日本随
        一の文豪でありながら、決して幸福とは言えなかった夏目漱石金之助
        が目の前で苦悩する姿が浮かび上がります。この評伝を読んだ後、改
        めて漱石の作品を読めば、今まで見えなかったものが見えてきます。
        しかし、例によって私の私見ですが、これから漱石の本を読もうとさ
        れる方は、まずは漱石の作品を二三度読まれてから評伝を読まれるこ
        とをお薦めします。背景を知ったり、第三者の考えに染まった先入観
        で「こころ」や「行人」を初めとする作品を読めば、自身の心で感じ
        ることが難しく、頭で読んでしまう様に思われる為です。漱石の作品
        を読み、その品格や繊細や優しさや哀しみを充分に感じ尽くした方は
        、是非ともこの評伝をお読みになることをお薦めします。

                              20031124

「脳と仮想」 茂木 健一郎 著  新潮社 刊
         考えると言うこと。自身で深く考え、想像を働かせ感じるというこ
        とへの刺激を、内から強く溢れさせる本でした。
         脳科学者が書いた本ですが、いわゆる学術書ではなく、小林秀雄や
        夏目漱石、デカルトなどを引用しながら、美しく静かで伶俐でありな
        がら熱い文体で新たな、或いは気付かずにいる視点を提供してくれる
        本でした。少なくとも私には。言葉は巧みに分かり易くありながら、
        読んだ人に残るものは深く熱く困難なものです。一方で、非常に優し
        い。
         脳という物質から生み出される我々の感情や感覚や意識という仮想
        について語られています。全てを不可知なものとして消し去って行き
        ながら、最後に考えている自分の存在の確かさから新たに世界を確認
        していったデカルトや、全てを無として消し去り、無の中から全てを
        創造していった般若信経。かつて存在した考えでありながら、普段忘
        れていたことを思い出させてくれた。著者があとがきで、この書が著
        者にとっての総括であり、また出発点であると書かれていますが。我
        々にも出発点を与えて下さったのでは無いでしょうか。素晴らしい書
        です。

                              20041123

「枯木灘」 河出文庫 刊
「地の果て 至上の時」 新潮文庫 刊
「鳳仙花」 新潮文庫 刊
       いずれも中上健次 著
        上記三作に加えて「岬」が四部作となっています。神の住む地、伝説の
       神武東征の起点である熊野を舞台とした、逃れ得ぬ「血」の物語です。
        私はまだ、これらの物語を受け止める精神的強さも、我が身に咀嚼する
       だけの洞察力や智力も持ちあわせることも出来ない為、本来、このような
       他者の目に触れる場で、これらの作品について論じることはおこがましい
       のですが、ただ、他の方に読んで頂き、その濃密な時間の経験を話して欲
       しいと思い紹介することとしました。エゴですね。私の。
        今の私に残るのは、浜村龍造の深き哀しみと焦躁です。時間をおいて、
       一二年経った後に改めて読み返してみたいと思います。
        「血」か。我が身に流れる亡父の血は、私に何かを語りかけているの
       だろうか。山深き熊野の古道、大峰の山々をを歩いても、生憎父には会え
       なかったが。余りの情けなき有様に、子とは思わぬとあの世から勘当され
       たのかもしれいが。
                              2005612
                             

1998
725日作成
2005
612日更新


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