「平家物語 灌頂巻(かんじょうのまき)」大原御幸(おおはらごこう)以下あらすじ


 まずここでの主人公である建礼門院がどういう方だったのか説明します。建礼門院は
名を徳子といい、平清盛の娘でした。平家がかつての藤原氏の様な権力を得るよう清盛
は画策します。そしてその手段として、藤原氏同様一門から天皇の母を出す為に徳子は
高倉天皇の中宮(皇后と同格のきさき)となります。そして生まれたのが安徳天皇です

 源頼朝が挙兵するまで、平家一門は朝廷の主要な官位を独占し、栄耀栄華を極めてい
ました。かつて藤原氏は自らを欠けることのない月に例えましたが、平家が今その立場
となったのです。平家物語の冒頭に「奢れる者も久しからず ただ春の夜の夢の如し
猛き者も遂には亡びぬ」とありますが、まさに平家一門は奢れる者達だったのです。

 清盛の死後、源義仲軍が都に迫り、平家一門は一転して都を捨て西国へ落ちのびてい
きます。この際徳子も、三種の神器を携えた幼い安徳天皇を連れて京の都を後にします
。いわゆる福原遷都です。
 しかし源氏の勢いをとどめることができずに、平家一門は壇ノ浦にて滅亡してしまい
ます。一門は壇ノ浦での海戦に敗れて、皆海に身を投げて自殺するわけです。安徳天皇
、徳子も同様でした。しかし徳子は源氏軍に引き上げられ、都へ護送されることとなっ
たのです。他に引き上げられた平家の男達はほとんど処刑されたのですが、女性に関し
ては赦免されました。
 徳子はしばらく東山の麓の吉田にある奈良法師の朽房に身をよせていたが出家し、後
に寂光院に入り、その傍らに庵を結んで住んでいたのです。
 大原御幸はそんな建礼門院を後白河法皇がお忍びで訪ねるところから始まります。


 1186年4月下旬、後白河法皇は思い立たれて忍びの御幸で大原の女院の閑居を訪ねら
れました。忍びとは言ってもお供に、徳大寺・花山院・土御門以下公卿6人、殿上人8人
、北面の武士が少々おりました。都から鞍馬通りにかかり、夏草の茂みの末を分け入る
と、西の山の麓に寂光院があります。全く通う人もない奥山の里でした。
 庭の若草が茂り合い、青柳のしだれた枝は風に乱れもつれ合い、池の浮き草が波に揺
れているさまは、錦を水にさらすのかと思えるほどです。池の中島の松にかかっている
藤がうら紫に咲いている色、青葉まじりの遅咲きの桜は、春の初めの初花よりも珍しく
思われ、岸辺には山吹が咲き乱れ、幾重にも重なる雲の切れ目から聞こえる山ほととぎ
すの声も今日の法皇の御幸を待っていたかのようです。
 この景を見て法皇は一首詠みました。

 池水に 汀(みぎわ)の桜散り敷きて
         波の花こそ 盛なりけれ
  (池のほとりに咲いていた桜の花が、すっかり波の上に散り敷いて、
                      今は波の上が花盛りである)

 古びた岩の隙間から落ちてくる水の音さえ、なんとなくいわれがありそうで趣深いと
ころです。絵にも描けないような美しい景色です。

 さて法皇が建礼門院の庵を見ると、軒には蔦や朝顔が這いかかり、雑草が生えていま
す。屋根を葺いた杉板もくされ落ちて、その葺き目もまばらで、時雨も霜も霧も、さし
こむ月光にあらそい漏れて、屋根にとどまるとは思えません。後ろは山、前は野辺で、
たまに訪れるものといえば、猿の声か、木こりが薪を割る斧の音くらいです。

 法皇が誰かいないかと呼んでも、返事がない。しばらくして出てきた老いて衰えた尼
に建礼門院の所在を訊ねると、山の上へ花を摘みに行かれたとの返事です。法皇が驚き
「そんなはした仕事、お仕えする人もいないのか。いくら世を捨てられた出家の身とは
いえおいたわしい」と言います。実はこの尼は少納言信西の娘で、阿波内侍という者で
した。
 見ると襖に貼り付けた色紙に建礼門院のものと思われる歌があります。

 思ひきや 深山(みやま)の奥に住居(すまい)して
                雲井の月をよそに見んとは
 (こんな深山の奥に住居して月を眺めようとは、かつて予想もしなかったことです)

 寝所と思われるところには、竹の竿に粗末な麻の衣や、紙の布団などがかかっていま
す。建礼門院のかつての華々しい生活を知っている供の者達は、この有り様と比べて皆
涙に袖をしぼるのでした。

しばらくすると上の山から濃い墨染めの法衣を着た尼が二人下りてきます。法皇が「あ
れは誰か」と問いますと、年老いた尼は落ちる涙を押さえながら「花篭を手にかけ、岩
つつじを取りそえて持っていらっしゃるのが女院でいらせられます。爪木にわらびを折
そえて持っておりますのは、鳥飼中納言維実の娘、五条大納言邦網卿の養子で、先帝安
徳天皇の乳母である大納言典侍で」と言いきらないうちに泣いてしまった。法皇も心を
打たれて涙をとめかねている。
 建礼門院は法皇をみとめ、今こうしてうらぶれた有様を見せる恥ずかしさで消えてし
まいたいと立ちすくんでいらっしゃる。その袖は露にしっとりと一面に濡れている。涙
にくれて途方にくれて立ってらっしゃる建礼門院に内侍の尼が近寄って花篭を受け取り
ました。尼が「世捨て人のならいです。なんの差し支えがありましょうか。早々にご対
面なされませ。」と言いますと、建礼門院は庵にお入りになりました。
 建礼門院は「一度念仏を唱えるとき、この窓の前にひろく衆生を極楽へお迎えできる
阿弥陀仏の光明がさすことを期待し、十度念仏を唱えるときには、この戸口に菩薩たち
がお迎えにきてくださることを待っておりましたのに、法皇様のおいでをいただくとは
全く思いがけないことです。」と泣く泣く対面されました。法皇は建礼門院のこの姿を
見て「天にも悲しみはあります。歓楽も悟ってみると夢の中の果報であり、幻の中の楽
しみで、やはり永久に流転するものです。それはちょうど車の輪が回っているようなも
のです。思えば天人にあるという五衰の悲しみは、人間もあったものだと思えるのです
。  ところで誰かここを訊ねる人はいますか?何かにつけても昔のことを思い出され
るでしょう。」と言いますと、建礼門院は「どなたもお訪ねはございません。隆房(清
盛の四女を妻としている)・信隆(清盛の五女を妻としている)の夫人たちから時たま
連絡があります。昔はあの人たちのお世話で生活しようとは思いもしませんでした。」
と涙を流されると、お付きの女房たちも皆袖を濡らすのでした。
 建礼門院が涙を押さえておっしゃるには「こうした境遇になりましたことは、一応嘆
かわしいことではあるのですが、それは一時の嘆きというもので、後世で成道するため
にはかえって喜ばしいことと存じます。私はこうした境遇になって急に釈迦のお弟子の
一人となり、ありがたくも阿弥陀如来の本願に導かれて、五障三従の苦しみを遁れ、日
に三度のお勤めで六根を清浄にし、ただ一途に九品の浄土を願い、ただ一筋に一門の人
々の成仏を祈り、いつも三尊の来迎を待っております。
 ただいつになっても忘れられないのは、我が子である先帝安徳天皇の面影で、忘れよ
うとしても忘れることができず、思い出す心を押さえようとしても押さえることができ
ません。思えば親子の愛情ほど悲しいものはありません。ですから安徳天皇の御成仏の
ために、朝夕の勤めを怠ることはございません。これもまた仏道への結構なお導きと思
います。」
 これに対して後白河法皇は「私は法皇として思うにまかせないことない身で、このよ
うに仏法が広まっている国に生まれて、仏道修行の志があるのだから、後世に極楽に生
まれることになんの疑いも持っていなかった。しかしあなたの今の境遇を拝見している
と、なるほど人間の世に転変のあることは常の習いで、そのことは今さら驚くべきこと
ではないとは知っているのだが、あまりの有為転変で、やはりどう解釈したらよいのか
分からなくなった。」と言います。これに建礼門院がおっしゃるには、「私は太政大臣
平清盛の娘として天皇の母となり、天下のことは自分の思うままになりました。夜も昼
も栄耀栄華をいたしましたことは、天上界の果報といってもこれに及ぶまいと思われ、
永久に生き続けることを願っておりました。しかし木曾義仲というものが攻め寄せ・・
・」と平家一門の落ちぶれる様を語られます。そして今先帝の菩提を弔っているが、こ
れらの栄華と滅亡する様は六道の有様そっくりではないかとおっしゃいます。
 法皇はそれを聞き、「玄奘三蔵は悟りを得る前に六道を見、日本の日蔵上人は蔵王権
現の力で六道を見たと聞いています。しかしあなたがまざまざと目前にその様子をご覧
になったことは・・・」と涙にむせぶと、お供の殿上人も涙を流し、建礼門院も涙を流
されると、お付きの女房たちも皆涙に袖を濡らすのでした。

 さて鐘の音で今日の一日の暮れたことを知らされ、法皇は名残惜しく思いながら都に
帰っていきました。建礼門院は門前に立たれ、見えなくなるまでお見送りをされていま
した。庵に戻られた建礼門院は、ご本尊にお向かいになり「先帝の御霊魂が悟りをお開
きになりますように、平家一門の亡魂もすみやかに悟りを開きますように」と泣く泣く
お祈りをされました。かつては、まず東にお向きになって「伊勢大神宮、正八幡大菩薩
様、天皇の寿命が千年も万年もお続きになりますように」と祈られたのだが、今は西に
向かって手を合わせ、「亡くなった人たちの霊魂を同じ極楽浄土へお導き下さい」とお
祈りになるのは悲しいことです。

 さてその後建礼門院が春秋を送っていらっしゃるうちにご病気になられました。阿弥
陀仏の御手にかけてある五色の糸の一端をお持ちになって、「南無西方極楽世界の教主
阿弥陀如来、必ず極楽へお引きとり下さい」と言って念仏を唱えられたので、大納言佐
の局と阿波内侍とが左右に付き添って、この世最後のお名残惜しさに声も惜しまず泣き
叫びました。だんだんと念仏の声が弱くなると、西の方に紫雲がたなびき、たとえよう
もない美しい香りが部屋に満ち、来迎の音楽が空に聞こえます。そして静かに息を引き
取られたのでした。


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