1月7日 「正月と着物」

 皆さん明けましておめでとうございます。正月といっても暦の上での便宜上つけた区切りにすぎないんですけどやっぱり気分が違いますね。昨年7月に始めたこのページ、一年前の正月にはページを作ることなど全く計画していませんでした。昨年一年間は私にとっては内容の濃い一年でした。皆さんどうか今年一年間も宜しくおつきあい下さい。
 さてご多分に漏れず私も初詣に行って来ました。場所は八坂神社、祇園祭で有名な神社です。毎年正月には、私は和服で過ごすことにしています。と言っても三が日だけですが・・・。
 和服を着るのは、まず和服が好きであることが第一の理由なんですが、和服を着れば正月気分に浸れると私が考えているからなんです。
 で和服姿で初詣に行くのですが、毎年毎年着物姿が減っていってるんですよ。今年は前年よりもその減り方が顕著だったように思います。
 女性の振り袖や、特に訪問着姿を見るのが好きな私にとっては非常に残念です。そして男の和服姿にいたっては天然記念物のトキなみに希少な種になっています。京都などは呉服屋が多いので他府県よりも和服姿が多いのではないかと思いがちなのですが、逆に東京なんかの方が和服姿が多いんでしょうか?両方見ないと比較のしようがありませんが・・・。
 女性の場合、振り袖などを着る際に自分一人で着ることのできる人が少ないようで、おまけにそれ用の髪型に結い直すために美容院に着付けを兼ねて行かれるようです。その費用と手間を考えればやむを得ないことなのかもしれませんね(それだけが着物を着ない理由じゃないでしょうが)。
 私などは仰々しい振り袖などよりも、さりげなく訪問着を着こなしておられる女性の方に魅力を感じるのですが、これは男の勝手な言い分でしょう。
 それに比べると男の場合なんかは、基本的にどんな着物を着ようとも浴衣とそんなに変わるわけでなく(女性のように「からあげ」しなくてもいいですし、帯の結び方も簡単ですしね)一人で着られます。女性と違って幅広の帯で締め付けられることもありませんし、着ていても洋服よりも楽なくらいです。それなのに何故着ないのでしょう?
 何故着ないかという前に、着物そのものを持ってないんでしょうか?では何故持っていないのか?価格的に結構するし、着る機会も無いからなんだろうか?夏祭りの際に浴衣を着ている男の比率が正月よりもはるかに多いことを考えると、価格面の問題が多いのかもしれませんね。
 そこで呉服業界の方にお願い(呉服業界の人でこのページを見て下さってる方なんていらっしゃるんだろうか?)。値段もっと安くして下さい。業界全体をリストラして中間業者を取っぱらえば可能なんじゃないでしょうか?生産者の直販は無理だとしても小売店と生産者が直結したら今の価格の3分の一くらいの実売価格が実現するんじゃないでしょうか?そう思いたくなるくらい中間業者が多いように思います。
 そして第二に簡単にクリーニングできるよう技術開発して下さい。丸洗いは無理にしてもスーツと同レベルの価格でドライクリーニングに出せるようになればもっと気軽に着ることができると思います。
 一消費者の意見、一人の和服好きの男の意見として御検討願わしゅう存じます。
 着る人が居なくなれば、いくら伝統だなんだと偉そうに言ってても業界そのものが消滅することだってあるでしょう。20年後(数字に根拠はありません)には、我々が着物をめにするのは時代劇の中だけになってしまうかもしれない。男の着物に関しては既に当たらずとも遠からずの状況だと思いません?

1月12日 「京焼きと登り釜」

 以前このコーナーで、オーストリアから焼き物の勉強に来ている方のお話をしたのを覚えていらっしゃるでしょうか?陶芸家の方の元で修行したいということだったのですが、幸いにも彼女の琴線に触れる素晴らしい作品(見る目の無い私ではありますが、一目惚れしてしまいました)を作ってらっしゃる方の所で修行させていただけることになりました。昨日その陶芸家の先生の所に、私も打ち合わせを兼ねてご挨拶に伺わせていただきました。場所は宇治市(京都市の南東、平等院のあるところです)の炭山というところです。
 この炭山というところは狸が出るようなかなり山の中に入って行ったところにあるんですが、今回お世話になる方の他にも何人か陶芸家の方々が住んでらっしゃって陶芸村のようになっているようです。そうまさに山村といった印象です。
 京都の焼き物というと、一般的には清水焼きを連想される方が多いと思います。事実清水寺への参道の両側には、焼き物を扱う店が所狭しと軒を連ねています。観光に来られた方の多くはこのあたりで、値段の高さに驚かれながら焼き物を買われるようです。
 ただ、店が連なっているというだけでは清水焼きとは言えませんので、この地で実際に焼いてらっしゃる方もいらっしゃるようです。しかしこの清水には、現在実際に使っている登り釜(小学校の社会の時間に習った、山の斜面に長くかまぼこ状に延びてるやつです)というのは一つも無いようです。理由は宅地に囲まれているため、煙の出る登り釜を使うと苦情が来る為だそうです。ですから清水で実際に焼いているものは、電気やガスの釜で焼かれるそうです。
 私は焼き物について殆ど知識が無いのですが、聞くところによると電気釜というのは釜の中の温度がほぼ一定なのに対し、薪を使って焼く登り釜などは空気の流れ(火の流れ?)などにより同じ釜の中でも場所によって微妙に温度が違うため、出来上がりが面白いそうです。
 しかし清水には登り釜が無い。昔は何十と登り釜があったのですが、現在では数えるほどしか残っておらず、それも一つも火が入れられることが無いようです。火の入らない登り釜など無用の長物だと思うのですが、現在京都市ではこれを観光資源として見せ物にするために準備をしている様です。今でも河井寛次郎美術館に行けば見ることができます。
 もっとも、当然ながら火の入らない釜で焼き物が生まれるはずもなく、登り釜独特の風合いをもった作品が欲しい陶商は、清水以外の場所でこれらの作品を焼かせるようです。また登り釜での創作意欲をかき立てられた陶芸家は宅地から遠く離れたところに釜を開こうとし、そんな場所の一つが炭山ということのようです。
 こうして調べてみると、清水焼きと言うブランド名は今ではいささか空虚になっているように思います。ですから作品以上にブランド名を有り難がる必要もないですし、このブランド名がついているだけで値段が跳ね上がる理由も無いのではと思います。私の個人的意見ですが・・・。

1月29日 「香港〜大英帝国の雫」

 しばらく日本を離れて香港に行っていました。観光目的で言ったわけではないので自由な時間はあまり無かったのですが、食事は一日三度ちゃんととりました。で広東料理を食べまくりました。今回ほど自分の胃袋のでかさに感謝したことは無かったかもしれない・・・。「あなたと中華に行けば品数が多く頼めるから嬉しい」と褒め(?)られながら朝はお粥、昼は飲茶、夜は各種レストランの毎日でした。
 いずれもおいしかったです。日本で中華を食べるとどうしても脂っこくて、味の素(?)などの化学調味料のせいか後味が悪いため、中華とはそのようなものと思っていたのですが、今回それが偏見であることを教えられました。味は絶妙で決して薄いわけではないのに脂っこくなく、後味すっきり。海老なんかプルプルしてるし、季節の中国野菜も新鮮で歯ざわりシャキシャキ。やはり材料が全て新鮮です。
 最近物価が高くなってきているらしいのですが、それでも日本と比べると格安でした。日本の食べ物ってどうしてあんなに高いのでしょうか?農作物等の生産・流通過程で規制等が多くて自由競争が行われていないからなんでしょうか?

 香港はバーゲンの真っ最中でした、そのせいか日本のOLの方々が大勢ブランドものを買いに来られていました。ある人など二泊三日の旅行なのに一番大きなスーツケースで来たんだそうです。で行きはその半分の荷物で来て、帰るときには残りの半分に買いあさった化粧品やブランド品を一杯に詰め込んで帰るそうです。う〜ん、この情熱には圧倒されます。
 私はというとブランド物にはあまり興味がないので、自由に行動できた一日のうち三時間をホテルのラウンジでゆっくりと、女性ボーカル(これが素晴らしく切なく、甘美な声でした)のジャズを聞いたり、本を読んだり、手紙を書いたりして過ごしました。
 私の座った席からはロビーが見渡すことができたですから、人の動きや服装なども眺めていたのですが、ここで改めて自分が今イギリスの統治領にいることを実感しました。私は、大体午後4時頃から7時過ぎまで座っていたのですが、最初のうちはビジネスマン・ビジネスウーマン風の方々が観光客に混じってかなりいらっしゃいました。その服装の着こなしが見事です。身体の線にぴったりとマッチした仕立ての良いスーツにまっすぐ伸ばした背筋。私など歩く姿勢だけでも彼ら紳士を見習おうと思いました。
 顎に見事な髭を蓄え、蝶ネクタイが自然に決まっている長身の紳士もいました。
 時間も午後7時に近づくにつれて、ブラックタイのタキシード姿の紳士にオートクチュールのイブニングドレス姿の女性が見られるようになりました。いずれも見事な身のこなしでした。女性の胸に光る数十カラットの宝石がちっとも嫌みではありませんでした。さすがにホワイトタイの方はいらっしゃいませんでしたが、ここはまさにヨーロッパでした。しかし間近に控えた香港返還を考えると、それらがはかない虚飾のようにも思えました。

 1997年7月1日、香港は中華人民共和国の一都市となります。少なくとも私が見た限りでは、人々の表情は明るく自身に満ち溢れています。私が泊まったホテルの前では、巨大なコンベンション・センターが建設の真っ最中でした。香港は今、不動産ブームの真っ盛りだそうです。彼らは自分たちを成功者と信じ、返還後は12億の中国におけるビジネスセンターとして今以上の繁栄を現実の物にしようとしています。その自信が過信でなければと願うほかありません。もしも彼らの思惑通りに進んだなら、香港はニューヨークやシティーを凌駕する都市となっているかもしれない。その時日本はどうなっているのだろうか・・・。

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