龍安寺の庭(石庭)



 龍安寺                
                        枯山水
 
  室町時代後期

 龍安寺は、もともと貴族の徳大寺家の別荘を、宝徳2年(1450年)に細川勝元が譲り受け、禅寺に改めたものです。ですから山門をくぐってすぐ左手に見える鏡容池には、貴族の別荘庭園の特徴を色濃く見ることができます。
 この鏡容池ですが、後ろに見えるなだらかな山並みと相まって、なんとも優雅な趣があります。まさに、貴族の山荘です。私が伺った時は、庭師の方が島のほとりに舟を浮かべて庭木の手入れをされていました。
                 

 さてあまりにも有名な石庭は、方丈の前庭です。俗に「虎の子渡し」と呼ばれています。この庭は作者も、その表現しようとする意図も様々な説があります。
 まず作者ですが、細川勝元・細川政元・相阿弥といろいろな説があって、お寺の案内には、相阿弥と書いてありました。政元説も有力なようです。
 そしてこの庭が何を表現しているかですが、これも解釈がいろいろとあるのですが、私には大海に浮かぶ小島に見えました。専門家の方はどうおっしゃるか分かりませんが、私は人それぞれ感じ方があっても良いのではないかと思います。先入観にとらわれるよりも、じっと座って、心を鎮め、想像力を働かせれば良いのではないでしょうか? そうやって、想像力をかきたてざるを得ない状態にするこの石庭は、やはり素晴らしい、懐の深い庭だと思います。
 室町中期以降、禅の影響や物理的、或いは金銭的理由で、枯山水の庭が数多く作られているんですが、この庭はそれらの多くに見られる、鶴亀蓬莱などの形式から自由に解き放たれ、独自の空間を作り出しているような気がします。
 加えることよりも、省略することの方が、数倍難しいのではないか?同時代の作と言われている大徳寺大仙院の枯山水などと比べてそう思いました。

 私が訪れた時は、石の周囲の苔が枯れ果て土が見えていましたが、それが魅力をいささかも減じていないのに驚きました。
 またその主役の石にしても、桃山時代の書院造庭園や、江戸時代の大名庭園に使われているような、いわゆる名石・奇石などというものを使っているようには思えないんですが(間違ってたら指摘して下さい。お願いします。)、これほどまでに緊張感とと存在感があるのは素晴らしいと思いました。

さてこの龍安寺には、もう一つ有名なものがあります。それは、つくばいです。我々が実際に見ることができるのは、原寸大のコピーですが、そんなことは気にすることはありません。真ん中の四角い部分を漢字の「口」の字として、それをそれぞれ漢字の一部に取り込み、「吾、唯足るを知る」と表現しています。見事なアイデアですよね。水戸光圀公の寄進と伝えられています。

  
                         龍安寺垣

 ここ龍安寺は、上記の二つの庭のみならず、杉とモミジの木立が魅力です。4年程前に行ったときは、駐車場横の杉木立とその足下を覆う杉苔の絨毯がとても美しく、ここだけ見に来ても良いなと思っていました。ところが今は、枯れてしまったのか、この杉木立の内、かなりの本数が伐採され、それにより日が当たるせいか、杉苔が枯れてしまっていました。仕方の無いこととはいえ残念です。

 最後に、ここを訪れられる皆さんが、騒々しい修学旅行などの団体客に遭遇されないことを祈ります。

       1997222日 雪の石庭 

1996721日作成
1997
224日最終修正


アクセス

住所 京都市右京区竜安寺御陵下町13
交通 市バス 特59番 59番 「竜安寺前」 (19969月現在)  
tel.
 075-463-2216


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