2006814日「父」

 大変ご無沙汰しています。年を経る毎に更新頻度が落ちる当サイトですが、9ヶ月以上も更新しないのは初めてでしょうか。元々、このサイトを作ったのは、かつてインターネットの可能性に夢を持っており、且つ当時、京都を紹介するサイトが二つほどしか無かったので、自分なりの愛する京都を伝えてみたいという動機もあるのですが、自身の精神安定上の安全弁という意味合いが強かったように思います。最近では、京都を紹介するサイトはごまんとありますし、精神安定上の安全弁は必要であるものの、その安全弁として、山に出会えたことが、更新頻度の要因でしょうか。週末になれば、山にばかり行っています。相変わらず故郷である京都を愛する気持ちには変わりが無いのですけれどね。
 そんな前置きといいますか言い訳を書きながら、重ねて恐縮なのですが、今回の雑感は京都は関係ありません。久方ぶりの安全弁として書くもので、どちらかというと自分自身の為に書くものですから、京都の話題に期待されている方は無視してください。

 山三昧の週末ですが、相変わらず本は好きで読んでいます。最近読んだ本の中で心に残っているのは、よしもとばななの「デッドエンドの思い出」、横山秀夫の「クライマーズ・ハイ」でしょうか。しかし、心よりももっと奥のどこかに残る本に出会いました。沢木耕太郎の「無名」です。
 主人公とその父、父の死期間際の父と子の物語です。沢木耕太郎の本は、有名な「深夜特急」「壇」は読んだことがなく、「凍」くらいしか読んだことが無かったのですが、「無名」の淡々とした中に、熱き打ったばかりの燃える刀のような、さながら氷に閉じられた炎のような筆致に、引き込まれてしまいました。いや、8月13日の盆の入り、墓参りの夜に偶然その本を手にしたことが、心の奥に震える何かを残している理由かもれません。父を迎えに行く墓参り。父を送る為に書いた送り火の塔婆の戒名。
 私は、大学生の頃に父を無くしています。その為、成人し、分別をついてから父と語り合える主人公を羨ましく思いつつ、読み進みました。死期を迎えんとする間近であったとしても。しかし、読み終わった今、 私の代わりに主人公が父と語り合ってくれたかのような錯覚と、父をより深く思い、思い出せたことに、穏やかな喜びを感じています。主人公と主人公の父、二人と父と私は似ても似つかぬのですけれどね。
 お盆と言う日にこの本と出会えたことは何かの縁なのかもしれません。
 より深い思いを以て、16日の送り火を迎えることができそうです。
  


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