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フィリップ・ホセ・ファーマー

 十代の中頃、僕は変な小説に出会った。

 表紙は地平線の上にそそり立つ巨大な獣の頭蓋骨。空は暗雲に覆われている。そして、一筋流れ星のように空を切り裂く空飛ぶ円盤。

 『果てしなき河よ我を誘え』――それがその本の題名だった。

 まず、表紙裏の登場人物紹介を読む。

 リチャード・F・バートン……英国の探検家。一八九〇年没 モナト・グルラウトゥト……くじら座タウ星人 ピーター・J・フリギット……米国の小説家。二〇〇八年没 カズジントゥイトルアアベムスス……ネアンデルタール人。

 変なのだ。こんな登場人物ってあるだろうか? 物語の舞台は幅一マイルの「河」。その両岸にネアンデルタール人から二十一世紀人にいたるすべての人類が復活している。はっきり言ってずるい設定だ。作者は歴史のどの部分からでも、好きな人物を物語に参加させることができるのだ。さらには未来人や宇宙人まで登場している。

 しかし、途方もない設定を思いつけば、誰でも面白い小説が書けるかと言うと、実はまったく逆なのだ。あまりにも、壮大で自由度の高い設定は力のない作家の手におえるものではない。物語はからからと空転し、あっというまに破綻してしまう。

 ところが、このフィリップ・ホセ・ファーマーというラテン臭い名前の作家は(実際にはラテン系の血はながれていないらしいが)見事に世界を手なずけてみせてくれた。むちゃくちゃに面白いのである。ラスト近く、主人公が世界の秘密の片鱗に触れたところで、第一巻は終わり、第二巻『わが夢のリバーボート』へと繋がる。第二巻では登場人物は主人公を含めてほぼ総入れ替えになる。徳川家康も出る。好き勝手し放題である。なのに、物語りはあくまで面白い。僕は興奮しながら、いっきに読み終えた。そこで大きな問題にぶちあたった。この≪リバーワルド・シリーズ≫の続きはその頃、まだ翻訳されていなかったのだ。僕はファーマーの別のシリーズに手をつけた。

 階層宇宙シリーズもまたずるい設定だった。「上帝」と呼ばれるとてつもない科学力を持った謎の種族が一人一人自分専用の小型宇宙を作っている。物理法則まで、自由にできるらしく、世界を階段状にして、各階にギリシア神話の世界、アメリカ・インディアン(ネイティヴ・アメリカン)の世界、中世騎士の世界を配している。しかも、世界を支配する「上帝」たちは全知全能というわけでもなく、人間より少し体力と知力があるだけで、性格が最低に悪いというのも心憎い。

 このシリーズも各巻で主人公が入れ替わり、さあ盛り上がってきたという第四巻で既訳分は終わってしまった。そして、現在に至るまで続きが出ていない。こんな名作を二十年もほったらかしにするのはいかがなものか。

 それはさておき、そんなファーマーの本格的なデビュー作は五十年代に書かれた『恋人たち』という小説だった。(実際にはそれ以前に一本雑誌掲載されたことがあったらしい)

 この作品は米国SF界に衝撃を与えた。なぜなら、セックスをテーマにしていたからだ。当時、SFは健全な娯楽を目指し、セックスを扱うことはタブーであった。現在の日本では信じがたいことだが、そのため『恋人たち』はSF界からは糞みそにこきおろされたという。

 などと書くと、とてつもないポルノチックな描写を期待される方も多いだろうが、さにあらず、全然たいしたことはない。いや、むしろ今日的な基準から言えば、性描写そのものはないのである。

 ファーマーがこの作品で使ったアイデアはその後、SFでは使い回され、今ではすっかり陳腐なものになってしまっている。あまりに、多用されているため、現在のSF読者なら、『恋人たち』の裏表紙のあらすじを読んだだけで、見破ることすら簡単なことだろう。

 これは実は凄いことなのだ。通常、SF作家は他人のアイデアを意味もなく、使ったりしない。ウェルズの『タイムマシン』を例にすれば、理解しやすいかもしれないが、あるアイデアが業界標準になるということはそのアイデアがSFの一つのジャンルを作ってしまうことを意味する。

 これから『恋人たち』を読む方々は心して欲しい。テーマそのものには目新しさを感じなくても、その料理の仕方に注目すべきだ。とにもかくにも、これがファーマーによって書かれた変な小説たちのさきがけであることには間違いないのだから。

(<S-Fマガジン> 平成10年9月号)


Copyright © KOBAYASI Yasumi 1999, 2004


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