雑感〜私の独り言


 テーマもなにもない、思いつくまま書いた私の独り言のページです。お暇な方だけお立ち寄り下さい。


199612月 「無題」 「日本文化って・・・」 「クリスマスと音楽」
1997
1月 「正月と着物」「京焼きと登り釜」「香港〜大英帝国の雫」
     2月 「京・冬の旅」「笛の名手」「雪月花」
     3月 「右近の橘 左近の桜」「春の香」「京ことば」「京都名産八つ橋?」
       「桜」
     4月 「ただいま!」「山吹」「春ですが夏の味覚」
     5月 「新茶の香り」「ぜいたくな悩み」「文化財とお役所仕事」
     6月 「京都薪能」「光の乱舞」「黄金の国ジパング」
     7月 「町家での夏の茶会」
     9月 「京都市役所〜勘違いしている代理人たち」「月読 Luna
    11月 「落葉」
1998
1月 「新年」  
    4月 「春風」
    8月 「秋の気配」「古本市」「縁側」
    11月 「後の月」「古本市」
1999
1月 「本年も宜しくお願いします & 景観について」「図書館」
    3月 「梅 酩酊」「春雨」
    6月 「京ことば、初夏の一日」
    7月 「外資の新しい風」
    9月 「読書の秋」「散髪」
    10月 「再び町並みについて」
    11月 「光琳の櫛と過ごす」
2000
1月 「2000年を迎えて」
    4月 「花色爛漫」
    5月 「新茶と読書と夜更かしと」
    11月 「白洲正子の世界」
    12月 「世紀末の大文字焼
2001
3月 「京都という街 日本という国家」
    4月 「胸には藤花の余韻 脳裏には燕子花の残影」
    10月 「山里 そして月と星と風に抱かれた生活」
2002
3月 「天神さん」「桜咲く」
    5月 「穏やかな休日」「久方ぶりのフランス料理」
    7月 「京都のケ」
2003
3「彼岸の一杯」
    7「鱧のはなし」
   10「秋の夜長」
2004
7「桔梗の季節」
2005
2「熊野詣」
2005
8「大峰山、屋久島」「屋久島 そして私」「贅沢な時間」
2006
8「父」


126日 「無題」
 もう今年も12月か〜。どうりで寒くなったはずです。なんやかんや言いながらホームページを作り始めて5ヶ月も経ってしまいました。最近意味も無く写真が増えてしまって、そのくせ文章は全然上達しなくて困りものです。川端康成みたいに京都の姿を描けたらいいのにと思ってるんですが、どうも俗人の私には無理みたいです。表現力や文章力だけじゃなくて感性も不足してるみたいですし。もっともいいところばかり書いてたら現実の京都とはかけ離れた姿になっちゃいますが。まぁこれからも私の等身大のページを続けて行けたらと思っています。
 それにしても急に寒くなった。先週末なんて雪が降りましたし。「旬の京都」ページで紅葉の話題を載せたのに、一日で季節外れになってしまいました。11月中旬に京都観光をした東京の方からメールをいただいたんですが、同じ寒さでも京都は体の芯まで寒くなるとおっしゃってました。そうねんですよね、「夏 蒸し暑く 冬は底冷え」が京都の気候なんですよね。内陸の盆地特有の気候なんでしょうけど。
 京都の冬の風物詩といえば南座の顔見世になるんでしょうか?南座は勘亭流という独特の字で書かれた招きで飾られています。幼い頃、私はこれの事をお墓と思っていたようです(笑)。でも昔は12月だけだったのに最近は11月から二ヶ月間もやってて間延びしているように思います。1130日の12月興業初日に花街の総見があったみたいなので、やっぱり12月の顔見世が本当の?顔見世という思いもあるみたいです。でもこの顔見世、値段がべらぼうに高いんですよね。他の季節に同じく南座でやる歌舞伎の時と比べると、倍近く違ったんじゃないでしょうか?値段の差額分だけ内容の充実があるのかどうかは疑問です。やっぱり私は俗人なんでしょうね。
 さて、鍋でも食べてあったまろ。


1218日 「日本文化って・・・」
 先日オーストリアから京都に陶器、特に茶道具の勉強に来たという女性と会いました。私も茶道に興味があるのでいろいろ話をさせていただきました。
 彼女がまず驚いたのが、彼女の会った大半の日本人が茶道についてなにも知らず、また関心が無い。焼き物に関しても同様という点だった様です。海外から日本を見ていると、日本文化として茶道や能などがよく取り上げられているので、例外があるとしても日本人にはこれらがより一般的なものだと思えるようです。
 私には京都などは、鎖国していた江戸期以前に発達した日本独特の文化の余韻がかなり残っているのではと思っていたのですが、彼女にはそうは見えなかったようです。それなら他の街へ行けばもっと驚くことでしょう。
 でその時改めて思ったのが日本文化っていったいなんなんだろう?ってことです。日本だけじゃなくフランスやイタリアなどでは、よくその国独自の文化が破壊されていく原因はハリウッドやマクドナルドなどに代表されるアメリカ文化の流入が原因だと言われていますよね。ほら太平洋の真ん中で核実験やったおじさんなんかがよく言ってるみたいですが。そしてそれにこのインターネットも一役かっていると・・・。
 しかし日本に限って言えばこれが一概にあてはまるんだろうかと疑問に思うんです。この国は昔から海外の文化を真似して、そのうち自分たちに馴染ませながら取り込んできたんですし。現在は、その海外の文化が中国や朝鮮からアメリカになっただけだと思うのです。
 強いて日本文化の個性というかアイデンティティーというのを挙げるとすると、それはまず季節感だと思うんです。そして昔?と比べるとその季節感が希薄になってきてるんじゃないかと。
 もちろん冬はスキーやスノーボードをしにいきますし、夏は海へ行く。そういったことでは季節の違いはあるんですが、昔の人々は季節の変化を感性豊かに芸術に取り入れていったんじゃないかと思うんです。そして季節の変化を何で感じるかといえば、紅葉や草花、渡り鳥や魚などの自然からだと思います。だから日本文化ってのは突き詰めると自然との調和を楽しむ文化じゃないかと思うんです。年中砂漠の国や雨期と乾期が極端な国と違って、日本という国は緩やかなしかし確実な四季の移ろいがあります。
 季節感が無くなってきたのは、例えばビニール栽培や養殖技術やエアコンなどのテクノロジーの進歩が一役買ってるとは思います。だからといってせっかく便利なテクノロジーがあるのに、これは駄目だと言うつもりは毛頭ありません。私が言いたいのは、季節感を感じることができる自然が身近に無くなってしまっているのが問題だと思うんです。
 私が住む京都などは三方を山に囲まれてるので一見緑が多いように思えますが、市街地にはほとんど緑地はありませんし、町家には必ずといってほどあり季節感を伝えていた坪庭も、町家そのものが無くなっていくなかでどんどん消滅している有り様です。アメリカ文化の影響云々よりも、日常生活と自然の遊離が日本文化というか日本のアイデンティティーの喪失の原因ではないかと思います。
 じゃあどうすりゃいいんだ?と言われれば返答に窮するのですが、私なりに考え続けたいと思います。皆さんのご意見なども聞かせて下さいね。


1226日「クリスマスと音楽」
 今年もクリスマスが終わりました。昨年はイブの夜から大雪が降り積もり、クリスマスの昼頃まで降り続くというホワイトクリスマスでしたが、今年は乾燥したクリスマスでした。どうもクリスマスというと雪のイメージがありますよね。キリスト教の広まったヨーロッパでの行事のイメージなんでしょうね。でも教祖であるイエスさんが生まれたイスラエルって雪が降ったんだろうか?今度インターネットで調べてみよう。
 さて日本におけるクリスマスってのは、メールで東京のYさんもおっしゃっていた通り、一部を除いて宗教感がまったくなく、センスの良いイベントになっていますね。そのうちハロウィーンなんかも日本のイベントの一つになるんだろうか?なんにしてもクリスマスは、立派な日本の風物詩、四季の彩りになっていますよね。
 で、街を歩いていてどうやってそれを感じるかと言えば、イルミネーションを初めとするデコレーションと、街に流れる音楽なんでしょうね。
 私の場合、中学・高校とキリスト教の学校に通っていたので毎朝礼拝ってのがあったんですが、これはもう苦痛でした。なにが苦痛って早く起きなければならないからです。そして一応キリスト教に関する授業も受け続けたんですが、どうもキリスト教の教義とキリスト教会は信じることができなかったんです。
 しかしクリスマス礼拝だけは好きでした。礼拝と言うよりも音楽が好きだったんです。この音楽はもちろん山下達郎でもジョン・レノンでもマライア・キャリーでもない(歌ってる教会があるかもしれませんが)、賛美歌だったんです。もちろん我々が歌うので天使の歌声とは程遠いんですが・・・(^ ^; 。それでもこのクリスマスの際の賛美歌を聞いているだけで、無信心なわたしでも敬虔な気持ちになり、素直に嬉しくなります。
 この時思ったのです、音楽ってのはすごいなぁと。この音楽を創り出した人たちというのは、イエス本人よりも多くの人々を励まし、救ってるんじゃないかと。
 古くからある賛美歌だけに限らず、FMで流れる今のクリスマス・ソングも・・・、人々に感動を与え、勇気づけ、心楽しくさせる音楽に乾杯!チ〜ン!(グラスのあたる音)ごくごくシュワ〜!(ドン・ペリニオンが喉を流れおちる音)

 


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