≪評論≫

私たちはアフリカ人、とアルジェリア人が言うとき

       ——カテブ・ヤシンを例として                                      

鵜戸 聡

 

 

 

1830年のアルジェ征服より1962年の独立に至るまで、アルジェリアは130年の永きに渉ってフランスの植民地であった。主に地中海北岸の諸地域から多くのヨーロパ人が入植して諸民族の坩堝となったこの地は、フランスの不可分の県として特殊な発展と破壊を蒙ったのである。アルベール・カミュやジャック・デリダなどを生んだことでも知られるが、アラブやベルベルといった「原住民」の作家たちもまたフランス語で著述した。フランス式の教育を受けた一部の原住民エリートによって読むに値する作品が生み出されるのは随分遅いのだが、1950年代にはマグレブ全土において陸続と大作が発表される。これが、今日まで連綿として北アフリカに書き継がれてきたマグレブ仏語文学(la littérature maghrébine de langue française)であり、特に80年代以降は移民先のフランスにその枝を分け、いわゆるブール文学(beur とはアラブ系移民を指す俗語)を生んだのである。わけても50年代はマグレブ文学にとって革命的な時代であった。モロッコのドリス・シュライビ、チュニジアのユダヤ人アルベール・メンミの出現と時を同じくして、独立まだきのアルジェリアに綺羅星のごとく偉大な作家たちが登場する。なかでも双璧とうたわれたのがモハメド・ディブとカテブ・ヤシン(Kateb Yacine 1929-89)である。なかんづく後者の主著『ネジュマ』はフォークナーやジョイスに影響を受けた極めて前衛的な手法が用いられ、アルジェリア小説の金字塔としてマグレブ文学を画するものである。本稿ではそのカテブの諸著作における「アフリカ」という詩想について紹介したい。

 

海のアフリカ、あるいは殉難者の岸辺

北アフリカをアラブ・イスラーム世界や地中海世界の一部としてのみ捉え、サハラ以南のアフリカとの関わりを等閑視する傾向はいまだに根強いものがあるのだが、カテブ・ヤシンの「アフリカ」への関心はかなり初期のテクス 

トに既に表れている。それはカテブがまだ若年のころ、マダガスカルの反仏蜂起(1947年、死者数9万とも言われる)によせた詩「さまよえる民」においてである。 

 カテブ・ヤシンが詩に目覚めたのは、彼がまだリセの学生だった頃、194558日の終戦の日に、アルジェリア東部で勃発した「コンスタンティーヌ蜂起」を契機としている。フランス植民地当局による報復虐殺を目の当たりにしたヤシン少年は、やがて同様の悲劇を経験するマダガスカルに同胞の姿を見出すこととなる。その犠牲者を悼む詩のなかで中心となるモチーフは、マダガスカルからアルジェリアへと屍体たちが流れ着くというものだ。マダガスカルで虐殺されたものたちが「アルジェの橋に」流れ着く時、「わたし」は「墓穴から逐われた」「屍の如く蒼白の農夫たち」が「漠たるアフリカの大地で彷徨うさま」に思いを馳せる。「かれらの島」から追放され「死してなお生ける」「われらが同胞」、あるいはその「砕け散った肉体」は「われらの岸辺」に迎え入れられる。この詩の読者は「コンスタンティーヌ蜂起」の経験を「マダガスカル蜂起」へと重ねあわせたことだろう。

しかしアルジェリアとマダガスカルが「アフリカ」の名の下に結びつけられるのはいささか奇妙ではないか。かたやアラブ世界の一員、もう一方はインド洋の島国である。この二つを結びつけるのはむしろカテブの戦略といえよう。「さまよえる民」を精読すれば、歓待の彼岸となりえるのはアルジェのみならずあらゆる「アフリカ」の岸辺であることが伺える。アルジェリア人のマダガスカル人への歓待はやがて「アフリカ」全体の相互的な連帯へと発展するだろう。さらに「アルジェリア」という名がアラビア語の「アル=ジャザーイル」、すなわち「島」を意味する「ジャジーラ」の複数形から来ており、カテブ・ヤシンがその原義をしばしば意識していたことを考え合わせると、「絞首台」が差し向けられたという「アフリカの島」にマダガスカルのみならずアルジェリアの姿をも重ねることができるだろう。すると、この二つの「島」を極として水漬く屍に取り囲まれた姿で「矢と花を心臓にちりばめた/老いたるアフリカ」が水面にたちあらわれてくるのである。「矢」とは植民地支配の傷、「花」とはそこからの再生を象徴する。

 

 

日の没する処を意味するマグレブとはイスラーム世界の西の果てであるが、この詩にうたわれる「アトラス」とはギリシア・ローマ的な地中海世界の西涯であり、あるいは主神ゼウスに破れた苦難の巨人神の名である。その兄弟たるプロメテウスもまた果てのない苦しみのさなかに留まっているのだ。新しい神々の到来により抑圧せられたかれら流刑の神々は、あたかもローマに征服されたベルベル、あるいはフランスに支配されたアラブのようで、この詩でアルジェリア人が「アトラスの息子たち」と呼ばれるのももっともである。フランスはアルジェリアを征服して地中海を帝国の内海にしようとしたが、「さまよえる民」は海を媒介にして「アフリカ」を取り囲む。それは地中海の呪縛から離れ、古のアフリカの大地にアトラスを解放してプロメテウスの縛めをとく試みではあるまいか。

 

ラテン・アフリカをめぐって

 周知の通りアフリカという語はラテン語の Africa に由来し、現在のチュニジアやアルジェリア東部にあたる一帯を指していた。それでは北アフリカこそが真のアフリカなのだろうか。20世紀初頭のアルジェリア文学(植民者による)に目をむけると「アフリカとしてのアルジェリア」という理念が一種のリアリティをもって利用されたことが見て取れる。

 20世紀に入りアルジェリア生まれのコロン(植民者)が増えるにつれ、かれらはみずからを本国人と差異化し、新しく「アルジェリア人」なる存在を創り上げようとした。その傾向の文学面での発露が「アルジェリアニスム」ともいわれる文芸潮流であり、たとえば著名な作家としてロベール・ランドーやルイ・ベルトランなどが挙げられる。

 アラブ=イスラーム世界を専門とするオリエンタリストでもあったランドーは、『コロン』(1907)など「祖国アルジェリアの物語」というシリーズにおいて、独自の存在としての「アルジェリア人」(ヨーロッパ系住民を指す)あるいは「アルジェリアニスト」(同名の小説も書いている)という人々を描き出そうとした。一方のベルトランは古典学を修めたラティニストであり、『諸民族の血』(1899)などでフランスやスペイン、イタリアからの移民が混血して新しい人間が生まれることを説いている。その思想の根底にはやはりローマ時代のアフリカというイメージが横たわっており、フローベールの『サランボー』を愛読し、『ラテンのアフリカ』という雑誌には「ラテンのアフリカの復活」 などという文章を書いている。ここで興味深いのは、両者ともベルベル人を(そのローマ性において)ラテン世界の一員とみなして称揚する態度である。

 じつはアルジェリアにおけるアウグスティヌス賛美にはすでに前例がある。19世紀後半のアルジェ大司教ラヴィジュリは、精力的にアフリカ大陸への布教を押し進め、アウグスティヌス時代の再来を目指してベルベル人の再キリスト教化を企図した。いわゆる「ベルベル主義」の一環である。自分たちの新しい「アルジェリア」を構築しようとしたコロン作家たちは、重要な論拠として「アフリカ」という概念を利用した。ラテン的なアフリカ像の投影、あるいは「(元来キリスト教徒であった)先住民ベルベル人の土地」というイメージを強調してアラブ=イスラーム的要素をアルジェリアに非本来的なものと見なす論理が展開される。フランスの枠内に留まりつつもしかも本国にはない価値をそこに見出す必要があったかれらは、混血から生じ、ラテン性、ローマの後裔としての自己認識、ベルベル人教化の使命などの要素を有する「新しい種族」(nouvelle race)として「アルジェリア人」を発明せねばならなかったのだ。

 そのようなベルベルへの視線を逆手にとって利用したのがカテブ・ヤシンである。彼の作品に登場するベルベルといえば、7世紀末に侵攻するアラブと戦った女王カーナヒである。戯曲『カーヒナあるいはディヒヤ』にて彼女はいう。「かれら[=アラブ]はわたしをカーヒナと呼ぶ、かれらはわたしたちをベルベルと呼ぶ、/わたしたちの祖先を /ローマ人たちがバルバール[=野蛮人]と呼んだように。」ここではベルベルはローマ帝国の臣民ではなく侵略への抵抗者として描かれており、カテブは古代からの侵略の歴史を示唆しつつアラブの侵入やフランスによる植民地化を難じている。

 

新しいアフリカへ向けて

それではカテブにとってのアフリカとは北アフリカのみなのか。アルジェリアとマダガスカルの狭間で手つかずのままであるブラック•アフリカは無視されているのだろうか。しかし『ネジュマ』やそのヴァリアントの1つである「また花開く草々のあいだで」には奇妙な黒人が登場する。かれは、主人公たちが属するケブルート族の故地たるナドホルを守る番人なのであるが、黒人であるのにも関わらず、元来東方のアラブであるこの部族の血縁なのだという。起源は宙吊りにされ、永い歴史のなかでの混血が示唆される。また、『ネジュマ』に描かれる起源神話に登場する大鷲や、戯曲『祖先は残酷さを増す』などに現れる禿鷲は、コンスタンティーヌ市近郊に伝わっていた黒人たちによる儀礼に関わっている。ヒロインであるネジュマが象徴する祖国アルジェリアは、黒人の存在によって太古の異教的要素を孕むのである。

 

 カテブ•ヤシンはあるインタヴューで「われわれはアフリカ人と名乗るべき」だと発言している。アルジェリアにはいまだネイションが存在しないとするカテブにとってアフリカとは、過度のアラブ=イスラーム主義を排し、その異種混淆性•複数性のままに祖国を統合していくための基盤となる概念であり、未来に向けて獲得すべきアルジェリア像なのである。

                   (うど さとし——東京大学大学院)