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駄文46 福島問題

 

名前に「島」が付く県は以下の5つである。

徳島県、広島県、鹿児島県、島根県、福島県

「徳島」の由来は吉野川河口の三角州(ひょうたん島)である。


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「広島」の由来は大田川河口の三角州である。


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「鹿児島」は桜島の別名で、元々は鹿児島湾に浮かぶ島だったが、大正時代の噴火で九州に繋がったある種の陸繋島である。


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「島根」は島根半島のことで、ここも元々は日本海に浮かぶ島だったが、斐伊川や神戸川の運ぶ土砂が堆積して、本州に繋がった陸繋島である。因みに、現在では、佐陀川や高瀬川や斐伊川放水路(工事中)といった人工河川で宍道湖と日本海が繋がっているので、実質的には島に戻っている。


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ところが、福島市は内陸部にあり、三角州でも陸繋島でもない。福島盆地は元々湖で、市内にある信夫山が島であったという説もあるようだが、地質学的に福島盆地が湖であったという事実はない。また、「平らな福島盆地を海に例えて信夫山を島と看做した」という説もあるが、これは少々無理がある。この理屈が通るのなら、残丘はすべて「島」と呼ばれているはずだ。


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そんな時、国土交通省のサイトでこんな記述を発見した。

砂防 - 過去の主な土砂災害 :: 福島河川国道事務所

> 当時、大笹生網島地区あたりを流れる松川は、写真点線のように、網島から北沢又大和田を通り、泉堰で向きを変えて、信夫山の南側を流れ阿武隈川に合流していました。ところが、寛永12年(または寛永14年)の大洪水によって、堤防がなく、両岸に松が植えてあるだけだった松川は、大きな被害を受け、現在のように信夫山の北側に流れを変えてしまいました。

と言うことは、松川は洪水で山の南側から北側に変わるぐらい流路が不安定だったということだ。当然、反復的に流路は変わり、洪水時には山の両側を水が流れたと推定できる。


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つまり、信夫山は松川の氾濫原の中にあるということになる。

信夫山(福島)は洪水時のみの一時的な島だったと考えられる。

さらに、頻繁に氾濫があったとすれば、氾濫原は常に湿潤な湿地状態になっていたはずだ。周辺が市街地化する以前、信夫山(福島)は湿原の島、もしくは水田の島であったのかもしれない。


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